9.殴り合い、ふたり
【これまでのあらすじ】
・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。
・新たな上官サムエル・サンドバルとの模擬戦は相打ちの引き分けに終わった。しかし、それで納得する素直さがあれば最初からこのような勝負にはなっていない。ジークとサムエルは共に勝利を譲らず、相手を場外乱闘で叩きのめそうとする。
◆ ◆ ◆ ◆
「――デカい口を叩いておいてあのザマとは、やはり大したことはないな。一度組み付いておきながらまんまと逃げられて返り討ちにされた気分はどうだ?」
「くたばれ!」
シミュレーター室から出た廊下で顔を突き合わせて開口一番、言葉によるマウンティングに乗り出したサムエルに対して、ジークは右ストレートの即答を返した。
サムエルが咄嗟に腕でガードしつつ身体を逸らして衝撃を受け流すが、作業用Mechの油圧アームすら押し返す腕力を殺しきることはできず、突き飛ばされて背中が壁にぶつかった。
まず無言で殴り飛ばして精神的な優位をとる棍棒外交は、ジークが相手をやり込める上で最も得意とするやり口の一つだった。顔をしかめて腕をさするサムエルに向かって、ジークが言い争いのアドバンテージを取り戻すべく弾劾を始める。
「この後に及んで見苦しい言い訳をする気なら、今すぐその恥ともども消えて無くなれ! 不意打ちを仕掛けて返り討ちにあった阿呆が偉そうに!」
「最終的に弾は当たって、貴様は死んだ。重要なのはそこさ。我々は文明人だ、斧一本で相手に飛び掛かるような馬鹿な真似はしない」
「文明人ってのはお前みたいな口と態度だけデカいアングロサクソンもどきを言うのか!
ジークが皮肉に罵倒を返しながら攻撃のタイミングを伺う。
ほぼ一日中敵地で戦闘を行った後、基地に戻ってからアーヴィングを殴り倒し、サムエルと生身で小競り合いをやった上でシミュレーターで模擬戦をやったにも関わらず、ジークの戦闘の意思はまったく途切れていなかった。
「そうビクついて虚勢を張るなよ、エジキエル君? 我々だって貴様を追い出そうとは考えていない。ただ貴様と、貴様の機体の任務が〈ピースキーパー〉が撃ち漏らした残りカスのゴミ掃除に変わるだけのことだ」
「野郎、殺してやる!」
「吠えるな、野良犬! これからは俺とディーがクォーターバックだ! 貴様は石の下の虫ケラのようにコソコソ大人しくしていろと言っているんだよ!」
「人非人の畜生がッ!」
ジークがサムエルの胸倉を掴んで顔にパンチを叩き込もうと引き寄せた瞬間、サムエルがその勢いを逆に利用してヘッドバットを仕掛けた。咄嗟に額で受けたが脳が揺れ、ジークは鼻の奥で鉄っぽい匂いがするのを感じた。
「顔面までサイボーグになっちまえ!」
「お前こそ、そのツラ陥没させてやる!」
サムエルがジークの横面に追撃のパンチを入れる――しかし同時にジークがカウンターの膝蹴りを下腹に突き刺し、くぐもった呻き声を上げさせた。
文字通り重い蹴りを喰らったサムエルが一歩後ずさった隙を突き、ジークが装甲義足を使った強烈な前蹴りを繰り出す。ガァンという硬質な打撃音が響き、サムエルがアクション映画のワンシーンの如く吹っ飛ばされた。
「野蛮人が――銃なんぞよりこいつの方がよっぽど危険だろうが!」
サムエルが再び腰のホルスターに手を伸ばす。
――殺さなければ死ぬ。その考えが頭をよぎった瞬間、ジークは人間離れした義肢の駆動出力をフルに使ってサムエルに襲い掛かっていた。
「くたばれ、ケダモノ!」
「死ねぇぇぇぇ――ッ!」
もはや問題はこの上なくシンプルだった。サムエルのマシンピストルが自分を撃ち殺すのが早いか、自分の装甲義手がサムエルの頭蓋を叩き割るのが早いか。
殺すか、死ぬかだ。両者ともが自分のプライドのために相手の命を奪うことを厭わない人間である以上、和解はない。
しかし――次の瞬間、黙っていたディナがサムエルの腕を掴んでホルスターから手を引き剥がし、同時に体ごと手前に強く引っ張った。
直後、サムエルの頭部があった位置にジークの拳――先ほどまでのものとは違う、全開の殺意を込めて放った正拳が激突し、廊下の壁が浅く陥没してコンクリート片が弾け飛んだ。
「……そんな生き方してて疲れないの、あんたたち」
呆れ果てた、というか単に面倒くさそうな表情で茶色の長髪を撫でつけながら、ディナがサムエルを軽く突き飛ばし、ジークの方へと向き直る。ほとんど意識の外だった妹が急に兄を押しのけて前面に出てきたのを見て、ジークは警戒を強めながら一歩前に進んで彼女を睨みつけた。
「お前に説教される謂れはない。邪魔を――」
「あのジャンプから反転してミサイル撃つマニューバ、よかったよ」
「何のつもりだ、突然!」
「あなたは優秀なパイロットだし、あの機体も実戦で通用する。少佐……兄貴は意地っ張りの人格破綻者だけど、それを解らないほど馬鹿じゃない。私たちにはあなたの力が必要だと思うな」
つらつらと述べるディナの声色は平静そのもので、声を荒らげるどころかほとんど感情がこもっていないように聞こえたが、熟練のチェス指しが相手を追い詰めるかのような不思議な迫力があった。
「つまり?」
「謝れとも仲良くしろとも言わないけど、仕事は仕事として付き合って欲しいな。――ここで殺し合いをやってもお互い何の得もない、そこは共通認識のはず」
「……」
ディナの蒼い目とジークの人工義眼が、お互いの心中を推し量るようにして視線を交差させた。彼女の皆まで言わないその態度からは、真綿で首を絞められるような、言葉を誘導されているような鬱陶しさが感じられた。
確かに――ここで殺し合いを続ければ、良くて目の前のサムエルを殺害して軍法会議、悪くてそのままマシンピストルの猛射を喰らって死ぬだろう。ジークとて別に破滅願望があるわけではない。
(だがここで引き下がったら、こいつはますます思い上がる)
しかし、同時に――そういった保身だとか損得勘定だとか、そういう奥歯に物が挟まったような理由で問題を曖昧に片づけることをジークは何より嫌っていた。
自分を虚仮にする者は徹底的に叩き潰す。それで発生する損得だとか他者への迷惑だとかは押し並べて些末事だ。侮辱とは名誉への攻撃なのだ。傷を受けたままにしておけば、その恨みは人生の傷痕となって自分を苛み続ける。血の代償は血で支払わせなくてはならない。
ジークは不信と恐怖を憎悪の炉に焚べ、絶えず世界への怒りを燃やしていた。
仲間も友人もなく、帰るべき故郷も家族もない彼にとって、寄る辺となるのは自分の尊厳ただ一つ。他者に対して一歩も引こうとしないのは、すなわち精神的に一歩も後がないことの裏返しだった。だがどうであれ、力さえあればエゴは押し通せるのだ。
「答えはNOだ。そっちは言いたい放題言っておいて、今さら得がないから割り切れなどと! ここまで俺を侮辱した奴が反省も後悔もせず!」
「……そうね」
ディナが後ろの兄を一瞥して小さく溜め息を漏らし――それから丁寧に頭を下げた。
「代わりに私が謝るよ。……うちの兄貴がごめんなさい。勘弁してくれないかな」
サムエルの代わりにディナが謝った。
言葉にすればたったそれだけの事であり、聞いていたジークも(こいつが謝ってどうするんだ)という感想を抱いたが――その光景を見た途端、サムエルが血相を変えてディナの肩を掴んだ。
「おい、ディー! こんな奴に!」
「兄貴はそのままふんぞり返ってればいいよ。謝るの嫌なんでしょ」
自信家めいた外面とも下衆を丸出しにした本性とも違う、心底狼狽えた様子を見せたサムエルに対して、ディナが無表情のまま痛烈な皮肉を言い放つ。
自分の味方だと信じ込んでいた妹から放たれた冷たい一言に、何も言えずに固まるサムエル・サンドバル。その様子を一瞥したジークが「なるほど」と呟いて握りこんでいた拳を解き、ここぞとばかりにその隙を突いた。
「情けない男だな。自分の面子を汚したくないから、代わりに妹に頭を下げさせて」
「……誰が……貴様!」
苦虫を噛み潰したような顔でサムエルが反駁したが、実際にディナが頭を下げている以上、もはや食い下がるだけ自分の首を絞める結果にしかならない。
どうやらこの女がこいつのアキレス腱らしい――傲岸不遜なサムエルが屈辱と後悔の板挟みに苦しむ姿を見て、ジークはようやく溜飲を下げた。
そして何より、ディナは場を収めるために自分の頭を下げたのだ。侮辱には必ず血の代償を払わせるが、義理を通した相手には相応の敬意を払わねばならない。
「わかった、ディナ・サンドバル。お前に敬意を払って今日の事は水に流す――だが『今日は』だ。いいな」
「構わない。いいでしょ、兄貴」
「……ちっ」
サムエルは何も返さず、無言のまま不機嫌そうに腕を組んで舌打ちを返した。それを一瞥したディナが無表情をわずかに崩して軽く肩を竦め、それから左手でサムエルの手を掴み、ジークに向けてもう片方の手を差し出す。
握手を求めるサインだ、と知ってはいたが、他人の手を握るなど数年ぶりだったジークは一瞬それが解らなかった。
「何のつもりだ?」
「遅れたけど、挨拶のつもり。誠意のつもりでもある」
「ふん」
ジークが仏頂面のまま義手を動かし、ディナの手を取った。武骨な装甲で覆われた指がガチャリと動いてディナの手を握ると、指先に配されたセンサーが彼女の手の感触と体温を脳に伝達する。
(人の手ってのは、こうもグニャグニャして生暖かいものだったか)
仏頂面の裏で、ジークはそんな事を思った。
「硬くて冷たい。あなたの手」
「握手を想定した造りじゃないんでな」
「そう。……それじゃあ最後の仕事。宿舎まで」
「案内しよう」
ジークがディナの手を離し、側のサムエルを睨みつけた。
「――妹のおかげで命拾いしたな、サムエル・サンドバル」
「……貴様こそディーが止めなきゃ今頃マシンピストルで蜂の巣だ。上官を敵に回したらどうなるか、覚悟しておけよ」
「前の三人もそう言っていた」
「フン!」「 けっ!」
サムエルと威圧の応酬を交わし、ジークはガレージの出口へと廊下を歩き出した。
ともあれ、これがジークにとって四人目の上官の着任であり――同時に彼の人生の大きな転換点となったのだが、このときの彼はそれを知る由もなかったのである。
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