4.笑顔の仮面の下で

 ジークが上官アーヴィングを殴り飛ばす少し前、ゴールディングの居場所である基地司令室には、三人の仕官がいた。部屋の主であるトニー・ゴールディングに、彼に着任の挨拶に来たサムエル・サンドバルとディナ・サンドバルである。


「――あの機体に乗るのがジーク・シィング。おそらく君らがもっとも手を焼くであろう男だ」


 トランスポーターでガレージの前まで運び込まれる〈ヘルファイア〉を、ゴールディングが窓から見下ろす。その前で、サムエルは人懐こい笑みを顔に貼り付けたまま、「ハハハ」と爽やかな――しかし、どこか白々しい笑い声を上げた。


「上官を2度も病院送りにしたとか。よく軍隊にいられるものです」

「鉄砲玉に縄はつけられん。――最初は誰も期待などかけていなかったが、奴は実際に一人でぺゼンタ飛行場を破壊した。そのおかげで我々は航空優勢を取り戻し、再びヒンドゥークシュ山脈を空からの監視下に置いている。奴の功績は大きい」

「確かネパール人でしたね。さすがはグルカ兵と言ったところですか」


 サムエルが思い出したように言うと、ゴールディングが頷いた。


「2069年の第二次ネパール内戦で親も親戚も喪った、戦災孤児というやつだ。保護施設からインドのPRTO派遣軍士官学校に入隊、任官後はアバディーンで試製T-Mechのテストパイロットに――高速走行試験中に転倒事故を起こして両手足と目を失くしたが、義肢と義眼を装着して軍務復帰した。ここに来たのは1年半ほど前だ。前述の通り、圧倒的な戦果を出してはいるが……」


 そこまで言ったところで、階下からジークとアーヴィングが怒鳴り合う声が聞こえてきて、サムエルがぴくりと眉をひそめた。ゴールディングが顰め面のまま片手で頭を抱える。


「……あれさえなければな。とにかく命令無視と上官への不服従が酷い。中尉に降格して少しは懲りたかと思ったが、全く改める様子もない。今では佐官や将官ですら、奴の鉄拳を恐れて何も言わん」

「除隊にしないのですか? いくら害虫を食うと言っても毒虫は毒虫でしょう」

「駆除の手段を選んでいられるほど、我々は余裕があるわけではないのだよ。あの機体はジーク以外には扱えん」

「あの趣味の悪い塗装の機体ですか! XTM-1!」


 サムエルが嘲笑の色を帯びた笑みを浮かべた。


「カタログスペックばかり求めて時間と資材を無駄にした見本でしょう。装甲と推力を限界まで高めた結果、誰も乗れなくなったんだからお笑いだ。セミ・マスタースレイブから脳直結操縦方式に改造したからどうにか動かせているようですが、本来ならスクラップ行きのはず――」


 その瞬間、ゴールディングの拳が裁判官の木槌の如く机を叩き、それ以上の発言を阻んだ。サムエルが口元に涼しげな笑みを浮かべたまま、笑っていない目を値踏みするかのようにゴールディングに向ける。


「だが、戦果を出している。重要なのはそこだ」

 

 静かに、しかし重々しく、ゴールディングが言葉を紡ぐ。


「実績のみが説得力を持つ。ぺゼンタ飛行場の殲滅、総計97の――今日でちょうど100になったが――敵拠点の破壊。敵後方への強行偵察も数えきれんほど完遂してきた。奴は馬鹿だが、それ以上に有能だ。だから今もこの基地にいられる――君はどうかね?」

「もっと有能であります」


 それは忠告であり、ある種のジークに対する擁護であり、ビッグマウスに対する直接的な叱責であったが、サムエルは怯むでも反発するでもなく口角を釣り上げて即答した。


「我々と〈ピースキーパー〉の性能にご期待ください。ミャンマー同様、砲爆撃でこの地に平和をもたらしてご覧に入れますよ」

「よくもまあ初日に大きく出るものだ。君も同意見か、ディナ・サンドバル?」

「……いいえ。少佐ほど自信過剰にはなれません」


 サムエルの横でずっと沈黙を保っていたディナが、他人の振りでもするかのように兄から視線を逸らして言った。サムエルがむ、と眉を顰め、逆にゴールディングが愉快そうに口角を釣り上げる。


「常識ある部下は大事にすることだな。それが肉親なら猶更だ。……サムエル・サンドバル。口先だけの男か否か、これからとくと見せてもらおう。ひとまず――」

 

 その時、階下で再びジークの怒号とアーヴィングの悲鳴が響き渡った。ゴールディングが頭痛を堪えるように額に手を当てる。


「部下に挨拶するんだな。――奴とうまく付き合うコツは三つ。背中を見せるな、本心を隠すな、回りくどい言い回しを使うな、だ」

「肝に銘じましょう」



 ――そして、今に至る。最初のやり取りを終えた時点で、ジークはサムエルに対して決定的な敵対心を抱いていた。さっそく一触即発となりかけた空気を察してか、ゴールディングが割って入る。


「今回の処分は追って伝える。先に二人に基地を案内しろ。――お前は問題行動ばかり起こす大馬鹿者だが、簡単な仕事一つこなせん無能ではない。そうだろう?」

「煽てれば従うと思ったら大間違いだ。……来い!」


 聞こえよがしに舌打ちして、ジークがずかずかと部屋から出ていく。サムエルが好青年めいた柔らかな微笑を崩さないままその背中を見送り――。


(こんな路地裏のクソガキを重用するとは、「血塗れゴールディング」と呼ばれた男も高が知れているな。プライドと破壊衝動が服を着て歩いている。笑顔の仮面一つ被れないクズが世の中にのさばっているということ自体、あってはならんことだというのに)


 そう内心で毒づくと、背後のゴールディングに向き直った。


「では、我々はこれで。……もうじき害虫駆除に毒虫を抱えておく必要もなくなりますよ。行くぞ、ディー」

「失礼します」


 ジークの後に続いて退室する二人の背中を仏頂面で見送った後、ゴールディングは「まったく」と吐き捨てて姿勢を崩し、窓から救いを求めるように外を見た。乾季のアフガニスタンの空は憎らしいほど晴れていて、地表では風に吹かれた砂塵が舞っている。


「サムエル・サンドバル――付き合いのいいような風をして、人殺しの才能で佐官まで上り詰めた男。……毒を持って毒を制す、となればいいが」


 ゴールディングが思案顔で呟く。

 実際、サムエルは前の3人よりはジーク・シィングの上官に相応しいように思えた。真面目で忠実なだけの型通りの将校では、あの男を御することはできない。単に人当たりがいいだけでも駄目だ。

 彼と同じく最前線で実績を積み上げた叩き上げ、それもジークの気性の荒さに押し負けない我の強さを持った人物でなくては、T-Mech部隊の隊長は務まらない。その点で言えば、サムエル・サンドバルは――いささか我が強すぎるきらいはあるが――合格点だった。


 サンドバル兄妹とジークの関係がうまく落ち着いてくれることを願いつつ、ゴールディングが部屋を出る。とりあえず今の彼にとって確かなことは、基地はひとまず静寂を取り戻したということだった。



「この基地に来てから、俺に指示を出す立場に立った人間はお前で4人目だ。――1人目は階級章を見せびらかすしか能の無いゴミで、俺を手下と袋叩きにしようとした。2人目は頭に酒と性欲が詰まったクズで、酒を飲ませて女を宛がえば俺を懐柔できると考えた。どっちも今はもうこの基地にいない。何故か解るか?」

「一人目は眼底骨折による後方任務への異動、二人目は自己都合での退職だったな。どちらも君に殴られたのが原因だ」

「その通り。そして今日、偉そうに無駄な指示は出すくせに最低限の業務連絡もできないアホが追加された。――俺を虚仮にする奴は誰だろうが許さない。お互いにとって不利益な結末を迎えたくないなら、その辺りを理解しておいてくれ」

「了解だ、エジキエル」 


 サムエルが微笑んで――しかし皮肉が滲む声色で答えた次の瞬間、ジークの腕がごう、と風切り音を立ててその襟首を掴んだ。そのまま腕力を見せつけるように片腕でサムエルの身体を持ち上げ、建材を運ぶクレーン車のように空中に吊り上げてみせる。


「ジークと呼べ! 階層ジャートChhetriチェトリ、苗字で呼ぶことも本名で呼ぶことも許さん。次はない!」


 ジークが犬歯を剥き出しにしてサムエルを睨みつけると、その義眼の中で黒一色の瞳孔がぼう、と拡大した。

 彼の両目に嵌め込まれた高性能義眼は曲面状の液晶カバーと複眼式マルチカメラアイの二段構えで、視線の動きに合わせて外側の液晶が透過、内側の黒い複眼部分が覗くことで疑似的に眼球運動を再現する。本来はそういった意図は無いのだが――黒と白の二色に塗り分けたような機械の瞳は、ジークの攻撃的で狂暴な雰囲気を更に強化していた。


 ジークの経験上、この目に睨まれた者は大抵その異様さにたじろいで引き下がる――はずだったが、サムエルは堪えた様子もなく微笑を維持し、自身を掴み上げる装甲で覆われた義手をぽんぽんと叩いた。


「それは失敬。知らなかったし、教わってもいなかったんでな」


 地面に下ろされたサムエルが涼しい笑みで襟を直しながら了解の意を示す。しかしその態度にすらナイフをちらつかせているような棘が感じられて、ジークは余計に苛立った。


 こういう態度の奴が、一番嫌いだ――。悪意を剥き出しにはせずチラチラと見せつけて、こちらが追及しようとすると卑怯にも被害者面をしてはぐらかす。こういう奴は四の五の言わせずさっさと殴り倒すべきだ、というのがジークの持論だった。銃でぶち殺せるなら、なおいい。


「ふん。――命令はゴールディング基地司令から直接受ける。帰還報告やブリーフィングは全部さっきの部屋でやる。業務時間中の行動範囲はこことガレージだけ、食堂と宿舎の位置だけは教えておくから、軍用スーパーマーケットPXだの映画上映所シアターだのに行きたきゃ自分で探せ」

「構わないさ。宿舎には何人いるんだ?」


 サムエルが訊くと、再び歩き出そうとしたジークがぴたり、と動きを止めた。


T-Mech試験班うちの将校用宿舎は、今は俺一人だ。もともと小さい宿舎だったが、他の連中は俺を嫌がって別のところに移った。お前らも他で寝泊まりしたきゃ……」

「自分で探すとも」

「ああ、そうしろ。お互いの精神衛生のためだ」


 ジークが吐き捨てて二人に背を向ける。視線が外れた瞬間、サムエルが笑みを消してあからさまに不愉快そうな表情を浮かべたが、愛機〈ヘルファイア〉とは違って後ろに視界を持たないジークがそれに気付くことは無かった。



 すれ違う人間に目を逸らされながら、ジークは二人を連れてずかずかと通路を抜け、会議室から一階下にあるT-Mech試験班の執務室に二人を通した。執務室にはいつも数人の後方要員がいて、他の部署との連絡や書類の作成に従事している。

 ジークが属する性能試験班やロックがいる整備班といった、複数の部署を統括する部隊の中枢なのだが、一パイロットであるジークにとっては普段あまり用のない場所だった。自分が部屋にいると相手も落ち着かないようだし、何よりチラチラと向けられる視線が不愉快で仕方ないから、普段は意図的に近づかないようにしているのだ。


「――神と祖国の名において、この地の平和に貢献したいと思っている。前線にいた頃はヘリコプター部隊だったから不慣れな事も多いがよろしく頼むよ。……では、私はこれから機体ガレージを案内してもらわなくてはならないから、諸君らも仕事に戻ってくれ。私のために時間を取ってくれてありがとう。以上だ」

「……」


 手慣れた様子で訓示を済ませるサムエルの姿を、ジークはドア脇の壁に背中を預けながら静かに観察していた。


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