3.似ない兄妹
〈ヘルファイア〉に向けられたのと同じ、敬遠するような目を向けて余所余所しく道を空ける兵士や職員の間を抜けて、ジークがずかずかと司令本部棟の廊下を進む。
「遺書は書いたか、パーシングッ!」
目的の執務室のドアを乱暴に空けると、それを開戦のゴングとして、中にいた眼鏡の男性――アーヴィング・パーシングがキッとジークを睨みつけた。
「な、何のことだ! それより今回も僕の指示を無視して、もう我慢ならないぞ!」
アーヴィングがわざとらしく毅然とした態度を作り、椅子から立ち上がって上ずった声を出す。その見開かれた目と下がった口角からは、まるで気の弱い中年教師が不良生徒を相手に精一杯虚勢を張っているかのような滑稽さが感じられた。
「じょ、上官の指示が聞けないなら、軍隊をやめろ! たまたまラッキーで飛行場を壊せたからって天狗になってるんじゃないぞ! 今日までのお前の態度は――」
「死ねッ!」
「ぐぇっ!」
アーヴィングの追求の一切を無視して、ジークは彼の横面を殴りつけた。
大して力を込めたようにも見えない無造作な動きだったにも関わらず、ガツンという痛々しい打撃音と共にアーヴィングがもんどりうって床に倒れ、外れた眼鏡が軽い音を立てて転がっていく。
本来あった樹脂製カバーを外して分厚いチタン装甲を取り付けた改造サイバネ義肢は、それ自体が20kg近い金属製の鈍器として機能する。
軍用Mechのアクチュエータと同じカーボンナノチューブ人工筋肉の出力をフルに使えば、コンクリートの壁をも撃ち抜く――当然殺さないようにある程度の手加減はしているが、殴られる側にそれが解るはずもなし。
「現場将校には間違った命令を自己判断で修正する義務がある、プロイセンの時代からの話だろうが! ――お前は俺に搬入作業のことを伝えないまま出撃させて、伝えないまま帰投させた!」
「お、お、お前がいつも僕の話を聞こうとしないからだろう!」
ジークが雷鳴のような大音声を浴びせかけると、アーヴィングはびくりと震えて後退りしつつも、こちらに反駁を試みた。事前に組み立ててあった「説教プラン」が崩れたからか、その口調は先ほどまでとは打って変わってたどたどしい。
「悪いのはそっちだ! いつもいつも僕の話を聞きもしないで! だいたい――」
「お前は自己判断で戦果を挙げる俺が気に食わないから、こんな下らない嫌がらせをやったんだよな! 職務より私情を優先し、伝えるべきことを故意に伝えず!」
「実害はなかったんだろう! そこまで言わなくても……!」
「扱ってるのは核融合炉なんだぞッ!」
アーヴィングが上体を起こそうとするタイミングに合わせ、ジークは彼の顔面を足裏で蹴りつけた。サイバネ義足を覆う靴底に強打され、アーヴィングが鼻血を出す。
「T-Mechの動力炉が停止すれば、一ヶ月は威力偵察も破壊工作もできない! 万が一緊急停止システムも作動しなかったら爆発と放射線だ! 今の言い訳はそれを承知で言ったことなのか!? ああ!?」
再び倒れたアーヴィングの上に馬乗りになり、ハンマーの乱打のごとく装甲義手を何度も叩きつける。あっという間にアーヴィングの顔が内出血で痛々しく腫れ上がった。
「止めっ……助けてくれ! 殺される! 誰か!」
「お前はこの俺を、このジーク・シィングを侮辱したんだ――解ってるのか!
「助けっ……ぁげぇぇ!」
ジークが半狂乱で喚くアーヴィングの首根っこを掴んで無理やり立たせ、ボディーブローを撃ち込むと、彼は胃の中身を戻しながらその場に崩れ落ちた。
「どいつもこいつも! 俺がこの基地で一番敵をぶっ殺してるんだ! 一番戦果を挙げているのは俺だ! 一番任務に意欲的なのも俺だ! なのに――」
ジークの脳裏に先程の警備兵の会話がフラッシュバックした。
自分にああした態度を向けるのは、なにもあの二人だけではない。ジークは常日頃からこの基地の人間が自分を蔑み疎んじているかのように感じていた。そして皮肉にもそうした被害妄想に基づく彼自身の行動が、その被害妄想を現実のものにしつつあったのである。
「馬鹿にしやがって! 殺せば済むだけ敵兵の方がマシだッ! この野郎ッ!」
吐瀉物の上に突っ伏したアーヴィングの頭を何度も踏みつけながら、ジークが怒りのままに咆哮を上げる。
その次の瞬間、会議室のドアが勢いよく開いた。
「どこのどいつだッ!?」
「――この基地で最上位の権限を持つ者だ!」
「ゴールディング基地司令か!」
険しい顔で怒鳴り込んできたのは、アングロサクソンの中年の偉丈夫だった。
年齢不相応に鍛え上げられた体躯を飾緒付きの豪奢な軍服に包み、彫りの深い顔には百戦錬磨の経験を示すように無数の皺が刻み込まれている。
男性と目を合わせたジークが舌打ちし、アーヴィングを放置して立ち上がった。
「これで何度目だと思っている! お前は敵のスパイか、エジキエル・シィング!」
キャンプ・ビッグボードの基地司令にして、PRTOアフガニスタン東部方面軍の司令官を兼任するトニー・ゴールディング中将。PRTO創設の際にアメリカ合衆国軍から移ってきた人物で、この基地の最高権力者である。ここ3年で攻勢作戦を次々と成功させ、アフガニスタン東部でパシュトゥーニスタンの領土を切り崩し続けている男だった。
「ジークと呼べと! 前にも言いましたよ、司令。スパイ呼ばわりは俺がこの1年半でぶっ殺した連中の数を数えた上で言って欲しいもんですがね」
ジークが憮然とした顔でそう返した。その間に護衛の一人が倒れたまま呻くアーヴィングに肩を貸し、医務室へと連れて行くために部屋から出ていく。
「狂犬病の虎でもお前と並べれば子猫に見えるな。今まで上げた実績がなければお前なぞとっくの昔に除隊処分だ」
「現に今まで除隊されてないでしょうが!」
不遜に胸を張り、ジークが怯むことなく言い返す。いち中尉の基地司令に対する態度とは思えない傲岸不遜な振る舞いであるが、ゴールディングはその点については特に咎めなかった――もっとも彼が寛大というのではなく、単に言っても無駄だと思っただけだろうが。
「……お前、26にもなって恥ずかしくないのか? 三度目だ。これで三度目だぞ。どんな理由があろうと軍隊で私闘はご法度だ。そんな風だからお前はいつまで経っても大尉に戻れんのだ」
「別にいいですよ。俺は偉ぶるのも偉そうにされるのも嫌いなんだ」
「そういう考え方自体が偉ぶっていると気づけ!」
「黙ってサンドバッグになれと言うなら、殴りも蹴りもする! 前の奴は俺の義足にガムを吐き捨てた! その前の奴は俺をリンチして拳銃まで抜いた!
ゴールディングがドスの利いた声で詰問するが、それはジークを萎縮させるばかりか、彼の反抗心と闘争的な態度を更に掻き立てた。
敵の防御砲火の真っ只中へと切り込むのが主任務の彼にとって、言葉だけの叱責など実害のない音の振動でしかなかったし――とりあえず暴力沙汰になれば自分が絶対に勝つという確信があるから、ジークは基本的に誰が相手でも怖じるということをしない。故に『人食い虎』なのだ。
「――俺はね、司令。正当なルールのもとで処分を受ける分には文句はないんです。だが個人として舐めた真似をする奴には、絶対に血をもって償わせる……。あんたの階級章を飾りとは思ってませんよ。処分があるなら受けますが、どうするんです?」
全く悪びれない様子でジークが言い放つと、ゴールディングは怒りを通り越して頭痛をこらえるように頭を振った。
「意地っ張りが、昔の自分を見ている気分だ。もっとも私はここまで非文明的ではなかったがな! ……アーヴィングもアーヴィングだ、最後の日にこんな真似をするとは」
「……最後の日? 何が!?」
ジークが怒鳴った。アーヴィングとは着任以来一度も業務連絡以上の会話はしなかったが、逆に業務連絡を欠かしたことは無い。より上層部からの指令を受け取るのはアーヴィングの方なのだから、それこそ相手が意図的に黙っていないかぎり、情報の行き違いなぞ起きるはずがないのだ。ゴールディングが本気で困惑した顔になる。
「それも聞いとらんのか? 今日付で新しい上官が着任するのに合わせて、アーヴィングはアフガニスタンからの異動が決まっている。前々から転属願を出していたし、送別会もあったと聞いたぞ」
「奴め、生かして基地から出すものか!」
「あいつは神経が細い、それだけ嫌われていたということだろう。まともに信頼関係を築こうとしてこなかったお前にも責任の一端はある」
医務室までアーヴィングを追撃せんばかりの剣幕のジークに対して、ゴールディングは苦々しい表情ながらも冷たい返事を返した。
「この事は正規の手続きを通して調査し、アーヴィングの評価に付け加えておく。だがこれ以上の暴行はまかりならんし、お前がこれで三度も上官を殴ったことに対して情状酌量をつける気もない。分かったな、アウトロー」
「好きにすればいい。……次はもっと使える奴を連れてきて欲しいもんですがね!」
「もう来ている」
「何だって?」
「もう来ていると言ったんだ」
ゴールディングがそこで一旦言葉を切り、部屋の扉の方に視線を遣った。
「――ちょうど着任の挨拶をしていたんだが、どこかの馬鹿が怒鳴り散らすものだから、切り上げてここに連れてきた。入ってきたまえ!」
ゴールディングの声と共に部屋の扉が開き、士官用のカーキ色の軍服を着こなした一組の男女が入ってくる。
男の方はジークよりやや年上、白い肌に恵まれた体躯、蒼い目のアングロサクソン系に見える。癖っ毛の金髪を撫でつけており、清潔に整った二枚目な顔立ちには自信に溢れた微笑が浮かんでいた。
女の方は同年代ほど、ウェーブがかった明るい茶色の長髪をポニーテールにしており、ネパール系のジークほどではないが肌の色はやや濃い。顔つきからしてヒスパニック系らしかった。男と同じ色合いの瞳は半目に閉じられ、伸びた背筋に反してどこか気怠げな雰囲気を漂わせている。
「今日付でT-Mech試験班の班長とその副官として着任した、サムエル・サンドバル少佐とディナ・サンドバル大尉。2年前までミャンマーにいた筋金入りの武闘派だ。デスクワーク一辺倒の士官よりは馬も合うだろう」
「ミャンマーってことは、ジャングルでのゲリラ狩りか。――夫婦か何かか?」
髪の色も肌の色も別々の二人を見比べながらジークが問うと、サムエルと呼ばれた男の方がフッと噴き出し、皮肉げな笑みを浮かべて口を開いた。
「
「なら『兄妹だ』って一言言えよ。回りくどい言い方しやがって、根性曲がりが!」
「ハッハ、上官を殴り飛ばす男に礼儀を説かれるとはな」
さっそく反抗心を剥き出しにしたジークの視線を、しかしサムエルは乾いた笑い声で受け流した。ディナと呼ばれた妹の方は、低血圧の朝のような無表情を保ったまま我関せずを貫いている。
「揚げ足取りを……」
「ひとつ人間の礼儀を教えよう。間違えたら素直にそれを認めることだ」
サイバネ義眼に組み込まれた高画素カメラが、不満げに狭められた瞼の間から二人を睨むと、敵意に満ちた視線を受けたサムエルも笑みを浮かべたまま視線だけでジークを睨み返した。
先ほどの惨状を見た直後にここまで言えるあたり、それなりに肝は据わっているようだが――その仕草は、ジークの反骨精神に更なるガソリンを注ぐには十分すぎた。
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