故郷《ふるさと》の味

@kuronekoya

ミルクティーは邪道

 俺は寡聞にして知らなかったのだが、内縁の妻が言うには、これは故郷の味、思い出の味、母の味……北海道から東北北部の一部ではわりとよく食べられていたのだそうだ。


 過去形なのは、最近は原料の猫鯖キャッサバがほとんど出回らなくなっていたからで、「マクドナルドの女子高生のおかげだね」と妻は無邪気に笑う。


 猫鯖農家の朝は早い。「最近はビニールハウス栽培も増えてきたけれど、露地栽培に比べるとどうしても味がぼんやりするからねぇ」しもやけで真っ赤になった指先をもみながら笑顔で答えていた彼がテレビに写っていたのはもう二十年ほど前のこと。

 収穫中に凍死した彼が、最後の国産露地栽培農家だった。


 彼の死とともに当時のブームは去り、石を投げればタピオカ屋に当たると言われていたタピオカ鍋もすっかり忘れ去られていたのだけれど……。


 彼の妹である、俺の内縁の妻。

 彼女はどんなつてを持っているのか、毎年冬が近づくとプリプリと活きのよいタピオカが送られてくる。

 タピオカ鍋の季節到来だ。


 北海道は利尻産の昆布で丁寧に出汁をとる。


 鰹節は使わず、煮干の出汁を合わせるのがスタンダードだが、煮干しではなくイワシの焼干しを使うのが彼女の家の味なのだそうで、冬が近づくとふたりでアメ横に乾物を買いに行くのももう十年以上の恒例行事だ。


 ――秋田あたりでは比内地鶏のスープを使うらしいけど、私は邪道だと思うんだよね。


 三代続く生粋の道民である妻は、この点に関しては譲らない。

 ましてやもう少し南の牛肉&醤油味とか豚肉&味噌味とか、話にもならないらしい。

 いわんやもっと南のケチャップ味など……。


 もちろん妻は具材にもこだわる。


 鮭の塩引きは大きめ。

 タマネギはくし切りに。

 寒キャベツはざく切りに。

 ニンジンは少し厚めの扇形。

 こんにゃくは手でちぎって……。


 更にタラバガニを豪快に入れるのが妻の実家の流儀なのだとか。


 鶏肉や舞茸、里芋を入れるのは内地の人間がやることで、道民たるものジャガイモを入れねばならない、と力説する。


 ――秋田の比内地鶏スープ、青森の甘い味付け、どっちも邪道。


 ましてや宮城や山形のように豚肉や牛肉を入れたり、名古屋の八丁味噌、横浜家系風など二十年前のブーム時のアレンジレシピは許せない、タピオカの風味なんて関係なくなって、ただの丸い寒天みたいなものじゃない? と握りこぶしに力が入る。


 でも、京都の白味噌味は一度食べてみたいな、というのは少々節操がないのではなかろうか?


 そしてここで、「牛肉&醤油味とか豚肉&味噌味とか」と鼻でせせら笑っていたにも関わらず、道民にとっても譲れない戦いが発生するらしい。

 曰く、札幌風なら味噌味、旭川風なら醤油味、昔はこの件で妥協できず結納まで交わした婚約者同士が婚約解消ということも当たり前だったらしい。


 が、二十年前のブームの頃から「めんみ」を使うお手軽レシピが席巻し、そんな悲しい抗争も鳴りをひそめたらしい。


 ――あれはあれで美味しいんだけど、「めんみ」で味付けするなら年中手に入るハウス物で充分だし、この天然物の風味が消されちゃうのよねぇ。


 妻はそう言うけれど、彼女の家の味は味噌味。

 しかも仕上げにバターをひとりにつき大さじひとつ落とす。

「タピオカの風味」などどの口で言う? と思うのだけれど、離縁どころか刺されかねないので酔った時でも口にしたことはない。


 具材が少しクッタリするくらいまで煮えたら味噌を溶き、流水でよく洗ったタピオカをザルに上げておいたものを勢いよく投入。

 一度沈んだタピオカが浮き上がってきたところを、専用の小さな穴開きレンゲですくって食べる。

 カニもたっぷり入っているのでふたりとも無口になるが、そんな空気も悪くないと思う自分がいる。


 ――若い頃はストローですすったものだけれど、寄る年波には勝てないわ。


 そう言いながらも、最後の一粒まで決して残したりはしないのがウチの妻だ。

 一緒に飲む酒は「男山」。

「最近は色々いいお酒も作られているようだけれど、やっぱりタピオカ鍋には男山よねぇ……」と言う時の妻のちょっとトロンとした目は幸せそうだ。


 味噌の風味に負けない、昆布とイワシの焼干しの出汁。

 キャベツやタマネギの甘味。

 バターのコク。

 そしてカニ。


 もうタピオカが入っていなくても充分美味しい。

 というか、タピオカが入っている意味はあるのだろうか? と常々思っているのだけれど、離縁どころか刺されかねないので酔った時でも口にしたことはない。



 鍋の具材が空っぽになると、「そろそろ締めにしましょうか」と妻がもう一度カセットコンロに火をつけて、残りのタピオカ――残っていない時は念のために買っておいたハウスものや南米産の輸入物――と溶き卵を入れて土鍋に蓋をする。


 スープをしっかり吸ってぷよぷよになったタピオカと、半熟の卵がまた絶妙に合う。

 もうこれだけでご飯三杯はいけるのだけれど、一晩寝かせたスープで翌朝食べるのも捨てがたい。どうしてひと晩置いたタピオカはこんなに美味しいのだろう。



 今年ももうすぐタピオカ鍋の季節がやってくる。


 が、不思議なのはいつも「タピオカ鍋を作っているところは決して覗いてはいけません」と妻がキッチンのドアを閉め切ってしまうことだ。

 この10年、俺はその言いつけをやぶったことはないが、そもそもそう言えば妻と俺とはどうして知り合ったんだっけ……。

 



fin.

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