05 流星、星を見つける。
暗い視界の中、雨音のような音が聞こえる。しかし、魔王はそれが噴水の音だとすぐに気付いた。
目の前には白銀の髪にアイスブルーの瞳をした少女、アステールの姫君がいた。自分が知る姫よりももっと幼い姿に魔王は確信する。
(またこの夢か)
フードの下を覗くように魔王を見上げる姫は、不思議そうな声で言った。
「あなた、もしかして泣いていたの?」
その言葉に魔王はハッとして涙を拭った。袖には確かに濡れた後が残っており、魔王は自分が泣いていたことに気付く。
(ああ、そうだ。あの頃のオレは師を亡くしたばかりで……)
まだ十三歳そこらの子どもだった自分は、精霊王に二つ名を与えられ、調子に乗っていた。師が奇病に罹り、その原因を探るべく彼の星を詠んだ。しかし、奇病が発生した原因が分かっても治す方法は見つからず、彼の未来は奇病で命を落とすと決められていた。
その時、魔王は星詠みの恐ろしさを十分に理解していない子どもだった。自分は星詠みを行い、精霊王に二つ名まで与えられた魔法使いだ。きっと師の運命を変えられると信じて必死に奇病の研究をした。
しかし、運命を覆すことはできなかった。師は亡くなり、星詠みによって定められた未来は変えられない。そう思い知らされた。
師が亡くなった後、自分を優秀だと褒めたたえる言葉が全て嘲りに聞こえた。そして、星詠みを望む声も「早く自分を殺してくれ」と言っているようにも聞こえた。
星詠みの予言は絶対だ。どんなに運命から逃れようと、必ずその結末が訪れる。
その恐ろしさを知らないアステールの国王はあろうことか、自分の娘の星を詠んで欲しいと言ってきたのだ。
魔王はもちろん断った。姫君にはまだ幼い。切羽詰まった状況、それこそ生死が問われる時でもないかぎり、星詠みを行うべきではない。
まだ夜会が始まる前で周囲には国王の側近しかいなかったことが幸いした。これが大勢の前であれば、魔王も断れなくなっていた。
「どうしたの? どこか具合でも悪いの?」
「いいえ、姫君が心配されるようなことではありません。この度は姫君の誕生の日を祝うことができ光栄です。誠におめでとうございます」
そう告げると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべ、小さく「ありがとうございます」と礼を言った。
ふと魔王は疑問に思ったことを口にする。
「でも、どうして誕生日の主役であるあなたがここに?」
「ちょっと疲れちゃって抜け出してきたの。ほら、知らない人達に挨拶している間、ずっとニコニコ笑ってなくちゃいけないでしょ? 愛想笑いを褒められてもちっとも嬉しくないし」
彼女はそう言いながら、いたずらっ子のように笑った。確かに会場での彼女は絵に描いたようなお姫様だったが、今の彼女が素の表情なのだろう。
「あなたこそ、どうしてここに?」
「私も……同じようなものです」
「そう。じゃあ、ここにいる間、あなたのお話を聞かせて。私、魔法使いとお話しするの初めてなの」
「…………姫君がそうお望みであるのなら」
魔王は彼女が望むままに話した。魔法のこと、魔界のこと、魔界の住人や生き物のこと。彼女は目を輝かせながら魔王に耳を傾けていた。しかし、そんな彼女に魔王は憐みを覚える。
五年後、アステールは滅びる。その未来は魔王の師、ナジェトの星を詠んだ時に偶然知ったものだった。
まだ幼く、純粋で、目を輝かせながら魔王の話を聞く彼女の未来がどうしようもなく気になってしまった。
この国が滅んでしまう時、彼女はまだ十六歳。女性としても花ざかりの歳に、彼女はどうなってしまうのだろうか。
「姫君……」
「何?」
「私は、この国で唯一星詠みを行える魔法使いです。あなたが望むのであれば、ささやかなお祝いとしてあなたの未来を見て差し上げましょう」
彼女自身の星を詠まなくても、アステール王族の未来を詠めば、彼女のこともおのずと分かるだろう。
「どうでしょう?」
「…………」
彼女はアイスブルーの瞳を何度か瞬きしたあと、小さく首を振った。
「必要ないわ」
「え?」
「私、まだ夢を見ていたいの」
予想もしていなかった言葉に魔王は困惑する。
「夢……ですか?」
「ええ。だって私は、生まれながら何もかも他人に決められているんだもの。生き方も、結婚相手も、その日に着るお洋服だって全部そう! それなのに、未来まで分かっちゃったら、つまらないと思わない?」
「は、はあ……」
なんて答えていいのか分からず、曖昧な返事をすると彼女は夜空を見上げながら言った。
「短い時間でいいの。将来どんな人と結婚するんだろうとか、大きくなったら他国に留学してみたいなとか、自分で結婚式のドレスを選んでみたいとか、決められてないことを想像して楽しみたい。わくわくしたい! だから、流星の魔法使い。私に星詠みは必要ないわ」
魔王は彼女の言葉に目を見張った。
この国は必ず滅ぶ。それは星によって定められた未来だ。おそらく彼女は国の未来を知ったとしても、わずかな希望を見続けるだろう。
「そうですか……承知いたしました。では、私は姫君の未来が明るいものであるよう願うだけにとどめておきましょう」
魔王がそう言った時、遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「姫君は先にお戻りください。私はもうしばらくここで休んでから戻ります」
「ええ。お話できて楽しかったわ。ありがとう、流星の魔法使い」
離れていく彼女の背を見送りながら、魔王は金色の瞳を細めた。
「ええ。私も……」
ドドドドドドドドドッ!
地響きのような音が聞こえ、魔王はハッと目を覚ます。
「なんだ? 地震か……?」
時計を見ると、寝てから三時間ほど経過していた。魔王が起きたのに合わせて、水が入った洗面器とタオルが飛んでくる。
顔を洗っている間に磨かれた靴がクローゼットから歩いてきて、足元に待機する。魔王は靴を履くと飛んできたマントを受け止めて羽織り、部屋のドアを開けた。
「…………何をやっているんだ?」
部屋のすぐそばには積み重ねた本と共に、膝を抱えた姫がいた。
おまけに積み重ねた本の塔は一つではない。まるで姫を取り囲むように並んでいるのだ。さっきの音は、一部の本が崩れた音だったのだろう。
「気にしないでちょうだい……私は今、一人を満喫しているの」
「一人を満喫しているなら、なぜオレの部屋の前にいる?」
「何か用があったら、最速で呼べるじゃない」
「物臭の域を超えているぞ……」
しかし、彼女はここから動くつもりはないようだ。不貞腐れた様子で読み終わった本を積み重ねるのを見て、魔王は呆れてしまう。
「セイレーンがいなくて寂しいのか?」
「……」
彼女は本を読む手を止めて、小さく頷く。
「ええ、とても寂しいわ」
まさか素直に頷くとは思わず魔王は驚いていると、彼女はアイスブルーの瞳で睨みつけてきた。
「何よ?」
「はぁ……仕方ない。お前に遊び道具をやるよ」
「え?」
「ついてこい」
魔王が歩き出すと、彼女は戸惑いながらも後をついてくる。
魔王が案内したのは、魔法道具がしまってある物置部屋だ。その中からベルベッドが張られた小さな箱を見つけ出し、姫に手渡した。
「……何よこれ?」
「開けてみろ」
彼女は訝し気に箱をあけると、わぁと感嘆の声を上げた。
「綺麗……もしかしてこれ、水晶?」
「そうだ」
中に入っていたのは、手の平サイズの水晶玉。曇り一つない透明な水晶に彼女は釘付けになって見つめていた。
光をかざしてみたり見る角度を変えてみたりする姿は、年齢相応に可愛らしいと思ってしまう。
「すごい綺麗……ずっと眺めていられるわ」
「まあ、それだけで喜んでもらえるなら嬉しいが、この水晶はもっと別の使い方がある」
魔王がぱちんと指を鳴らすと、水晶の中に姫を自分が水晶を見ている姿が映し出された。
「え、ナニコレ?」
彼女が背後と水晶を交互に見ている姿が面白く笑っていると、姫はいつの間にか不機嫌な顔に変わっていた。
「そんな顔をするな。これは遠見の水晶といって、念じた先の風景を映し出すことができる。そうだな……たとえば」
魔王が屋敷の中庭を念じると、マンドラゴラがうめき声を上げながら天日干しされている光景が映し出された。
「こんな感じだ」
「これって……やろうとすればお風呂とか覗けるわよね?」
「センシティブな映像は映らないよう健全仕様に設定してある。まあ、お前も使ってみろ」
彼女は疑り深く魔王を見た後、水晶に目を落とす。そして、低く唸りながら水晶に念じるが、何も映らなかった。
「映らないわね~」
「何が見たいんだ?」
「来月の新刊」
「発売日に買って読め」
そうこうやっているうちに、彼女が念じた先がちゃんと水晶に映ったのを確認して、魔王は彼女を書斎まで送り届けた。
「さて、マンドラゴラでも回収しに行くかな……」
魔王は軽く伸びをして、中庭へ足を延ばした。
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