03 姫、驚く。


「まったく、まさか魔王がこんなにも自分に無頓着とは思わなかったわ」


 姫はピカピカに磨かれた廊下を見て、そう呟いた。


 この魔王の屋敷には最低限の使用人しかいない。料理長とその補佐のメイドと時折訪問する庭師のみだと聞く。その他は魔王が道具に魔法をかけて雑務を命じているのだ。姫には侍女がついていないが、部屋の家具や服には魔法がかけられているおかげで、自分が命じれば支度を手伝ってくれる。


 おまけに屋敷内は誰が見ても文句が付けられない程、綺麗に掃除され、窓の桟には埃一つない。ここまで来ると彼の几帳面さがうかがえる。


 しかし、彼は自分に無頓着だった。食事を抜き、睡眠は最低限。休む間もなく仕事をしている。身なりはそれなりに整えているので不精ではないことは確かだが、料理長やメイドから食をおろそかにしていることや、同じ服を何着も用意して服を選ぶ手間を惜しんでいると聞いた時は、さすがの姫も唖然とした。


「まさか料理長から『魔王様に食事を摂るように言ってくれ』なんて言われるとは思わなかったわよ。アイツ、そんなに忙しいの?」

「そうですね。魔王様は領主ですから。おまけにアステールの所有権も得ましたし、実際にお仕事の量は増えたかと思います」

「つまり、アイツはアステールの国王でもあるってこと?」

「いえいえ。あくまでも土地の所有権を握っているだけですので、アステール内での政には口を出すつもりはないようです」

「土地の所有権? それは私がまだ姫だと言われていることと関係があるの?」


 アステールは精霊王により魔王のものとなった。そして自分を彼の下へ嫁がせ、国王として即位させるという意味ではなかったのだろうか。


 しかし、セイレーンから返って来た答えは驚くべきものだった。


「はい。現在魔王様はアステールの全国民をよその土地に移住させる大規模計画を立案されているのです」

「…………は?」

「そのためアステールは国名を改めたのち、王政ではなく民主政に切り替え、アステール王族は国の象徴としていてもらうのです。それから……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って⁉」


 次々と新情報が入ってきて整理がつかなくなった姫は、セイレーンの言葉を遮って話をまとめた。


「つまり、領地から国民を全て追い出すってこと⁉ そんなの無理よ! それに隣国との取り決めはどうなってしまうの⁉」

「そもそもアステールは精霊王の持ち物なのですから、隣国とのやり取りは無効です。それに無理でも出て行ってもらわないと困りますよ……いえ、困るのは人間の方というべきですかね?」

「どうして?」

「え、どうしてって……」


 姫の問いにセイレーンはむしろ驚いたように口を開いた。



「だって、アステールは滅びるじゃないですか」



 セイレーンの淡々とした言葉に、一瞬呼吸を忘れてしまう。それはまるで冷や水を浴びせかけられた気分だった。


「で、でもそれは……たかが予言でしょ?」


 そう、魔王が自分を愚弄したアステール国王への腹いせに読んだ滅びの予言。アステールでは誰もその予言を信じていない。


 しかし、セイレーンははっきりと言った。


「いいえ、星詠みの予言は絶対です。どんな形であろうとアステールは必ず滅びます」

「必ず……」


 セイレーンがそこまではっきりと断言するということは、星詠みはただの占いではないということだろう。魔王は滅ぶと分かっているから国民を安全圏へ移住させる計画を作り、新たな体制を作ろうとしているのだ。


 そう俯いて考える姫にセイレーンが慌てて宥めるように周囲を飛び回る。


「大丈夫ですよ、姫様! アステールは滅びてしまいますが、魔王様がなんかいい感じにまとめてくれるはずです! そうすれば、姫様もご家族の下へ帰れますから!」


 おそらく、セイレーンは自分が失言したと思っているのだろう。なんせアステールは姫の母国なのだから。


「いいのよ、セイレーン」

「で、でも……私は無神経なことを……」


 自国を滅ぼすきっかけを作ったのは、間違いなくアステール王族だ。そんな王族の自分を慰めてくれる彼女は、優しい子だ。


「だって、私は……アステールが滅んだって別に構わないもの……」


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