02 魔王、姫と対面する。



 魔王の屋敷へ向かう馬車にいたアースは、頬杖を付きながら目の前にいる少女を見つめた。彼女は膝の上にある本を真剣に見つめており、馬車の中では本のページをめくる音が響く。


 妙な緊張感に包まれた車内で、ふと少女が本から顔を上げた。


「ねぇ、魔族のお兄さん。一体、魔王ってどんな人なのかしら?」


 怯えのない凛とした声で少女は問いかけると、アースは思わず苦笑する。


「悪い人ではないですよ。ただ、貴方が期待しているような方ではないですが……」

「そう……」


 彼女はどこか落ち込んだように呟くと、再び本に目を落した。



 ◇



 魔界の入り口とも呼ばれる領地コクマー。その領地を治める魔王は執務室で山積みにされた書類に半ば埋もれるようにして机に座っていた。


 絹糸のように柔らかな金色の髪、そして真冬の月を思わせる金色の瞳は書類の文字を追い、静寂に包まれた室内には書類にペンを走らせる音だけが響き渡る。


 次の書類を取ろうと手を伸ばした時、彼の執務机にドンと腰を下ろした者がいた。魔王が迷惑そうに顔を上げるとアステールに使いに出していたアースがにやりと笑う。


「よぉ、魔王様。例のお姫さんを連れてきましたよ」


 魔王は興味なさそうに頷くと再び書類に目を戻した。


「ご苦労だった、アース。姫はどうしている?」

「大人しいもんですよ。今、部屋に案内したところですわ」

「そうか…………」


 魔王はどこか安心したような顔をするが、その表情はすぐさま引き締められる。そして、次々と書類を片付けながらもアースに訊ねる。


「指示した通り、侍女もつけさせなかったな?」

「もちろん。侍女もつけさせなかったし、ペットもお断りしたぜ?」


 アステールを発つ姫を心配し、せめて侍女だけでもと許しを請う国王に、アースはそれを全て拒否した。それはあらかじめに魔王がアースに指示をしていたことだった。


「なら、いい。持ち物も全て没収しただろうな?」

「本以外は没収した」

「本……?」


 魔王は書類から顔を上げると、眉を顰めて指先で事務机を小突きながらアースを見やる。


「オレは全て没収しろと言ったよな? もし、その本が魔法書だったらどうするんだ?」


 荷物の没収を命じたのも、魔法などで外部からの干渉を阻むためだ。彼女はアステール国王の一人娘で隣国の王子との婚約も決まっていた。いくら国の為とは言え、そんな彼女をやすやすと魔王に引き渡すわけがない。


 咎めるような口調で魔王は問いただすとアースは口をへの字を曲げ、不服そうに目を細めた。


「別にいいでしょうよ、本くらい。栞もついてないし、中身もカバー裏も確認したし、魔法書類じゃなかったですよ」


 まるで子どもが文句をぶつけるように言うと、魔王は物言いたげな視線を投げかけるも渋々と頷いた。


「…………ならいい」


 再び書類に目を戻る彼を見て、アースはやれやれと肩をすくませる。


「そんな慎重にならなくてもいいでしょうよ?」

「慎重にもなるさ。一国の姫を連れてきたんだからな」


 半ば誘拐のような形で国から連れ出したのだ。一国の姫である彼女がこの城に滞在する以上、細心の注意を払わなければならない。


 魔王は小さくため息をつくと、持っていたペンと書類を置いて立ち上がった。


「アース、姫のところに案内しろ」


 姫が屋敷に着いたのなら、こちらが挨拶に伺わなければならない。屋敷の主が礼を欠いてしまえば、こちらの沽券にも関わるだろう。ポールハンガーにかけられたマントを羽織っていると、アースがぼそりと呟いた。


「えっ……あれに会うの?」

「あれ……?」


 呟かれた言葉には明らかに動揺がにじみ出ており、魔王は怪訝な顔をして振り返った。


 彼は顔を引きつらせ、動揺のあまり視線を泳がせている。軽薄で枠にとらわれない破天荒な彼を知る魔王は、意外なものを見た気分だった。彼は何か言いたげに口を開閉させた後、言葉を飲み込んで首を横に振った。


「いや、なんでもないっす……」


 若干震えが混じる声でアースが言うと、執務机の上から降りと先にドアを開けた。

 アースが先導し姫の部屋へ向かうが、その足取りはどこか重そうだ。


「しかし……魔王様が直々に会いに行く必要があるんですか?」


 不安げに口を開いた彼に、魔王は「当たり前だ」と即答する。


「一応、自国の姫だ。敬意は払うものだろう?」


 精霊王から魔王の称号を賜った身だが、一つの土地を任された領主に過ぎない。人質といえ、姫の方が身分は上である。


 それを聞いたアースは「へぇ」と半目にする。


「自国の姫ねぇ………………あれが姫かぁ…………」


 どこか釈然をしない様子で呟きながら遠くを見つめるアースに、魔王は顔をしかめた。


「何か問題があるのか?」

「いや、問題っつーか……なんつーか……こう……ねぇ?」


 言葉を選んでいるのか、それとも何か言いにくいことでもあるのか、珍しく言い澱むアースに魔王は嘆息を漏らした。


「はっきり言え、お前らしくもない。姫に何かあるのか?」


 呆れた口調で問うと、アースはぎくりと肩を震わせる。鈍色の瞳に何やら焦りの色が浮かんでおり、目を合わせようとしない。


 しかし、魔王の問い詰めるような視線に、彼は観念したように両手を上げて首を横に振った。


「なんでもないっすよ……ただなぁ……大人しいんだけど……」


 再び遠い目をして空を見つめる彼をこれ以上問い詰めなかった。


(しかし、あのアースがこんなにも戸惑いを見せるとは……)


 彼も人間の王族と接するのは初めてであろう。多少戸惑いを見せるのも仕方がないことだ。


 それに彼女は部屋で大人しくしていると言っていたが、彼が歯切れ悪く言いかけているのを見るに彼女は怯えてしまっているのかもしれない。侍女もつけずに城に無理やり連れて来られてしまったのだ。きっと萎縮してしまっているのだろう。荷物を没収しろという命令に背いて、彼女に本を与えたのも彼なりの配慮なのだと思えば納得がいく。


「きっと彼女も環境の変化に戸惑っているのだろうな。あとで甘いものを持って行かせよう。甘いもの苦手な子でないといいが…………」


 魔王は口元に手を当てながらいうと、アースは「……随分とお優しいことで」と皮肉った口調で呟くと嘲笑する。


「あのお姫さんはハゲ豚の娘でしょう?」


 ハゲ豚。あの国王を言い表すにはピッタリすぎて魔王は吹き出しそうになるのをこらえた。


「彼女に罪はない。それに、彼女を手に入れたことで目的の半分は達成された。あとはしばらくの間、この屋敷に軟禁すればいい」


 そういうと、魔王は金色の瞳を冷たく光らせ、じろりとアースを一瞥する。


「彼女に手を出すなよ」

「へいへい……」


 釘を刺されたアースは受け流すように返事をした後、ぼそりと呟いた。

「あれは手を出したくても出せねぇけどな……」

「何か言ったか?」


 再び睨みをきかせると、彼は魔王から顔を逸らした。


「いえ、何も~? ずいぶんとご執心だこと」


 アースは茶化すように言い、姫のいる部屋の前で足を止めた。


「着きましたよ」


 彼がどんどんと雑にドアをノックするが、部屋から返事がない。魔王は怪訝な顔をしてアースを一瞥する。


「中には?」

「セイレーンが監視をしているはずです」


 そう答えながらノックを続けるが、あまりの反応のなさに流石のアースも眉を顰める。


「おかしいな……おい、セイレーン! 中にいるんだろ!」

「……どうぞ」


 蚊の鳴くようなか細い声が二人の耳に届いた。まるで耳元で囁かれているような感覚は、風で声を届けるセイレーンの魔法だ。しかし、その声は心なしか怯えているようにも聞こえる。


 魔王とアースが顔を見合わせた後、先にドアノブに手を掛けたのはアースだった。


「先にオレが入りますんで、魔王様は後から……」


 魔王が静かに頷き、扉の横へ移動するとアースはゆっくりとドアノブを回した。


「よぉ、お姫さん、元気か?」


 明るい調子で言いながらアースは中へ足を踏み入れていく。


「何か御用ですか?」


 衣擦れの音と共に凛と透き通るような声が聞こえ、魔王は肩を強張らせる。


「実は、魔王様がお姫さんにお会いしたいってさ」

「魔王が……?」


 かすかに不安と怯えが入り混じる彼女の声を聞いて、魔王は胃の底が熱くなるのを感じた。手のひらにじんわりと汗が滲み、その手を強く握りしめる。


「魔王様、どうぞ中へ」


 魔王は緊張を振り払うように首を振った後、部屋の中へ足を踏み入れた。


「魔王様、こちらがアステールの姫さんですよ」


 そう言って、アースが離れた先には真っ白なドレスに身を包み、ヴェールを頭から被った少女がいた。


 そのドレスに華美な装飾はないが、上質なシルクの光沢はそれだけで煌びやかだ。レースとフリルがふんだんにあしらわれたスカートは、花びらが開くような柔らかな広がりを見せる。頭からヴェールを被り、静かに佇む姿はまるで花嫁のようだった。彼女はさっきまで本を読んでいたのだろう。彼女の膝には開かれたまま置かれた本があった。


 魔王はヴェールを被った彼女を見て胡乱げな顔をするが、すぐにそれをかき消した。そして、姫の前で片膝をついて頭を垂れる。


「ようこそ、我が屋敷へ。アステールの姫君、まずは非礼をお詫びいたします」

「…………」

「そして、貴方の身の安全はこの私が保証致します」


 魔王はそう告げると、顔を上げて黙ったままの姫を見上げる。ヴェールのせいで表情こそは見えないが、こちらを見ているのがわかる。魔王は口端を上げた。


「以前、お会いしたのは四年前でしたね。さぞ、お綺麗になられたことでしょう。不躾であること承知で申し上げます。姫よ、そのご尊顔を拝することは叶わないでしょうか?」

「…………そうですね」


 姫は静かに頷き、白いヴェールが揺れる。


「貴方の顔を見るにも、このヴェール越しではよく見えません。ヴェールを上げてもらえますか?」


 姫の言葉に、なぜか魔王の中で緊張が走った。しかし、それを悟られないよう魔王は静かに立ち上がった。


「では、失礼します」


 魔王はそのヴェールを手に取り、そっと持ち上げる。


「…………っ!」


 魔王はヴェール下の彼女の顔を見て、はっと息を呑んだ。


 まるで太陽に照らされた雪のように輝く白銀の髪、そして、こちらを真っすぐに見つめる瞳は宝石のような煌めきを放ち、透き通るようなアイスブルーの色をしていた。肌は陶磁器のように白く一片のシミもなく、頬は薄桃色に染まっている。まるで一流の人形師が丹精込めて作った人形のような美しさだ。


 思わずその顔を見つめていると、その美しい顔は眉間に皺が寄ったことで崩れた。その形の良い唇から低い声が漏れた。


「顔が近い」

「え……?」


 乾いた音が室内に響くと同時に頬に激しい痛みが走った。


 じんわりと熱を帯びていく頬に手を当て、魔王は愕然と姫を見つめる。彼女の美しさを人形と例えたことを後悔させるほど、彼女の瞳にははっきりとした意志の強さがあった。それは突然のことで一瞬に何が起こったのか理解が追い付かなかったが、手のひらに赤みを帯びた彼女の手を見て、徐々に状況が把握できた。


 魔王の顔面に勢いよく飛んできたのは、彼女の平手打ちだった。魔王の背後で「やっちまったか」と呆れたような口調で呟くアースの声が聞こえた。


 座っていた彼女がすっと立ちあがった。姫のアイスブルーの瞳は冷たく魔王を見下ろす。


「人の顔を舐めるように見ないで、鬱陶しい」

「はい…………?」


 彼女はそういうなり魔王の頭から足先まで見つめた後、肩を落としてため息をついた。


「貴方、全然魔王っぽくないわね。もっと魔王っぽくなってから出直してきて」

「なっ……!」


 姫の言葉に絶句した魔王に向かってさらに姫が口を開いた。


「だって、魔王って魔界の王様でしょう? 普通魔王って言ったら、体長十メートル越え、大きな角、鋭い爪、口から火の粉を吐き散らし、翼で嵐を起こすものでしょう! 元は人間だったとしても、闇落ちして魔族になって真っ黒な羽が生えたりするものでしょう! 常識的に考えて!」


 そう彼女が真面目に力説する姿を見て、魔王は思わず頭を抱えた。


(なんだ、この女はっ!)


 一体何かの冗談かと思ったが、それを語る彼女の瞳はあまりにも真っすぐすぎた。まだ頬に残る痛みと、彼女の衝撃的な発言に言葉が出ず、魔王は口を開閉させる。アースがポンと肩を叩いた。彼は静かに首を横に振るのを見て、アースがあんなに言い淀んでいた理由がはっきりした。


 アースはため息交じりに姫に言った。


「姫さん、魔族でもそんな規模のデケェ奴はいないって言ったじゃないですか。てか、それってどこの常識っすか?」

「これっ!」


 彼女は一冊の本を二人に突き付けた。少々分厚く、装丁もしっかりとした本。そのタイトルには魔王も覚えがあった。


 それは恋愛を絡めたファンタジー小説。その本は姫が唯一、アースから没収させなかったものだ。


 彼女は大事そうに本の表紙を撫でた後、姫は地を這うようなため息をついた。


「やっぱり三次元はダメね、夢がないわ……部下は魔族だし、ちょっとは期待してたんだけど、よく考えれば流星の魔法使いなんだから人間に決まってるわ……」


 彼女は一体、何を期待してこの屋敷に来たんだろうか。魔王もアースもこれ以上聞くことは諦めた。


 彼女は不機嫌そうに目を細めて、二人を睨み付けた。


「それで? 交渉の条件に私を選んだ理由は? 貴方を侮辱した父への復讐? それとも隣国との間に亀裂を入れること? 話は手短にしてちょうだい。まだ本を読んでいる途中なの!」


 自分を無理やり連れてきた相手を前にして臆せず文句を叩きつける姫に、魔王は顔を引きつらせる。さすがのアースも呆れたように口を開く。


「アンタ、斜め上に強かすぎるだろう!」

「どこがですか? こんな蝶のように可憐で、花のように儚い私のどこが強かなのです!」

「そういう所だよっ!」


 二人のやり取りを見てさらに頭を痛めた魔王は自分の額に手をやった。


(この女、強すぎる……)


 魔王が姫と出会ったのは四年前、その時はまるで童話のお姫様が本から抜け出してきたような可憐な少女だった。


 彼女を一瞥した後、彼はため息を漏らす。


(覚悟はしていたつもりだったが……)


 想像を超えた成長ぶりに戸惑いを見せながら、魔王は咳払いをする。二人の視線がこちらに向いたのを見て、本題に入った。


「貴方を屋敷に連れてきたのは、国王への復讐の為ではありません。しばらく、この屋敷に滞在してもらいます。多少不自由を感じるかもしれませんが、時が来れば国には還られますよ」

「つまり……人質、という事ですか。いいのですか? もしかしたら、隣国の兵士が攻めてくるかもしれませんよ?」


 姫は形の良い唇を持ち上げて挑発的な笑みを浮かべる。彼女は人質の身であることを分かっていてなお、臆することなく堂々とした態度を示す。そんな彼女に、彼は口端を持ち上げて不敵に笑って見せた。


「かまいません。生ぬるい覚悟で貴方を連れてきたつもりはないので」


 そうはっきりと言い切ると、彼女は口を開いて何かを言いかけたが、すぐにその口を閉じた。姫のアイスブルーの瞳に翳りが差し、「そう……」とため息交じりに呟く。


「……その理由は、四年前に貴方が言い残した星詠みと関係があるのですか、流星の魔法使い?」


 物悲し気にかつての名を口にする姫に、魔王は真っすぐ見つめ返した。


「それは貴方には関係のないことです」


 魔王は感情を悟らせないよう抑揚のない口調で答えると、さらに続けた。


「貴方にはこちらで用意した監視を付けさせていただきます。何か御用があれば、その者にご申しつけください。そして、特別な理由がない限り、部屋の外へ出ることを禁じます」


 魔王の言葉に、何一つ口を挟むことなく姫は静かに頷きながら聞いていた。その大人しさは、さきの言動を考えると大人しすぎ、何か気味の悪いものを感じる。


「それで、その監視というのは?」

「これですよ」


 アースがテーブルの上に乗った金魚鉢を指さした。その金魚鉢はガタガタと震えており、水面が波立っていた。彼女は金魚鉢を一瞥した後、顔をしかめた。


「あの金魚鉢ですか?」

「私からも紹介させてもらいます。セイレーン」


 魔王が金魚鉢に呼びかけると、水面の揺れがピタリと止まる。そして、小さな少女が中から現れた。それは水色の髪と青い瞳をした人魚だった。しかし、ただの人魚ではない。背中にはガラスのように透き通った羽があり、トビウオのような人魚だった。彼女は金魚鉢の水面から顔半分だけ出し、姫と魔王を交互に見つめていた。


「彼女は人魚寄りのセイレーンです。監視役ですが話し相手くらいにはなるでしょう。何かあれば、彼女が声を風に乗せて私の所に伝えてくれます」

「あら、小さいのにそんなことができるのね」

「ええ。伝えに行く足はありませんが、貴方が部屋から抜け出そうとしたり、悪さをすれば彼女が知らせてくれます」


 脅しめいた言葉で釘を刺すと、彼女はにっこりと笑った。


「あら、そんな事はしないわ」


 姫の言葉に、魔王は訝し気に見やった後、彼女に背を向けた。


「それでは、私は執務があるので、これで失礼します。セイレーン、後は頼んだぞ」

「は、はい……っ!」


 セイレーンは弱々しい声で返事をしたのを聞いて、アースと共に部屋を後にした。


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