一話 魔王、姫を手に入れる。
01 魔王、城を制圧する。
豊かな土地に恵まれた国、アステール。そこは魔法使いの星詠みに導かれた王よって築かれた国でした。
星詠みを行える魔法使いは、ほんの一握りだけ。この国ではとても大事にされてきました。しかし、この国で唯一、星詠みができる魔法使いは王様との大喧嘩の末、アステールを出て行ってしまったのです。
魔法使いが国を出て行き、早くも四年が過ぎました。
アステールでは、お姫様が隣国の王子様と結婚が決まり、城下ではお祝いのムードに包まれていました。お姫様が十六歳になる日が、隣国に嫁ぎに行く日です。
それはちょうど、流星の魔法使いが出て行ってから五年目になる日でした。
お姫様の誕生日が近づくにつれて、アステールでは変なことが起こるようになったのでした。
(囚われ姫と星屑魔王より)
◇
アステール国王の謁見の場である大広間に、男の高笑いと悲鳴が響き渡った。
真紅の絨毯の上には白銀の鎧を纏った兵士が横たわり、無様に折れた剣の柄を男が蹴り飛ばす。剣が滑るように転がっていく先には顔を真っ青に染め、小さく悲鳴を漏らす国王の姿があった。国王は腰が抜けて動けないのか、後退りをしようにも進まず、それを見た男は笑い声を上げた。
「ははっ! 人間って豚みてぇに鳴く時もあるんだなぁ! こりゃ、驚いたぜ!」
男は無造作に伸ばした黒髪を鬱陶しそうに背中に払い、錆色の瞳を鋭く光らせた。シャツとズボンというラフな装いは、まるで街に買い物に出かけにきたと思わせるような気軽さだ。しかし、そのシャツには返り血で染まっており、男は浅黒い肌に付着した血を乱暴に拭った。
「あーあ、王を守る近衛だっていうのに、弱っちくて拍子抜けだぜ……」
その細腕では考えられない腕力で兵士たちを全てねじ伏せてみせた男は、大げさにため息をつく。
「ま、魔族が一体、何の用だ!」
声だけでなくその身も震わせて怯える国王に、男は楽し気に錆色の瞳を歪ませる。にたりと笑った薄い唇から鋭く尖った牙を覗いた。
「何って、なんも分かっちゃいねぇな! 城に攻め込んでやることなんて、一つしかねぇだろ!」
「くっ、来るな! うぐっ……」
後退りする王の首を捕まえ、その首に指を喰い込ませた。
「せっかく玉座を攻め込んだんだ。王の首を狙うのが定石だろう? テメェの汚い首、民の前で切り落としてやるよ!」
その細腕で国王を軽々と持ち上げると、男は錆色の瞳を怪しく光らせた。
「残った体はどうしようかねぇ……犬の餌にでもしてやるか? それとも馬に引きずらせて、その醜い肉を削り落してやろうかねぇ! ああ、考えるだけで楽しくてしょうがねぇなっ!」
笑い声を上げながら、徐々に手の力を強めていき、国王の顔が赤黒く染まっていく。国王の瞳が虚ろになっていくのを嬉々とした目で見つめていると背後から騒がしい音が聞こえ、静かに大広間の出入り口に目を向ける。
騒がしい音を立てて現れたのは漆黒の鎧を身に纏った兵士達だった。その鎧には朱色に染まったドラゴンの紋章が刻まれており、それを見た男は目を細めた。そして、兵士達は腰に吊るした剣を引き抜くことなく男を取り囲む。
「アース」
どこからか声が聞こえると、取り囲んでいた黒騎士達は一斉に道を開け、その場に片膝をついて頭を垂れた。
「ん?」
黒騎士達が道を開けた先に、黒いマントの男を着た男が立っていた。フードを目深く被っているせいで顔は見えないが、まだ若い男の声だと分かる。しかし、男の声は冷たく、苛立ちが込められていた。
アースと呼ばれた男は、マントの男を見なりにやりと笑う。
「お? なんだ、ようやく魔王様がご到着か。いやぁ、遅かったですね」
アースの慇懃無礼な態度に男は何も反応を示さない。アースは自分の手中にいる国王に目をやった。
「コイツ、どうします? 殺す? 殺す?」
魔王と呼ばれた男は首を絞められて苦しむ国王を一瞥した後、静かに言った。
「オレは殺すなと命令したはずだが?」
男の言葉にアースは物申し気に視線を投げかけた後、大きく舌打ちをする。
「ハイハイ、そーでしたね。残念残念っ!」
拗ねた子どものように唇を尖らせたアースは掴んでいた手を放した。
解放された国王は大きく咽かえり、掴まれていた首を擦る。肩で呼吸をする国王の前に、男が歩み寄った。
「お久しぶりですね。御前はお変わりのないようで何よりです」
王は目の前に現れた男を睨みつけるように見上げた。
「な…………何者だ、貴様は!」
国王の言葉に男は小さなため息を漏らし、やれやれと首を横に振った。
「おやおや、頭にないのは毛根だけでなく、記憶力もでしたか。それは御見それしました」
目深く被ったフードを下ろすと、その顔を見た国王は言葉を失った。
「あ…………ああっ!」
大きく目を見開き、その男の顔を震えた指でさした。
太陽のように輝く艶やかな金髪、やや目尻が下がった瞳は真冬の夜空に浮かぶ月のように鋭く輝いている。肌は不健康に見えるほど白く、薄い唇は硬く引き結ばれていた。
国王は男のその顔を確かに覚えていた。ようやく声を振り絞り、その男の名を口にする。
「き、貴様は…………っ! ほ、星屑の!」
その男は四年前に王が星屑と罵った、流星の魔法使いだった。
四年前は声変わりも済んでいない少年だったが青年へと成長し、声を聞いても王が分かるはずもなかった。
「ようやく思い出していただけましたか? もうボケてしまったのかと、ひやひやしましたよ」
「な、何故貴様が魔族と一緒にいる!」
にっこりと微笑む流星の魔法使いとは違い、王の声は震えていた。四年前に酒を浴びせかけ、罵った相手が、こうして目の前に現れたのだ。声だけでなく、体も震えており、額から冷汗が滝のように流れていた。
しかし、それでも国王は虚勢を張って、流星の魔法使いを睨みつけた。
「そ、それに私の首だと! ふざけたことを! 初代国王と精霊王の協定により、この国は精霊王によって守られているのだ! その国を攻めるとはどういうことか分かっているのだろうな!」
アステールには渓谷を挟んだ向こう側に、精霊王が統治する魔界があった。豊かな土地を持つこの国では精霊の力の源であるエーテルが豊富に採れた。そのエーテルを献上することを条件に精霊王がアステールを守ることを約束したのだ。
そのおかげでこの国は、魔獣にも魔族にも襲われることなく平和に暮らしていた。
かつて彼は流星の魔法使いとその名を轟かせていた男だったが、精霊王の前ではただの人間だ。
「一介の魔法使いに過ぎない貴様が、魔族を連れてこの国を襲うというのなら、精霊王の怒りを買うことになるぞ!」
精霊王の権力を盾に国王は震えながらも言うと、大広間に誰かが失笑した音が響いた。
皆の視線が声を抑えて笑うアースに集まる。彼はそのうち腹を抱えて盛大に笑い出した。アースの笑い声に国王が額に青筋を浮かべ、怒りで顔を赤くする。
「な、なにがおかしい!」
「これが可笑しくなくてどうすんだよ! 人の権力を笠に着て大きく出やがって! とんだ狐野郎だな!」
「な、なんだと!」
アースはニタニタ笑いながら、流星の魔法使いの元へ歩み寄り、彼の肩に腕を回した。
「お前が星屑と罵ったこの男は、精霊王から魔王の称号を賜っているんだぜ? こんなちんけな国にわざわざ足を運んだのも、精霊王からの命令だっていうのに」
アースは「なぁ、魔王様?」とわざとらしく呼びかけるが、彼は頷きもせずにただ国王を見下ろした。それを聞いた国王は絶句をし、金魚のように口を開閉させる。その姿を楽しむようにアースはにたりと笑う。
「精霊王が認める偉大な魔法使い様に、その態度はないんじゃないのぉ~? お前の命も、国の命も、ぜーーーーんぶこの魔王様が握ってるっていうのに」
「アース……!」
まるで相手を挑発するような物言いに、流星の魔法使いと呼ばれていた魔王は、窘めるように彼の名を呼ぶ。アースは不満げにしながらもその口を閉じた。
嘆息を漏らした魔王は、その場に片膝をついて国王に向かって恭しく一礼をする。
「此度は突然の謁見を失礼しました。そして、我が部下の非礼をお詫び申し上げます」
顔を上げた魔王は取って付けたような笑みを浮かべて言った。
「この度はお姫様のご婚約、誠におめでとうございます。十六の誕生日に隣国に嫁がれるそうですね。おめでたい事です」
「ふんっ……白々しい! そんなことを言いに来たわけではないだろう!」
国王の言葉に、魔王は瞬時にその笑みをかき消した。その変わり様に国王は寒気にも似たものを覚え、声を震わせた。
「い、一体、何が目的だ! ふ、復讐か⁉」
「復讐…………それも悪くありませんね」
魔王は穏やかな声でそういうと金色の目を鋭く光らせ、乱暴に国王の胸倉を掴み上げた。
「四年前、アンタに言われた言葉も、あの時の屈辱も忘れたことは一度もなかった……」
穏やかな声色とは裏腹に、必死に感情を押し殺そうと奥歯を軋ませる。国王を映した魔王の目には仄暗い光が宿り、胸倉を掴み上げた手が小刻みに震えていた。
「亡き師を役立たずの老いぼれと笑い、この国の礎となった星詠みの重みも分からない愚直な王を、この手で殺せるならどんなに良かったことか!」
「ひぃいいっ!」
情けない悲鳴を上げて怯える国王をまるでゴミを投げ捨てるように手を放した。無様に転がされた国王を見つめる瞳は、まるで氷のように冷たく研ぎ澄まされていた。
「精霊王は、この国の価値は無きにも等しく、協定を破棄するとお考えです。私は精霊王の名代として、この国は存続の余地はないことを伝えに参りました」
淡々と告げられた言葉に絶句し、国王の顔からみるみると血の気が引いていく。
精霊王から見放されてしまっては、この国の未来が危ぶまれることを悟った国王は魔王に縋りついた。
「た、頼む! これまでの非礼は詫びる! 貴様が……いや、精霊王から称号を賜った貴方なら、精霊王に口利きができるでしょう! どうか……どうか! この国を見捨てないでください! 娘の婚儀もあるのです!」
国王の態度の変わりように魔王は蔑むような目で見下ろしたあと、にっこりと微笑みかけた。
「そうですね、温情のある精霊王であれば、この一介の魔法使いの言葉にも耳を傾けてくださるかもしれません。貴方がそれなりに誠意を示してくれるのであれば…………」
穏やかな口調と慈愛に満ちた魔王の眼差しに、国王の表情は空が晴れたように明るくなる。
「わ、私にできることがあるなら……」
喜びに声を震わせて国王がそういうと、魔王の口元に三日月が怪しく浮かんだ。
「…………あれから四年、お姫様はさぞかしお美しく成長されたでしょうね」
それを聞いて王はハッと息を呑んだ。
「ま、まさか…………!」
瞠目してこちらを見上げる国王に、魔王の瞳が冷酷に輝いた。
「アンタの娘をオレに寄越せ」
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