愛に恋

星野 驟雨

失恋

啾々たる風が吹きゆく秋の夜。

誰もいない公園の寂れたベンチに座っている。

好きだったアーティストの音が、イヤホン越しに沁みてくる。

一つだけの外灯が、足元を淡く照らしている。

溜息を吐き出せば、ほんの少し白んで消える。

指先の感覚が鈍くなり、とうとうこの感傷にも耐えかねていた。

おもむろにスマホを取り出して連絡を取る。

「おう、渚どうした」

「彼女と別れたからちょっと付き合え」

「わかった。いつもの場所でいいか」

「ああ、悪いな」

未だにこうして駆けつけてくれる友人がいる。それが立ち上がる力をくれる。

重い身体をぶら下げて、夜道を歩き始めた。


「おう来たか」

「ありがとうな」

「良いってことよ。それより今日は飲もうぜ」

皆川はいつだってそうだ。

いつも明るくて、優しい男だ。

俺たちは対照的なのに、それでも俺を気にかけてくれる。たまらなく嬉しい。

人間は同じような人間と群れるのが落ち着くはずなのに、こいつは俺といて落ち着くと言ってくれる。それがほんの少し申し訳なくも感じる。


いつもと同じように枝豆とビールを二つ頼む。

「そいで?振られたんか」

「うん」

「まあ、好きでいられる期間は決まってるからなあ。せいぜい3年だろうよ」

早速一つつまんで酒を大きく呷る。

「そんなもんかなあ」

「そんなもんだ。お前は難しく考えすぎ」

「でも、相手のことを考えたらさ……」

「まあそれは大事だな」優しげに呟く。「でも、そこまで難しいもんでもねえよ」

俺も一口呷って続きを促す。青豆の甘さと苦くて甘い喉越しが鼻から突き抜ける。

「恋なんて言ってるが、友達作るのと変わらねえよ」皆川がよく言っていることだ。

「どっちもコミュニケーションだ。それに、メソッドも大して変わらねえ」

「どっちも最初に弱みは見せないしな」

「そうだ。相手の求めているものを提供することができれば仲良くなれる。相手に与える印象をよくすれば良い」

「そうだな」

「でも、これは相手をこちら側に引き寄せるための方法だ。繫ぎ止める方法じゃない」

「果たして実践できるかねえ……」

「それはお前次第だよ。実際彼女出来たんだし、やれば良いんだよ」

ーーお前次第。便利な言葉だよな。

大学で学ぶ内容もお前次第、これからどうするかもお前次第、夢を諦めるかもお前次第。

わかってる。すべては自分次第だ。

結局二択しか無い。環境は良し悪しこそあるが、その二択には関係がない。

やるか、やらないか。たったそれだけのこと。

「でも、俺そんな強くねえよ……」

「知ってる」

こいつはいつもと変わらない。思わず突っ伏して溜息を吐いてしまう。

「でもな、そこでまた立ち上がれる奴がカッコいいんだよ」

得意げに語る皆川のビールは残り少なかった。

「弱さを認めるのは強さだし、俺たちが憧れる奴らも、きっと弱いんだ」

同じ人間だしな、と笑うこいつが輝いて見えた。

「お前はカッコいいな」

「俺から見ればお前がカッコいいんだよ」

「ありがとうな」

「……いいんだよ」

空になったビールジョッキを眺めながら皆川は呟く。

手持ち無沙汰なのか、指先でジョッキを撫でている。

その指に出来たペンだこの痕と、伏し目がちな姿を見ていると、つい口をついて出てしまった。

「そういえばお前まだ漫画描いてるのか?」

驚くような怯えるような顔と目が合った。

ーーこいつのこんな顔初めて見た。

「いやあ……なんか描けなくなっちまって」

「お前あれだけ漫画好きだったじゃねえか。お前の家の本棚名作しかなくて、毎回遊びに行くの楽しみだったんだぞ」

「好きだったんだ。でも、ある時ふと本当に好きなのかわからなくなっちまって。寂しくてな……」

困ったように笑うんだ。焦りや悲しさよりも、なぜか共感する自分がいた。

「お前でもそういうのあるんだな」

「あるに決まってんだろ、俺だって人間だ」

おどけて見せたが、直ぐに大人しくなった。

「今だって漫画は面白いだろうよ。でもな、なにかが切れちまったみたいに読むのも描くのもしなくなったんだ」

「俺も似たようなことがあったなあ。アニメなんだけどさ」

俺の方も残り少ないビールを飲み干す。

「その時の自分が楽しかっただけだって思われるかもしれないけど、そうじゃない。今だってアニメは好きだ。でも、なんか違うみたいな」

まるで自分が変わってしまったかのようで。理由はわからないけど、何かを怖がってしまったような感覚。そして、それを寂しいと、哀しいと感じてしまう自分。

「なんなんだろうな、アレ」

「わからねえ。手放したのかもしれねえし、遠くに行っちまったのかもしれない。昔を懐かしむことはあっても、また始めようと思わないし」

「大人になったってことなんかな」

「どうだろうなあ。大人になっても夢中でいられる人だっているんだから」

「まるで恋みたいだな」

呟いた瞬間に振られた記憶が蘇って崩れる。

「詩人みたいなこと言って自滅かよ」

皆川は豪快に笑う。

「でもあながち間違いでもねえな」

いつの間にか注文していたビールが届く。

二人して持ち上げる。

「そいじゃ、俺たちの失恋に乾杯!」

「目指せ I will be happy」

小気味良い音が鳴る。

「せめて次はもっと長続きするよう頑張ろ」

「向こうも自分も満たせるように頑張れ」

「ああ」

一つ改善するとしたら、と前置きして皆川は続ける。

「たまにわかりづらい掛け言葉とかするよな。お前の悪い癖だ」

「うるせえ、お前なんだからちったあ良いだろ」

「まあな」


俺たちは変わっていく。

この生活から離れていくものも、きっと誰かの生活に新しく根付いていく。

なら、それでいいんだ。

俺たちに進めと教えてくれているに違いないから。

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