おわり、もしくははじまり

 こうして、少女はただ一人の鬼となりました。食事を取ってきてくれたディリーフがいなくなってしまったので、自分で取ってこなければなりません。一度人の味を知った鬼はもう後戻りはできません。確認することを忘れて久しい、主を失ったはずの徴は、いつの間にやら首にも足にも絡みついて剥がれなくなっていました。ディリーフを探し迷った頃には一人の夜など珍しくなかったはずなのに、彼を失った後の夜は酷く永いものに感じます。

 ようやく、鬼は気付きました。彼の骸も崩れて消えたけれど、もしかしたら、自分と同じように徴を持つ人だったかもしれない、と。全てが手遅れで、もうどうしようもないことでした。体中が徴に覆われ、肌と一体になって最早それが徴ですらなくなって、人と同じ尺度で時を計らなくなった頃。鬼は人里に降り、ある家族を食べに行きました。穏やかな家族でした。男を食べ、女を食べ、小さな赤子を食べ、帰ってきた少年を食べようと誘惑して、ふと思います。

「ねえ、私の家族にならない?」

(ねえ、私を殺してくれない?)

 それは、どちらだって同じ意味でした。怯えと怒りに震える唇を切り裂き、祈りと願いを込めて徴を描きます。早く私を見つけてね、早く私の家族になってね、早く私を殺してね。断ろうと口を開く少年に口付け、その血を舌で転がしながら鬼は艶やかに微笑みました。


 鬼がかつて人であったことを忘れてしまうほど、長い長い年月が流れました。

 どこかで綴られた物語と、とてもよく似たお話がありました。養い子の腕に抱かれ、命を燃やそうとする彼女は言いました。

「ああ、泣いているの? 可愛い子。大丈夫、大丈夫よ。あなたもいつか、こうやって殺して貰えるの、怖くなんてないわ。ずっとずっとずうっと昔から、きっと私たちはこうやって生きて、こうして死んでいったの。愛している、愛しているわ」

 血が啜られ、この世から引き離されていく刹那の時。鬼は鈍い痛みと快楽の中、忘れていたものたちを取り戻していきます。家族を、友を、鬼を。

 そうして最後に自分の愛しい子を目に焼き付けようと、顔をあげました。

「…………ああ、そうだったのね」

 どうして気付かなかったのかな、と幼い響きで鬼は呟きます。その子の顔は、他の誰でもなく、初めて食べた人間によく似ていたのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あるいは巡らない運命の果て 詠弥つく @yomiyatuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ