ひとのよ、みじかいへいおん

 別れたばかりの親友の家へ駆けこみ、被害を訴えると少女はすぐに保護されました。

 鬼に食われ、殆ど残らなかった家族の遺体は村の墓場とは違うところへ埋葬されることとなりました。思い出の詰まっていた家は焼き払われ、住む場所と家族を一時に失った彼女は叔母の元へと引き取られると決まります。ひとりぼっちになってしまった少女は友人と別れることを酷く哀しみましたが、それは仕方のないことです。このまま友と暮らし続けることはできません。それは『家族を鬼に食われ、ただ一人生き残った哀れな子』であることだけが原因ではありません。『鬼の徴を持つ子』になってしまったからです。

 事件を通して少女は全てを奪われて何一つ残らなかった、となったらどれほどマシで、どれほどわかりやすい悲劇だったでしょうか。裂かれた唇の傷はすぐに癒えましょう。しかし、刻まれた徴だけは消えませんでした。鎖骨から胸元に、蔓の如き紋様が。無責任な噂話はその徴を彼女が鬼と契約したからだ、とか鬼に食われる定めにあるからだ、と言いました。

 別れの日、少女は友と抱き合い、泣きました。この世界に産み落とされてからずっと側にいた家族はいなくなり。少女と一番長い時を共有したのは彼女であったからです。叔母一家の元へ行くのが嫌だというわけではないのです。ただ、寂しくて、自分の身が普通であったのなら、と思わずにいられなかっただけなのです。

「絶対、絶対よ。手紙を書いてね。いつか会いにきてね。私は、忘れないから」

 友は涙声で言いました。少女はそれに必死に頷いて、そうして、二人は別れました。叔母の元で彼女は一度、手紙を書き、郵便屋に託しました。それが届いたのかは、わからぬまま。彼女は移ろう生活に翻弄されることとなります。

 噂話に真実が含まれていることは稀なこと。誰しもそれを知っていて、それでも人は噂話を信じるフリが大好きです。けれど、少女に纏わる、彼女の徴に纏わる噂には一片の真実が混じっていました。事件の後、彼女は頻繁にバケモノらと遭遇するようになりました。分かりやすい異形のカタチをしていることもあれば、彼のように整った顔立ちのものもあり、千差万別に。バケモノが求めるものは少女の血であったり、眼球であったり、命であったり、それすらバラバラでしたが、一様に彼女の鎖骨の徴を見ると舌を打ち逃げていくのでした。なんだ、お手付きか。それもあの吸血鬼の。ああ面倒だ。せっかく美味しそうなのに。勿体ない。『たった一人の生き残り』という看板に惹かれてやってきた彼らはそんな言葉を漏らし、去っていくのです。どうやら忌まわしい徴のおかげで私は食べられてしまうことはないようだ、と気付いた少女はある日、人の形をとったバケモノに問いかけました。

「あの、吸血鬼、って……。この徴は、なに?」

 話しかけられるなんて想像もしていなかったバケモノは目を丸くして、小さな声で、誰かに聞かれることを恐れるように、こっそりと答えました。

「それは所有の徴、ヒースコートの徴、ディリーフの徴。私はアレの他の名を知らない」

 ディリーフ・ヒースコート。響きを確かめるように口の中で呟きます。ああ、それが仇の名か、と。家族を奪い、帰る場所を奪い、一生の平穏さえも奪った化物の名なのだと。人は人ならざるものを忌み嫌い、虐げます。血液のような色をした不気味な紋様をもつ少女はそうして遠ざけられ、新たな友を得ることはありませんでした。そんな徴のせいで一所に留まることもできません。では、人の短い一生で、徴だけを持つ彼女は何が選べましょう。十の少女がもしかしたら夢に見た将来は血濡れた一晩に圧し潰され、何にも成らないか鬼に成るかしか残されていないのです。それならば、鬼に成った方が幾ばくかマシではないかと思ったのです。徴のおかげで食われぬのなら、私は化物を喰らってでも生きていこうと考えたのです。

 時は流れ、少女は十七になりました。叔母の家での暮らしは、家族と過ごした十年には及ばなくとも穏やかで、だからこそ彼女はこの家を出ることを決めました。いつの間にやら腹を覆い尽くすように拡がった蔓の紋様。それを見咎められる度に引っ越すような生活を、叔母一家に負わせるわけにはいかないから。けれど、家を出たとて行く宛などありません。それを知っている叔母らは酷く反対しましたが、彼女が聞き入れることはありませんでした。歪んだ生き方を選択してしまっていたから。この場所で化物を食い続けることは不可能でした。予約の意味を持つ紋様を持ったままの七年、こうして叔母らと過ごせたことは奇跡で。それが仮令あの鬼の気紛れとしても感謝したいくらいなのでした。

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