第4話:妹も好きだった花の名

「休み時間はまだ少しある。なら、ちょっとついて来たまえよ、球磨雪那のお兄さん」


「ちっ………」




 有栖茉白ありすましろに言われ球磨蒼士くまそうしは後をついて行くことにした。


 別にスルーしてもよかっただろうけど、そうした場合、後々に面倒なことになりそうだ。だから、大人しく今はついて行くことの方が賢明だと判断したのだろう。


 たまにすれ違う生徒から奇異な視線を浴びるわけだがそれもスルーして。というか、悪目立ちしているのはどう見てもカエル顔のマシロ先輩である。彼女が生徒会長だということを、ここの生徒たちはどれだけ知っているのだろうか。




(ジョウロ、か……いつの間に??)




 めんどくせーことになりそうだと、ため息を吐いて廊下の外の眺めていたその隙にマシロ先輩はジョウロをどこからか調達したみたいだ。何もない所から調達できるわけもなく、マジシャンでもない限り彼女にできる芸当でもなく、これは事前に準備して廊下の隅に置いていたのか、誰か用意させて待機させて受け取ったのかもしれない。球磨の推理はそんなところだった。


 何にしろ、それで何をするのかはもう察した。やることは一つしかないだろう。だから、余計に腹が立つ。花に水をやり、その先の展開まで読めてしまうことに。


 彼らは学校の玄関前の花壇に到着した。




「キミに花を愛でる趣味はないだろうけどさ、ここはボクの趣味に付き合ってもらおうか」




 そう言ってカエル顔のマシロ先輩は花壇に植えられた花に水を与えていく。


 趣味というより悪趣味だということはわかった。いろんな種類の花が咲いていた。名前もわからない花たち。でも、そんな中に球磨でも知っている花が咲いていた。




「この白い花、ボクの妹も好きな花だったんだぜ」


「………」




 冬の終わりから春先にかけ花を咲かせ、春を告げる花。


 それは有栖燕ありすつばめが好きだった花。されど、嫌いになった花。


 球磨もよく知っている花。


 花の名はスノードロップという。




「こんな可愛らしい花なのに、ある伝説のせいで『あなた(花を受け取った人)の死んでいるところを見たい』ということを暗に意味することもあるらしいぜ。この花を人に送るときは特に注意が必要って話なのだよ」


「そうだな。それも知っている……」




 嫌気がさす。


 そんなこと言われなくても知っている。球磨はスノードロップの花言葉、伝承、育成のコツ、すべて調べて尽くしていた。




「キミもあの日球場にいたろ? だから、解せない。その花言葉の意味を知っていながら、キミは何もしなかった。それが球磨雪那の実の兄であるキミの罪なのだよ」




 この手の者はみな口を揃えて同じことを言いたがる。だから、この学園へ逃げてきたというのに。


 赤坂葵とは別のアプローチを仕掛ける輩がこの学園にもいた。


 こういうことを言いだすバカと野球部のない、野球に興味を持たない者たちの中に紛れ込めたと思ったのに。どこに逃げても一緒だった。もし、他所の野球部のない学校へ進学していてもこの手のバカは他にもいただろう。それは3年前から一緒だ。くそったれだ、まったく。


 球磨は花たちから目を逸らした。




「……で、オレにこんなもん見せて言いたいことはそれだけか? それで『はい野球やります』って言うと思ったか? 残念だったな、それはまずない」


「むっ……」




 マシロ先輩に睨まれた。被り物越しだが、そんな気がした。


 そして、マシロ先輩は自分の行いがさほど相手に精神的ダメージを与えていないところを見て馬鹿らしくなりため息を吐いた。




「はぁ、ボクもこんな嫌がらせをして大人げなかったね。生徒会長の風上にもおけないや」


「え、お前生徒会長なの?」


「あ、今のは違うぜ。生徒会長からも一目置かれているマシロ先輩だぜ。てへぺろん」


「まぁ、なんでもいいけどよ……」




 この学園はバカが多すぎる。球磨もため息をついた。




「改めて、これだけは言わせてもらおうか。球磨雪那のお兄さん」


「なんだよ……」


「今、ボクは相当腹が立っている。ムカついている。だけど、ここでボクがキミ達兄妹に復讐することなんてできないのさ。それこそ筋違いだろうし、妹も望んではいないだろうさね。でも、だからといって納得できる話しなわけでもないのだよ。せめて誰かがキミに言わなくちゃいけないのさ。あんな悲劇をもう二度と起こさないためにも、誰かがキミに訴え続けなければならない。それが今回はボクが役目を負っただけなんだろうけども」


「………」


「罪を償えとはボクは言わない。だが、責任は取れ! それが兄貴ってもんだぜ」




 そう言って、カエル顔のマシロ先輩は球磨にジョウロを押し付けて渡した。まだ中に残っていた水が彼の制服に飛び散った。数滴、染みを作っていく。一矢報いるかのように。


 そして、校舎の中へ去っていった。


 それを見届けた球磨はその場にしゃがみ込んだ。




「お前……あの日、あの場所にオレがいると知ったら、それこそブチギレてただろ? なぁ、雪那せつな




 白い花に水をやり、球磨はあの日の出来事を思い出す。











 〇










 妹のオリジナルストレートを『スノードロップ』と名付けたのは兄である球磨自身だ。


 勿論、悪意も殺意もなく、ただ純粋に今の球磨兄妹である自分たちにぴったりな花言葉だと思ったからこそ名付けたのだ。だけど、妹のオリジナルストレートが危険球になった時に何を意味するのか、それがどれほど最悪の球種なるかを考えなかった自分の失態なのは言うまでもなかった。取り返しのつかないことをしてしまったと思った時はもうすでに遅かった。


 あの日の悲劇の序章にあたる1回の裏・七森ブルースの攻撃。




 1番・ショート・有栖燕ありすつばめ




 雪那が大きく振りかぶって投げた球はバッターの顔面スレスレコースだった。


 燕はそれを危機一髪でなんとか顔面コースの球を躰した。球速は150キロを超えると言われているストレートだ。『スノードロップ』と呼ばれる最悪のストレートだ。中学生ぐらいの少女が生身で当たれば、軽傷では済まされないが、身体能力が高かった彼女だからこそ避けれた。


 尻もちをついて回避できた。ヘルメットが転がる。観ている角度が違えば当たったんじゃないかと思える緊迫した一瞬だった。


 どよめきが起きる。




『スノードロップ』が燕に死球を要求したのだ。




 しかし、燕は苦笑いするだけで立ち上がり再びバットを構えた。今しがたの危険球にも関わらず臆せずバケモノと対峙した。


 あの時、兄である自分が観客席から妹に声をかけ注意していたら何かが変わっていたのかもしれない。しかし、あの日、球磨には何もできることはなかった。何かをする資格すらなかった。


 今さら、、、誰に何を言われても野球をするつもりはない。野球も妹も見捨てた男に野球をする権利なんてあるはずもないのだから。











 〇










「ボス、話って何でございましょうかー?」




 昼休み時。


 ヤンキーいじめも上々で今は気分がいい。茉白は理科室へ訪れていた。


 裏・野球同好会の活動は電気もつけず、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で行われる。明かりは僅かボスと呼ばれる者の手に持つスマホのディスプレイ明かりのみだ。




「マシロ。アンタ、蒼士にちょっかい出したの?」


「お耳が早いようで。誰から聞いたんですー?」


「誰でもいいでしょ、そんなの。それよりも、アンタのせいであの子が不登校になったらどうしてくれるのかしら?」


「それはいかせん過保護すぎるのでは? それに生徒会長に嫌がらせを受けて不登校になったヤンキーなんてナンセンスですぜ。チョーウケるんですけど」


「はぁ……とにかく、もうアンタは出しゃばらないの。あの子との決着は葵が着けるんだから」


「本当に葵ちゃんで大丈夫ですかー? ボクの科学班がシミュレートした結果、勝てる保証なんて0%に近かったですけどねー。正確には0.23%ですけどね」


「でも、アンタの0%より数値は上よ」


「そいつは心外ですけど事実なんですよねー。やっぱり経験の差がモノを言うですかい?」


「アンタがあと1年早く野球やっていたら葵じゃなくアンタに任せていたわ。でも、半年ばかりかじっただけのアンタに任せる気はないわよ。今はアンタより葵の方が格上よ」


「へーへーわかりましたよ。天才的ボクのポジションは一番ショートで妥協しますよーだ」


「アンタ、何しれっとポジションと打順と天才とか言っちゃってるのよ」




 などと、たわいもない話にも聞き取れることもないのだが。




「ところで、アンタに振った仕事は順調なの? 昨日の進捗状況まだ報告がないんだけど」


「おっと、ボクとしたことが……ヤンキーくんに執着しすぎて報告が遅れてました。ボクに課せられたミッションなら大方順調ですよ。来週水曜日の野球同好会初ミーティングには間に合う手筈ですんで」


「そう、順調なのね。なら問題ないわ」




 裏・野球同好会。


 それは如何なる手段を使ってでも球磨蒼士を野球同好会へ入部させるための同好会である。


 この計画の発案者は黒瀬伊織くろせいおりという天文白金学園に勤務するちっちゃい先生。いつもエラそうでちっちゃい先生なのである。赤坂葵あかさかあおいに球磨の進路先をリークしたり、姫路千草ひめじちぐさに憧れの女子プロ選手は球磨の いとこ だとリークしたり、弟であるメガネくんには野球部作れと命じたり、茉白の無駄に有り余る財力で土地を購入して野球同好会のグラウンドを作らせようとしたりして暗躍をし続けていた。


 この女に妥協という文字は存在しない。




「そういえば、ボス。来週のミーティングから参加する助っ人外国人がいるんでしたっけ?」


「えぇ、そうね」




 部員補給も妥協を許さない性格だ。




「ゲヘへ、ボス。まだ、詳細聞かされてないんですけど、美少女ですかい? きっとパツキンアメリカンガールなんですよね!」


「ゲヘへって、アンタ……ほんと目ざといわこの変態女め」


「いやいやー、ヤンキーくんを追っかけ回しているボスに言われたくないですぜー。で、美少女なんですよね? 名前はなんです? 情報の開示を要求します!」




 ボスはイラっとした。この図々しさ、ほんとイラっとした。


 そして、ため息も同時に出た。ボスがため息だなんて珍しいと言うが、誰だってため息の一つや二つはつきたくなる時もあるものだ。




「名前はソニア=ネイサンよ。あの子、留学の手続きもまだ済んでいないのに、ついにしびれ切らしちゃって琉惺学院へ単騎乗り込んでいったらしいわ」


「は? 今、なんと?」




 聞き間違いであってほしい。


 聞き間違いでなければあまりに面白すぎて腹が捻じれてよじれてしまう案件だ。




「だから、アタシに断りもなく道場破りをしに行ったらしいわ。光葉から、そう連絡があったのよ」


「あはははははははー! バッカでーい!!」


「洒落にならないわよ、まったく……」




 裏・野球同好会は暴走していた。

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