みっつ、花
「ただいま」
玄関の重たい扉を開く、その先にあるもう一つの扉に掛かった南京錠を首に下げた鍵で開錠する。がちゃりと聞き慣れた音がして、俺の愛しい人がぱっと顔をあげるのが見えた。
トイレとキッチンと少し広い風呂。ダブルベッドを置いた部屋。一人きりで過ごす彼が寂しくないように小説や漫画、ゲーム機も完備。スマートフォンは玄関の充電器に挿したまま、二人の場所には持ち込まない。ベッドに転がったまま漫画を読んでいた彼に近付いて、伸びてきた髪を梳かすように撫でる。俺が部屋を出るときにはまだ寝ていた彼は、先程起きたばかりらしい。カップラーメンの空き容器がテーブルに放置してあった。
「おかえり」
目が細くなって、俺の大好きな顔になる。たった9時間ほどしか離れていなかったけれど、その表情を見てしまっては耐えられなくて、唇を塞ぐ。余裕のない俺の顔をそのまま映した瞳が、とろりと許容の色に染まって、背中に手が回る。塩ラーメンの香りがする、ロマンチックには程遠い口付けでも、俺にとっては呼吸と同じくらい欠かせないものだった。
彼を閉じ込めて、一年が経とうとしている。
疲れ果てて、あどけない表情で眠る彼の頬を撫でる。そうっと指を滑らせて、起こさないように気を遣いながらも大胆に体の線をなぞって降りていく。一年間で彼はどう変わってしまったのだろうかと確かめる為に。
全体的に、丸くなったと思う。身体的な意味でも、精神的な意味でも。周り全てを拒絶するように頑なな心と、鍛え上げられていた体。二人きりの世界に閉じこもって、あれだけ愛していた運動も限られて。筋肉が落ちていくのと比例するように彼は柔らかに笑むようになった。
不摂生が祟って脂肪に覆われ始めた腹が愛おしく、指を沈めて撫でる。唸り声がして、慌てて離れた。
「なに」
目蓋をあげるもの億劫だと言わんばかりの声。
「ごめん、起こした」
「……いいけど。なんだよ」
喉の奥まで見えるような大欠伸をして、伸びてきた手が俺の腕を引く。その強さは依然と変わらないようで、引き摺られて同じ布団に入ることになる。重たげな目蓋がのったりとあがり、心を透かし見るように澄んだ瞳が露わになった。……俺はどうにもその目に弱くて、素直に吐くことになる。
「変わったな、って思ってさ。筋肉、落ちただろ」
「はあ? お前の所為だろ」
眉がぴくりと跳ね上がる。その言葉は正論で、けれど棘は孕んでいない。
「そ。俺の所為で変わってくれて、嬉しい」
体が近いから、と足を絡めた。美しき硬さは失われ、柔らかですらある脚。それが時には驚くほどの強さをもって俺を引き寄せることを知っている。
「変なの」
きっと、それを知れただけで。俺は全ての罪を後悔なんてしなくて、神に裁かれるくらいならば二人で地獄に落ちたいのだ。
我が太陽が昇る前に 詠弥つく @yomiyatuku
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