第七話 『忌み子の翼 Ⅰ』

カリア・ケロス連合王国 北西部 要塞都市カレイド 市街地



「あっさりだったね」

「あっさりでしたね……」


 かっぽかっぽかっぽかっぽ。

 葦毛と月毛の馬に乗りつつ、私たちは小さく零す。


「まさか、クライ様の鞄の中にあんなにコインが入ってたなんて……」


 悩んでたのがバカみたいです、とサイがふるふるかぶりを振った。いや、まさか預金残高がそのまま金貨コルに置換されてしまっていたとは私も思っていなかった。


「済まないね。私もこっちに来たばかりで、なんにも知らなかったから」

「いえ、主の説明不足を儚んでいただけなので」

「主と仰ぐ割にずいぶんな言い様じゃないかね……」


 まあ、愛されキャラなのだと思えばいいか。我が社にも似たようなのが居たからね。

――いや、ウチの社長富士くんだけど。


 ともあれ。私たちは人混みに乗って傲然たる三重の城壁を越え、前線とは思えないほど華やかな街を流されていた。

 煉瓦と石と漆喰と……赤茶と白、そしていくらかの塗料の色とが眩しい、安定したたたずまいだ。

 イメージとしては、トスカーナの都市を思い起こせばいいだろう。シエナとかフィレンツェだとか。

 石造りの建物の前には様々な物資が品出しされ、威勢の良い店主の声が買い物客を引きつける。


「要塞都市、と聞いていたイメージとはちょっと違うのだね」

「交通の要所ですから。そういう所が栄えずして、何が栄えるというのでしょう」

「関税はべらぼうに高かったけどね」

「王国へ出ず、かつ帝国側へとんぼ返りするだけなら、ある程度返ってきますよ。馬車なら減った荷物のぶんだけ、最終的な出費が小さくなります」

「あー……」


 この都市の経営方針が垣間見えた気がする。おそらく、意図的に街全体を交易の拠点にしている。その上で、帝国側の商人が王国内部へ浸透するのを防いでいるのだ。

 後方を峻厳な岩山に抑えられた、谷底の半円城。まともな道は、帝国側の街道と、王国側へとくり抜かれた、岩山を貫く大隧道すいどうだけ。

 遠回りせず王国以東と商売するなら、まずここを通らなければならない。そんな環境だからこそ成立しうる荒技だ。


「人は流入しにくそうだね」

「カリア・ケロスは大陸東の玄関口にすぎません。西から人がそう来なくても、ある程度は回っていきます」


 まあ、異なる文化圏同士の認識といえば、そんなものなのだろう。……たぶん。

 あるいは、それほどまでに“帝国”が恐ろしいのか。


「帝国の版図というのは、実際にはどれくらいなのかね」

「うーん、大陸の北西部、と言うべきでしょうか。南北を未開の秘境に挟まれた“大平原”の北西部から、大きく大陸中西部へと膨らんだ国土を有しています。属国も多く、軍事的には非常に強大です」

「聞くだに凄そうだ」

「版図で勝る国家は今のところありませんから」


 それは、こうまでする理由にもなる、か。


「しかし、ならばなぜ、帝国からカリア・ケロスに?」


 それは純粋な疑問だった。大陸最大の版図を抱える国にいながら、どうして彼女は傭兵たちに襲われて、カリア・ケロスへ保護を求めようとしたのか。

 質問への答えは、小さなため息と、やや重々しい口取り。


月虹族ディアノ妖精族エルヴァ竜人族ドラガ獣人族ノワール


 それと、呪文のような種族名の羅列だった。

 脳内翻訳のおかげで、少しは意味がわかるというのが有り難い。ナイスだ神サマ。


「この四純血と、それから多数の混血種族。人族アルクとは異なる特徴を持つ、人ならぬ人。――それが亜人です」

「ふむ」


 街を見回す。確かに、この街を彩るのは食品や物資、建物の色だけではない。

 黒茶けた剛毛を持つ、人型の狼。

 大きな角を頭に生やした、金髪の青年。

 翠の髪を持ち、身体から花を生やした踊り子。

 様々な体色や体毛を持つ人々が、この眩いばかりの活気に華を添えていた。


「“帝国”は、彼らに命を保証しません」

「――生存権がないのか」

「せいぞん……? いえ、概ね、認識としては合っているのだと思います」


 時々だが、サイは微妙な反応をする。おそらく、まだこの世界には生じていない概念、単語の翻訳が不完全なのだろう。

 混乱を避けるためにも、簡単な言葉を使っていくのがいいかもしれない。


「“帝国”は、世界は全て、人族によって営まれるべきであると掲げています。繁殖力に優れ、挑戦への飽くなき欲求を持ち、そして何より主と同じ姿を有するアルクこそ、真に歴史を作る種族である、と」

「恐ろしい話だな」


 本来の世界で言うところの、自民族中心主義エスノセントリズムのようなものか。テロで撃たれてシャンバラに飛んできてなお、ある意味根源的な思想に出会えるとは皮肉なものだ。


「ですが、賛同する人族はとても多いのです。個々の力が弱く、群れる特性のある人族ゆえなのかもしれませんが」

「弱かったのか」

「百年ほど前までは」


 この話は追々しましょう、と彼女は小さく苦笑う。多分、馬上で話すに長いのだ。


「とにかく、私たち月虹族は、迫害を恐れ、僻地に隠れて暮らしていたのです。ですが」

「“帝国”に見つかってしまったと」


 そこから先は、もはや語るまでもない。

 サイのこうした現状こそが、それを如実に示しているから。


「少し理解しがたいな」

「難しい話でしたか?」


 馬上で唸る私に向けて、サイが尋ねる。いや、と私は否定した。

 彼女の方へと視線を向ける。

 雪のように白く、絹糸のような柔らかな髪。

 小柄とはいえ、個人差の範疇に収まる体躯。あるいは本当に彼女が小柄なだけかもしれない。

 そして、まるで最高価値の紅玉ピジョンブラッドのような紅の瞳。

……それだけだ。

 別に、全身に毛が生えているわけでも、角を持つわけでもなかった。


「サイをこうして見る限り、ただ少し変わった見た目の人族にしか見えないのだがね」

「それは、」


 何かしら、サイが反論しようとする。けれど、それが達成されることはなかった。


「あーーーーーっ!!」

「ん?」

「えっ?」

 

 周囲の喧噪すら引き裂かんばかりの大音声が、私たちに放たれたからだ。


「サイおねーちゃーーーんっ!」


 そして、飛び込んでくる布の塊。

 いや、実際に布の塊だったのだ。

 洗われて干されたばかりのくたびれたリネンの山が、私に向けて飛んできたのだ。


「お、わっ」


 ダメージはない。布だから当然だ。

 けれども今は馬の上に跨がっていて、自慢の一張羅アルマーニも、流石にスタビライザは非搭載。

 結果。


「わぁああっ!?」


――繁華街の只中で、布に巻かれて落馬する羽目になったのだった。


      ◆


数分後 要塞都市カレイド 中層区 『猫じゃらし亭』



「すみません、すみません、すみません……!」


 そして、数分。

 私たちは案内された近場の宿で、女将に謝り倒されていた。

 ふくよかな見た目の、優しそうなご婦人だ。


「いえいえ、こうして怪我もなかったことですから。ね?」

「とんでもない! お怪我がなかったから良かったものの、落馬なんてっ」


 そりゃ落馬だものなぁ。下手すれば普通に死ぬ事故だ。


「ほら、ライ。アンタもちゃんと謝んなさい!」

「ご、ごめんなさいっ」


 そして、後ろから引っ張り出されて、頭を押さえつけられる少女が一人。体躯から見て、おそらく一〇は超えていない。

 結わえられてふるふる揺れるその髪は、サイと同じ雪色のそれ。


(月虹族)


 自分を見事落馬させた少女を見ながら、考える。

 サイを「お姉ちゃん」と呼んだ時点で、ある程度予想できたことではあるが。

……とりあえず、いい加減謝られ続けるのも気まずかった。一張羅アルマーニを着ているおかげで、落馬くらいで死なないことは分かっているのだ。


「大丈夫。お詫びとして一日泊めていただけるんです。それでもう十分ですよ」


 自分の世界で言うところの、ベッド&ブレックファスト。見聞きしてきた文化水準からすれば、十分に整っていて先進的だ。

 それがタダだというのだ。それ以上を求めるのもやり過ぎだろう。もちろん、明日からは料金をきちんと払う心づもりだ。


「ところで、私の連れはいずこに?」


 話題を逸らすための疑問に、応えるはライ。


「サイおねえちゃ、あ、おつれさまならとなりのおへやに」


 た、たどたどしいなぁ。無理はしなくていいんだぞ、ライちゃんや。

……まあ、彼女はいわゆる店員に準ずる扱いなのだろう。ただの客である以上、むやみに自然体に戻すよう言い含めるのは野暮というモノ。のちのちサイに彼女について尋ねておくのは確定として、今はまだ、そこまで踏み込む必要はない。


「そうか。……失礼、カレイドに宿泊用の浴槽は?」


 街には着いた。仮の拠点も確保した。

 ならば目下の目的は、砂と汗とで汚れた身体を清めることだ。

 特にサイは、自身の身体に思うところもあるだろう。早々に気分転換をさせてあげたい。

 そういえば、最近は温泉街に行ってなかったなぁ。義娘が小さい頃は、どうしてかよく行ったものだった。


「ええ、ございますよ」


 首をかしげるライに代わって、女将がにっこり答えてくれる。


「もしや、旦那様は遠くから?」

「ああ。故郷は土の下から湯が湧くような辺境だ。風呂が一般的であるのか、自信がなくてね」

「まあ、ではきっとリラからいらしたんですね! あそこには鉱泉の街がありますから」


 なるほど、リラなる場所には温泉都市がある、と。

 これについても、あとでサイに確認しよう。簡単に行けるところだとなおいいのだが。

 何にせよ、だ。このカレイドに大衆浴場や温泉の類がないのはサイからすでに聞いていた。何でも、そもそも水源がないから魔道具で水を賄っているんだとか。

 その影響で、この街には井戸も上水道もない。あるのは王国側からはるばるこちらへ張り巡らされた、大規模な下水道だけらしい。

 さて。


「では、少し早いかもしれないが湯を沸かしてもらえるだろうか。長旅だ、身を清めたい」

「分かりました。お嬢様と旦那様、どちらを先に?」


 なるほど、親子と認識されたか。

……似ていないにもほどがあるとは思うけれども。


「話し合ってくるから、できたら彼女の部屋に来てくれ」

「かしこまりました。……ライ、ほら薪の準備」

「はーい!」

「では、ごゆっくりー」


 ぱたぱたと部屋を出て行く宿屋の二人を見送って、私は大きく息をつく。

 今から火を熾すのならば、一〇分や二〇分ではきかないだろう。


(そろそろ、いろいろ確認しておかないとね)


 ビジネスマンは、知らないことを放置しない。

 いい加減――無知なままではいられないのだ。

 

「サイの部屋は……っと」


 幸いなことにここは角部屋。隣と言えば右側のそれだけだった。

 磨かれたドアを三度叩いて、サイの名を呼ぶ。


「サイ、いいかね?」


 問うと、ややくぐもったサイの声音がすり抜けてくる。


『他には誰も居ませんか?』


――うん? 

 ずいぶん妙な反応だ。何か気になることでもあるのだろうか。

 とまれ、問われれば確認するのが礼儀だろう。周囲を見回し、私以外に誰も居ないのを再確認する。


「大丈夫、私だけだよ」


 というより、私たちに割り当てられた部屋以外、すべて扉が開いていた。客室フロアに他人の気配は一切ない。

 きっと繁忙期ではないのだろう。この世界に閑散期オフシーズンという概念があるのかは不明だけれど。


『あの』

「なにかね」

『驚かないでくださいね?』


 何にだろうか。


「……善処するよ」

『では、どうぞ』


 気がかりな念押しの後、私は意を決してドアを開いた。


「では失礼す、――っ」


 視線を先へと向けて一瞬、私はすぐにでもドアを閉めるべきだと、理性が強く警鐘を鳴らすのを聞いた。

 が、驚くなと言われた手前、早々に退室するというわけにもいかず。結果として、私はドアのノブを握ったままその場で硬直する羽目になる。


「……恥ずかしいので、閉めてください」

「あ、ああ。すまなかった」


 回れ右して、扉を閉める。

 それからゆっくり深呼吸して、私は肩の力を抜いた。


「服を着なさい」


 視線を閉めたドアから外さず、そう諭す。

 わさわさと、彼女の髪が振り回される音がした。


「いいえ。見ていただかないといけないんです。しっかり、まじまじと、穴が開くほど」


 その言い方はどうなのか――とおちょくる気にはなれなかった。

 声音の底に強い震えが覗いているのに、茶化すなんて真似はできない。


「いいんだね?」

「大丈夫です」


 了解を得て、もう一度踵を返す。

 開けた視界の先にはひとり、一糸すらもまとわぬサイが、ベッドの上で背を向けている姿があった。


「クライ様には、見せておかなければいけませんから」


 肩幅も、骨盤すらも未発達な少女の骨格。その割には肉感的な体型が、服のない今なら分かる。

 血色のいい、けれども絹布のようにきめ細かい肌。それは彼女の雪色の髪と相まって、幻想的な美しさを生み出していて。

 けれど。けれど、だ。

 そこには一つ、絶望的な欠点があった。

 彫像のように均整のとれた儚さを、乱暴に壊す一点。

 肩甲骨にがしりと伸びた、歪に生える二対の翼・・・・・・・・・


(いや)


 翼、とは安易に断じきれないだろう。

 何しろそれは、醜く折れて背中の肌へと癒着した、もはや骨瘤とすら言えなくもない様であるのだ。

 美しい風切り羽の一枚もない。肉と羽根とが腐り落ち、ノミか何かで丹念に割られたようななのだ。

 

「先ほど、おっしゃいましたよね」


 自身の肩を抱きながら、サイがこちらに視線を流す。

 羞恥に頬を染めながら。訥々と、言うべき言葉を細く紡いでみせながら。


「私のことを、『人族アルクにしか見えない』、と」

「確かに言ったね」

「これが、答えです」

「……」                      


 これがあるから、自分たちは月虹族ディアノであって。

 これがあるから、自分たちは迫害されたと。


「それは……翼、かい?」

「ええ」


 確認に、サイはかくんと首肯する。


「これは確かに、私の翼であったモノです」

「あっ『た』、か」

「ええ」


 再びの首肯。


「私たちは、」


 わずかな逡巡。

 鋭く、深く。サイが一息、強く空気を呑むのが聞こえた。

 そして。


「翼を『神』に奪われた――呪われた種族なのです」


 想像以上に底冷えたが、客室に響いて溶けた。

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