第六話 『持ち物確認』

カリア・ケロス連合王国 北西部 要塞都市カレイド近郊



「――ふむ」


 かっぽかっぽと、馬の蹄が街道の石を叩く音。


「要するに、関税がかかるのだね?」

「“かんぜい”は知りませんが、とにかくお金が必要になります」


 のどかな平野。赤い木の実をぶら下げた木々の間を縫って、私たちは東へと馬を進めていた。

 私が葦毛、対するサイが月毛の馬だ。対照的なものを選んだのは、単なる気まぐれ。傭兵の残していった馬の中で、ひときわ目立つ二頭だったというだけだ。

 ちなみに、残りの馬は馬具を解いて野へと放した。無理して連れて行くよりは、きっと彼らも幸せだろう。

 うん? どうして馬に乗れるのかって?

 愚問だ。――慰安旅行先で習ったに決まっているだろう。

 ビジネスマンは、何処へ行こうと学ぶことをやめないものだ。


 さて、話を戻そう。

 私たちはこの世界の国が一つ、『カリア・ケロス連合王国』へと進入している。

 これはもとより、サイが予定していた行程だ。


月虹族ディアノは当初、カリア・ケロスの王家の保護下に入ろうと逃げていました』

『おそらくは、散った彼らも同じ方へと向かうはずです。私が、そう命じましたから』

『カレイドの先は、やや険しい谷が続いています。保護を求めて王都へと向かうにしても、それ以外に出るにしても、まずここを通っていかねばなりません』


 そのための関税――いや門の通行料が、現在の議題だったというわけだ。

 要は、路銀が足りないのである。


「馬に七銅貨リン、人に一〇リン、荷物に三リン。一〇リンが一銀貨エルンだと考えるなら、随分がめるな」


 ちなみに、一エルンで四人家族が半月程度暮らせるらしい。私とサイで四人家族二ヶ月分である。もしも馬車ならレートが倍になるそうだ。

 戦前かな。……戦前だったねそういえば。


「私の手持ちは三〇リンです」

「丁度一〇リン足りないな」

傭兵団あのひとたち、もう少し共通貨幣コインを運んでいたら良かったのに」


 さも残念そうにエグいことを呟くサイ。いや、シャンバラでは当たり前のことなのだろう。もしかすると、彼女が所持するなけなしの共通貨幣も、誰かから奪った物かもしれない。

『争紀』。争いの世紀……街に着いたら、彼女に教示を請うべきだろう。それが彼女、いや月虹族の仕事であったというならば。

 空を見る。まだ日は高く、すぐに日が暮れるわけではなさそうだ。


「よし、では少し休憩にしよう」

「お疲れになりましたか?」

「いや」


 手綱を取り落とさないよう、私は馬の背に引っかけたダレスバッグをぽんと叩いた。


「そろそろ、荷物を確認しようと思ってね」


 先ほどの街道ならばいざ知らず、ここならばもう、傭兵たちとの衝突も考えにくい。

 そろそろ、自分の手荷物を確認したくなっていたのだ。


      ◆


 さて、街道沿いに馬を止めて数分のこと。

 戦利品のずだ袋を敷物代わりに、私たちは少し早い昼休憩を楽しんでいた。


「どうぞ、クライ様」

「ありがとう、サイ」


 野趣に溢れたスープ・ザ・セカンド。

 すすってみて、ほう、と一息。


「美味しくなったね?」

「はい! 途中で摘んだ香草と、トクサ芋のムカゴをいれてみました」


 ぐっ、とお玉を片手に両手を握ってみせるサイ。

どことなく得意そうな表情だから、きっと自信作なのだろう。

 スープを見る。

 香草と言われただけでは何を指すのかは分からないが、葉の形を見る限り、タイムとかローズマリーとかその辺だ。アレは肉料理によく使われるからね。

 ただ、分からない食材が一つ。


「トクサ芋の……ムカゴ?」

「――あっ」


 木匙でつんと茶色いつぶてを突っつきながら、問いかけてみる。

 サイはわずかにきょとんとした表情をして、それから少し慌てたように再起動した。


「えっと、土の芋とは別に、蔓にもなったお芋さんです」 

「なるほど」


 お芋さんとは随分可愛く呼んだなぁ。まあ、突っ込むのも野暮か。ちまっとした姿も相まって、微笑ましいじゃないか。

 さてさて、と。具の方はいかがなものか。

……うん、ムカゴが入っているせいか、小ぶりだがポトフのような食感だ。塩気は薄いが十分美味しい。


「おかわり、いきますか?」

「いただこうか」


 椀を差し出す。いそいそと楽しげにスープをよそう彼女の姿に、元の世界の学校給食を想起してしまう。

 思い出すなぁ。養娘むすめの授業参観の時、学校給食を振る舞われたこと。


「まるで家族ができたみたいだ」


 思わず漏らした一言に、一瞬世界が凍った気がした。

 いや、何も空気・・が冷えたとかそういう意味ではない。単純に、サイがその動きを驚くほど精緻に止めてしまっただけの話だ。


「……えっと」

 

 何か言いにくそうに、サイが少し目を泳がせる。

 これは何か失言だったか? いや、家族を亡くしたであろう彼女にその話題を振ったのがそもそもの間違いだったのか。

 どうフォローしたものかと思考を回転させはじめて、ふと、彼女の顔がひどく紅潮していることに気付く。それはもう、彼女の赤眼が裸足で逃げ出しそうなくらいに。

 もしや、何かこっぱずかしいことでも言ったのか。家族の話をすることが、シャンバラでは恥ずかしいことだった……?


「何か、まずいことでも言ったかな?」

「い、いえ、そういうわけではないんですけどっ」


 おそるおそる尋ねてみると、ぶんぶんぶんと首を振られる。

 ミディアムボブの白髪がわっさわっさと広がった。


月虹族ディアノでは、未婚の男女が物を贈り合う文化があります」

「はぁ」


 なんだか斜め上にすっ飛んだな。


「男性は工芸品、特に家事に使う物を贈ることが多いです。それに対して、女性は気に入った相手に自分の料理を振る舞うんです」

「……ふむ」


 あ、なんとなく読めてしまった。

 サイが真っ赤になりつつ語る文化は、おそらく恋人探しの文化だろう。形骸化しているとはいえ、バレンタインとホワイトデーのような。

 そしておそらく、そのプロセスにはもう一段あり――


「男性がそれを食べて、『これは家族の味だ』というと、婚約が成立します・・・・・・・・


――予想より一歩進んでたーーっ!?

 いや、もろに『君の作った味噌汁が食べたい』案件なのだが、いやしかし、まさか自由恋愛形式で交際期間を挟まないとは!

 そして不完全とはいえ、まさに今、自分はそのプロセスを踏んでしまったというわけで。

……こっぱずかしいどころの騒ぎじゃなかったね?


「サイ」


 やらかしてしまったとはいえ、こちらは何も知らぬこと。きちんと謝るしかないと話を切ると、


「……です」


 うつむき気味に、サイが何かを呟いた。


「うん?」

「クライ様なら、大丈夫です。どうかよろしくお願いします」


 ぺこり。婚約成立である。

――いやいや待とうか。


「とりあえず、落ち着こう」


 現在進行形で落ち着いてない私が言うのもなんだけど。

 いけない。結婚してない身の上が想像以上に動揺を誘発している。深呼吸、深呼吸。

 目の前に居るのは取引先だと思うんだ。あくまでドライに、打算的に、それでいてちょっと親身に。


「私ではご不満ですか?」


――その幻影が吹っ飛ばされた。

 勘弁してください。

 サイはサイでもう何言ってるか自分じゃ分かってないぞコレ!


「そういう意味じゃないっ」

「ひゃぁっ」


 鍋越しに両肩をぽんと叩いた。

 細い。

 とても・・・細い・・


「俺は、」


――いけない。


「私は、誰とも結婚しないつもりだよ」


 不意に出た一人称を飲み込んだ。

 結婚なんて単語が出てきたからだろう。そう思うことにしておく。


「それに、今のは文化を知らない私のミスだ。君も、そんなミスに人生を振り回されたくないだろう?」

「……そうですね」


 やや間を置いて、息をつくサイ。変なことをのたまった恥ずかしさからか、目尻に微かに涙を浮かばせ。


「そういうことにしておきます」

「よかった」

「でも」

「うん?」

「街に着いたら、覚悟してください。……変なところで誰かを口説いちゃわないように、その辺しっかり教えますから」

「……そうだね」


 若干突きつけるような口調。

 まあ、乙女の純情を意図せずもてあそんだのだ。少しばかりはきつい当たりも甘んじて受けろというもの。


「じゃあ、頼もうか」

「はい!」


 今度は随分、はっきりとした笑顔で応えるサイだった。


      ◆


 そんな話を間に挟みつ。


「――へぇ、こんなものが」


 つんつんと、おっかなびっくりにぎ●ぎボールをサイが突っつく。九州某県のトレードマークにもなった某キャラクターのグッズの一つだ。

 少々プラスチックの匂いはきついが、握っているとなんとなくストレス解消になるのだ。……く●モンの顔を握りつぶしてしまうのは、いささか以上に気が引けるけどね。

 最近だと、依田青年がハンドスピナーを買ったとか見せてきたなぁ。アレは子供心をくすぐられるいいプロダクツだった。


「気になるかい?」

「はい、少し」

「それ、ストレス解消アイテムなんだ」


 きょとん。

 まあこっちの世界にはないだろうからなぁ、コレ。

 

「握ってごらん」


 ぐしゃあ。

 くま●ンの顔がきょとん顔の横で圧搾される。シュールだなこの絵面。


「あっ」

「どうしたんだい?」

「握るとコレ、気持ちいいです」


 発泡ポリウレタン製のボールは、気持ちよく潰れ、気持ちよく戻る。一度ハマるとなかなかやめられなくなるのだ。

 ほんのりうっとり顔で顔を握りつぶしていく少女――うん、やっぱりシュールじゃないかな、コレ。


「欲しいならあげようか」


 そんなに幸せそうにぎゅむぎゅむするなら、あげても全く惜しくない。

――あー。


「今の、文化的にセーフかね?」

「“せーふ”です。いただきます」


 これは求婚にならないらしい。

 

 さて。サイがにぎにぎ●ールに夢中な間に、こちらはダレスバッグの内容物を並べていく。

 敷物はずだ袋だが、要領としては警察が押収物を並べるアレだ。


「スマホ、タブレット……時計かな、これは」


 大きさと重さから大体の見当をつけて、黒い布で封じられた物品を置く。大小様々な持ち物の表面には、継ぎ目のない・・・・・・ビロード地がぴったりと張り付いていた。

 試しにハサミの刃をを当ててみるも、切ることはおろか傷つけることすら出来なかった。


「神サマとやらの仕業だろうね」


 おおかた、都合の悪い文明の利器を使えないよう封じたのだろう。

――つまり●ぎにぎボールポリウレタンは存在可能と。凄いなシャンバラ。


「万年筆とインクはオーケー、ノート類も……手帳が使えるなら当たり前か」


 ひたすらに並べていく。

 使える道具は、万年筆、インク壺、紙類、定規、ハサミ、印鑑。

 封じられなかったものは、通帳、財布、非常用の着替え一式。

 それ以外は、全てビロード封に包まれていた。もはや何が幾つあるのかすらも、今となっては判別できない。

 と、いうのも。


「ファスナーはダメなのか……」


 ファスナーつきのセカンドバッグが、まるっと封じられてしまっていたのだ。

 これは仕方ない。とはいえ置いていくのも忍びないので、結局はダレスバッグに出戻ることになるのだけれど。

 と、セカンドバッグを戻そうとしたときのことだ。


「うぅん?」


 二度見する。主に、ダレスバッグの内部をだ。


「黒いな」


 そう、黒いのだ。

 暗い、でも深い、でもなく、黒い。

 がま口型のダレスバッグの入り口部分が、完全な闇に覆われていた。


「……影ではない」


 そもそも今は真っ昼間。 いかに木陰の下とはいえど、バッグの底すら見えない闇は生じない。



『――汝の纏う衣こそ、汝の盾、剣、錫杖である。』



 神サマの走り書きを思い起こした。

 もし、このダレスバッグすら、神サマが『衣』に含めていたなら。


(試してみる価値はあるかもしれないな)


 意を決して、セカンドバッグを突っ込んだ。


「む」


 シルエットが完全に闇の中へと消えたとき、手の中の感触と重さが消える。

 同時、ぶるり、と通帳・・が大きく震えた。

――やっぱり。

 手に取って確認。……よく見ると、文言すらも若干差し替わっている。

 具体的には、定期預金と普通預金の部分が、『貨幣預入』と『物品預入』に。


「手帳と同じ、か」


 だとすれば、何かしら分かることもあるかもしれない。


(サイドバッグ)


 ぱら、ぱら、ぱら。

 念じると、手帳の時と同様に通帳のページが繰られる。ページの進みが止まったところに、おなじみのドットインパクト印字で『ディポジット:サイドバッグ』と書き込みがなされていた。


「『預入ディポジット』?」


『ご新規』でも『預金機』でもなく、摘要部分にわざわざカタカナ表記とは。

 気になるから、取り出してみよう。


「セカンドバッグは――っと」


 声に出しつつ闇の中へと手を突っ込むと、吸い付くように何かが右手に収まる感触。引っ張り出すと、確かにビロード封の張り付くセカンドバッグがそこにある。

 通帳には、『リファンド:サイドバッグ』。


「ははーん」


 これはひらめいたぞ。

 簡単な話だ。

 傭兵団が用いた強力な技――アレが英単語をトリガーにしていたことを思い出すのだ。


「『預入ディポジット』」 


 唱えてみる。ついでに、サイドバッグを鞄へと放り込むのをイメージしつつ。

 すると、右手に掴んでいたはずのそれが、忽然と姿を消した。


「『払戻リファンド』」


 右手の中へと立ち返る。

――検証成功。


 やはり、この世界では何かしらの力の理が働いている。しかも、なぜか英語をトリガーとして。


「『預入』」


 もう一度、今度は今広げているすべての物をイメージしつつ。


「……片付けが楽になるな」


 何もなくなったずだ袋を見下ろしながら、私はそんなことを思った。


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