第二章 『竜人姫と一張羅』
¶-E 『五声震えて』
数日後 某所
彼らにとって、その『声』は絶対である。
決断は掟、指令は天啓、かの欲望は我らの絶対の使命と化す。
今、帝国嬰羽騎士ウヴァルが頭上に降りかかるのは、そういう意味で絶対の強者による声。
「――なに?」
声が、静かに、だが確実に大きく歪む。
「あれほどの啖呵を切って、かの忌み子たちを逃したと?」
「……は」
ウヴァルは平伏するほかなかった。抗命も任務の過誤も、等しく致命的である。
今死ぬか、やり直しの途上で死ぬかの二択しかないのだから。
「刃は貸した。よもや、彼らの『絹布』を破くこと適わなかったと?」
「滅相もございません、ただ――」
そう。簡単で、美味しい任務であるはずだった。
そして途上で、彼らの崇める
月虹族の住まう集落を焼き、好きなだけ虐め倒して、望む限りに女を抱ける。
忌まわしい血筋であることをさっ引くのなら、月虹族の女は絶品だった。……一身上の都合において、ウヴァルは一度も抱かなかったが。
その簡単で美味しい任務を失したと、ウヴァルはここに伝えに来たのだ。
「申し開きがあるのなら、申してみよ」
「は」
いっそう低く頭を垂れて、ウヴァルは告げる。
任務を放棄した彼に、声の主を視界の中に収めることなどまかりならない。
「我ら一団、所属不明の武人によって敗走した次第にございます」
「王国の騎士ではないと?」
「は」
応えつつ、あの日のことを思い出す。
村娘としては異常に強い少女に反撃された折、上空から飛来したモノ。
土地無しの騎士家に生まれ、長く帝都の文化に触れてきたウヴァル自身すら、初めて見かける上等な仕立ての黒衣。
あれが、技術も文化も数段劣った
「あのような風体の者が、王国の戦士であるとは考えられませんでした」
「言ってみよ」
「――黒衣の老爺でありました」
そう言うほかない。知らぬものの名を、
「その者が傭兵たちを無手にて下し、刃の戦意を挫いたのです」
挫かれたのは、己の戦意でもあった。
あの場で自分が逃げたからこそ、任務は達成されなかったのだ。
「馬鹿を申すな」
当然、鼻で笑われる。
「世迷い言も過ぎれば毒だ。今ここで死にたいというわけでもあるまい?」
「……しかと、この目に見届けたものでございます」
無言。
「プラウ」
「ここに」
声に応じて現れたのは、一人の女。
雪のように白い
「『視よ』」
「はい」
その淑女、プラウと呼ばれたローブの女が、頭を垂れるウヴァルの背中に手をやった。
不意に、何者かに身体の奥を弄られるような感触。起こる吐き気に耐えながら、それでもウヴァルは姿勢を維持する。
姿勢を解けば、次の瞬間自分の首は落ちている。……自らも、幾度か見てきた光景だからだ。
そして、幾分かの時が流れて。
「真にございます」
ぽつり、と、プラウが呟いた。
頭上から、ため息が漏れる。
「……
「はっ」
「面を上げよ」
「っ、は!」
叱責の場で、面を上げよと示される。それは、己の失敗が正当であると、そう評価されたことに他ならなかった。
安堵の気持ちを表しそうになるのを抑えて、ウヴァルは視線を上へと上げる。
そこには、彫像もかくやと言うべき美男子がいた。大理石の玉座に座り、膝を組み、を示す巨大に杖に己が身を深く預けて。
その肉体は美しく壮健、そのまなざしは
誰よりも美しい肉体に恵まれ、またその身に宿した才知も然る物。苛烈とも評価されるその性格はまさしく、何者にも負けぬと決めた覇者の御魂の在りようである。
――“帝国”の当代皇帝、サルレマーニュ一世であった。
「まずは失態の非礼を赦そう」
「有り難き幸せに――」
「待て、まだ早い」
「はっ」
頭を再び垂れようとして、遮られる。まだ何かあるのかと、思うと同時。
「貴様を嬰徴の騎士へと叙する」
「……は?」
どよめき。
当たり前だろう。失態を犯したはずの騎士を相手に、位階を二つ上げたのだ。
通常であればあり得ぬはずの裁定に、居並ぶ重臣たちが色を変えるのどだい無理な話ではない。
だが。
「――静まれ」
彼らにとっても、皇帝の声は絶対であった。
「ウヴァルよ。そなたに家族はあったか」
「居りませぬ。父は死に、母と妹も先だっての流行病に倒れ、天涯孤独の身にございます」
「そうか」
黙考するサルレマーニュ。
「では、ウヴァルよ。そなたに任を与えよう」
下される新たな任務。その内容に、ウヴァルはしばし呆けることしか出来なかった。
◆
金と白亜で象られた豪奢な寝室。
畑すら耕せそうな寝台で、サルレマーニュはひとときの憩いの時を満喫していた。
事を終え、くったりと寄り添う半裸の妻たちを尻目に、サルレマーニュは軽やかな香の煙をくゆらせる。
「皇帝陛下、神に次ぐいと高き者よ」
柔らかな声。
聞き慣れた臣下の声に、サルレマーニュはまぶたを開いた。
淫蕩にふける王の部屋には似つかわしくない、聖女のような清い出で立ち。けれどもプラウは嫌悪感を示すでもなく、ただただ柔和な笑みばかりをその美貌に貼り付けていた。
「どうした、プラウ。余の部屋に断りもなく訪れるのは妻たちだけだ。いずれでもない御前がどうしてここに居る」
形ばかりの叱責を飛ばす。だが、本気の怒気は込められていない。
相手もそれを分かっているのか、ローブの女も形ばかりの一礼をする。
「存じております。ですが、どうしても御身の深意を確認したく」
「あの件か」
鼻を鳴らして応えると、返事の代わりにプラウの頭が下げられる。
「一度は刃を交えた相手を登用せよなど、逃げた騎士には重荷なのでは」
「まあ、そう思うであろうな」
ふう、と一息。それで良いのだ、と告げる。
「プラウ。そなたは視たのであろう? その老爺を」
「……は」
「よい、委細語れということではない。聞かずとも、『視た』時のそなたの顔さえ見ておれば十分だ」
であれば、と続ける。
「やつはいわば試金石よ。我らの覇業――亜人を滅し、
「試金石、と申しますと」
「こちらへの軍門に降るのならば上等。使って、賞して、覇業への礎とする」
にこりと笑う。それでようやく、プラウは意図を察したらしい。
「もし、誘いを受けなければ」
「そう。誘いを受けず、むしろウヴァルをかすめ取るような人物であるのであれば――丁度いい、忌まわしい
両脇の妻たちを部屋から下げる。
「かの老爺も不運なものだ」
妻たちの消えた寝台に、どっかと座してサルレマーニュは小さく笑んだ。
そこには、先ほどまでの淫蕩の限りを尽くす下卑た男の姿などなく。
「機は熟した。重臣と武官共を議宮へと招集せよ」
一〇で神童、一六にして名君とされ、さらに五年で“帝国”の版図を最大限度に押し拡げた、偉大な皇帝の姿があるだけだった。
「陛下、それは」
「ああ」
応えつつ、サルレマーニュは香炉の蓋をかろりと閉める。
「これより――カリア・ケロスの牙を折る」
軽やかな香の煙が、細くたなびきふつりと切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます