第五話 『月虹少女と一張羅』
『シャンバラ』。
この世界の名を、少女は語る。
◆
衝突から数十分後
“大平野”サミル区南東 カリア・ケロス国境付近
「そろそろですね」
虫の声すら聞こえない静けさの中、少女の小さな言葉が響く。
ぱちり、と薪の爆ぜる音。
急ごしらえの焚き火穴に、ちらちらと小さな焔が見え隠れする。砕けた石から組み上げられた
鍋の中では、干し肉と水――野趣に溢れたスープがことこと揺れている。
「どうぞ」
「ありがとう」
白髪赤眼。
妖精のような美少女に、恭しく小さな椀を差し出され。
「いただきます」
「主の恵みあれ」
思い思いの挨拶をして。
「……ずーっ」
「……ずずっ」
掻っ込む。
「――おいしくないね」
「干し肉ですから」
コレが
「さて」
私は空の木椀を置いて、即席のチェアーの上で姿勢を正す。全ては先ほど戦った、『傭兵』部隊の置き土産たちだ。
「サイちゃん、でよかったのかな」
「ちゃん付けはよしてください」
どことなく恥ずかしそうに、小柄な少女、サイが応える。
どことなく、と感じるのには訳がある。
表情が希薄なのだ。それこそ、予め表情を整形された人形か何かのように。
無表情でもないというのが奇妙な話だ。叶わない話だけれど、もし可能なら、リデンテックス謹製の表情認識プログラムのサンプルにしてみたい。
「クライ様にそう呼んでいただけるほど、私は幼くも、近しくもありませんから」
「畏まらなくていいんだけどねぇ」
言いながら、ため息をつく。
そう。
どういうわけか、私はこのサイという少女にえらく崇敬されていた。
身を置く場所も、近くや隣、背後ではなく対面に。こうして焚き火を囲んでも、私を生い茂る蔦の壁の側へと座らせ、自ら進んで傭兵たちが逃げた方に座り出す始末。
上座と下座、
今ですら、視線の高さを合わせぬようにと、決してチェアーに座ろうとしない。
正直に言おう。
……超やりにくい。
「えっと」
「はい、何でしょうクライ様」
おかわりですか? とお玉を片手に捧げ持つ。
それは
うん。
美味しくないね。
「サイ、少し話をしよう」
「はい」
用件を先に伝える。彼女と会話するときは、ひとまずこうすることとしよう。
そろそろお腹も一杯だからね。
さて。
居住まいを正した彼女の服装は、白い布地のワンピースと、金糸の刺繍で縁取りされた黒地のケープ。これもまた、彼らの残した戦利品から選んだモノだ。
外套自体は無傷なのに、どうしてそれを選び直したのかは甚だ謎だ。
まあ、気分の問題なのかもしれない。襲われたときに着ていた服など、私が彼女の立場だとしても御免被りたいところだし。
透き通るようなボブカットには、ちゃっかりと戦利品の紅いリボンを編み込んでいる。古今東西、女の子とはおしゃれが好きなモノなのだなぁとしみじみ思う。
傍らに巨大な槍斧が突き立ってるのは見ないふり。……うん、見ないふりだ。
話を戻そう。
「まずひとつ。大前提として、私はこの世界の人間じゃない」
「はい」
「驚かないね」
「知っていますから。だから、そのための挨拶も
おもむろに立ち上がると、サイはスカートの裾を広げて膝を折る。
(カーテシーか)
またえらく格式高い挨拶を、とは思う。元の世界じゃ、生で見た事なんてほとんどない。
「ようこそ、『シャンバラ』へ。月虹族が長、スリンに代わってお迎えします」
『シャンバラ』。この世界の名を、少女は語る。
「我が月虹族存亡の折、正しくお迎えできなかったこと、深くお詫び申し上げます」
そして、深く一礼。角度はおよそ三〇度。
「私がやってくることは、知っていたんだね」
「ええ。主――いいえ、私たちの信ずる神より、“
アフターサポートが手厚すぎませんかね『声』さん。いや、それならそうと伝えてくれれば良かったのに。
というか、雑に上空数千メートルからスカイダイビングさせた意味とは。
いや。悪いように考えても致し方ない。
それも含めて、私がどう感じ、どう動くかを決めさせたかったのかもしれないし。
『――汝は歴史を変革するモノ。汝は世界を守るモノ。汝はヒトを愛すモノ。』
それだけの役目を与えて、その上でどう生きるのか。
とりあえず、『声』の主は今もなお見守り続けているのだろう。
頃合いを見て、手帳に質問を書き連ねるのもいいかもしれない。
「“
若干イントネーションの違う、より現地語寄りの発音。ついでに言うと脳内翻訳つきなので、英語のようで英語ではない――らしい。
つまり、『吼え立てる者』なる意図もバッチリ伝わっているというわけで。
(ますます小説の主人公めいてきたぞ?)
どうも、変な風に私の名前が認識されているようで、少しだけ不安になる。
「それを伝えられたのは、君たち月虹族だけなのかね?」
「はい」
ほっとする。全世界に喧伝されでもしていたら、恥ずかしいったらありゃしない。
「私たち月虹族は、可能であればクライ様にシャンバラのことを教えて、その行いを助けるようにと主に啓示されていました」
「可能であれば?」
「早晩、滅びるおそれがありましたので」
なるほど。サイがあんな風になっていた以上、他の月虹族も似たような目に遭っているのだろう。
もしかすると、『声』の主、いや、シャンバラの神は、直接この世界の民を助けられないのかもしれない。私はそう見当付けることとした。
でなければ、啓示を与える相手のことを少しも保護しないわけがないのだ。――それこそ、私に人を救えと命じ、手帳に走り書きを残すようなお節介な人物が、だ。
寒気を覚える。
あのとき私が走らなければ、サイは犯され、死んでしまっていたかもしれない。
それはすなわち、こうした情報を得る可能性が、ぐんと減ったということで。
「助けられて、本当に良かった」
「いいえ」
零した言葉を、サイは静かに否定する。
「
「どういう意味かね?」
「仮の長である私が、解散を命じたからです」
企業の典型的な解散のことを考えれば話が早い。解散事由を満たしたところでその集団は業務を停止し、存在価値――法人格を消滅させる。
目の前で炎へと手をかざしてみせる少女は、それを為したというわけだ。
「啓示のことは、散った彼らに伝えていません」
「どうして」
「責を負わせることは出来ないからです。順繰りに啓示の言を受け継いで、私が最後にその責を受けたものです。解散を命じた以上、彼らにそれを負わせることは出来ません。それは、主を真に知り、そして奉じる一族としての責務ですから」
「……」
解散した血族たちは、次の世代へ続かない。仮に逃れた誰かが子を為したとして、それは新たに帰属した社会の傘下に組み込まれるだろう。それはもう、血筋としてはともかくとして、月虹族とは呼べない何かだ。だからこそ、彼女は既に滅んだと言う。責務を負わせることは出来ぬと、そう断じたのだ。
あるいは、責務を無理に果たそうとして、命を無為に落とす事態を嫌ったか。
いずれにせよ、おそらくはそういうことだ。
「そうか」
息をつく。言うなれば、私は既に、間に合ってなどいなかったのだ。
いや、もしかするとここへと飛ばされたその時点でもう、助けられるものではなかったのかもしれない。
ちらりとサイの顔を見る。
表情は変わらず希薄だ。
けれどもそれは――どことなく、悲しんでいるように見えて。
「納得は、しがたいな」
だから、少しだけ抗ってみようと、そう思う。
――ビジネスマンは、やると決めたら必ず遂げる。
「サイ」
「……はい」
「仮に再び散った血族を集めたとして」
一息。
「――再結成は、出来るのか?」
わずかな間隙。できます、と、サイは応えた。
「集めたみんなが、私を長だともう一度認めるのなら」
「決まりだ」
膝を打つ。
「まずは、
「っ、」
どことなく、彼女は驚く様子を見せる。
「この世界はきっと広い。知らないことも沢山ある。……きっと、それは君が毎日語り続けたとして、かなりの時間がかかるだろう」
構わずに言葉を続ける。
「ビジネスマンは、わずかな時間も無駄にはしない。君が私に世界を教えてくれる間も、時間は変わらず流れていくんだ」
だから、と。
「世界を知らない間に出来る、世界で最初の
まだ、君を真に救えたとは言いがたいから。
「サイ」
「はい」
彼女の瞳をじっと見つめる。
「――この老骨の戯れ言を、助けてくれるか?」
数拍の間。
「はい」
はたして少女は、
「それを貴方が救うというなら、どこまでも」
ぱちり、と。
炉にくべた木が、小さく爆ぜる音がした。
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