第四話 『その紳士、豪腕につき』

――着地。もうもうと上がる土煙の中、私はゆっくり立ち上がる。

 どことなく未来からやってきたサイボーグめいた構図だけれど、生憎私は全裸じゃなかった。……いや、そんなことを言ってる場合じゃないんだろうね、コレは。


「夜色」


 背後から小さな呟き。我に返った少女の言葉だ。

 勢い余って蹴り殺してはいなかったようで、何よりだ。


「……大丈夫かね?」


 返答は、沈黙。


「大丈夫ではなさそうだな」


 これはまあ、仕方なかろう。犯されかけた時のショックも相まって、会話しやすい精神状態ではないはずだ。

 必要なのは、危機からの脱出と、休養。

 まずは、曝された肌を隠してしまうところから。


「少しだけ待っていなさい」


 言いながら上着を脱いだ。乙女の裸身を見てしまわぬよう少しだけ視線を逸らしつ、彼女の肩に上着を掛ける。


「すぐに、終わらせてあげよう」


 ビジネスマンは、理由なくして中途で仕事を放り出さない。

 動き出したら、可能な限り迅速に仕事を成すのだ。

 

「――さて」


 向き直る。旗を掲げて、こちらへと視線を向ける男たちへと。

 あまりにも突然な乱入に向こうも面食らっていたらしい。革鎧の武装集団たちは剣を手に取ることもないままぽかんと口を開けていた。


「レディを一人虐め倒して、あまつさえ穢そうとする」


 これはよくあることなのだろう。戦場で無辜むこの市民を蹂躙し、略奪し、虐殺するということは。

 軍事衝突が法律によって管理され、残虐行為が制限された元の世界であってすら、防ぎきれることではなかったのだから。

 それでも。


「君たちは、人として許されないことをしているね」


 私は、彼らを許すことが出来ないだろう。

 現にこうして――私は酷く、憤慨していた。

 フラッシュバック。

 まぶたの裏に、イベント広場の惨状が浮かび上がった。

 そして、守れたかどうかも定かではない、少女の笑顔が滲んで消える。


「私は確かにビジネスマンだが――倫理をないがしろにする奴に、容赦をする気は毛頭無くてね」


 言うなれば、これはちょっとした八つ当たりだろう。本来生きた世界の中で、無力のうちに死んだ私の。

 だから、運がなかったと思って欲しいと、そう思う。

『声』の主にもらった力で、私は失当な偽善うさばらしを為そうと決めたのだから。

 世界のことはよく分からない。

 歴史を変革せよと言われて、見当がつくはずもない。

 けれど。

 後ろで震える少女の一人は、せめてここから救うのだ。

 瞬間。


――告ぐ。

――汝はなれの思うがままに、歴史に力を加うる者たれ。


 上着を欠いた一張羅から、何かが自分に流れ込んでくるのを感じた。

 それは力。……目の前の障害を排除するため、戦う力だ。


「彼女に手出しはさせないよ」


 半身の構え。生憎と、武器を用いる武道は一切習っていない。

 この半生で身につけたのは、幾ばくかの拳法と野球、そしてたしなみ程度のゴルフくらいだ。

 まあ、上空数千メートルから落下して無傷の身体だし。剣の一本二本くらいでどうにかなることもなさそうだからいいとして。

 

「この私、倉井クライ肇が相手になろう」


 とりあえず、彼我の距離が空きすぎている。だからこそ――踏み込んだ。


「な――」


 どこか呆けた顔のまま、まずはひとりが吹き飛んだ。

 革鎧を纏い、帯剣し、そしてそれなりに鍛えたであろう身体は重い。

 重いが、アルマーニを纏う私には関係なかった。

 矮躯とは決して言えない男のそれが、街道の外、視界に捉えられない遠くの方へと飛んで行く。

 生死の確認はいちいちしない。無力化と排除こそが最優先だ。

 つまり。


「とりあえず、全員吹っ飛べ」


 それが、私の方針だった。


「何してる! 早く殺せっ」


 馬上に跨がる一人の男が、叱咤する。アレが頭か。

 まあいい。頭目を張るからといって、脅威度に大きな差異があるわけでもない。

 あいや、辣腕を振るうワンマン経営者なら、頭を潰せば組織ごと死ぬ可能性も――。


「避けて!」


 少女の声音で鋭い警句。右側の脇にチリチリと嫌な感触がして振り向くと、そこには紅く輝く長剣を大上段へと振りかぶる大男がいた。


「『強打バッシュ』ッ」


 尋常ではない速度で落ちる鋼の長剣。

 なるほどこれは、確かに強力な技かもしれない。

 だが怒れるビジネスマンの敵ではない。

 いや、それ以前に一つ気になる言葉があった。


「英語、だね」

「ひっ」


 ぱしり、と。

 振り落とされる長剣の柄を持ち主の手ごと右手に握って、問いかける。

 いや、もとより気になっていたことなのだ。

 確かに私は言葉が分かる。だからこそ、少女の発した『夜色』という呟きを、拾うことができたのだから。

 だがそれは、そのまま日本語として聞き取れたというわけではなかった。

 あくまで鼓膜が拾うのは、日本語とは全く異なる別言語。ちなみに先ほど、自分が吐いた言葉の束も同様だ。ただ、聞き取ると同時、日本語として意味がはっきりと理解できてしまうというだけ。……きっと、先の耳の痛みが生じた際に、『声』の主に何かをされたということだろう。

 まあ、一から異世界の言語を習得する羽目にならなくて良かった。TOE●●とか●検めんどくさいもん。

 だが、今今聞いた『バッシュ』なる言葉自体は。


「はっきりと、英語を発音していたね」

「……あ、ぁああ」


 異世界の言葉ではなく、そのままの英語イングリッシュを。

 そう、異世界語として翻訳すらされなかったのだ。

 ビジネスマンは、些細な変化に気付くモノ。それを無為に見逃せるほど、私はまだ感情的ではなかったらしい。

 それに気付いて、なんだか少し落ち着いてしまう。なんだ、そう身構えることでもないんだな、これは。


「それはなんだい?」

「っ、こ、この、くっ」


 重ねて問うも、相手は顔を真っ青にして、ただただ逃げようと試みるだけ。

 まあ、殺そうとした相手に両手をがっちりホールドされたら、そうもなるか。

 周囲を見回す。どういうわけか、彼らは全員一様に、何かあり得ないモノでも見るような表情のまま固まっていた。

 仮に手を離したとして、この状態では、彼らは答えてくれなさそうだ。


「時間の無駄かね」


 息をつき、姿勢を斜め右下に向け若干程度低くする。

 左の腕を前にして、視線は遠く、斜め四五度上を見据えて。


「懐かしいなぁ、体力テスト」


 男の両手をホールドしたまま――ソフトボール投げ・・・・・・・・の姿勢を整えたのだ。 

 まあ、結果は人並みだったんだけどね!

 そして。


「そー、らっと!」


 兵士の手をボールに見立てて、ブン投げた。


「うわあああああぁぁ……」


 素っ頓狂な絶叫を上げながら、兵士の男は遙か彼方へ消えてゆく。

 後に残るは水を打ったような静寂。


「……化け物」


 気持ち悪いほどの間を置いて、馬に跨がる男が零す。善良なおじさんを捕まえて化け物呼ばわりとは失礼な。

 抗議の意図で彼へと向けて視線を刺すと、


「ひ、ひぃいい!?」


 そのまま、彼は馬の首を翻して駆けだしてしまった。


「頭!?」

「ダメだ、退くぞお前ら!」

「おたすけぇえっ」


 頭目が退いたからだろう。これ以上戦うのは無駄だと判断したか、兵士たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していった。


「……ええっと」


 一応、最初の仕事は果たせたということでいいのだろうか。

……いいよね?

 咳払い。


「とりあえず、もう大丈夫――」


 そう言いながら踵を返すと。


「……うんん?」


 助けたはずの裸身の少女が、恭しく跪いていたのだった。

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