第三話 『その紳士、頑丈につき』
時は少し戻り どこかの草原 クレーター
「っ
舞い上がる草の葉、飛び散る土くれ。
草原にちょっとしたクレーターを作ってしまった私は、湿った土の中央でそう叫んでいた。
ほら、あるじゃないか。別に痛いわけでもないけど、手をぶつけたときに「あ痛っ」って零しちゃうようなアレ。
何はともあれ、思った通りに傷一つ無い。幸いなことに、どうやら本当に『チート』なる現象が起きていたらしい。
鰯の頭も信心からとはよく言ったものだと思う。三文小説も信じれば尊いものだ。なむなむ。
「まぁ……拝んでる場合じゃあ、ないんだよねぇ」
胸の前で静かに合わせた両手を解いて、私はそこから立ち上がる。意外にも、アルマーニには土埃一つ着いていなかった。
「よ、っと」
抉れてしまった穴の中から、どうにかこうにか外に出る。ひんやりとした乾いた風が、やや肌寒くも心地いい。
さて。
何処に飛ばされてしまったのかは知らないが、まず必要なのは、情報収集。
闇雲に動いても仕方がないとはいえ、上空から見た限りでは、ここはかなりの僻地のはずだ。食料もキャンプ道具もない状態で、じっとしていていい場所でもない。
やや肌寒い空気と、寒天菓子もかくやといった青く静かな入り江の上に並び立つ、峻厳な岩山。体感温度と景色からするに、この地形は
……そう。そこから導き出せる問題はただ一つ。
夜は絶対寒くなる。出典は最近買った地球の●き方だ。
「ノルウェー、定年後の楽しみだったんだがなぁ」
リデンテックスには役職定年制度がなかった。
だから八年以上先の話ではあったのだけれど――富士君たちの家族と一緒に、いつか絶対遊びに行こうと話していたのだ。
その予定だけは、しっかりと手帳に書き留めてある。
先にひとりでフィヨルドを眺めることになろうとは、ついぞ思わなかったが。
「ん?」
ふと、内ポケットで何かが震える感触がした。まさしく自分が旅行の予定を書き記していた、小型の手帳が入った内ポケットだ。
携帯を入れておいた記憶は無い。そもそも、私の携帯はいつでもダレスバッグの中だ。
気になって、手帳を取り出す。
「……重い、な?」
革張りの装丁
というより、少々厚みも増えている。なにゆえ。
ぺらり。適当なページを開いてみるも、出てくるのは変り映えない手帳のそれ――
「なんだこれは」
――では、なかった。
いや、レイアウトまで変化しているわけではなかった。あくまでも今まで通りのレイアウトのまま、年号が、日付表示が、まるで見たこともない形式へと変わっていたのだ。
曰く、『純歴二〇五五年 争紀三五年 竜の月 七』。
――いや訳がわからない。
書かれている字は、今朝見たものと変わらない。リデンテックス東京スタジアムの切り抜き写真も、そのままだ。
とりあえず、今日がその『純歴二〇五五年 争紀三五年 竜の月 七』日であるということに疑いは挟めないだろう。
が。そもそも、この暦の読み方が分からなくては、生かしようがない。
年号が二つあるのはどういうことだ? グレゴリオ暦と和暦のような関係か? いや、であればどちらかに統一すれば良いだけだ。
というか、ここが何という国であるのか分からない以上、後者の意味が無くなってしまいかねない。
まさか全世界を股に掛けた統一王朝があるというわけでもあるまい。
(とりあえず)
まずは凡例と、暦の早見を確認しよう。
この手帳には巻頭と巻末付録に一般常識や主要路線図、各国挨拶やビジネスマナーなどがまとめられている。
暦が丸々書き換わってしまっているのだ。おそらくそこも、この仕様に準じているはず。そこだけ元のままなんて手落ち、企画会議の時点で突っぱねてやるところだ。
ページを前に繰ろうとしかけたその瞬間、手帳の中に閉じられた紙束自体が、ぱらぱらとひとりでにめくられ始めた。
周囲は微風。間違っても風に煽られたわけではない。
(思考でも読まれている……?)
いやいやまさかと、普段であれば突っ込むだろう。が、ここはおそらく私の本来在った場所とは異なる世界。
そんな不思議が出てきたとしても、何もおかしくないはずだ。
はたして。
「……おー」
目論見は見事的中。繰られるページが止まったときには、私は、目的の情報が事細かに綴られているページへたどり着いていた。
誰かは知らんがいい仕事をする。例の『声』のことをこっそりと思い浮かべて、私は小さく苦笑した。これだけいい仕事をしてくれるなら、もっと穏当に飛ばしてくれたら良かったものを。
「純歴は純粋な太陽暦、竜の月は七月、か」
納得する。ただ、争紀の記述がないことだけは気に掛かる。
(争紀)
頭の中に浮かべて見るも、ページは一切動かない。
試しに前後のページを見るも、全くもって関係のない項目に入ってしまった。
――ない物はない。そう、手帳に突きつけられた感がある。
「争紀については、口外しないが良いのだろうな」
少なくとも、一般常識の範疇には含まれないということだ。
と。
「おん?」
今度は何も求めぬままに、ページがはらはら繰られだす。
既に周囲は無風の域だ。今度こそ、手帳が勝手に何かを示しだそうとしていた。
めくれ、めくれ、まためくれ――いやまてどう考えても厚みとページ数とが合ってないぞ。
そんなことを思ったところで、パタリ、と手帳が一つのページを示す。
それは、何者かによる走り書きの見開きだった。
――汝の望みは果たされた。
――汝の纏う衣こそ、汝の盾、剣、錫杖である。
――汝死を望まぬのなら、安易に衣捨てるべからず。
――告ぐ。汝は歴史を変革するモノ。
――汝は汝の思うがままに、歴史に力を加うる者たれ。
――告ぐ。汝は世界を守るモノ。
――汝は争紀を、在るべき形に正すべし。
――告ぐ。汝はヒトを愛すモノ。
――汝が人と認むるモノを、力の限り救うべし。
「これは」
頭の中に、かの『声』がリフレインする。
間違いない。この走り書きは『声』の主が残したのだろう。
そして、大方の予想もついた。私がここに飛ばされた理由の、だ。
「要は、人助けをしろというわけだね?」
一介のビジネスマンを、はるばる異世界くんだりまで呼び寄せて。
おそらくはこの
納得はしがたい。
けれど、
「有り難いね」
この身は確かに、
ビジネスマンは手にしたチャンスを逃さない。
雪辱のチャンスをくれるというなら、有り難く受け取ることにしよう。
と。
つんと耳の奥が微かに痛んで、唐突に周囲の音が鋭く聞こえるようになる。
『――らぁああああああっ!!』
やや遠く、悲壮感と痛みに塗れた雄叫びがした。
いや、やや遠く、ではない。おそらくコレは、かなり遠くの絶叫だ。
「どういうことだ」
方角を確認してから、ふと手帳に視線を戻す。
手帳のページが、何かに呼応するように一瞬だけうっすら光った。
「……、あー」
なるほどと、思う。だとすれば、ここに私が落っこちたのは。
「こうなることを見越したね?」
苦笑気味に、答える。『声』の主を、心の中で思い浮かべつ。
届いたのかは分からない。けれど、その走り書きはまるで満足したかのように、ふわりと薄れて消えてしまった。
行け、と。……なんとなく、そう言われた気がした。
「こんなところで忖度はしたくないなぁ」
誰だかは知らないけれど、随分と勝手なことをしてくれる。けれど、不思議と悪い気はしない。
「それじゃあ」
一歩。
「
『声』の主と、私との。
コレが、その初取引だ。
式典用の革靴が、草原をあり得ないほど強く抉った。
◆
数分後 どこかの街道
走る、走る。
草原の上を、アルマーニを着たビジネスマンが疾走してゆく。
「いやあ早いね! コレならウサイン・●ルトも目じゃないんじゃないかな!?」
幾筋もの小さな川が、まばらに生える低木が、流れるように過ぎてゆく。
「――でも、足りないね!」
そう、足りない。私がそこに間に合うためには、多分早さが幾分足りない。
金属を打ち合う音。かすかなそれが突然止んで、おおよそ二分。
悲痛な雄叫びを上げた誰かは、もしかすると、とうに死んでいるかもしれない。
それだけは、許容しがたい。
(見えた)
少しずつ、薄紫の石畳に敷き詰められた街道が近づいてくる。
一対多――大勢の武装した兵士の群れに、服を剥かれて、組み伏せられた少女がひとり。
「――っ!」
少女はまさに、穢される途上にあった。
ただ漫然と走っただけでは、決定的に間に合わなくなる。
「うおおおおおお!!」
腹の底から、大きな声が迸る。
それはもう、五二にもなるおじさんのそれではなかった。
強く踏み込み。私は高く、そして遠く飛べると確信しつつの一投足。
果たして私は高く離陸し、放物線を描きながら街道へと迫っていった。
咄嗟に左の脚を畳んだ。より流線型に近くなるよう。
右の脚を前へと伸ばした。より確実に、大きな打撃を与えるために。
そう。
それはかつての少年たちが愛した、正義のために戦う戦士おなじみの。
「ライ●ー……!」
コレ、著作権的に大丈夫なの?
いいよね異世界だし。
「――キィイイイイイイイイイイック!」
そう叫びつつ。
私は、逸物をおっ立てた小太り男を吹き飛ばしたのだ。
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