第6話 色々と一致する話 私の読む傾向について

 漫画家、小説家……表現者には、不思議と一致すること。同じようなことを言っていることがある。

 やはり、人として、習わい、傾向として、共通するものがあるのだろう。


 まず上げて見る作品、この漫画家は、気さくな方で、ネットを通じて色々と話を聞かせていただいたり、喧嘩腰の勘違いをぶつけて、ケンカしてしまったりしながらも、それなりに楽しくお話させていただいた。

 だが、最後には東日本大震災のことで、大喧嘩してしまった。以来、マンガは読んでいても、ナニカ発言を送ることはなくなってしまった。

 そんな少し寂しい関係の終わりを迎えてしまった方だが、その方のマンガは未だに楽しんでいる。


 ここで、不思議と一致する事。というのは、【コンシェルジュ】というマンガにある。画家の言葉……。

「我らは醜い怪物。手にあるのは、獲物を引き裂く爪。体に生えるのは身を守るトゲ。想いを告げれば共に傷つくのみ。

 ならば、触れず、告げぬ・・・のが、最高の愛の形」

 ――との答えで、コンシェルジュに、かつての想い人の捜索を頼みつつも、思いを告げなかった人物……。


 これと同じ様な話が、先日、個展を見に行った、日野日出志の作品にあって感激した。

 作品【蔵六の奇病】――だ。

 結末は省くが、体が膿んでいく奇病にかかった主人公:蔵六は、村から忌み嫌われ、それでも、絵を書き続けた。自らの奇病が生み出す体液を絵の具として……。


 表現者とは、そんな世間から否まれ、煙たがられる存在なのだろう。醜く、傷つける存在なのだろう……。ゴッホなどいい例だ。自分が疎まれていることを察しながらも狂気に身をやつし、燃え尽きた。


 文豪でも、こういう言葉を残しているものがいる。


「詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」:萩原朔太郎


 あるいは、坂口安吾と江戸川乱歩が似たようなことを言っている。


 江戸川乱歩の座談会にて、坂口安吾が(大衆を離れた文学ではいけないという話に対して)

「僕は一般的に読まれたくないね。正直なところ、僕は普通の人に読まれたくないのです。(笑声)ある魂の病人見たような人の一服の鎮静剤と言うか、麻痺薬と言ったようなもので、病人以外の人に読まれたくない。不健全ですからね……」

 こんな言葉に対して、座談会の主、江戸川乱歩自身も、

『「ある魂の病人見たような人の鎮静剤云々。病人以外に読まれたくない」という性格が私の一部にもある』

 ――と、江戸川乱歩が【坂口安吾の思い出】にて綴っている。


 私が読むマンガは、小説は、主に、自身が人から外れた……少なく見積もっても世間の5割以上から外れた場所を歩める意志を持った覚悟の漫画・文章・物語を好む。

 あるいは、世の中に対する見方があって、その一面を……一般的な者は見たくないというものを暴き出すモノを好む。


 反して、何処か、おっかなびっくりを覗くだけで、自分は絶対的に安全という様な、遠足気分。動物園の鑑賞・観察をするだけで終わるようなものは、時折、薬・毒薬・劇薬を飲むのに疲れた時に、読む程度の息抜きでしか無い。


 私にとって、そんな息抜き程度のものは、優れたものとしては決して認めていない。こういう作風が一時代的にはウケるというのがわかっていてもだ……。


 ……どうやら、やはり、私は、不健全を好むようだ。

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