第三十二話 星降る丘の夜

 数え歌を三番まで歌い、シュメリルールの流行歌はやりうたを歌い、そのあとは子守唄になった。遥か遠く離れた茜岩谷サラサスーンとミンミンの街では、祭り歌や作業歌も異なっている。


 茜岩谷の作業歌は、農作業中に歌う曲が多いし、ミンミンでは漁師が海で歌う。遠く離れていた俺たち、そして、大人も子供も全員が歌える曲というのは、どうしても限られてしまうのだ。


 日本でもそうだったが、子守唄は全国どこでも、比較的同じ曲が歌われる。毎晩、寝る前に枕元で歌われる優しい歌は、大人になっても忘れない。


 守られて、安心して眠りに落ちてゆく。必要で、大切な記憶だ。ここにいる全員が、それを持っているというのは、とても幸せな事だと思う。


 そんなこんなで、必要に迫られて全員で子守唄を歌いながら丘を目指す。多少場違いではあるが、頭蓋骨をくすぐるようなモスキート音に、負けないために大声で歌った。


 丘の中腹に差し掛かった時、唐突に音の壁が消えた。壁を通り抜けたのではない。少し戻っても、音は聴こえて来ない。


 全員が笑顔になる。


「走るぞー! 丘の上まで競争だ〜!!」


 おい、ちょっとは警戒とかしよう!


 ナナミのペースに巻き込まれて、声をかける暇もない。ハルとハナが歓声を上げて走り出した。ハナは途中でユキヒョウの姿になり、ポンチョの襟首から飛び出す。ハナは獣化が格別に早い。


「あーっ! ハナちゃんズルイ!!」


 ハルが言いながらも人型のまま追いかける。ハルはまだまだ鳥化に時間がかかるのだ。


「ちょっとお母さんも、本気出しちゃおうかな!」


 走り出したナナミの横を、アンガーが陸上選手のような、綺麗なフォームで駆け抜ける。あっという間にハナに追いつき、ヒョイと抱え上げた。


 軽率な行動を止めてくれたのかと思ったら、そのまま英雄の神殿目掛けて、全速力で走り出した。


 なんだ、一番になりたいだけかよ!


「アンガーは子供の頃から、駆けっこで負けた事がないんですよ」


 ロレンが苦笑しながら言った。


「ハナを抱えたハンデがあれば、今度こそ勝てるかも知れませんね」


 二、三回、膝の屈伸をしたあと『ヒロト、コレ頼みます』と言って、ポンチョを脱ぎ捨てて走り出す。


 ロレン、お前もか。


 大灰猫の姿になるのかと思ったが、人型のまま勝負するらしい。負けず嫌いか。


 おおー、ロレンも速いな!


 ロレンのポンチョを拾い、走りながらハナの服を拾う。ふと見ると、爺さんがあくびに乗って走り出していた。


 あれ? コレ俺、置いていかれるパターン?


 せめて、ナナミとクルミに追いつこう。


 丘の天辺てっぺんまでのなだらかな坂道は、意外なほどに足元が良く、思ったよりも長くキツかった。背の低い草を踏みしめると、青臭い匂いが鼻に届く。生き物の気配のない、いびつな草原だ。


 息を切らし顔を上げると、空と地面の境目にポツンと石造りの建物が見えて来た。


 英雄の神殿。あそこで、ぴーさんが俺を待っている。



▽△▽



 ようやく丘の上までたどり着くと、アンガーが火を焚いて、お茶の準備をしていた。ロレンと爺さんは、ぐるりと神殿を回って、入り口っぽい場所を探しに行ったそうだ。


 二人が戻るのを待ちながら、汗が引くのを待つ。風通しの良い丘の上は、背の高い木もなく見晴らしが抜群だった。


 ミョイマー(ミンミンがある地方の名前)側には、こんもりとした森、ザバトランガ側には遠くに川が見える。


 夕方の気配と、夏の終わりの匂いを含んだ風が、熱のこもった髪の毛を掻き回して吹き抜けてゆく。


 虫の声も、鳥の声も聞こえない。


 天体観測するには、もってこいのロケーションだな。だが、今は何だか物寂しく感じる。


「入り口は全部埋まっていますね。ネズミ一匹入れそうな隙間も見当たらない」 


 爺さんとロレンが、弓を片手に戻って来た。


「ひと休みしてから、隠し扉探す、しよう」


 あくびに水を飲ませてやってから、みんなで熱いお茶を啜る。ミンミンの街では、お茶にドライフルーツを入れて飲む。今日は酸味の強いアンズに似た果実を入れよう。


 ハナの分はクルミがふーふーしてくれているが、待ちきれないハナが、袋ごとサーイの実あんずを抱えて食べはじめた。


 晩メシ、食えなくなくなるぞ?


「あっ、馬車だ! ハザンが来たよ!」


 鳥の人になって、格段に視力が上がったハルが、森の途切れたあたりを指差して言った。もちろん俺も見えている。


 音の壁が消えたのに気づいて、追いかけて来てくれたのだろう。


 

 結局隠し扉的なものは、見つからなかった。ぴーさんからのリアクションもない。音の壁も、丘の中腹あたりから復活しているようだ。


 仕方なしにこの場で野営することになった。


 テントは貼ったが、全員、外でゴロンと雑魚寝する。虫もいないし、危険な獣も近寄らない。季節も良く、朝晩は涼しくて過ごしやすい。


 この360度絶景の一大パノラマを、見逃すのは余りにもったいない。


 まず夕焼けが素晴らしかった。大きな夕陽が、小さく見える蛇行した川を赤く染める。視界いっぱいに広がる橙色の空が、茜岩谷サラサスーンの赤い景色を思い出させる。


 ああ、帰りたいな。乾いた風が吹き抜ける、あの岩だらけの場所に。



 日が暮れると、星空に浮かんでいるようだった。夕食のあとは早々に焚き火を小さくして、各々おのおの毛布にくるまったり、寝袋に潜り込んで満天の星空を見上げる。


 流れ星を数えて、ロレンや爺さんに星の名前や星座を教えてもらい、お返しに、地球の星座や星の神話の話をした。


 星降る丘の夜は、静かに更けていく。



 みんなが寝静まった夜半過ぎ、夜番のハザンに起こされた。


「ヒロト、来たぜ。アレだろう?」


 ハザンの指差す方向を見上げると、パタパタと密かな音を立てて、ぴーさんが浮かんでいた。


 ようやく、おいでなすったか。

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