第三十一話 音の壁

 その神殿は、小高い丘の上にあった。


 鬱蒼うっそうとした森を抜け、ぽっかりと視界が開けたと思ったら、足元からウゾウゾと虫が這い上がってくるような、気色悪さに全身が包まれた。


 遅れて『キーン』という、耳鳴りのようなモスキート音。うわっ! これは……キツイ!


 以前茜岩谷サラサスーンの忌み地へ足を踏み入れた時、馬にポンチョをモシャモシャと噛まれた。鳥の人となった今ならわかる。


 歯の浮くような、アルミホイルを噛んでいるような気色悪さだ。馬を含めた全員が、顔をしかめて呻き声を上げる中、クルミだけがきょとんとした顔をしている。


「み、みんな大丈夫? 前に言ってた『音の壁』なの?」


 あくびも平気な顔をして頭を上げ、フンフンと風の匂いを嗅いでいる。


「忌み地の壁より、強烈だな」


 爺さんが言いながら、鼻を摘んでフンッと耳抜きをした。真似をしてみたら、少しだけスッキリした。


「お父さん、アタマ痛いよぉ……」

「とーたん(俺のこと)、ハナちゃん、ぞわぞわする……。あっちいきたくない……」


 ハルはこめかみを押さえているし、ハナは耳をへにょりと倒している。


「ここで待ってるか? どうする?」


「ううん、ぼく、ぴーさんには、言いたいことがあるんだ。……だから、行く」

「ハナちゃんもいくよ!!」


 ハルが頭をブンブン振り、ぴょんと馬車から飛び降りた。ハナはというと、馬車の幌へとよじ登り、丘に向かって仁王立ちになる。


 大きく息を吸い、大きな声で叫んだ。


「ぴーさあ〜ん! むかえにきたよ〜! いっしょに、おうちへ、かえろう〜!!」


 そうか、ハナは……ぴーさんを迎えに来たのか。


 ハナの声を聞いて、俺も自分の気持ちに何となく心当たりがついた。


 ぴーさんに『マスター、英雄の神殿でお待ちしています』と、名指しで招待された。まだ話の続きを聞いていない。


 もちろん、それも本当なんだけれど。


 俺とハルに獣化ウィルスを使って、意味深な誘い文句を残して消えたぴーさん。


 まるで不器用なひねくれ坊主が、わざと怒られそうな悪戯をして『ぼくは悪くないもん! 迎えになんか来たって、帰らないもん!!』と、居場所を知らせて逃げたみたいじゃないか?


 あいつ……逢ったばかりの俺に、何甘えてんだろうな!


 そんで……俺も『……ったく、しょうがねぇなぁ!』って言いながら、迎えに行く兄貴の心境なんだよなぁ。


「あーたん(ナナミのこと)! おっきい声だしたら、キーンってなるの、へいきになったよ!」


「『あー、あー!』。あ、本当。少し良いかも!」


 ナナミが幌から降りて来るハナを、受け止めながら言った。各自『あー』だの『わー』だの声を出して試してみる。


 うーん、耳抜きと同レベルだが、確かに多少歯が浮く感じが遠ざかるな。何より気が紛れる。



 結局、壁の手前まで戻って馬を繋いで、歩いて行く事になった。馬車を置いて行くので、ハザンが見張りで残る。


「せっかく面白そうだけど、しょうがねぇな。アンガー、ロレン、こいつらの事、頼んだぞ! ヒロト、無理して深入りすんなよ? ハナは母ちゃんの手、離さない事。ハルは、いつでも逃げられるよう鷲になって行け! それから……」


 本当は着いて行きたいハザンが、口煩く捲し立てる。自分が着いて行けない時、ハザンは極端に心配症になる。


「ハザン、ここは任せましたよ。ひとりで馬車を任せられるのは、あなたしかいませんからね」


 ロレンがそう言ったら、やっと黙ってニヤリと笑った。


「二時間だ。二時間たっても戻って来なかったら、何かあったと思って突入するからな!」


 全く……別に俺たち、敵地に赴く訳じゃないんだぞ?



 改めて音の壁の手前に立つ。一歩足を出すと、鳥肌が立ち、耳鳴りがする。本能が危険だと、二の足を踏む。


「あーっ! あーーっ!」


 ナナミが伏せていた耳をパタパタさせた後、気合いを入れるように、大きな声で言った。


「よーし! みんなで歌をうたいながら行こう!」


 ハルとハナとクルミが、元気に『ヤーー!』と応えた。大人はみんな躊躇している。ごめん、俺もちょっと乗り気じゃない。家族だけならいざ知らず……ロレンもアンガーもいるしなぁ。


「それでは、まずはパスティア・ラカーナの子供なら、誰でも知ってる『数え歌』!!」



 小さな小さな小鳥が一羽

 きれいな花をくわえてた

 そこへ大きな灰色熊、二頭の怖い灰色熊

 ガォーガォガォ三回吠えた


 甘い、美味しい、良い匂い

 その花はどこに咲いてる?



 この歌は、形容詞がたくさん出てくる数え歌だ。大岩の家でさゆりさんに教えてもらって、俺も子供たちと一緒に散々歌った。


 クルミも、そしてナナミも、この歌でパスティア・ラカーナの数と、たくさんの形容詞や動物の名前を覚えた。



 ナナミとハナ、ハルとクルミが手を繋いで、大きな声で歌いながら歩き出した。



 蜂蜜好きの灰色熊

 どんぐり四つ差し出した


 小鳥さん、このどんぐりをあげるから、

 僕らをそこまで連れてって


「ハル、小鳥は何羽?」

「アード(『一』を表す言葉)!!」


「ハナ、くまさんは何頭?」

「ウード(『ニ』を表す言葉)!!」


「クルミちゃん、くまさん何回吠えた?」

「クージャン(『三』を表す言葉)!!」


「あーたん、どんぐり、いくつ?」

「タダルー(『四』を表す言葉)!!」


「はーい、みなさん」

「「「良くで〜き、ま〜し〜た〜」」」


 ハナが、キャハハと笑い声を上げた。


 色々な動物がたくさん出てくる、一から十までの数字を覚えるための歌だ。なかなか良く出来た歌で、合いの手のように質問や、それに答える歌詞がある。


「小鳥はとても喜んで、くるくる五回、輪を書いて飛んだ」


 お、ロレンが歌い出したぞ! 魅惑のハスキーボイスだな!


「お花畑に行くならば、私も一緒に連れてって」


 アンガーが歌いながら、ハナの手を取る。クルミと二人でハナをブラーンと持ち上げ、またハナが声を上げて笑う。


 俺と爺さんは、顔を見合わせて笑い、急いでみんなの後を追って、走り出した。




▽△▽


「なんなんだあの、能天気な連中は! ピクニックにでも来たつもりか?」


 男が、大きなモニターの前で、呆れたように呟いた。


「何かの罠だとか、危険だとか、思わないのか?」


 すっかり癖になった独り言が、静まり返った部屋に響く。


「しかもあの歌は……」


 母さんが……母さんが僕のために作ってくれた歌じゃないか。


「何であいつらが、知ってるんだよ……」


 本人は、吐き捨てるように言ったつもりの、その言葉は、少し震えて途切れた。


 まるで泣き出す、前みたいに。


 この閉ざされた部屋には、誰ひとり聞いている者など、いないのだけれど……。



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