第二十四話 大空へ! 其ノ一

 俺の名前は二ノ宮ヒロト。訳あってこの、切り立った断崖絶壁の上に立っている。見下ろせば十数メートル下に、寄せては返す白い波飛沫。


 なんでそんな場所に立っているかって? そりゃあ……飛び降りる為だ。別に自殺志願者じゃないぞ?


 鳥だからだ。


 翼の長さは、一メートルを優に超えている。堂々たる大鷲だ。その翼で上昇気流に乗り、大空に舞い上がるのだ。……のだ。


 隣には息子のハルが、やはり同じような鳥の姿で、心配そうに首を動かしている。ハルはまだ翼も短く身体も丸っこい。この断崖から、飛ぶのは無理だろう。ふわふわのウブ毛が抜けきらない、幼鳥だ。


 さっきまで海岸で、一緒に飛行訓練をしていた。講師としてルルが呼んでくれた、海鳥の人であるガルアさんも一緒だ。


 水掻きのある海鳥と、高所に棲む鷲では飛び立ち方が違う気はするが、ミンミンの街は海鳥の人が多い。


 ガルアさんに一通り、鳥の人として生きる注意点みたいなモノを教えてもらった。


 やはり寝る時はうつ伏せか、横向きで寝るそうだ。尾羽は飛ぶ時に舵を取る、大事な役割を持っている。傷めてしまわないよう専用の袋に入れ、帯で身体に固定して寝る。


 子供は卵で生まれてきたりはしないらしく、普通にお母さんの母乳で育つ。刷り込みがあるらしく、誕生から一定の期間は、父親も仕事を休んで一緒に過ごす。


 鳥の人に子供が生まれたら、しばらくは訪ねて行かない事がエチケットらしい。


 ガルアさん曰く、幼鳥はウブ毛が生え変わるまでは、少し浮き上がる練習を続け、そのあと低い岩場から飛ぶ訓練をはじめれば良いらしい。


 ガルアさんの末娘と、しばらく一緒に練習する事になった。


 俺は何度か羽ばたきを見てもらったあと、


「ああ、立派なもんだ。左の翼も悪くねぇ。もう飛んじまえよ」


 と言われ、早々にこの崖の上から飛ぶ事になった。


 ちなみにガルアさんは海の男で、今の時期はクラゲっぽいモノの漁で忙しいらしい。




「ピイピイ、ピィィ……」


 ハルがさえずるように鳴く。『お父さん、無理しないで』。そんな感じのピイピイだ。


 そんな心配そうな顔すんなよ! お父さんは大丈夫だ! そりゃあ正直、さっき崖ぎわに立った時は『ぜってー無理!!』って思ったさ。


 でも……。


 ハル、あの風の道が見えるか?


 焦がれるように、かつえるように翼がうずく。


 ハル、感じるだろう? ほら! 翼を広げてみろ。俺たちの翼は風を抱きしめる。指先をピンと伸ばす感じだ。手のひらで、優しく包むようにつかまえるんだ。


 半分無意識で、トンと地面を蹴る。もう我慢なんてできない。


 途端に、翼が海面から巻き上げるように吹く、上昇気流を掴まえる。落ちる間もなく、滑るように風の道に乗る。


 胸と肩の筋肉が、甘くきしんで歓喜の叫びを上げる。


『ピィィーーー!!!!』


 高く鋭い鳴き声が、脳天を痺れさせる。意味なんてない。ただの喜びの叫びだ。


 ヤバイな……解放されちまいそうだ。


 思えば俺は、物心ついた頃から……自分だけの為に叫んだ事なんかない。解放され、思考が空の青さに溶けてしまう。


『本能と手を繋ぐ』



 ルルが言っていた事が、ストンと腑に落ちた。



 そして、パスティア・ラカーナの人たちが、なぜ獣の姿になる事をいとうのか……。やっとわかった気がする。


 人である事を、手放してしまいたくなるのだ。


 野を走る獣として、空を舞う鳥として。ただ生きる事のみを目的に、大地や空と同等である事を望んでしまう。



 これこそが、獣化ウイルスが望んだ事ではないのか? 大型霊長類と、人間だけが罹患する獣化ウイルスは……。



 人類の進化を憎んだ、地球が産み出した病なのかも知れない。



 

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