第二十三話 谷大鷲 其ノ三

 谷大鷲は大きい。実際、谷角牛(犬より少し大きい茜岩谷の小型の牛)の子供は狩りの対象だし、人間の赤ん坊がさらわれる事もあるらしい。


 翼を軽く広げてみる。両手を広げる感覚と、そう変わりはない。


 ああ、でも家に帰って、靴下を脱いだ時みたいな開放感があるな!


 翼をバタつかせると、部屋が狭く感じられた。全長は二メートル以上ありそうだ。黒と白の斑紋はんもんがなかなか趣がある。


 声を出してみる。


 声帯はかなり人間とは違うようだ。笛を吹くのと似た感覚……息を吹き入れて音を出す。


『ピューイ』


 本当に笛のような音が出た。クチバシを開くと『クワァー』という感じ。


 コレ『鷲』というよりも『鷹』に近い気がする。どこが違うのかと言われると、俺もそう詳しく説明出来ないが、鳴き声とか脚の感じとか。


 まあ、茜岩谷サラサスーンに関する翻訳とネーミングは全てさゆりさんに一任されているからな。猛禽類なのは間違っていないし、日本出身者なんて現状六人で全てだ。


 牛や馬に似ている動物。サボテンや米に近い植物。鷲っぽい猛禽類。それで特に問題はない。



 しかし、どうにも自分の身体だという実感が湧かないな。デキの良いVRを着けている気分だ。


 それなのに……。


 久しぶりに感じる、左手(翼だが)の確かな存在感。幻肢痛とは違い、重さも質量も感じる。


 これは一体どういう事だろう。


 俺は当然、片方の翼が千切れた姿になる事を、思い浮かべていたのだ。


 でも、そういえば……。


 大岩の家の長女パラヤさんの旦那さんは、幼いころに翼を傷めた飛べないチョマ族の人だ。ところが人の姿でいる限り、過不足なく両手を使う事が出来る。実際彼は、腕の良いガラス細工の職人だ。


 うーん、さっぱりわからん。獣姿と人型で、それぞれ形状が固定されるのか? 元々獣化ウイルス自体が、俺の常識とはかけ離れた突拍子もない存在だ。物理法則も何もあったもんじゃない。


 いや、俺は理系とは程遠い人間だから、わからないだけなのか?



「ヒロくん、ヒロくん。開けても大丈夫?」


 俺がいつまでも寝室から出てこないので、心配したのだろう。ナナミが声を掛けながら、ドアをノックした。


 この姿じゃドア開けられないから、ちょうど良かった。


『ピューイ(開けていいぞ!)』


 うん! 通じないな!!




「はい! ヒロトさんも問題ないわ。左の翼に違和感はある?」


 ルルにあちこち撫で回されてしまった。もちろん治療師としての診察なのだが、つき合いが深いだけに、どうにも気恥ずかしい。


 そして、なんだか場違いなところで素っ裸でいる……そんな居たたまれなさが半端ない。


 パスティア・ラカーナの人々が持っている、獣の姿に対する忌避感や貞操観念を、俺が持ち合わせている訳でもないんだけどな。


 正直、左の翼には違和感がある。そして、この状態に慣れてしまった場合、人型に戻った場合に喪失感に悩まされてしまいそうだ。


 だが、そんな心配よりも、今は『飛べるかも知れない』という期待感が大きい。早く外に出て、翼を存分に広げてみたい。


 ルルの質問に曖昧に頷いて、診察を終わりにしてもらう。ハルが首を傾げながら、部屋をウロウロと歩き回っている。どうやら、まだ歩き方に迷っているらしい。

 

 俺と目が合ったハルがクチバシを開き、ピイピイと鳴き声を上げた。


 ああ、そうだな。朝メシ、まだだもんな。


 うん……? ハルの『ピイピイ』が、ハラヘッタの『ピイピイ』だって、ちゃんと理解出来る……! 言葉として聞こえるのとは少し違う。感情や行動を表した『音』といった感じだ。


『クワァー』


 俺の『クワァー』も、ハルにだけは伝わったらしい。『人型に戻ってメシにしよう』の『クワァー』だ。


 二人(ニ羽?)一緒に寝室に向かう。ハルが俺の後ろを、歩き方を真似しながら着いてくる。谷大鷲としての歩き方なんて、俺だってわからないぞ?




「ハルが、大きくなったらどうしよう。あんな大きな鳥が二羽もいたら、部屋が狭くて仕方ないわ」


 ナナミが、キッチンでため息をついた。


「普段は人型なんだ。問題ないだろう?」


 朝食用の、雑穀クレープを焼きながら応える。


「それにしても、突然過ぎる。ちょっとぴーさんヒドイと思う」


 ナナミは口を尖らせながら、酸味の強いルドラの実をバターで炒めている。今日はルルが一緒なので、純ミンミン風の朝食だ。


 このアップルパイの中身のような、ルドラのバター炒めを、ドライフルーツやチーズと合わせて、雑穀クレープで包んで食べる。海の男が多いミンミンの街なのに、朝食だけはやけにオシャレなんだよな。


 俺やハナは、朝メシでも塩っぱい物が食べたいので、葉野菜と辛味噌で巻く。


 ぴーさんヒドイには俺も同意だが、じゃあいつなら良かったのかとか、鳥以外なら良かったのかとか考えると、良い機会だったような気もする。


 なんのかんの言って、俺も谷大鷲はカッコイイと思っていたし、今の姿が満更でもないのかも知れない。


 既婚者だから、求愛ダンスも踊らなくて良いしな!



 とりあえず……!


 朝メシ食ったら、ハルと一緒に海岸で飛行訓練だ!



 あ……! 尾羽が開いちまった! くっ……! ナナミ、笑うんじゃねぇよ!! あ、くそっ、また開いちまった!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る