第十八話 忘れられた地
『一連の転移現象は、こちらからアクセスできるようなものではないのです』
俺の事をマスターではなく『ヒロトさん』と、わざわざ名前で呼びなおしたぴーさん。
AIの仮面を外す気になったのだろうか?
「事故……なのか?」
「事故というよりは『巻き込まれた』感じでしょうか……」
『聞いてもらえますか?』
そんな告白めいた言葉ではじまったぴーさんの話。『今までのはぐらかしは、なんだったんだ?』と思うほどに、核心に迫ったものだった。
それはよくある終末世界を描いた、パンデミック映画のワンシーンのようだった。俺たちが存在していた時代から、五十年程未来の出来事から、全てがはじまった。
それはこの忘れられた地『パスティア・ラカーナ』の人々の、真の受難の歴史だった。
▽△▽
世界中で、同時多発的に奇妙な病気の発生が確認された。
後に『獣化ウイルス』と呼ばれるこの感染症は、動物を宿主としそのDNA情報を盗む。そうして感染者のDNAを、自分の居心地の良い宿主と似た環境に作り変えてしまうのだ。
世界中で『朝起きたら、家の中に動物がいた』という報告が多発した。その報告は、必ず『家人が行方不明』という届け出と同時にされていた。
発見された動物が猛獣だった場合も、家人が襲われた形跡は見当たらない。家出や、誘拐などのトラブルに巻き込まれる可能性が、考えられないケースも多かった。
北アメリカのとある田舎町で、ある朝突如現れた
結果は、誰しも首をひねるものだった。
グリズリーの胃の内容物と、行方不明の男性の前日の夕食メニューが、
解剖結果には、厳重な箝口令が敷かれたが、やがてひとつの仮説が、まことしやかに囁かれるようになる。
『行方不明の人は、動物に変身してしまったのではないか』
普段なら、荒唐無稽と笑い飛ばされる類いの仮説だろう。だが、余りにも事例が多すぎた。
家人の行方不明と同時に現れた動物を、そのまま保護している家庭も多かった。仮説を聞いた家族の中で、保護していた動物とコミニュケーションを試みた人たちがいたのは、無理もない話だろう。
結果は、悲劇以外の何ものでもなかった。
言葉は発せない。だが、知能も記憶もそのままに、姿だけが人間とはかけ離れたものに変化してしまっているのだ。
世界中が、大混乱の渦に飲み込まれた。
急遽、世界中に研究機関が設けられ、原因の解明が急がれた。変化後の動物の種類は多岐にわたり、獣医師や動物の研究者が集められた。
併せて被害者の保護が行われたが、コミニュケーションもそこそこに、自死や食事を拒否する事による衰弱死が相次いだ。徹底的に人間の尊厳を叩き折られた現象に、耐えられる人はそう多くはなかったのだ。
原因はすぐに解明した。
研究者や被害者の家族の感染が確認され、感染症である事が確定する。
幸いというか当然というか……発生源は都市部ではなく、野生動物の多い地域。すぐさま人や物の移動が制限され、隔離政策が敷かれる。
不思議な事に獣化ウイルスは、感染者を殺さなかった。症状は完全な獣化を終えると、ピタリと
ターゲットは大型類人猿と人間のみ。同時に、オラウータンやボノボ、チンパンジーといった大型類人猿に変化する事例は発生しなかった。
まるで地球上から、人間を駆逐するために発生したようなウイルスだったが、意外にもワクチンの開発は早かった。
国の枠を超えた、大規模なワクチンの投与が行われ、事態は急速に沈静化する。
一方、獣化してしまった人たちの治療方法は、その手がかりすら見つからなかった。かと言って、日常生活に戻れるはずもなく、完全隔離施設から出ることを望む人もいなかった。
対処に困り、膨れ上がる維持費に辟易したある大国が、被害者たちに移住を持ちかける。
宇宙開発の先駆け国であったその大国が、長い時間と莫大な予算をかけてテラフォーミングを施した小惑星があった。
まだ人間が生活できる環境ではなく、多くの労働力を必要としていた。
獣化ウイルスの被害者たちは、中身は人間なのだ。獣の手で扱える操作パネルさえあれば、充分に精密機械も扱える人材が数多くいた。
彼らは地球でマイノリティとして、好奇の目に晒される事を、何より苦痛と感じていた。政府も人権や差別に対処する法整備を進めていたが、それは困難を極めていた。
そうしてほとんどの獣化被害者たちは、地球から出る事を希望した。隔離施設で病原体として扱われるよりは、開拓者となる事を選んだのだ。
変わり果てた姿のまま地球で人権を得るよりも、同じ辛さを抱える者だけで暮らす事を望んだ。
大規模な宇宙開発移民船に、最新鋭の技術が惜しげもなく投入してされた。国の枠組みを越えて集まった獣化被害者たちは、僅かに残った希望を胸に、地球を後にした。
そうして、大義名分の元に厄介払いに成功した地球人が、その存在を思い出したのは、実に五百年も後の事だった。
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