第13話

 ────温泉地といえば浴衣。このホテルにも一応、人数分用意されているが、着るかどうかは自由である。


 俺は卓球をすると聞いていたのだが、なんとなくそっちの方がいいかと浴衣を着た。灰色の浴衣だが、なんか温泉っぽくていいなって思いますねこれ。ぽい。とても、ぽい。


「────。」


「…………どう、かしら?」


 わかる。ぽいのだ。ぽいー。ほら、あれですよ、アニメとかでよく見るカラーリング。藍色の何か羽織ってる感じのあれ。ぽいでしょ。温泉街だもんね。そりゃぽいでしょ。本物だもん。本拠地だもん。ぽいというかそのもの。さすが高校、わかってるじゃん。さす高。いやそんな名前の高校ではないが。


「むう……聞いてるのかしら?」


「──っは、あ!? 勿論聞いてるでござるが!?」


 眼前に新井さんの顔があった。息が詰まる程に美人。とても近い。つかめっちゃ近、近い!!?


 新井さんは不満顔しながら姿勢を正す。咳払い。いつもの仏頂面を維持できないほどに口許がもにもにと震えている。


「ど、どうかしら?」


「とても似合ってると思い、マス」


 風呂上がりで上気した肌、しっとり濡れた長い黒髪は後頭部で一つに括られていた。俗に言うポニーテールだ。ポニテだ。ヤバい、うなじきれい。何あれきれいな肌だ。まぶしい。待ってまって、まともなコメントが出来ない。


 落ち着いて深呼吸だ。


 すー、はー、よし。新井さんは美人(語彙力)!!


「ありが、とう……」


 新井さんは顔を背けて、小さな声でそう言った。そういう反応をされると恥ずかしさで俺も新井さんの方を見れないし、思わず顔が熱くなる。耳とか特に。自分の顔を触ってみた。熱ッ!!?


 因みに新井さんとは待ち合わせしたわけではなく、卓球場への道中で遭遇したのだ。


 ここは通路で行き交う生徒も要るので二人きりとはいかないが、なんともいえない空気になりつつも俺たちは付かず離れずの間隔で横並びになって歩────。


 結音『お姉ちゃんとは会った? 実はね、お姉ちゃんには浴衣の下には下着着ないって言い聞かせておいたからね』


 ────!?


 ま、待ってくれ? つ、つまり、いま、新井さんは……!?


「やっほー、いらっしゃーい」


「遅かったじゃねえか、肩慣らし終わっちまったぜ?」


 結音のLINE見た動揺が収まらないままに卓球場に着いてしまった。結音がほかほかの笑顔で出迎える。底意地の悪そうな笑顔だ(偏見)。


 ちなみに八倉くんも居て、彼はピンポン球を跳ねさせ弄んでいた。


 卓球場には他のクラスの生徒も居るようで騒がしい話し声とピンポン球が飛び交う音が響いていた。


 俺は、さっきのLINEはなんだと結音に目配せした。


 すると、この女はウィンクを返してきた。ぱちこーん。うわなんだこの女……!!? 姉に間違った常識教え込んでおいてこの笑顔、人の心がないな……!!


「そうなのね、まあ、たかが知れているけれど」


「おう、言うじゃんか」


 新井さんが袖を肩まで捲り、部屋にひとまとめに置いてあった卓球のラケットを手に取って挑発するように笑い、八倉くんが鼻で笑い返す。


 新井さんはそんなに運動神経よくなかった気がするけど、まあ卓球は例外なのかもしれない。


「そういや才華ってこういうの得意なのか?」


「打ち返すくらいはできるよ、中学の体育でもやったし」


 俺は平然を装って答えた。


 事実、中学の頃に散々多対一やらされた経験がある。だから最低限のラリー程度なら大丈夫だ。まあ相手のコートに落とすくらいは出来るよ。うん。


「で、どうしよっか。二対二でいい?」


「良いんじゃねえか? どっちが打つとかの細かいルールはナシで」


「そうね、良いと思うわ。ところでどう別れるのかしら?」


「男女で別れる?」


 俺がそう言うと、結音は分かってないなぁとバカにするように俺に指さして、左右に振る。


「ちっちっちー、分かってないな才君、身体能力的に男女ペアの方がいいでしょ?」


「ぐ……」


 ちらりと結音は新井さんを見て、そう言った。結音の言動は一見正論に聞こえるが、多分これ新井さんと組むの嫌がったのではないだろうか? それこそ身体能力的に。


 もしくは──、


「私が八倉くんと組むから、お姉ちゃんは才君と組んでね?」


 ──新井さんと俺を組ませるために、だろうか。


 さっきのLINEといい、結音の手の回し方が妙だ。積極的に俺と新井さんを近付けようとして来ている。俺に、新井さんを振らせる為に。


「いいぜ」「いいわよ」


 二人とも快諾。ピンポン球が八倉くんから新井さんへ手渡され、二人一組に別れて卓球台を挟んで向かい合う。


 結音は前髪を邪魔にならないようにヘアピンで留め、袖を肩まで捲って重心を低くし、ラケットを構えた。

 如何にも運動できそうな人って感じの構えだ。


 一方、新井さんはガチガチに肩を張ってラケットをテニスみたいに両手で握っていた。

 明らかに力が入りすぎていて、素人目に見てもどこかぎこちない構え。


 因みに八倉くんはラケット片手に緩く構えていて、結音と新井さんの力の入り具合を見比べて苦笑していた。


 俺も、結音には負けたくないのでちゃんと構えているけど……新井さんの感じが勝負の上でとても不安。


「サーブ、お姉ちゃんからお願い」


「わかったわ」


 ガチガチと音がしそうな程に硬い上に小さすぎる動きで球を小さく上へ投げた。


 そして豪快に振りかぶったラケットを振り下ろ────すっぽ抜けた。天井に飛んでった。ラケットが。がつーん。


「……ねぇ、凜音さん?」


「…………間違えたわ、今のは、スマッシュ。そう、スマッシュよ?」


 天井に激突したラケットが台に降ってきて、床に落ちたピンポン球と一緒に悲しく音を立てる。


 ラケットが勢いよく飛んでくスマッシュ、やだなぁ…………、じゃなくて。


 結音が二度三度頬を掻きながら視線をさ迷わせる。計算高いこの女にしては珍しく混乱しているように見える。


 結音の明らかに思考の間を置いた行動に、双子の姉がサーブを打とうとして天井へラケットを投げ飛ばすのは想定外だったみたい。


 ────というか、この部屋のやや高い天井に投げ当てる辺り、腕力はあるんだよね。運動神経が壊滅的なだけで。


 ともあれ、結音は言葉を絞り出した。


「……お姉ちゃん、二回ミスで得点だよ?」


「いいわよ、ミスしないから」


 球とラケットを拾った新井さんは、いつもの仏頂面を保っていた。平気そ────……いやめっちゃ手と唇が震えていた。あ、球拾い損ねてる。


 新井さん、動揺凄いね全然大丈夫じゃ無さそうだ。でも口出したら怒りそうだよね。


「俺がやるよ」


「……まさか才華くん、私の事を……卓球も出来ないようなダメな女とでも思っているのかしら? 大丈夫よ、出来るわ。出来るわよ? さっきのは偶然かしらね。心配は要らないわよ」


「………………いや、ほら、うん。わかった。分かってる、取り敢えず来た球を打ち返「あんまり私をバカにしないでくれるかしら。そんなの余裕に決まってるじゃない」


 案の定怒られた。見栄張るような早口を聞きながら、俺の頭を過ぎていくのは先程の天空ラケット空振り。


 新井さんの運動神経を考えるともうダメな想像はいくらでも出来る。


「本当に?」


 想像なんていくらでも出来るけど俺は食い下がった。すると新井さんは渋々と言った風に球を渡してきた。


「じゃあ、やるよ……、えいっ!」


 俺が打った球は見事にネットを越えて結音の正面にゆるく飛んでいく。


 ポコポコと打ち合うんだろうな、とめっちゃ打ち返しやすそうな球をイメージしてサーブしました! よし!!


 そう思って、俺は結音を見た。


 あの女がニヤリと嗜虐的な笑いを浮かべたのを見て嫌な予感がした。


 ────あ、コイツ、本気で打つつもりだな!?


「お姉、ちゃんっ!!」


 その考えと同時、結音はラケットを鋭い角度で振り抜く。容赦のない正真正銘のスマッシュが新井さんの方へと叩き込まれた。


 新井さんは跳んできた球にビックリして身を縮こまらせながらもなんとかラケットを振った。


「わっ!!」


 空振りである。


「やったー! 一点!!」


 結音が跳ねて喜ぶ。いや、これは……。


「大人げないな」「大人げないよ」


「えー!? そう!?」


「流石結音だわ、良いスマッシュだったわよ?」


 ツッコミ待ちだったのか、俺と八倉くんが非難すると結音はオーバーに驚いてみせる。


 新井さんは感嘆の言葉を一言述べると球を拾いに行こうとする。


「凜音さん、拾うよ」


「あら、ありがとう才華くん」


 俺は新井さんより早く球を拾い上げて卓球台に戻る。


「結音さん、もう少し続けようか?」


「あっはは♪ わかったよ」


 ホントか……?


 結音が「こうかな」「こう?」なんて呟きながらラケットをぶんぶんと繰り返し振っている。ちゃんと当たれば全部点が取れそうな、綺麗なスイングだ。


 間違いなくこの場にいる四人で一番上手いのはこの女だろうな……。勝てるかって言われたらまあ無理だろうねって答えるね。無理。


「……まあいいか」


 ひとまずどのくらいの実力かはわからないけど八倉くんもいるのだ。そうワンサイドゲームになることはないだろうし、手を止めてないでさっさとサーブ打つか。


「八倉くん、行くよー!」


「おう来い!」


 パコン、と気持ちよく八倉くんの元へと球は飛んでいく。先程よりは威力気持ち高めで打ったけども、八倉くんはちゃんとまっすぐ打ち返してくれた。


「ていっ!!」


 俺は二人の間へと打ち込む。だが、それを読んでいたのか、結音がすでにそこでラケットを構えている。


「ひゃっほー!!! これはチャンス! お姉ちゃんいっくよー!!」


 謎にハイテンションでラケットを振りかぶる結音。


 ラケットでアッパーカット。振り上げられた球は天高く飛んでいく。ワンバウンドした先には、新井さん。


「凜音さん!!」


「……!!!」


 新井さんは緩く飛んできた球だけをまっすぐに見ていた。彼女は。ふと笑みを深くして腰を落としてラケットを振った。


「……えいやっ」←空振る新井さん


「あっ」←俺


「えっ?」←結音


「あー……」←八倉くん


 三者三様間抜け声。


 新井さん以外の三人揃って顔を見合わせると、言葉一つ無く思いが通じたような気がして頷いた。


「……あ、あら? ちゃんとスマッシュ打ったつもりだったのだ、け……れど……」


 ────新井凜音の卓球力が低すぎて試合にならない。


「……お姉ちゃん、取り敢えず別の事しよっか」


「……、仕方、ないわね」


 その一言で、卓球はお開きになった。


 だが、俺は見た。


 新井さんが激しく動いたせいではだけた浴衣の襟元から、白い肌着のようなものが、ね。


 ────あれ、体育着では?




『おい結音よくも騙してくれたな!?!?』


 結音『嘘は言ってないよ? 言い聞かせておいただけだもん』


『男子の心を弄びよって……ド定番だからあり得るかもって思った俺の心を返してほしい』


 結音『少年の心は返せないけどピンポン球は返したよ』


 やかましいわ。


 結音『というか、お姉ちゃん、あれでも打ち返せるレベルだと思ってたんだけど想像より低かった。ごめん』


『卓球教える方向性じゃダメだったのか?』


 今俺たちはホテルの廊下に円形に並べられた椅子に点々と座っていた。


「という訳で!! 実はトランプ持ってきてたんだよー!! 卓球の余興でやるつもりでね!」


 結音が高々とトランプの束を天井へ突き上げる。


「余興? マジックでもやるの?」


「流石にマジックは出来ないかなぁ」


 結音『それじゃ賭けらんないじゃん』


 ────


「でもほら。トランプあればいろんなことができるじゃない? というわけで!! 結音ちゃんの隙のない二段構えに平伏すがいい!!」


「……ごめんなさいね、結音。私が卓球下手だったから」


「いやいやお姉ちゃんが謝ることじゃないよ!? 土下座しなくていいからね!?」


 本当に平伏した新井さんへ結音が慌ててわたわたと手を振り、制する。


『賭け?』


 結音『そ』


「……えー、こほん。大富豪とか……あーでもルール面倒だよね。という訳でババ抜きでいっかな?」


「おー、いいねぇ!」


 八倉くんが拍手。俺も倣って適当に手を叩いた。新井さんは土下座を辞めて、座り直してぱちぱちと瞬きを。


「ババ抜き……結音と?」


「凜音さん、どうしたの?」


 新井さんの反応が気になって俺は聞いた。


「結音、ババ抜きが異様に強いのよ」


「なるほど」


 結音『お』


 結音からのLINE、バグってないか? さっきから一文字しか来ないぞ?


 当の本人は何か言うのを堪えるように笑っていた。なんだよ、言いたいことがあるならちゃんと言えよ。


「まあただのババ抜きじゃ面白くないよねっ!最下位の回数が一番多かった人が、最後に1抜けした人の言うことを一つなんでも聞くって言うのはどうかな!?」


「「「っ!?」」」


 今、って……!!?


「へぇ、何でも?」


「えー、こほん。まあもちろん出来る範囲だよ一郎君? たかが学生の賭け事、されど賭け事!! まあ良識に照らし合わせてね!?」


 八倉くんがニヤニヤとしながら結音を見る。その視線に何を感じたのかはわからないけど、結音は若干引き気味に叫んだ。ちょっと及び腰?


『大丈夫なのか?』


「ま、ならび順はこのままで良いよね?」


「いいわよ、結音の隣じゃないならね」


 新井さんがそう言った。こんなに言うなら、どれだけ結音の実力があるのか気になるところだ。ババ抜きって最終的には運じゃないの……?


 因みにならび順は新井さんから時計回りに俺、結音、八倉くんだ。


「そいじゃ配るよーっ、と」


 結音が配り始めた。あっという間にトランプの山が四つ出来た。それを見て八倉くんが言った。


「次から負けた順に取ってくか?」


「そだね、じゃあ……今回はお姉ちゃんから時計回りの順で取ってって」


「わかったわ」


 新井さんが一つ山を取ったので俺も……うげっ、全然ダブってない。


 他三人がパラパラとカードを捨ててるのを尻目に俺は十枚に及ぶ手札を睨み付けた。


「うわ、才華君ほとんど減ってないじゃん!? あーこれは私が勝ちましたねー」


 手札三枚の結音が煽ってきた。


 うるせえ。この枚数ならほぼ確実に引く度に減るからな!!? 吠え面をかかせてやる……!!


 新井さんは四枚の手札の一枚を凝視している。その顔が若干慌てているように見える。おや?


「じゃあ才華君。お姉ちゃんの手札を引いてね?」


「わ、わかった、じゃあ……」


 俺は新井さんが一点凝視するカードに手を掛けようとした。


 ────新井さんがぱあっと明るい笑みを浮かべた。


 …………。


 一旦手を下げて、別のカードに手を掛ける。すると新井さんは微妙そうな顔をする。


 ………………。


『ねえこれ、とんでもなくポーカーフェイスド下手な人混ざってない?』


 結音『笑』


 ────いや笑い事じゃないんですけど!?

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