第11話


 に、僕は来た。今日もまた茶髪のあの子がベンチに座っている。


『やあ、晴宮さん』


『……ねぇ、そうよぶの、やめて』


『だって、晴宮なんとかって本読んでたし』


 ちょっと嫌そうに彼女は言った。そうは言っても僕は君の名前を知らないもん。だから今日も君の事をそうやって呼ぶしかない。


『本を読んでいたら、それが名前? そんなわけないでしょ、そしたら皆とんちんかんな名前になるわよ、正気?』


『でも……僕、君の名前知らないからそう呼ぶしかないじゃん。嫌だったら教えてよ名前』


『そう呼ぶしかない訳ないでしょ? あと知らない人に名前教えちゃダメって常識知らないの? バカなの? バカなんでしょ? バカ』


 彼女は、目も合わせずにひたすら嫌みっぽく僕に言葉のトゲを刺してくる。その容赦なさにちょっと泣きそうだったけど、それを隠して笑う。


 笑ってれば、良いことあるってお父さんが言っていた。実際笑っていない人の元にはあんまり良いことは起きなかったし、お父さんは正しい。


 笑ってるってことは楽しいってことで、もちろん世の中楽しい方が絶対いい。つまり笑っていた方がいいのだ。


 苛立っている様子のこの子はその事を知らないんだろう。僕はそう思ってにこにこしていた。


 彼女は溜め息を吐く。それも幸せが逃げちゃうってよく聞くよ。大丈夫かな?


『……はぁ、これだから最近の子供は……』


『は、晴宮さんだって最近の子どもだよね!?』


『そうね。でもあなたの方が子供っぽいわよ。あと私の名前は晴宮さんじゃない』


『教えてくれるまで、晴宮さんって呼ぶからね!!』


『……意固地だね、でも残念。絶対に私の名前は教えないから。一生へんてこな名前で呼んでいればいいんじゃない?』


 そうやって彼女は僕に背を向けた。


 僕はずっと気になっていた。毎日こんな遊具が二つしかないような公園に一人で来ているのは何でだろうって。だから、見掛けた後は居る居ないに関わらず毎日通っているのだ。


『明日も来るから!!! 晴宮さんの名前、絶対に聞き出してみせるから!!』


『そういうの本人に言う? まあ、出来るものならやってみなよ?』


 その時、彼女はふと笑った気がする。たぶん、はじめて見た。その笑顔はとても暗いものだったけれど……あれ……急に視界が白んで────。










 ────あれ、ここは……バスの中……?


「……起きたか」


「…………あれ……俺、寝てた?」


「ざっと二時間は寝てたな。まあ周りはだいたい山だ、そんな見てて面白いものじゃなかったぜ?」


「その割には楽しそうじゃん」


 バスで寝てたらしい。それはなんかもったいないな……。隣の席から八倉くんが話し掛けてきた。


「まあな、色々レクリエーションあったからなぁ」


「それは勿体無いことをした」


 わいわいがやがやと、バスの中は騒がしい。1クラスがまるっと入っているのだから当たり前だろうけど、一月足らずで随分と空気が和気藹々なものへとよくもまあ変わったものだ。


 今更、その輪には入れる気があまりしない。下手に動けば中学の頃のように────。


「まだ眠いか?」


「いや、ちょっと前のこと思い出してた」


「……そういや、才華の中学の友達とかでここに進学したやついるのか?」


「記憶の限りじゃ存在しないよ、俺の中学そこそこ遠いから」


「そうなのか? 才華と同じ中学のやつ、一人知ってるんだけどな」


「へ、ぇ……?」


 ────なんて、言った?


「………い、いま……………なんて?」


「おい、そこまで驚くことか? 隣のクラスに才華が行ってた中学と同じ出身校を名乗る女子がいたってだけだぞ」


「じょ、し? ……なら、まあ、平気かな……?」


「……苛めでも受けてたのか?」


「それ、聞かれて答えたいと思う?」


 八倉くんは肩を竦める。俺の反論に納得したのだろうけど、それではほぼ言ってしまっているようなものだ。意地悪な気がして、俺はちゃんと答えた。


「……まあ、そんな感じのを受けてた。出来れば、会いたくないなぁ。なんて名前の人かは覚えてる?」


「えーとだな。ああ、東雲しののめ…………すみだったっけかな」


 ──────しののめ、すみ。


 ………………………………………は。


「────はあ!?!? なんでアイツが!?」


「おっ、知り合いか。まあ同じ中学だったらあり得るよな」


「あ、えっと……隣のクラスに居るって言ったっけ? 出来れば俺の事は言わないで欲しいっていうか、え、マジ?」


「マジマジ。で、なんで言わないで欲しいか聞いても良いか?」


 半ば寝惚けていた頭が一気に覚醒した。


 ──東雲純。その名前はもう聞きたくもない。


「……さっき言った通り、中学の頃、苛めっぽいのを受けてたんだよね」


「ぽい?」


「……明確に暴力とかじゃなくて、物隠されたり、名前を弄られたり、陰口とかもあったみたいだし」


「苛めじゃん。つか陰口、ねぇ」


「あとはまあ、偽告白とか。事あるごとに詰ってきて。酷かったんだよ、その人も」


「……つまりあれか? 苛めの首魁の一人か何かか?」


「女子で苛めの便乗をしてるグループのトップだったはずだよ」


 あぁ、ヤバい。『女の子みたいな名前なんだから女装しろよ』とか、まともに話相手にならない人達とのあの日々を思い出してちょっと涙目になりそうだ。


 八倉くんは窓の外や天井に視線を彷徨わせながら、ほうと息を吐く。


「へー……女子もねぇ」


「でしょ。だからまあ、ほら? 出来るだけ会いたくないなーと思うわけですよ」


「なるほど承知した、安心しろ、遠ざけてやるからよ」


 そう言って笑う八倉くん。


 その時が来たらマジで頼みますぜ八倉くん。


 下手するとこの合宿の間にも遭遇する可能性があるんだよな。俺自身人任せにしてないでちゃんと気を付けないと。


「…………でも偽告白か……俺はされたこと無いからわかんねぇな。ところでどんな子がしてきたんだ?」


 なんでそんなことを聞くんですか???


 つい不機嫌な声音になってしまいつつも俺は返した。


「さっきの。顔を合わせる度に愚痴罵倒罵倒しか言ってこない子だったよ……」


「へー……そうかそうか……あの子がね……」


 八倉くんはしたり顔で呟いた。


 ……何、怖い!!?


『そろそろホテルに到着します。後十分くらいですので、荷物の準備してください』


「だってよ、準備しようぜ?」


「う、うん」


 東雲の話を聞いている間、八倉くんは何か思うところがあるのか、含み笑いを浮かべていた。


 その事にほんの少し嫌な予感を覚えつつも、荷物を抱えた。頭も抱えた。


 ……あいつ、本当に同じ高校に居るの?


 その真偽はどうであれ、今は後で関わるかも分からない別クラスの同じ中学の人よりも、新井さんの事の方に頭を使いたい。


 あの女に頭を使うのは百害あって一理もない事だし──そんな風に考えている内に、バスは止まった。




「────本当に山っぽいね」


 ホテルに到着したようで、わらわらとバスを降りた俺達。木々の緑がよく目立つ……というか、道路以外は森林だ。


「まあ、山の中の温泉地だしな。温泉街もちょっと離れてるしまさに勉強合宿、カンヅメだな」


「そうかー……」


 先生方が大声で何処に並べだとか何処に向かうだとかを案内している。それに従いながら俺達は移動する。


「昼食のあとテストらしいね」


「ああ、勉強会の成果、見せてやろうじゃねえか」


 八倉くんとそう言い笑いあう。ちなみにあの日は俺も八倉くんもだいたいゲームしてたけどね。俺なんか全く別のことを考えてたまであるし。


 うん。


 結音『夕食後の自由時間開始するときに一回、広間に来てくれるかな?』


 も来た。俺は一瞬だけその文面を、その先にいる結音を睨み付けた。


「おい才華何してんだ、行くぞー」


「あ、待ってー!」

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