第8話

 ────朝だ。


 俺は自室から運び込んだ布団に包まれて寝ていたのに、突然日光を顔面にぶち当てられて目覚めた。


「朝だぞー♪」


 カーテンを開けた下手人である結音は、にへへーと笑いながら布団をひっぺがしにくる。


 俺は掛け布団にしがみつき、徹底抗戦の構えを取った。


 ────嫌だ! 俺はまだ寝るんだ!! 六時じゃん!! 土曜だぞ!!?


「まだ……」


「だーめー」


 なんでか矢鱈テンションの高い結音の手によって遂に掛け布団が強奪されてしまった。


 ちくしょう。既に外でも走ってきたのか何度か見たスポーツウェア姿の結音。短めの茶髪を後頭部に一纏めにしている。


 …………寝起きでこの女を見るのはなんか心臓に悪い。ドキッとする。結音に朝っぱらから動揺させられるのは癪だ。


 そのせいで寝覚めからちょっと気分がひどい。上がってるのか下がってるのか定かではない。


 昨夜は、お泊まりという事で何か起こるのではないかと正直期待していたのだが結音は速攻で寝てしまった。


『私の部屋勝手に入るとブザー鳴るようになってるから入ってこないでね』


 なんじゃそりゃ、と思ったけど実際に何かの機械を取り付けられているのが見えた。


 俺は慎重派なのである。夜間突入は諦めた。リビングにあるのは新井さんの物と思しきノートパソコン。昨日それで撮影していた写真を眺めていたのを見ていたのでわかる。


 無造作にテーブルに放置されていたが、さすがに覗くのはちょっと気が引けた。


「──あだっ」


「起きてー」


 そんなことを考えていると結音に軽く頭を踏まれた。げしげし。


 俺には女子に踏まれて喜ぶような趣味は持ち合わせていない。不快でもないが、そう思うことが気持ち悪いので仕方なしに体を起こす。


「……たく、まだ六時じゃん」


「いいからいいから、朝ごはん出来てるよ」


「凜音さんは?」


「お姉ちゃんはどう起こしても絶対に七時まで寝てるから」


「じゃあ俺も」


「ダメだよせっかく味噌汁暖めたのにー」


 結音は不満顔でそう言いながらエプロン片手にキッチンへと歩いていく。俺は寝るのを諦めて布団を畳む。


「まだ布団こっちの部屋に置いておいていいよ」


「あいよ」


 取り敢えず布団を端に寄せて、布団を敷く関係で退かされていた物たちを元に戻す。テーブルとか、その上にあるノートパソコンや、USBメモリとかだ。


「よし、出来た!」


 キッチンで感嘆の声が上がる。結音は何を作っているのかと遠目に覗けば、玉子焼きだった。


 結音の背後に回って近くで見る。焦げてもなく、生っぽくもない。


「おお」


「っわぁ!? びっくりした」


 俺の接近で驚いたのか、結音の体が跳ねる。それから一息おいて結音は玉子焼きを皿に盛り、見せつけてきた。


「どう? 上手く出来てるでしょ」


「食べないとわかんないだろ」


「……そういうこと言うんだ? へー」


 じとーっと見上げてくる結音。妙に楽しそうに見える。


「なんか楽しそうだけど、なにか良いことあったの?」


「…………、別に? 楽しそうだったって。えー、何かあったかなぁ……」


 首を傾げる結音。


 結音に分かんないなら俺に分かるわけもないのだけど、一応心当たりはある。


「なんだ、もしかして今日の勉強会に好きな男子でも来るの?」


 もし居るとしたら、の無効化のために利用させてもらおう────、なんて下心を持った質問を結音はばっさりと切り捨てる。


「それはあり得ないよ。好きな男子とか居ないもん」


「……居ないのか、まあそりゃそうだよな一ヶ月も経ってないし」


「まさか……私の恋愛事情を利用してあの写真処分させようとか、思ってるならそれは絶対にしないから安心してよ」


 ぐ……。


「じゃあ単純に勉強会が楽しみだとか?」


「それはあるかも……てかそう言われても私、いつも通りだよ? そんなに楽しそうに見える?」


 結音が心底不思議がっているが、所詮俺の主観だ。そもそも俺に結音の気分が正しく分かるなんて自惚れてもいない。


 結音に言われたせいか、楽しそうでもないような気がしてきてしまった。結果として俺も首を傾げてしまう。


「さあ?」


「なにそれ、才君使えないなー」


「じゃあ使えない俺を使っててもしょうがないと思うのでそのまま写真ごと捨ててくれ」


「嫌だよ、見られちゃったからね」


「嫌かぁ、見ちゃったもんなぁ」


 昨日の残りの味噌汁をお椀によそって、テーブルへと運ぶ。玉子焼きと米を盛った茶碗も一緒にだ。


 それから結音と俺はテーブルに向かい合うように座る。合掌。


「いただきます」


「召し上がれ。才君、どう?」


「なにが」


「味」


「うまい」


「そっか。……やっぱりお姉ちゃんのレシピ通りにやったらおいしいよねっ!」


 結音はすこし俯いて呟くので、なんかちょっとムカついた。


「凜音さんのレシピ? ……にしてはなんかちょっといつものよりも味が濃いけど」


 新井さんがいつも俺の弁当箱にいれようとする玉子焼きよりも、若干しょっぱい。


 あの卵焼きは何度も新井さんからもらって食べたので、味はよーくおぼえている。もっと薄かった。


「……へぇ、お姉ちゃんのレシピにケチ付けるんだあ」


「言い掛かりだろ、味濃いのは単純に結音のせいだろ。わざとかミスかは知らんけどさ、別に不味いって言ってる訳じゃない。なんなら普通に好きだしな、このくらいの濃さが」


 結音がなんか不穏な雰囲気を醸し出すので俺は矢継ぎ早にそう言った。


 八割くらい新井さんのレシピだって聞いたところで新井さんを庇うつもりの反論しているが、それはそれ。


 ────先日のコンビニで見たような結音の不安定な一面がまた顔を覗いているのが、気に食わない。


 一対一で会話している好機に、また会話拒否されたら復讐に関して探れなくなるしね。


 だけど結音が次の瞬間突拍子もないことを言いだした。


「────でさ、才君はお姉ちゃんが好きなの?」


「…………………………え? いや、え? 突然、どうしてそんなことを聞くのさ?」


 俺の思考をぶった切るような、とてつもなく真面目な顔をした結音の質問に挙動不審に聞き返す。


 新井凜音が好きかどうかなんて言うまでもない。


 好きだ。


 どこが好きかといえばまず容姿、黒髪のロングストレートがそもそもツボだし、普段の冷めた表情も稀に見せる笑顔も好きだ。部活動覗いても、真剣に写真を撮ろうとしている時の鋭い眼差しはなんかもう、痺れるし?


 でも誰彼構わず毒舌で威嚇するのはあまり好きじゃないが、最近寧ろそこがいいんじゃないかって……いやそういう趣味はないけどね。


 だが、それを表に出した記憶はない。無意識でやらかしてたか、どこでバレたんだ?


「な、なにをそんなに動揺してるのさ、ただ聞いただけじゃん。あれ、図星だったの、かな?」


 ……結音も何故か動揺している。よく分からないけど誤魔化すチャンスだ。とにかく強く否定してその疑いを剥がすのだ。


「そん、なわけないだろ? うん。それは、ないよ? ないない。ないからね?」


「よかったー、才君には、もしお姉ちゃんを好きになられてたら困っちゃってたよ私」



 ────……………………は?



「才君も見たでしょ? ノート、あの最終段階なんだけど才君には絶対にやって欲しかったからね。場所は勉強合宿の最終日、最後の自由時間。お姉ちゃんを焚き付けて告白させて、それを才君には口汚く断ってもらうの。そうすればほら、お姉ちゃんは絶対傷付いてくれるでしょ? だからよかったよ、才君にその気がなくてよかった。私の復讐はそれで終わり」


 結音が、俺の方を見てそう言った。けれど、彼女は俺を見ていない。虚空を、眺めていた。よかったよかったと、うつろに言葉を繰り返す。


「おまえ……?」


「ごめんね才君、嫌な役目でしょ? でもほら復讐が終わったら才君の写真は捨てるからさ。それっきりはしないからさ?」


 握った弱味を捨てる。結音はそう言った。


 願ったり叶ったりだ。もう脅迫されることがなくなる。それは、とてもそうだ。


 恋を棄てれば、自由になれる。


 復讐の内容は、まあ、そんなところだろうと思ったよ。なんとなく、そんな気がしていた。


 結音のの大部分はそこに通じていたのだ。


 じゃなきゃ、俺を孤立させた後に新井さんが自分から近付いてくるなんて都合の良すぎる状況おかしいからな。


 きっと結音が裏から糸を引いていたのだ。


 ……こらそこ、どうせぼっちだったろとか言わない、こちとらメンタルはオトーフなのよ!?


「……才君?」


「うん、。それはかな?」


「そうだよ」


「そうか」


 俺は味噌汁を啜る。


 …………味噌汁はやっぱり辛かった。



 ◇◆◇


 その後、七時過ぎに新井さんが寝惚けながら姿を表し、諸々の身支度の後に九時前に高校に到着した。


「おっはろー!」


「おっはろーっ」


「じゃあ行くか! 新井さんち!」


「よっしゃついてきなさーい!」


 当然のように全員私服だ。


 制服姿しか見ないから物珍しい────だが後日、俺は今日の勉強会の内容を全く思い出せなくなっていた。


 この日恥を忍んで結音へ聞きまくったり何事もなかったかのように平静を装いながらめっちゃ勉強したのに!!!!


「あ、お昼だね焼きそば作るよー」


「結音ちゃん、手伝うよ」


「ありがと美緒ちゃんー!」


 しれっと無言でキッチンに向かう新井さん。


「おっ、これカエルカートじゃん、才華やろうぜ!」


「………………ぁ、俺か。いいよ、やろうか?」


「よっしゃ」


 ……嘘です昼過ぎからゲームしてました。レースゲーム楽しかったです。はい。


 俺の持ち込んだゲームなのになんか集中できなくて惨敗したけど。


「あー、焼きそばうめー。天才じゃん結音ちゃん」


「さすが結音、さすゆい」


「どや、ふふん私にかかればこんなもんよ!!」


 楽しそうな会話には混ざらずに、焼きそばを食べる。


 味は、不味くなかったと思うけども、そもそも復讐について考えていたせいか、靄がかかったかのようにぼんやりとしか味がわからなかった。


 …………新井さんを振れ、かぁ。


 今までの結音のは甘かったと思っていたけれど、これでようやく俺も覚悟が決まった。


「犠牲を払ってでも、勝ってやる」


「あ!? ボム兵で特攻は卑怯だろ!? 俺しか巻き込めてないじゃんか!?」


「ははっ、八倉くんに勝たせてたまるか!」


 ────勝たせてたまるか。


 どうするかは考えてないけど、俺はこの日、そう心に決めた。

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