第7話


「じゃあ、私がつくるわね」


 最初に動いたのは、新井さんだった。しかし彼女が立ち上がろうとするのを結音は手を出して身ぶりで制止する。


「ねえお姉ちゃん、たまには私が作ってもいいかな?」


「え、でも結音」


「いいのいいの、たまにはお姉ちゃん休んでてよ? ね?」


「結音、大丈夫なの?」


「大丈夫だいじょーぶ、これでもちゃーんと練習だけはしてるからね」


 たまには、ということは普段新井さんがご飯を作っているのだろう。やけに新井さんが食い下がるのが気になる。


 頻繁に新井さんが弁当の具を『結音が作ってきたのよ』って自慢してるから結音の料理の腕に関しては全く心配してはいない。


 ……けれど、どうにも気にかかる。


「お姉ちゃん塩ってこれ?」


「それは砂糖よ」


 心配はしてない……けど。


「コンソメってこれ?」


「それはチーズよ」


 いや心配だわ。


「味噌は」「それ。大丈夫よ」


 さすがに材料くらいは俺にも分かる。客人気分で待ち続けるには、あまりにも結音の様子はハラハラさせるものだった。


「待ってるだけじゃ申し訳ないから何かやってほしいことがあったら言って?」


「才華くんは今日はお客さんだからいいわ……結音が心配?」


「お姉ちゃん……っ!」


 余計なことを言うなとばかりに結音は新井さんに詰め寄った。新井さんは目を伏せて謝る。


「ごめんなさい、結音。……皆でやった方が早いのだし、私は手伝ってくるけれど、今日はお客さんと言うことで。才華くんは待っていてくれるかしら」


「私一人でできるからいいのに」


「はいはい、よそ見しないの。結音、ざっくり手を切ってしまいそうで怖いのよ」


「…………。」


 最終的にお姉さん付きっきりで料理が始まった。


 結音が食材を用意している傍らで新井さんが具材を鮮やかな手際で切っていく。


 包丁捌きを見る限り、結音よりも確実に料理に慣れているのはわかる。結音はスマホでレシピを見ながらおっかなびっくりといったような動きだった。


 見るからに不馴れだった。新井さんがいる方が、数段安心できそうだけど。


「……むぅ」


 結音は不満そうだ。


 そうしているうちに新井さんが具材を切り終える。ふうと一息吐くうちに、意を決して結音が言った。


「お姉ちゃん休んでていいよ? もう焼いたり煮るだけだし」


「……火の扱いとか大丈夫?」


「もう子供じゃないんだしへーきへーき。だいじょーぶだって」


「ほんとうに? 消火器はそこよ? 燃えたら真っ先に離れるのよ?」


「分かってるって、というかお姉ちゃん心配しすぎ。燃やさないから!!」


 新井さんが滅茶苦茶物凄く心配そうにしながらキッチンから離れる。ただ離れたと言っても一息でキッチンに突入できる位置だ。


 結音は見守ろうとする過保護な新井さんの様子が不満なのだろう、チラチラと見返していた。


 しかしさすがに諦めた様子で、鍋へ諸々の具材を投入した。今更気付いたけど味噌汁を作っていたらしい。


「結音、いい調子よ」


「うるさい、ありがとう」



 ────調理中暇なので俺はひとまず自室から箸と茶碗を取りに行った。


 どうも来客を想定していなかったらしく、器の予備が無かったらしいのだ。


 改造された薄暗い自分の部屋を眺める。


 ただ淡いピンク色のカーペットを敷いただけなのに、なんか自分の部屋じゃないみたいに見えた。


 しかしまあ、なんでこんなことをしたのだろうか。


 そんなことを考えながら部屋の電気をつける。そうして────スマホに通知が来ていることに気がついた。


 大体結音が最後にしてきたLINEとほぼ同時に来ていたようだ。通知が誤魔化されていて、それで今まで気づかなかったらしい。


「あれ、何……これ?」


 のLINEだ。当然、名前とアイコンの表示はされている。カエルグッズの写真アイコン。


 そんな奇妙なアイコンを設定する人間なんて俺はそう何人も知らない。


 ……というか、俺はそのユーザーネームを見て目を疑うことになった。


 ユイちゃん『わたしがねらわれている』


 ────どうやらユイちゃんからLINEが来たらしい。


 はー、そうでございますか。名前も内容もとても胡散臭いものだ。ただなんとなくスクリーンショットはしておいた。




 ◆◇◆


「あら、才華くんお帰りなさい」


「……ただいま? いや、ちょっと……何があったの?」


 ────ご飯が出来たらしく、新井家に戻れば良い匂いがする。新井さんはただいつも通りに俺を出迎えた。


 一方で結音は今、新井さんの方を見て正座していた。なんで?


「み、味噌汁には唐辛子だよねって……思ったんだよ……」


「中身全部ぶちまけるとは思っていなかったわよ、結音」


 なるほど、それで説教か。


 新井さんがしかめ面をしながら作業する鍋の中を覗けば……うわあ真っ赤な香辛料が蓋をするみたいに浮いてる。


 匂いだけで辛い。


「まあ、ちゃんと閉まってなかった蓋が悪いわね。結音ちゃんは悪くないわ。正座はやめてくれるかしら、責めてないわ」


「うぅ……」


 結音は自主的に正座していたらしい。まあ、作ったご飯が唐辛子でおじゃんになれば俺でも似たような反応をする。人に作ったものなら尚のこと。


 ……それはそれとして、別に俺が作ったのでもないから結音を特別責める気はないけれど。


「……結音、料理出来なかったんだ。意外」


「ううぅぅぅぅぅぅ!!! 出来ないんじゃなくてしないんですぅぅ!! というか唐辛子の中蓋開くとは思わないじゃん!!」


 悔しそうに歯噛みする結音。


 ……いやほら、せっかく反撃するチャンスなんだし、一撃くらいはね?


 にしても一人でやることに固執しなきゃこんな失敗はしなかったと思うんだけど、なんで固執してたんだろ。


 …………ことあるごとに新井さんが弁当自慢してたことと、関係あるか?


 そう言えばやたらと新井さんは『私の妹の料理! 最高よね!?』とか『妹を嫁にしたい』とか『結音こそ最高の良妻』とか言ってたし。


 言ってなかったっけ? つかそこまで新井さんはテンション高くない?


 それはそうかもしれないが、まあ似たようなことは頻繁に言っていたし、そんな感じで。


「いやほらそれ、アクシデントだし、ちゃんと中蓋が閉まってると思ったのに……」


 結音はそうやって空になった七味唐辛子の瓶を怨めしそうに睨んでいた。


 本当に悔しそうだ………まさかこれが全部演技ということはないだろう。


 俺は、そんな結音よりもLINEの意図するところが気になって仕方なかった。


 ユイちゃんを名乗って、わざわざ結音が別のアカウントを自分が狙われている旨を俺に言うか?


 そもそも俺はLINEのグループにのだ。友達になる手段は多分、直接俺の端末を操作するしかない。はずだ。


 もちろんそんな記憶はない。だからどうやってチャットを送ってきたのかが、わからない。


 なんだろ……ハッキングとか? もしかして俺は変なウィルスとかスマホに入れられてたりするのかな……?


 それはかなり、怖いな。手遅れかもしれないけどウィルス対策アプリケーション入れとこう。


「終わったから、お風呂入ってくるわね」


「はーい」


 ウィルスは怖いけど、そもそもだとしてもわざわざを名乗る意味はなんだ?


 ユイちゃんという名前の作為の有無やというメッセージの意味はなんだ?


 ────深読みしなければ結音が危ないというところだろう。


 結音を俺に助けてほしいというメッセージに思えた。


 それの意味がわからない。所詮お隣さんだ。踏み込んでも奴隷とその主みたいな関係だ。


 俺に何が出来る?


 だいたい、結音の危険?


 彼女の立ち回りはとても好調だ。クラス内に敵なんて作っていないし、先生にも気に入られているのは十分に知っている。


 これでも俺はを無効にするために結音の弱点を探っていたのだ。そんなことくらい痛いほどよくわかってる。


「結音」


「ふぇ?」


「なんか最近誰かに嫌われたとかあったか?」


「……なんで突然そんな事を聞いてくるの?」


「……いや」


 きょとんとした様子で聞き返してきた。


 そんな簡単に答えてくれるわけないか。結音を嫌っていそうな奴なんて……俺以外にいると仮定したら……。


 ……俺と同じように結音に脅迫されている人か?


 それ自体はあり得ない話じゃない。俺が脅迫されているその事実が何よりの証明だ。


 あとはこの間のソフトボール部長みたいな逆怨み。ぶっちゃけてしまえば、上の学年とかなら普通にあり得る。


 まだ一月経過してないんだから。そういうの、なかったら寧ろ怖い。コミュ力の化け物かよ。結音は現在でも十分にコミュ力おばけだけど。


 ただ、それで結音が危険と言われるような状況に陥るかどうかで言えばNOだろう。病的なまでに書き込まれたノートを、俺はまだ覚えている。


 あれほどに人を観察している人間がそう簡単に他人の地雷を踏み抜くものか。


「結音ー、入ってきて良いわよ」


「うんわかったよー、おね、え……ちゃん……っ!?」


 結音が驚いたような声を上げ、俺はなんだと思って考え事を中断、顔を上げた。


 ────バスタオル一枚だけ巻いた風呂上がりの新井さんがいた。


 湯上がりで濡れた黒髪、火照った頬、綺麗な白い首筋を肌を伝う水滴が、その下の深い谷間に────


「────っ、才君は見るな!!」


「目がっっっっっ!!!」


 結音が容赦なく俺の顔面(主に目)に両手を押し付けて視界を潰す。そして結音の全体重をかけて背後から押し倒される。


 ────むにゅうううううううう。


 い、いま胸が!!! 胸がめっちゃ当たってますっていうか潰れてますが!!? え!? はあ!? どうなってるの!? 姉妹揃って巨乳だったの!? 騙したな!!!


「……あっ」


「あっ、じゃないっ!! お姉ちゃんの裸族!! 才君になんてもの見せてるの!! 早く服!! 服っ!!」


「え、えと、ほら、いつもの癖で?」


「言い訳はいいから早く着替えてきてよ!! 才君は私が責任もって抑えておくから!!」


「ど、どうかしら?」


「バスタオル一枚でポージングしないでっ!! 服を着てぇ!!」


 うん…………?


 今、何が起きてるの!?


 見たい。いやでも待て今、結音が覆い被さるようになっているはずだ!


 これ、命令を無効にするための切り札にならないか!? なるでしょ!!


 ────この状況で十分に混乱していた俺はあろうことかスマホを取ろうとした。


「なにスマホ取ろうとしてるのよっ!? お姉ちゃん早く部屋行ってよぉっ!!」


「……そうね。ええ」


 当然結音にスマホを蹴り飛ばされた。


 それから新井さんの足音が遠ざかり扉の開閉音がすると共に、結音の目隠し兼圧し掛かりは解除された。


「……才君のえっち。半裸のお姉ちゃんを撮ろうとするとか」


 理不尽ではなかろうか。……って、あ。


「いやいやいやいや違う違う違うよ? 違うから、新井さん撮ろうとしたんじゃないからね!? 俺は────」


 結音を撮ろうとしたんだ。そう言おうとし────いやそれもアウトでは? どうにかして誤魔化さなきゃ。


 そうやって思考をフル回転させた結果の思い付きを口にする。


「警察呼ぼうとしたんだよねー」


「捕まるのは才君だよ」


「混乱してて」


「そっかー、ってなると思う?」


「なってもらわないと困るなぁ」


「それ言える立場じゃ無いでしょ才君」


「…………すいませんでしたぁ!!」


 レッツ土下座!!!


 スマホを出すことに正当性など微塵もなかった。


 あとほら、あの、結音は気付いてなかったっぽいというか気にしてなさそうだけど、胸が当たってたというか凶悪なぐらいに押し当てられてたのでほら?


 …………感謝の、土下座? いや結音には感謝していないぞ?


 絶対結音に感謝なんてしてないからな、うん。


「戻ったわ。あら、結音はまだ風呂入らないの?」


 新井さんは上下の淡いピンク色のパジャマを着て戻ってきた。結音は俺を睨みつけながら自分の体を俺から隠すように抱いた。


「才君から身の危険を感じるので才君も向こうで入ってきなよ」


「そうさせてもらうよ……こういう事故は心臓に悪いし」


「事故?」


 新井さんは首を傾げた。あなたが起こしたことでしょうが。


 正直度々忘れるが俺は結音に生殺与奪が握られているので、結音の機嫌を損ねたら死にます。おっぱいとかで興奮してる場合ではなかった。


 ……さえなければ。何度目の事か肩を落としながらまた自分の部屋に戻る俺。


「結音、鮭焼くわね」


「わーありがとー」


 ────さすがにこの後はなんのアクシデントも起こらない。普通に風呂に入って、ご飯を食べた。


 味噌汁はかなり辛かったけど、美味しかった……とは思う。


 結音を誉めるのなんか癪だけどな。

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