第9話


「────……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!!」


 疲れた。


 とても疲れた。


 私は、とてつもなく疲れてる。


 復讐だ。お姉ちゃんに復讐するために私が自分で立てた計画を確実に遂行する為に今の今まで動いてきた。


 誰にも気取られてはいけないのだ。それは入学式から一秒たりと気を抜けない生活だった。


 まず勉強を重ねて。調べる伝手はいくらでもある。更にお姉ちゃんの手を借りられたのだ、こんなこと造作もない。


 次にクラスメイトになる可能性のある学生の過去を調べあげた。当然教師も。


 後ろめたいことをしているやつを割り出して、そういう手駒になりそうな人達を自分の周りにキープ出来るように備えたのだ。運よく才君を傀儡に出来たので、結局なにもしていないけれど弱味の三つや四つ、握っている。


 そして入学後、出会い頭に才君の興味を惹いてコントロールしやすいようにした。


 その上でそういう狡い面を計算と悟られないように、ひたすら隠してへらへら、へらへらと人から好印象を受けるように立ち回った。


 弱味を握られていることすら気付かない彼等はとても滑稽だった。つい、演じる間に度々笑いが込み上げるほどに。いやもしかすると何度か笑ってしまったかも。


 だが確実に私は復讐したかった。そんな下らないことで御破算になんて出来ない。


 綿密な計画を立てたつもりだったけれど、すべて計画通りにとはいかない。この間の部活見学なんてその最たる例だ。綻びなんていくらでもある。


 私の手の及ばない所にでもたくさん。なんとか抑えられるものは全部抑えた。そのつもりだ。


 私は自分の部屋を改めて見回す。勉強机とベッドだけの、狭くて窮屈な部屋だ。いつも通り。


 先週末は、騒がしかったなぁ。才君が来て、一晩泊まっていったあの日。これ、悪くないなって────。


…………それは、私が欲しいものじゃ、ない」


 その考えはいけない。進めるほどに息が詰まりそうになる。間違えてはいけない。私はお姉ちゃんへ復讐しないといけない。


 でもその道がまだ残っている。それが息苦しくて、とても苦しくて、私は大きく息を吸って吐き出す。


 ……計画にはいくつも誤算はあった。


 最悪の誤算は────ノートを見られたことだ。


 実のところ才君を使ようになったので好都合だったけど。


 あれ、これは本当に最悪?


 才君が絶対服従? それは嬉しい誤算ではないのか。何せ、彼は復讐の最大の鍵なのだ。彼への絶対命令権はこの上ない大きいカードだ。


 、って────……ああ命令に絶対従う人間なんて、面白味がないからかな。だいたい、この誤算さえなければ……私は。


「村上才華を……オトしていた、かも?」


 そんな感じの計画になったはずだ。


「ぼふんっ……ふへ……」


 私は自分の部屋のベッドに頭からダイブをする。ふかふかなベッドは、私の腹の底にある澱んだ感情を一時忘れさせた。


 私はLINEを見る。


 クラスのグループに所属している表向きのアカウントとは違う、友達がたっただけ入っている裏のアカウントを。


 その履歴を遡る。


『今すぐ科学室へ行ってきて』


 才華『なんの意味があるんだ?』


 私は彼との会話をスクロールしていく。


『次の休み時間は外の自販機の前に行ったらいいことがあるかもよ?』


 才華『何か飲みたいものでもあるのか?』


『いいの? いいや。お金はあげるからコーヒー牛乳飲んでていいよ』


 指でぴしぴしと弾く。


『帰宅部が向いてるんじゃないかな』


『もう一度言わないとわからないのかな?』


 才華『ふざけろ』


『お姉ちゃんと一緒に帰ってきてくれる? 写真に集中しすぎるとなかなか帰ってこないから』


 才華『わかった』


「あはっ」


 時を経る毎に段々ぞんざいなっていく言動。疲れていると笑いの沸点はどうしても低くなる。つい、声をあげて笑ってしまった。


 やっぱり嫌われているんだ。誰もが好いてくれるように振る舞った私を。

 自分を偽って、好かれようとしている私を。

 周りを逆らえない人達で固めた狡い私を。


「ふはっ、ははは」


 私にこんなぞんざいに対応をしてくる人なんて才君以外に居ない。


 みんな私に好意を向けてくれている。


 困っている人がいたら率先して助けて、頼み事を頼まれても笑顔で対応して、言動には嫌みのないように細心の注意を払っている。


 努力。そう、努力だ。

 努力が実っているのだ。


 私は楽しい。とても、楽しいのだ。そうやって立ち回って、クラスでの立ち位置も実権を握ろうと思えば握れる、中心に立っている。楽しくないわけがない。


 そうだ、充実した高校生活が約束されている。楽しくないわけがないのだ。


「ははははははっ」


 ユイちゃんには嫌われてもらう。


 そうだ。五年前のあの日々を才君には否定してもらわないといけない。


 幸い、あの人はお姉ちゃんを好きじゃないと言った。だったら私も遠慮なく出来るというもの。


「……本当に? 才君は、お姉ちゃんを好きじゃないの?」


 疑いを口にした。まあ、お姉ちゃんを好きになる物好きなんて、そうはいない……はずだ。


 好きじゃない。その言葉は信じていいと思う。うん。信じよう。


 しんじた。


 本来、私は姉を否定させるために全力を尽くさなくてはいけなかったけれど、彼が私の咄嗟の罠に引っ掛かったので命令一つでそれが出来る。


 彼がお姉ちゃんを好きじゃない。それは逆らう可能性がほぼゼロになってくれる。とても嬉しいことだ。


 才君の弱みであるあの写真は机の奥底、鍵を掛けて厳重に収納している。もちろん誰の手にも渡さない。お姉ちゃんにも渡すものか。


 命令は止めるけど別に写真を返すとは言ってないし。


「あはっ、ははははっ」


 遂にお姉ちゃんのも砕くことが出来る。あの日から、私はそれを願っていたはずだったその思いを果たせる。


 お姉ちゃんは才君のことが好きで、私は才君の行動を握っているんだから。そのまま、思いを告げてくれれば私の復讐は達成できる。


 告白に、合宿なんて絶好の機会だ。


「あははははははっ」


 愉快だ。私の考えた通りに綻びなく事態が転がっている。なんの失態もない。高校生が使っているSNSで見える範囲には私の悪口なんて一つ転がってもいない。


 鍵垢? 裏サイト? ちゃんと見てきた上で何もない。快調な学生生活だ。


「あははは……はは…………」


 でもなんでだろう。


 とても気持ち悪かった。いきぐるしい。


 そうだ。こういうときはノートを書こう。


 今日は……そうだ。才華君が数学で先生に指されて間違った回答をしていた。

 あとは、そう。才華君が現代文でノートに落書きをしていた。

 才華君はまたお姉ちゃんと食事を摂っていた。私は一度も────……違う。こんなことを書くためのノートじゃない。


 消しゴムを叩き付けるように文字を消して、ビリビリと音を立ててページが割ける。しかたない、消せなかったけどこのページは捨てればいい。


 次のページに書き込む。


 ──今日は通学中に蛙を見かけた、これのどこが可愛いんだろうか?


 これでいい。このノートは話題を作るためのノートだから。


 だというのに書くことが思いつかない。今日も、ノートはあんまり埋まらない。それでも無理矢理に日記めいたメモをノートに書きなぐりながら私は笑った。


 明日は、勉強合宿だから。


 ついに明日だ。行き先は温泉街のホテルで、自由行動もある。


 遂に、お姉ちゃんへと復讐計画を遂に実行に移すのだ。


「…………は……」


 お姉ちゃんが私の復讐を受けたらどんな顔をするのかな。想像するだけで笑えてくる。爆笑だ。


 笑える。


 ────笑えているよね、新井結音?


 勉強合宿で、遂に終わるのだろう。私の復讐思いが。


 ────そしたら、私はこの気持ち悪さから解放されるだろうか。


「ねえ、終わったら私、どうなってるのかな?」


 部屋の窓から気紛れに月を見上げて問い掛けても、月は喋らない。月は高いところで勝手に光るだけで、答えてはくれないのだ。


 あのときのお姉ちゃんみたいに。

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