第3話
────入学式から一週間が経過した。
言ってしまえばたった一行である。勿論俺はそんな一行で表されるだけの生活しか送っていないわけではないつもりで生きてるけど、特筆するべき出来事は全部命令のせいで起こらなかった。
命令のせいだ。多分。そういうことにしていないとやってられない。だってイベント自体はいっぱいあったのだから。
たとえ脅迫されてようが俺は華の新入生だ。なんのかんのと重要なイベントがいくつも発生する。健康診断とか、体力測定とかそういうの。
結音からは命令のLINEがしょっちゅう飛んで来るせいで休み時間は潰れ、新井さんは相変わらず学級委員として人前に出れば毒舌が止まらないのでフォローに回らないといけない。八倉は今日もイケメンだ。
まあ俺はイケメンじゃないので孤立しかけてるんですけど。
「ねえ結音ー、数学の宿題写させてーっ!!」
五限が数学だからだろう。昼休みともなれば……って言うか今さら聞くんだ。それは遅くないか?
端から見ている俺はそれをあんまりよくは思わなかったけれど、結音は人に好かれそうな笑顔で対応していた。
「写すのはダメだけど教えてあげよう、分からないのはどこなんだい!?」
「全部ーっ!」
「ええっ!?」
まだ一週間しか経過してないが、結音が勉強できることは周知の事実。そりゃ学年代表だもん。
それで更に運動能力は女子中でも殆どトップ。さらに愛想……外面も良いのだ。
非の打ちようのない、いわゆるトップカーストの女子とでも言おうか。まあとにかく、結音の周りにはここ一週間ずっと人だかりが出来ていた。
「……………………」
対して姉の新井凜音はと言えば、騒々しいはずの妹の真後ろの自分の席で読書している。
話し掛けても仏頂面。口を開けば毒舌。いつの間にか雪の女王なんて渾名がつくほどだ。
まあそんなあだ名、現実に聞くとは思わなかったし、ちょっと二つ名っぽくてかっこいい気がしてる。
そんな新井さんの身体能力は、体力測定を見る限りはほぼ底辺。勉強は、授業開始のテストラッシュの結果も出てちょっとだけ盗み見てしまったのだが、中の下。
今の段階で中の下だ。悪いわけではないし、なんなら俺は下の上ぐらいが関の山なので十分に凄い。
ただ、結音に比べれば劣っているように見えるのは確かな話である。そう言う面で陰口を叩かれているのを目にしたことはある。
……それは結構、不愉快だ。
「────なあ才華、部活どうする?」
「えっ……あー、今日からだっけ部活動見学期間。八倉くんは……なんか運動部行きそうだよね」
「ムリムリ、俺、ああいう体育会系のノリみたいなの苦手でさ。かといって文化部とか、あんまわかんねぇしな」
「そうなんだ、意外。八倉くんなんかどこでもいけそうだと思ってたけど」
「なんだそりゃ。確かに俺は大体の相手には合わせられるけど、疲れるんだよ。そう言うのは」
はぁ、とため息。八倉くんなりに苦労してるんだろう。俺はふと、結音の方を見た。
────人に合わせるのは苦労する、か。
こっち行けー、あっち行けー、とやたらと休み時間に意味のわからない移動の命令ばかりしてきたお陰で俺は立派なボッチである。
正直結音の心配なんてする気はない。勝手に苦労してれば良いと思う。そんな事よりほぼ唯一の男友達の八倉くんだ。
「んで、才華。どこの部活見に行くのか、答えてもらってないぞ」
「あーー……それなんだけど、文化部を適当に回ってみようかなって。いっぱいあるし」
「おしわかった。俺がついていってやろう」
「おおー、ありがとう! 八倉くん居たら結構気が楽だからさ、マジで助かる」
「頼みたかったのは俺の方だぜ? 大体あいつら運動部とか行こうとしててなぁ……」
八倉くんが教室前方の窓際で固まる男女半々くらいの和気藹々としたグループを見た。あそこが、八倉くん本来の場所だと一目で分かる。少し離れたここにまでイケてるオーラが漂ってくるもの。
「じゃ、まあ放課後ちゃんと声かけてくれよ?」
八倉くんはそのグループに合流する。彼は当然、俺だけと仲良くしているわけではない。というかほぼボッチ化している俺だけと関わるやつなんているわけないじゃないか。寧ろなんで俺に声を……?
……自分で言ってて辛くなった。
「……あの女、これ見て『いいザマだ』とか思ってたりするんかな…………?」
────思えば結音の命令は本当に無意味なものが多かった。やれ『科学室で休み時間を潰せ』だとか、『昼休みを屋上で過ごせ』だとか。
因みに屋上は立ち入り禁止なのでそのときは屋上前の扉で休んでいた。
あとは体力測定の時に『見に来い』とかか。タイミングよく新井さんが測定をやっていてものの見事にずっこけているのを見てしまった。
そうやって命令されることが多く食堂で昼食を摂ることは不可能だと判断して、俺は仕方なしに早めに起きて弁当を自作して通学している。家が近くてよかったね。
「……あら、今日も一人みたいね」
「新井さん」
新井さんは俺の前の席を反転させてくっつけて、その上弁当を広げた。
「……私のことは凜音でいいって言ったはずなのだけれど。もしかしてそのしょぼくれた顔と一緒に耳まで腐ったのかしら? それとも頭?」
「……そう言う発言、やめた方が良いと思うよ。新井さ……凜音さん」
俺がそう言っても新井さんはどこ吹く風。その代わりに弁当をすいっと俺の方に寄せてきた。
「私の、結音の手作り弁当よ。才華くんの弁当の具を一つくれるなら、交換してあげるわ」
新井さんの弁当は俺と同じような冷凍食品の盛り合わせに見える。違いというと、若干野菜が多めなところか、彩りがあるように見えるところか、手作りっぽい玉子焼きが入ってることか。
「おお……じゃあ……このきんぴらごぼう辺りを」
「この玉子焼き、お薦めよ?」
きれいな焼き色の玉子焼きだ。
手慣れているのだろうか、結構見た目がきれいだ。せっかく妹さんが作ったんだから、自分で食べた方がいいと思いきんぴらごぼうへと箸を伸ばす。
……女の子の手料理はほら、心理ハードル高いし。
そう思っていたら箸を箸で弾かれた。行儀が悪いぞ!!
「えっとじゃあこの、お浸しを」
「この玉子焼き、お薦めよ」
箸が誘導される。ふるふると震える箸。強引に押し返そうとする箸。因みに両者ともに箸には口をつけていない。
「じゃあこのサラダ」
「かわいいかわいい結音お手製絶品玉子焼きが食べられないとでもいうのかしら、人生の百割損するわよ」
震えながら新井さんは左手にフォークを持ち、玉子焼きを俺の弁当に突っ込むと、鮮やかな手際でハンバーグを一つ強奪した。
「これでよし。才華くんも結音の良妻ぶりに平伏しなさい」
どうも新井凜音、シスコンのきらいがある。玉子焼きを押し付けてくる圧が強い。
「いやよしじゃないと思う」
「何、食べられないとでもいうのかしら。直接私が、た、食べさせてあげてもいいのだけれど?」
「そうは言ってないって。いただきます」
「…………どうかしら?」
大好きな妹さんの料理がどう思われるか気になるのだろう。新井さんは食い入るように見詰めてくる。
……そんなに見られると食べづらいのだけど。
「おいしい」
「よかった!! じゃ、じゃあ、どういうところがいいとか悪いとか、聞かせてもらえるかしら……?」
────よかった?
違和感だ。てっきりどや顔で『当然ね、私の妹は天才なのよ』とでも持ち上げるかと思ったのだけれど。
実際の新井さんは上目遣いで、じっと俺を見てくるだけだ。
「んと……あんまり味覚に自信ないんだけど」
「別にいいわ。私は才華くんの感想が聞きたいの」
「あんまり思い付かないけど…………そうだ、味が少し薄い? かな」
「他には?」
「普通に美味しいからなぁ、他って言われても思い付かないよ」
「そう。答えてくれてありがとう、参考にするわ」
「参考? ねえ、もしかしてこれ、結音さんが作ったわけじゃないの?」
「そんな事はないわ。ゆ、結音に伝えておくわね!」
様子は怪しいが、深く突っ込まないようにする。今の俺にとっては貴重な話し相手だし、動揺している新井さんを見るのが楽しいからと言って嫌われたらかなり辛い。
普段仏頂面な分、揺らぐ表情が見れるのはちょっと新鮮で楽しいけれども。
「「ごちそうさまでした」」
そんなことを考えているうちに俺も新井さんも弁当を空にしてしまった。そうなれば新井さんは、わざわざ窓際の俺の席になど用はなく、新井さんは立ち上がる。
ふとポケットにいれていたスマホが震える────LINEの通知だ。今日は珍しくないと思ったのに、なぜ今さら。
「さて、また一緒に食べましょう?」
「うん、じゃあ……」
ちらりとLINEを確認する。
結音『呼び止めた方がいいんじゃない?』
結音を確認する。教室の後ろ、一人の席を囲むように集団で喋っていた。多分数学の宿題を教えてるのだろうが、そんな結音と一瞬だけ目が合った。
目が合うってことは、見られていたってことか。
「才華くん? 何処を見「ちょっとそういえば凜音さんに聞きたいことあったんだった。ちょっといい?」
突然呼び止めるように動いた俺を不審に思いつつも新井さんを呼び止めた。
「……なにかしら」
「ちょっとした確認。結音さん居る時には結構言いづらいからさ」
「結音が居ると、言いづらいこと?」
「そう。本当に結音さんがユイちゃんなのか、それが聞きたくてさ」
本当のところ『結音さんに恨まれるようなことがあったのか?』と聞きたかったのだが、それが結音に伝わったら写真暴露されかねないので止めた。
その代わりにそんなことを聞いたのは、昔の話をしたかったからだ。
ユイちゃんに違和感はあるが、五年もあれば人は変わる。さすがにそんな嘘を吐く訳がないだろう。理由もない……はず。
だいたい今まで結音からされた命令の悉くが意味不明だ。謎だ。何をさせられてるんだか分かったものじゃない。
直接知れないのなら、推察するしかないのだ。結音の復讐計画の内容を。
「────結音だから、ユイちゃんなのよ? 考えたらすぐにわかるでしょう?」
即答ではなかった。一瞬だけ浮かんだ表情の意味がわからない。
────喜んで……いや悲しんでいたのか?
「大体、私の結音の言葉を疑うのかしら。あの子は凄くなったの。五年前から人が変わったかのように勉強も運動も出来るようになった。友達だって私よりも多いわ。私はそれを隣で見てきているの。それを疑うというの?」
「……それは」
新井さんは言葉に怒りを滲ませて、冷ややかな目をして、それから俯く。そこには先ほど垣間見えた感情など露程も感じられない。
言い返す言葉はない。五年前からと、そう言われてしまえば原因は、俺なのだから。
だけど今俺が知っている限り復讐の対象は俺じゃない。目の前の女子だ。
だいたい俺が対象だったら、それこそ写真バラ撒いて復讐完了だろう。俺は死ぬ。結音はハッピー。それで終わり。
それでは終わらないからこうなっているのだ。
「ごめん、そうだよね」
「分かってくれれば良いのよ」
新井さんは怒りを納めたのか、窓の外を眺めつつそう言った。
視線が外れている隙に結音を見れば……睨んできてる。まだ話を続けなさいということだろうか。
「それで話は変えるけどさ……昔の結音さんってお姉さんである凜音さんから見てどんな感じだったの?」
「昔の結音? そうね…………たとえば」
新井さんは昔を思い出して、微笑む。
「────……俺はやっぱり馬鹿なんだろうな」
その表情は、忘れもしない。つい口に出してしまって新井さんはきょとんとしてた。
「えっ、突然どうしてそんなことを言うのよ。まだ何も言ってないのよ」
「あ、いや、こっちの話だよ。天使って居たんだなって」
「そうね。結音が天使よ」
「そうだね」
……目の前にずっと一目惚れした女の子が居てそれに気が付かないとか俺の目は節穴だったらしい。あと本音では結音は悪魔かなんかだと思ってる。
「昔の結音はね、やっぱり愛らしい子だったの。行く先々で『おねえちゃん、おねえちゃん』ってね、それはもうっ、可愛いとしか言えなくてね────」
それから、新井さんは昔の結音の話を普段の120%の笑顔でしていた。かわいい。
入学式、目撃したときと全く同じような笑顔で語る新井さんは若干どころではなく普段の言動が崩壊していた。
実際新井さんでなければちょっと笑っている程度だ。無垢な笑顔をほとんど浮かべない新井さんだと、それだけで別人に見える。
相槌を返しながら、俺は氷解した新井さんの話を聞く。
そして後十分ほど新井さんの結音トークは続き────昼休み終了の予鈴が鳴る。
「……あら。少し喋り過ぎてしまったようね。それじゃあ、才華くん。また」
新井さんはそうして机を戻し、自分の席へと戻っていった。
……昼休み短いな。あと三十分増えてくれ。
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