第2話
『ユイちゃん!! 遊ぼう!!』
小四の冬。茶髪を腰まで伸ばした女の子が公園のベンチで携帯ゲーム機を操作していた。静かな雰囲気の女の子である。
俺の声に気付いて、ユイちゃんと呼ばれた女の子は顔を上げる。
…………ユイちゃんだ。間違いない。
『……うん、遊ぼ』
それはどこか陰のある笑みだった。いつもそうだ。俺は遊ぶときユイちゃんはよくこの顔をする。
まるで誰かに対して何か罪悪感を覚えているかのような顔を。
『今日はこれ持ってきたよ!!』
俺は、バドミントンのラケットと羽を二つずつ持っていた。親が離婚する寸前の話だったから、適当に物を見繕って外で遊ぶように言われたのだろう。
────たぶん、これは夢だ。今日はいろんな事があったからだろうか、きっと昔の事を思い出そうとしてるのだ。
五年前だというのに俺は昨日の事のように覚えている。
この公園で何をしていたかを、ユイちゃんはどう笑っていたか、あの頃のお父さんの顔はどんなだったかも。
だけど、そんな身近に思っていても人の記憶は自分では気付けずに劣化していく。俺が正しいと思っているだけで、全く違う形で記憶していることもあるだろう。
また同時にこの夢も、正しいか定かではない。そのくらいの気持ちで今俺は目の前の二人を眺めている。
夢の中の俺はラケットを構えて羽を勢いよくはたきあげる。ぱこん、と小気味いい音と共にユイちゃんの元へ飛んでいく。
『いっくよー! ユイちゃん!』
『うん、……やあっ!』
すかっ。
ものの見事な空振り。ラケットを勢いよく振るのは良かったけど目を閉じてしまっていたのがよくなかった。
けれど、ユイちゃんはまるで打ったかのように空を見上げて見下ろして。羽を発見して首をこてんと傾けた。
『もしかして、スマッシュ……!?』
『えっ、スマッシュ!? 凄いなかっこいいなー!!』
ユイちゃんは驚き目を見開いてラケットを持つ手を見て呟いた。
当たってすらいないのにちょっと楽しそうだった。何故か俺はユイちゃんを誉めてる。ちょっとそんなわけないだろしっかりしろ夢の中の俺。
『もっかいやろー!』
『うんっ! いいよ!』
提案する俺、ユイちゃんは先程よりも乗り気になってラケットを振る。
ぽこん、すかっ。
ぱしゅ、すかっ。
ぱちん、すかっ。
…………いっこうに当たる気配がない。
『これが、スマッシュ……!!!』
いや一切当たってすらいないんだけど。
しかしそうやって叫ぶ俺と、言われて誇らしげにぶんぶんとラケットを振り回すユイちゃんの姿を見ていると本当に楽しそうだった。
それならいいかって思えるくらいだ。そういえばユイちゃんと運動する遊びをするときは大抵こんな感じだったかも。
そんな風に思っていたら、いつの間にかバドミントンを終えてベンチに並んで座っていた。
DSをやっていた。ソフトは〈おいでよ、カエルの森〉。通信で服の作り合いをしていた。
そういえば、ユイちゃんはなんかいつもかっこいいデザインの服を作っていたよなぁ……なんて思っていると夢の中の俺が喋った。
『────でさ、ユイちゃん』
『なぁに?』
『ユイちゃんは、僕以外に友達は居ないの?』
ユイちゃんはいつも一人で公園にいた。ユイちゃんとは、ただ一度の約束すらしたことはなく決まったことのようにいつも公園に行けばベンチに行儀よく座ってDSのゲームをしている。
それはとても不思議な事にとても絵になっていた。毎回それを見るのが瞬間が楽しみだったと、思い出してみればそう思っていたかもしれない。
それに俺はユイちゃんと遊ぶ時間がとても楽しみだった。多分、ユイちゃんも多分楽しそうにしていたと思う。
────けど、この頃の俺は不安だった。
親の喧嘩が一周回って減って、ああ終わったんだなって当時の俺が思うくらいに両親は終わっていた。
事実そのあとすぐに離婚した。それ以降は俺はこの公園に来ることはできなくなる。
『サイくん……私の事どう思ってるの?』
『えっ、いや、その、いつも、(公園に)一人でいるなぁ、って』
『それは……私に友達がいないって思ってるってこと?』
『い、いやっ、そんなことは思って……』
ぐいぐいと体を寄せてくるユイちゃんにドキドキしていたのだろう。言葉が足りていないせいでユイちゃんはムキになって叫んだ。
『…………私にだってっ、友達の一人や二人いるもんっ!!』
今にして思えば図星だったんだろう。
けれど、ユイちゃんと一緒にいるのはたのしかったし、その頃の俺は全く友達が居ないなんて思いもしなかったのだ。
ユイちゃんはかわいいのに。
『そりゃあ、分かってるよ? そうじゃなくて……』
『なに、サイくん? 疑ってるの? いいよ、来週友達連れてくるもんっ!!』
『えっ、いや、連れてこなくてもだいじょぶだよ!? 大丈夫。大丈夫だから、えっと、その、落ち着いて?』
俺は慌ててユイちゃんを宥めようとした。
『ともだち……っ、いるもん……っ!! 来週っ!! 来週絶対連れてくるもんっ!!』
『あっ、待ってよユイちゃん──────』
ユイちゃんは涙目で癇癪を起こすようにして踵を返して走り出す。その背中に手を伸ばし、追い掛けようと────。
◆◇◆
『────どうして来てくれないの……?』
◆◇◆
「────っ!!」
俺は目を覚ました。
……ここまでって。しょせん夢だし自由に見れないのは分かるけども、見るならもっとこう……いいものがいい。
過去に埋まっているものなんてだいたいロクなものじゃない。
この夢で見たものはだいたい事実だった。幼い頃のユイちゃんとの最後の記憶は、確かにあんな別れだったはずだ。
それに。きっとユイちゃんの事だ、一週間後にちゃんと友達を連れてきたのだろう。
────俺が来るはずのない公園に。
「朝じゃん……」
最悪だ。とても気分が悪い。
夢見が悪かったからか、それとも結音に脅迫じみた事をされたからだろうか。苛立ちつつ外を見ると薄ら明るい。不審に思ってスマホの電源をつける。
────5:32────
学校までは歩きで二十分ほどの距離だから、起床には明らかに早すぎる時間だ。それからスマホには見覚えのないアプリからの通知が何件が来ていた。
LINEだ。もちろん名前くらいは知っている。所謂SNSというやつで、その類いは極力避けていた俺は恐る恐る通知にしたがってアプリを開く。
結音『ご機嫌いかが? 私は最悪。今どきSNSも使ってないなんて思わなかった。代わりに入れてあげたから、連絡はこれからLINEで取るように』19:23
……そういうことらしい。堅苦しい文章だが、単純に怒ってるぞというのを示しているだけだろう。
俺は…………。
『ユイちゃんはあの日』……それだけ打ち込んだところで文字を全て消した。
あの日、本当に来たか。そんなこと聞けるはずもない。
あの日の出来事をユイちゃんがもう覚えてなかったとしても。それを新井結音に聞くなんて事が出来るようならこの高校にそもそもいない。忘れて、友達と身の丈にあった学校へ進学したことだろう。
友達。そう、友達だ。友達。五年前、引っ越した先で新しい学校では友達は出来なかった。そのまま、中学も通過した。
あの日約束を破った罰が下ったんだろう。
……これいじょうは、やめよう。どうせ、中学のやつらはこの学校には居ないのだから。
気を取り直して冷蔵庫を覗く。
「……うわ、なにも食べるものがない」
買い出しを一切していないので、空だ。空の冷蔵庫は滅多に見るものではなかったので新鮮ではある。新鮮な気分では腹は膨れないのでそのまま一生冷蔵庫に入ってて欲しい。
華の男子高校生だぞ、朝食の有無は死活問題だ。
俺の部屋にあって食べられそうなものは……
ラノベ(紙)。お札(紙)。それと、昨日の新聞(紙)だ。
いやそれは人として限界のラインだ。お金があるのに食べられるものがない。
ちょっと待て、お金はあるぞ。それも万札がある。
「……………」
勿論食べないぞ。お金食べるとか阿呆か。
当然だ。俺は真っ先に思い付いたが、普通に考えてそれはおかしい。なに紙を食おうとしているのこの人。あ、俺じゃん。
俺の手元には一万円札という現金はある。ならば、この日本において超便利な二十四時間営業の店を利用できるじゃあないか。
それはなにか?
「いらっしゃいやせー」
そう、コンビニだ。あってよかった二十四時間営業。一人で来るの初めてなんだよね、コンビニ。
弁当おにぎりサンドイッチにパン、取り敢えず食べるものには困らない。そんなのがアパートから徒歩3分の位置に建っているなんて!!
……まあハイテンションになるものの、コンビニの品物はだいたい割高だ。
月々振り込まれるお金だけで暮らさないといけない以上、無駄に使える金はそんなに無い。よってあんまり来られないわけだが。
「あ」
「え?」
新井結音が500mlスポーツ飲料を片手に、俺を見つけて嫌そうな顔をした。灰色のパーカーに黒いスカート姿で、軽く汗を掻いているのか、首からタオルを下げている。
運動した後なのだろうか。そんな結音を見て俺は硬直した。
……逃げるべきか? 腹が減っているけど、それは耐えればいい。よし逃げよう今すぐ逃げようそうしよう!!!
「待て」
がしっと肩が掴まれた。
「……待ってよ。これは命令だよ?」
「ええ……」
命令と言われれば嫌でも思い出すのは、昨日課された脅迫だ。逆らってはいけないという意識で俺は硬直してしまった。
まああの写真をぶち撒けられたら俺は死ぬ。だから結音にその気がある内は逆らってはいけない。
「ちゃんと従ってくれるんだ。よかったよ、才君が忘れてなくて」
「忘れるわけないでしょ……もしかしてそんなことを試す為だけに呼び止めました?」
「まさか。ちゃんと理由はあるわ、話したかったの。面向き合わせて、才君にやって欲しいことを」
「やって欲しいこと? あんまり難しいことは出来ない、けど」
「そうだろうね。だからそんなに身構えなくてもさ、大した命令はするつもりないから安心してよ」
へらりと結音が笑う。
「実はもう考えてあるんだよ、才君がやるべき事は!」
「そうなの? というかちょっと待って、ここでそういう話するの?」
「寧ろ自宅とか学校とかじゃ出来ないんだけど」
睨まれた。でも、確かにそうか。どんな事情があるか知らないけれど、復讐相手は双子の姉。だから自宅は無理。
新井姉妹は高校初日どころか入試の頃から目立っていたらしいので、学校で話そうものならとんでもない噂が流れてしまいそうだ。
じゃあ俺の家は、って? 女子を連れ込んだらそれこそ変な噂が立ちかねない。確かに行き当たりばったりだがここで話すのはありかもしれない。
「それもそうか。で復讐計画だったっけ、何を企んでるの?」
「そんなこと、教えると思う?」
マジかよこの女……。
余程俺が変な顔をしていたのか、結音はおかしそうに笑った。
「そのときそのときでちゃんと命令するからね、それだけ従ってくれれば写真の安全は万全だよ」
「結局何も分かんないんだけど」
「分かったらダメなの。あとLINEで明確に復讐とか発言したら駄目だし、私の連絡は命令だと思ってね? 了解したら適当に返信を一回頂戴。これ、命令だから、破ったら写真暴露するよ」
「……なんでLINEで復讐とか言ったらいけないんだ?」
「お姉ちゃんにバレるかもしれないから」
「確かに、見られたら危ないよな。だとしても命令はいいのかよ」
「だってほら、私はLINE文面では頼み事してるだけに見えるように書くから。……何よその目」
疑わしいものだ。そう思っていたらじと目で見返された。どうやら俺は結音を変な目で見ていたらしい。
「既読無視も未読無視も私、怒るからね?」
「はいよ、分かった。基本的に気付いたら返信するよ」
俺が言うと、結音は学校で見たような笑顔を作って手を振った。
「よぉし、じゃ才君またね」
結音は会計を済ませてコンビニから出ていく。俺はそれを見送りつつチャーハンおにぎりを一つ買って帰った。
「脅迫がなければ、ドキドキとかするんだろうけどなぁ」
チラチラ服の隙間から見えたほんのり上気した肌とか、きれいな顔とかにドキドキしても、それは社会的な死への恐怖に変換出来てしまう。外面は、良いんだよな。
「おにぎり旨っ」
買ったおにぎりを食べながら、何命令されるんだろうなとLINEを確認すると通知があった。
結音『朝、一緒に登校しよっか?』
なるほど、そう来るのか。納得した俺は文字を打ち込んだ。
『え、嫌だけど』
送信。そして既読は数秒で付いた。
「よし」
結音のメッセージは常に命令で来ると宣言していた。つまり命令以外の返信はないのだ。
…………これは完璧な作戦。我ながらの奇策、発想力が神懸かっている返信だと誉めたい。
結音『7:50ね、女の子が待ってるんだよ? お姉ちゃんに恥かかせるなら殺すから』
「『怖っ!!!?』」
◆◇◆
「才君とまさかお隣さんだったなんてねー! 運命みたいだよね!!」
「そ、そうだね……」
結音は有言実行で来た。姉である新井さんを連れて来ていたので俺はノータイムで家を出た。
双子の美少女と部屋が隣。双子の美少女と一緒に徒歩登校。
結音が新井さんと腕を組み、ぴったりとくっついて笑う。
────確かに、普通なら運命を感じるかもしれない。
あのノートさえなければ、とても仲の良い姉妹だと思う。いやノートがあってさえ、そこに悪意が見えない。
「運命ついでに才君とはまた仲良くしたいなって。お姉ちゃんも、そう思うよね!」
「………………………………行きましょう」
結音が至近で屈託のない笑顔を向けても、新井さんは無表情のままだ。
ただ俺からはちらりと見えたら口元がちょっと照れるように震えているように見えた。
「あーっ、待ってよお姉ちゃーん!」
「待たないわ。運命だからなんて言説、気に入らないわ。そんなの蛙にでも喰わせておけば良いのよ」
「あれっ、お姉ちゃんそういうの嫌いだったっけ……? じゃあ才君はどう思う? こういう運命の出会いって」
「運命の出会いかー」
思い起こすのは先日の、どことなく新井さんに似た天使。
……というか衝撃を受けすぎて昇華してしまっただけで、新井さんが明るく笑えばあんな感じじゃないか? なんて思ったりもする。
だけど新井さんは一ミリもあの方向性で笑わないので全くわかりません。
「まあ……あったら良いよね。そういうの」
「あれーっもしかして才君、遠回しに私達との再会は運命じゃないって言ったなーっ!?」
「言ってない言ってない」
「……疑わしいわね?」
新井さんが嗜虐的な笑みを浮かべて俺へと詰め寄ってきた。あれっ、新井さんさっき運命は否定してなかった?
「おっ、お姉ちゃんも思うよね。どうなんですか才君」
「あ、いや、ええと……やっぱり運命だと思う、よ?」
「へぇ……」
挙動不審になったけども、俺はなんとか声を絞り出す。新井さんは嗜虐的な笑みはそのままで顔を寄せてじっくりと俺を見上げてくる。近い。
しかし、こうして見てみると髪の毛の色さえ違わなければ顔付きは姉妹そっくり。髪色と髪型を揃えて演技でもされたら見分けがつかなさそうだ────現実逃避ぎみにそんな事を考えた俺をは必死さを感じさせる結音の声に引き戻される。
「お、お姉ちゃんっ! 近いよ!」
「あら、ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」
ぐいっと結音が新井さんの手を引いて俺と距離を離させる。新井さんはくすくすと笑い、足早に駆け出す。
結音は何を言われたのかよく分からずにキョトンとしていた。
「変なお姉ちゃん……」
「えっ」
新井さんがちょっとだけ驚きを露にして振り返っていた。まるで『あれ? 通じてない??』みたいな顔だ。俺も似たようなことを思った。
それで、まだ首を傾げる結音に戸惑うような足取りで戻ってきた。
「あの、結音ちゃん」
「はい」
「私はサイくんと近づき過ぎていたわね」
「そうだね」
「だから結音ちゃんは引き剥がしたんじゃないのかしら?」
「そうだよ」
結音は何を聞いているんだろうといった風に、平然と頷いてみせた。その様子におかしいなと思った新井さんは鉄面皮じみていた表情を緩ませて困っていた。
「……あら?」
あら? ではないと思う。なんとなく横から聞いていても、二人の仲を邪魔したかしらと、ちょっとした皮肉のつもりで新井さんが言ったのはわかった。
でもそれは駄目だ、結音とそんな関係成立しないし何より俺の事など手駒位にしか意識していないだろう。嫉妬とか、この女がするわけもない。
「もー、変なお姉ちゃんだなー」
「……才華くん」
「こっちそんな目で見られてもどうしようもないよ」
じと目で俺を見てくる新井さん。俺は肩を竦めてみせた。
それを見た新井さんは、暫し思案顔。
「────……私が……そうね、それは良いわ」
そんな呟きが聞こえた。しかし新井さんはそのあと登校中に何かしてくることもなく学校に到着した。
「とーちゃーく」
「そうね」
……徒歩二十分、案外近いな。
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