第8話 遠回りバケーション
脱獄したスナウはその足で迷うことなくへパール連邦を北上し、数週間でいくつもの国境を跨ぎ、レヴァイル皇国から遠く離れたレスナ法国にやって来た。
スナウの脱獄はすぐに発覚し、へパール連邦の隣国までは追っ手が付いてきたが、流石にそれ以上ともなると誰も追ってこなくなっていた。
「さて……」
スナウはへパール連邦の追っ手から奪った装備を担ぎ直し、まず武具屋でそれらを売り払う。そしてその魔石が結構な稼ぎになったので、服を女性物に買い替え美容院で髪を切り、身形を女性らしく調えた。そのついでに各三柱神を象ったエンブレムひとつずつ購入し、そこで魔石がほぼ尽きた。
スナウは軍歌を鼻で歌いながら三種のエンブレムを腰のベルトに付け、ギルド管理組織レスナ法国南支部の受付前に立つ。
「すみません、職を探しているのですが」
「傭兵登録はお済みですか?」
「いえ、登録が必要なのですか?」
「ええ。こちらに名前をお願いします」
スナウは受付嬢に差し出された紙に『アリス』と書き記した。
「登録料はお持ちですか?」
「登録料……これで足りますかね?」
スナウが残った魔石を全て出すと、受付嬢は吸光度計にそれらを入れる。
「少し多かったみたいですね。余剰分はお返しします」
「ありがとうございます」
「希望する仕事場などはありますか?」
「害獣退治をお願いします。なるべく稼げるものを希望したいのですが」
スナウの言葉に受付嬢はムッと顔をしかめ、金色の前髪を神経質そうに弄りだす。
「商人ギルドの依頼で売り子を募集するものがありましたが……」
「私は物を売るより獣を狩る方がずっと得意です」
「そうですか」
受付嬢は呆れたように溜め息を吐き、奥の部屋から木板を一枚持ってきてスナウに渡した。
「今ある害獣退治の依頼で最も稼ぎが良い物です」
「トロールですか。どのような生き物ですか?」
「詳しく知りたければ、そこの資料室をご利用ください。それと、その木板はなくさずに必ずそのままの状態で持ち帰ってきてくださいね」
「わかりました、ありがとうございます」
スナウは軽く頭を下げ、へパール連邦東支部にはなかった資料室に入る。
カビ臭い資料室の壁は本で埋まっており、そのどれもが年期の入った物ばかりだった。
「宝の山だ……!」
スナウは感動のあまり言葉を漏らしながら、目移りしながらもまずはトロールに付いての資料を探し、端から端まで読んで頭の中に叩き込む。
結局、「閉館時間ですよ」と先程の受付嬢に追い出されるまでスナウは書物を読み漁っていた。
「本が好きなの?」
ランタン状の匣で道を照らしながら歩いていた受付嬢が、宿を探しながら道に迷っていたスナウに声をかけてきた。
馴れ馴れしい奴だなと思いながら、スナウは笑顔を返す。
「ええ。孤児院では聖書だけが娯楽でしたから、知らないことを知れることがとても楽しいのです」
平然と嘘を吐くスナウだが、受付嬢はその言葉を信じたようで、感極まったスナウを抱きしめようと両手を広げて迫ってきた。
スナウが反射的に腰を下げ腕の下をくぐってそれを避けると、受付嬢は不服そうにスナウをチロリと睨む。
「なんですか突然、殺す気ですか?」
「寂しそうだから抱き締めてあげようかなあと思って」
「ああ……次は殴りますよ」
「可愛い顔して暴力的なのね」
小さく舌を出して指先を舐める受付嬢に嫌なものを感じ、スナウは一歩足を引いた。
「あ、怖がらないでね。可愛い顔した男の子が可愛い格好してるから、つい興奮しちゃって」
「んなっ……!」
スナウは生まれつき中性的な容姿で変装にも自信があっただけに、簡単に見破られたことに対するショックはそれなりに大きかった。
「大丈夫。私も男装が趣味だから」
「趣味でやっているのではありません」
「そう? まあ、なんでも良いけど」
受付嬢は音もなくスナウに近づき、その手を取る。
「もう遅いし、泊まるところないんでしょう? 私の家に来なよ」
「お断りします」
受付嬢の手を払い、スナウは音も風も立てず溶けるように夜の闇に消えた。
「……それは残念」
匣の灯りに照らされる受付嬢の髪は、金色の月が地上に降りたと錯覚するほど美しく輝いていた。
道端で拾った頭よりも大きな石を生命力の糸で縛って振り回し自身の二倍以上の背丈を持つトロールの頭を叩き割って殺したスナウは、トロール討伐の報酬として中程度の純度の魔石を大量に受け取り、満足気な様子でまた資料室に籠った。
日が出ている間は資料室の書物を読み漁り、日が暮れると光源となる匣もない安宿で眠りにつく。そんな生活を一週間も続けていると、とうとう資料室の書物を全て読み終えてしまった。
「よし」
本の中身を記憶できていることを確かめ、スナウは資料室から出る。そしてそのままレヴァイル皇国まで半月で走り抜け、レヴァイル皇国北の関所にまでやって来た。
「すみません、入国手続きをお願いできますか?」
「ん? あー、ちょっと待ってな」
メンドクセーな、とぼやきつつ、関所の中に立つ気怠そうな若い兵士の一人が窓口にペンと入国手続きのための資料を用意する。
「ん? あー、そっか。観光目的?」
「はい」
「よしよし。じゃ、これよく読んで、文句ないならサインして」
「わかりました」
問題を起こしたら国外の人間だろうと関係なく処罰する。国に不利益を与えたら最悪死罪。国内で購入した物は関所にて確認し持ち出し可能な物以外は没収。等々。
どこか懐かしさを覚える規則を熟読していると、なにか妙に嫌な予感がしてスナウは反射的に後ろを振り向く。かなり遠方だったが、しかし確かに受付嬢の姿が見えた。なにやら大荷物を背負っている。
「なんで追い付いてんだ……」
「あー、どうした? ゴブリンでも湧いたか?」
「いえ、質の悪いストーカーが追いかけてきまして」
「ああそう。早く入りたかったらサインしな」
「します」
残りの部分を読み流し、『ネーナ』と迷いなくサインして兵士に突き返す。
「はいじゃあこれ」
兵士がスナウに掌に収まる程度の木板を渡す。『観光』と刻まれた面と『入国許可証』と刻まれた面があった。観光の面には識別番号と思われるものが刻まれていた。
「それ持ってないのがわかった時点で追い出されるか刑罰だから」
「はい。ありがとうございます」
スナウは背後から迫る受付嬢の影に怯えながら、早く門を開けと心の中で念じる。
「……ん? あー、忘れてた」
「え?」
「あー、いや、こっちの話。発行しちゃったからいいよ、もう。なんか面倒だし」
兵士が後ろに下がってベルを鳴らすと、ゆっくりと関所の門が開かれる。
開くのが待ちきれなかったスナウはギリギリの隙間を狙ってピョンと横っ飛びで門を抜けると、気怠そうな兵士に「助かりました!」と魔石をいくつか投げ渡し、風のように走り去った。
「なにあれ、トイレ我慢してたの?」
それからしばらくして、大荷物を背負った受付嬢が関所にやって来た。
「すみません、転勤です」
「あー、ちょっと待ってな」
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