1章 Aパート 3

 鏑木宗次郎には一年より前の記憶がなかった。


 気がついたら見知らぬ街の裏路地で倒れてた。最初に見たものは汚れた地面。最初に見た人物は一人の少女。少女は彼を介抱しただけではなく自分の住居に住むことまで提案をしてきた。何故と問いかけると、困っていたからと答えが返ってくる。そのうちに少女の親友である別の少女が国に掛けあって、身元不明の少年は鏑木宗次郎という戸籍を与えられた。だから宗次郎は、彼女たちを尊敬している。しかし。


「それはさすがにまずくないですか?」

 少しだけ慌てつつ、風の行動を直に止めるべきか悩んでいる。

「いいってことさ。わざわざ人を買い出しに行かせたんだ。このぐらいの罠を張ったって構わないさ」

 そう言いながら微炭酸と書かれた缶ジュースを数回振る。

「それにこのぐらいの危機を予見してもらわないと困るしな」

 振り終わった缶ジュースを宗次郎へと手渡す。一方の恵里佳は見知らぬ顔で、自分はなにを買おうか自販機とにらめっこしていた。指先が揺れ動くさ気にある商品はカフェオレともう一つは炭酸コーヒー。

「新発売……新発売……」

 なにやらぶつぶつと口にしていた。

「亜久野さん、さすがにそれはチャレンジ精神がすぎるんじゃないかな。あたしは炭酸は好きだが、コーヒーはコーヒー。炭酸飲料は炭酸飲料でいいんじゃないか?」

「そうは言うけどね風。新発売商品というのは売りだして不評ならば、早めに市場から消えてしまうものなのよ。つまりは一期一会。この機会を逃してしまったら一生飲めなくなってしまうかもしれないの。つまりこの選択肢は非常に大事なものなのよ」

 非常に力説し始めた。

「たとえその結果が間違っていたとしても、新しい味に出会えた感謝を忘れてはいけないの」

 力強く拳を握りしめる。

「やはりここは――」

「おっ、ここにいたか亜久野」

「どうかされましたか先生?」


 固められていた拳から力が抜け、恵里佳が振り返った先には教師の姿。彼女の背後では寸前に押されたボタンによってガタンと、缶コーヒーが落ちてきた。

「昼休み中にすまないがちょっと来てくれないか生徒会長」

 生徒会長として呼ばれていることを知る。

「わかりました」

 落ちてきた炭酸コーヒーを自販機から抜き取り、

「ごめんなさい宗次郎に風。私はこれで」

 軽く会釈する。

「わかった。じゃあまたあとで、教室で」

 手を振る風に手を振り返して、先に歩き出した教師のあとについていく。


「大変だね、亜久野さんも」

「生徒会長としても忙しいですし、あの性格だからね。頼られたら断れないってのがどうしても、ね」

 ペットボトルとは別に、いま飲みたくなって買った缶ジュースのプルタブを開ける。

「損な性格だね。まっ、それはあたしが言えたものじゃないんだけどね」

 苦笑いしながら手の持っていた缶を開けようとして、プシュッとさせたところで風はいま手に持っているのが自分で振った微炭酸だと思い出すが、遅かった。

「あー。やっちゃった」

 とっさに手を突き出して宗次郎を結果的に突き飛ばすが、そのかいあって吹き出した微炭酸ジュースを浴びたのは彼女一人だけになった。

「あはは、これも因果応報か」

 ジュースは胸のあたりを中心に上半身に飛び散った。

「だ、大丈夫、ですか?」

 いきなり突き飛ばされて何事かと思ったが、振り向いた先の惨状に驚きを隠せない。ズボンのポケットからハンカチを取り出そうとして、いつも入れている右後ろのポケットに手を突っ込んで空振り。

「あ、あれ?」

 たしかにここに入れたはずなのにと反対側のポケットを探すが結果は同じ。前のポケットを探してようやく見つけてそれを差し出そうとして

「おお。優しいね。紳士だね。でもありがとう。もう大丈夫なんだ」

 ジュースは勢い良く飛び出して確かに上半身が濡れたはずなのに、ハンカチを差し出した先にいる少女は幸いにも、無色のジュースだったとはいえ濡れる前とまったく変わらない状態になっていた。

「ほらね、もう乾いちゃった」

 制服を指先でつまんで見せつけてくる。えへへと笑う風に、つきだしたハンカチを引き戻して今度はちゃんと右後ろのポケットに入れる。

「良かったです、大事にならなくて。あっ、でも近藤さんのジュースを買っていかないと」

 ポケットから財布を取り出そうとしてポンと、頭に風の手が置かれて数回撫でられた。

「えっと……なにか……」

 慌てる。撫でている方は

「なんでもないよ。あたしがこうしたいからこうしているだけさ」

 満足そうな笑顔を浮かべていた。

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