第23話 『戻れ戻す』

「で、どうして俺がこんな形で車に乗せられているのか。説明を求める権利はあると思うんだが」

「……黙ってついてくればいい。そもそもあたしからあんたに連絡を入れないで、こうしているんだから少しは予想ついているんじゃない? 優秀な情報屋さん」

「ふん」


 後部座席に横たわるようにミノルの手足を拘束して、メグはバンのハンドルを握りしめていた。アクセルを踏み込む足に力が入り、タコメーターの回転数を示す針は緩やかに上がり、エンジンのあげる音が変わる。冬が近づく月日の夜七時は一寸先も暗闇が支配している。信号待ちをしている多数の車たちに対する苛立ちは彼女の指がハンドルを叩く音が周囲に伝えていた。


「それでいつまで拘束されたふりをしているつもり?」

「俺の勝手だろう。それよりもアオイが拉致されたというのは本当か」

「間違いだと思いたかった。でも事実だ、それは捻じ曲げられない。床に作戦の指示書がある。基本はその通りに動くつもりだ。ミノルには全体の補助を任せたい。それに万が一、億が一あたしに何かあったら――」

「それ以上は何も言うな。お前の弱音など聞きたくない。それにあり得ない」


 メグは彼に気づかれないように、にやりと笑うと人気の少ない道端に車を停めた。運転席から飛び降りると車の背面に周り、スライドドアを勢いよく開けた。スマホの明かりで指示書を見つめるミノルに車のキーを投げつける。そのまま乗り込むとキャリーケースに入った水色のドレスに白いエプロンに袖を通す。


「その服、よく見ると幼いうちはいいけどさ。もうすぐ二十歳の奴が着るとなると途端に痛く見えるよな」

「ああ? 殺すぞ。あたしが小さい頃に師匠が不思議の国のアリスにドはまりしたのがルーツなんだから仕方ないんだよ」

「それを大切に保管して律義に着続けているお前もお前だと俺は思うけどな」

「……」


 適当に受け流しつつ、ブーツに履き替える。ミノルの視線はブーツでは動きにくいだろうと訴えかけているが、それを口に出させないメグのオーラがあった。


「行ってきます」

「必ず帰ってこい」


 冬間近の冷たい風がメグの頬を優しく撫でる。それに背中を押されるような形で彼女は歩き出した。その足取りは迷うことなく確かでまるで実家に帰るような足取りだった。

 歩き始めること十分、エプロンのポケットに忍ばせておいたインカムを取り出して電源を入れる。短いビープ音と少しの沈黙の後、若干音質が悪いミノルの声が彼女の耳に届いた。


「通信状態は……言うまでもなく良くないかな」

「森の中なんだ、諦めろ。こうして通信が繋がっているのが奇跡みたいなものだ」

「話を戻す。もうすぐ入り口に着く。そちらの合図に合わせて動き出す」

「奪還作戦の始まりだな」

「違う。それは絶対に違う。ただ、門限を守らない生意気な小娘を連れて帰るだけだ」


 ミノルの短い笑い声の後、合図と共に研究所周辺の照明が落ちた。辺りは夜本来の暗闇が包み込み、敷地内からは関係者の慌ただしい声が聞こえている。正面入り口で護衛している関係者を眠らせてからフェンスをよじ登り騒ぎに便乗して敷地内に楽々と踏み込んだ。

 停電時でも動き続ける監視カメラの位置を事前に把握していたメグは、案内されるように建物内部に続くドアの前で周囲の様子を伺う。静かにドアノブを回し、体が入るだけ開けると滑り込ませる。


「動くな」

「……」


 メグの頬を一筋の線がかすり、彼女の真後ろの壁に銃弾が突き刺さって白い煙が上がっている。エプロンのポケットから取り出したハンドガンの銃口を発砲してきた者の方に向けた。


「まず、どうしてここにいるのか。それ以外にも色々聞きたいことがあるけど、あたしと理解しながらトリガーを引いた。間違いはあるか“Nightmare”?」

「…………そうね。偽物のあんたに答える義理はないわよ」

「やるべきことがあるって分かっているだろう。こんなところで油を売っている余裕は微塵もないことをお前が一番わかっているはずじゃないか!!」

「復讐だっけ。どうでもいい――」


 メグの持つハンドガンが言葉を遮るように火を噴く。銃口の先を見つめるその目には確かな殺意が宿っていた。複雑な表情を浮かべつつその手は小刻みに震えている。ハンドガンを下げるとあきれた様子で口を開いた。


「あーそうかい、そうかい。つまり今までの出来事を全否定した。さて、あたしがまだあの名前を使っていた時に受けた最後の依頼も放棄されるわけだ」

「……」

「だったら、てめーはこんなちゃっちい鉛玉なんかで絶命させない」


 ハンドガンをポケットにしまい、代わりにコンバットナイフを取り出す。踏み切る足に力を入れて最初からトップスピードに近い速さでアオイに接近してナイフを突き立てる。

 アオイは体をひねりメグの突撃を避け、そのまま床を蹴りその力で一歩後方に下がる。一方的に近いメグの放つ剣先をぎりぎりで避け続けるが、剣先は確かに彼女の事をとらえていた。コンバットナイフを持つメグの右腕を掴みガラ空きとなった脇腹に蹴りをねじ込む。


「その動きは分かり切っている」

「!?」


 メグは蹴られても体の軸がぶれることはなくしっかりと受け止め、アオイの鳩尾に左手を握りしめてねじ込んだ。

 骨が軋み、苦痛で顔が歪み、限りなく無抵抗に近い状態で蹴り飛ばされたアオイは床に転がり激しく壁にぶつかる。数秒後に何事もなかったかのように立ち上がって見せるが、その呼吸は僅かにズレを生じていた。大きく息を吸うとハンドガンを握りしめ、前のめりにメグの懐に入る。そのままハンドガンを握りしめている手を緩めるとハンドガンは重力に従い、落下し始める。手から滑り落ちるそれにメグの意識が一瞬向いた時に両手を前に出し、片手は添えるように瞬きの音の衝撃波を作り出す。


「ぐっ――」


 動けない隙にアオイの鋭い蹴りがメグの横顔に綺麗に入った。メグの顔が一瞬苦痛で歪み、横方向に吹き飛ばされる。加減を知らないアオイの蹴りをモロに食らい呼吸が一気に荒れた。


「……視界が微妙に定まらない。……しかも同時にインカムまで壊しやがって」

「形勢逆転ってところかしら。意外と“Alice”って強くないのね」


 先ほどまでとは立場が完全に逆転していた。静寂が辺りを包み、静かにメグのこめかみに銃口が突きつけられる。小指を少しでも動かせようとすればトリガーにかけられた指に力を入れられてしまう。

 緊張で冷や汗がメグの額からにじみ出るが、彼女の顔から笑顔は消えなかった。その目に宿った闘志はまだ燃えている。自身の左手を支えにアオイの足を払う。不意の出来事でバランスを崩したと同時にスッと立ち上がり蹴り飛ばして強引に距離を取らせた。


あたし達もこの業界の頂点で知名度があるけどこんな小娘に一瞬とはいえ、後れを取ってしまうとは我ながら情けない限りだよ」


 ニヤリと笑うとメグは首と肩を軽く回す。切れた口元を手で擦ると足元に唾を吐き捨てた。手にしているコンバットナイフを再び握り直し、周囲に聞こえるように高らかに宣言した。


「我が名は“Alice”。“Last moon”から頂戴したこの名に懸けて何があっても対象を奪還する」

「……私は“Nightmare”。他の何者でもない。眼前にいる敵対人物を徹底的に叩きのめす」


 名乗り終わると同時に動いたのはアオイの方だった。先程まで握られていたハンドガンの姿はそこにはなく、代わりにメグとコンバットナイフが握られていた。メグの直前でブレーキをかけ、腕の遠心力でナイフを彼女の首元に運ぶ。

 アオイが接近する素振りを見せた時、ナイフを持つ向きを変えて右腕に散らかを集中させる。タイミングを見極め動き出して彼女の頬に狙いを定めて振り下ろす。綺麗な白い肌に一線の線が生まれ、そこから血が滲みだす。

 ワンテンポ、アオイの行動が遅れたが彼女はすぐに別の動きへと繋げる。軽く飛び、今度は体に回転を加えて回し蹴りに移行する。瞬時に両腕で守りの態勢に移ったメグの前には些か力不足であった。


「なぜ、あたしの息が切れていなくて自分だけ疲労が蓄積されているか疑問なんでしょ」

「……」

「考えるまでもない。あたしは、このナイフに命と使命を乗せて振っているつもり。でもお前は植え付けられた上辺だけの忠誠心で振り続けている。覚悟の差だよ」

「……わ、私は――」


 メグはゆっくりとアオイに近づき、目の前で立ち止まる。零距離、お互い手を出せば目の前に立っている相手を倒すことも殺すこともできる距離。しかし、メグはそうしなかった。手に持っていたコンバットナイフをホルダーに滑り込ませて、右手を高く上げる。そのまま勢いをつけてアオイの頬を叩いた。叩かれた衝撃でアオイはメグから顔を逸らし、しばらくそのまま動かなかった。前髪が顔にかかっており、メグからはアオイの表情はうかがえない。でもその顔は全てを分かっていると言いたげだった。


「結局、私は馬鹿なのかもしれない。本当はしてはいけないことだと分かっていても協力してくれついてきてくれるひとがいるってこと」

「そうだな」

「もう私だけの目標じゃなくなったのね」

「……当たり前。アオイの隣にあたしが並んだ時からそれはもうあたし達の夢に変わったんだ」

「悪夢が悪夢に囚われるなんて洒落にならないわね。どんな作り話より滑稽よ。貴女にも随分と迷惑をかけたわね、メグ」


 改めてメグの方を向いたアオイの顔に先ほどまでの鉄仮面は、もうどこにもなかった。その代わり大粒の涙がそこにはあった。釣られるように目頭が熱くなったメグは、優しくアオイを抱きしめる。その腕の中で子供のように泣き続ける彼女を愛おしそうに頭を何度も撫でる。

 数分後、落ち着いて寝息を立て始めたアオイを壁に寄りかからせると、上からエプロンを布団代わりにかける。最後に頭をもう一度撫でて奥を目指して歩き出した。


あたしにはまだやるべき……先代の尻拭いが残っている。だから後で必ず迎えに来るから。そこで大人しく寝ているんだよ」


 その場に落ちているハンドガンを拾い上げるとホルスターの中にしまい込んだ。アオイを置いて全速力で目的地に向けて駆け出した。長く続く誰もいない廊下を走り抜け、エレベーターに乗り込む。カーボタンには一階から四階のフロアに対応するボタンと扉の開閉ボタンしかない。


「……地下三階の行き方は」


 メグは迷う様子なくフロアのボタンを押し続けた。最後に一階のボタンを押すと眺めのビープ音と共にゆっくりと扉が閉まった。扉が閉まると同時にエレベーター内は薄暗くなり、扉の隙間から漏れる各フロアの照明だけが、下のフロアに進んでいることを彼女の目を通して伝えている。数十秒、彼女にとっては数分間、エレベーターの動きが完全に止まりビープ音と共に扉が開く。

 一歩そのフロアに踏み込むと同時に彼女の表情に緊張が走る。目の前に広がっている光景は学校の廊下のように廊下を挟んで対照的に部屋が並んでいる。メグは部屋の内部を覗き込むと乱雑にレポートや走り書きのレポート用紙が置かれていた。部屋の中に入り、その内の一枚を手に取ると彼女は目を丸くした。


「相変わらずこの施設は何を考えているんだか。人類を滅ぼすことを目標にしているの?」


 そのまま廊下に出るといくつか先の部屋から一筋の光が漏れていた。そしてそこから聞こえてくる女性の声に手にしていた資料を落としそうになる。慌てて拾い上げ胸に挟み込むとハンドガンを構えつつ声がする部屋に入り込んだ。


「動くな!」

「わお、誰かと思ったら“Alice”じゃない。久しぶり元気そうじゃん」

「そっちも相変わらずまとわりつくような作った声出すなカオリ。キモ」


 軽く興奮状態になっているメグとは対照的にカオリは笑顔を絶やさなかった。だが、すぐにその笑顔は崩れ去り胸の谷間から取り出された白いハンドガンをメグの方に向ける。口角を少し上げ艶やかな口からチラチラと二股に分かれた舌が現れる。そのまま冗談交じりに撃つ振りをした。

 メグは一呼吸置いてから銃口をカオリから少しずらして彼女の背後に向けて発砲する。カオリの背後にあったパソコンがスパークを放ちながら黒い煙を上げていた。


「おい、クソガキ。実験体を略奪するだけでは飽き足らず割と重要なパソコンまで破壊するのかよ。随分育ちが悪いな“Alice”」

「……師匠が師匠なんだ。仕方ないこと」

「“Last moon”の入れ知恵か、クソ」

あたしがこの施設に囚われている時、師匠に襲撃されただろう。あれから少しは学んだらどう?」


 カオリは不敵な笑みを浮かべる。白衣のポケットを漁り、ボールペンのような棒状のものを取り出す。これまたボールペンをノックするようにスイッチを押した。

 急ぎハンドガンを構えなおしメグは、カオリの手に握られているものを撃ちぬくが彼女は狼狽える様子は一切ない。それどころか壊れたように腹を抱えて笑い出すと壁に設置されている赤い緊急ボタンを力強く叩いた。数秒後には耳を防ぎたくなるようなアラートと共に赤いライトに施設内は照らされる。


「もう何もかも遅い。こういうのは定番だから避けたかったけど情報と実験体、その両方が漏洩するくらいならこの命ごと木っ端みじんにしてやるっ!」

「あっそ。お前だけ勝手にここで死ねばいい。でもあたし達にはまだ未来があるから。こんなところで死んでたまるか」


 メグは、カオリの眉間に一発銃弾をねじ込むとその部屋を後にした。施設内は脱出を促すように赤いランプが点滅を繰り返し、アラートが騒音のように鳴り続けている。滑るようにメグは廊下を駆け抜け、つい先ほど使ったエレベーターに乗り込む。一階のボタンを押してから閉扉ボタンを連打した。焦る気持ちが冷や汗となり彼女の額から流れ落ちる。


「……」


 行く時以上に腕時計に意識を持っていかれながらメグは、ゴンドラの上昇の遅さに地団駄を踏む。一階に到着して扉が開き始めると同時にその隙間を強引にこじ開け、身を乗り出す。陸上の短距離選手のような速さで、壁に寄りかかり小さな寝息を立てているアオイの傍に駆け寄った。子供のように小さな寝息を立てているアオイの表情を見て安堵したメグは、彼女を抱きかかえると出口に向かってゆっくりと歩き出した。


 外に出ると闇に紛れるのが得意なのか、本当にそこには誰もいないのか、人の姿はどこにもなかった。夜の静寂と対照的に施設内はアラートのせいで騒がしい。厳重にロックされている正門の前に行くとそこには変形して原型ととどめていない門が転がっていた。


「この門を破壊できるような武装は積んできていないはずだけど」

「格好つけて考察している場合か、早く車に乗っていただけるだろうか」


 入り口近くまで寄せられたバンにメグはアオイを抱きかかえたまま後部座席に乗り込み、パワードアを力いっぱい引く。背後では施設内のあちらこちらで火の手が上がり始める。

 ドアが閉まると同時にミノルはアクセルを踏み込んだ。タコメータが三千回転を余裕で超え、バンは勢いよく走り出した。


「十分襲撃されることを考えると緊張感が半端ないな。だから極力前線には出たくないんだよなぁ」


 しばらくバンを走らせると今まで姿を見せなかった街灯がちらほらと見せ、最寄のコンビニに入る。店から一番遠い場所に停めるとエンジンを止めた。


「無事とは言えないが脱出できてよかった。お前たちが死んだらノアやシオンに何と言えばいいのか下手したら俺も殺されるだろう。とりあえずお疲れ――」

「……」


 労いの言葉をかけながら振り向いたミノルだったが返ってきたのは二つの小さな寝息だった。呆れながら溜息を吐き、車から降りると携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。


「……お久しぶりです。俺、ミノルですよ」

「お主から連絡をしてくるとは珍しいこともあるんじゃな」

「最近こちらに帰ってきたんですか。でしたら連絡一つくらいしてくれてもいいじゃないですか。あなたの愛弟子の一人ですよ。それなのに娘さんばかり構って」

「愛弟子と娘で扱いが違うのは当たり前じゃ。それに今は国外、娘と会ってすぐ出国した」

「ノアさんに会わずに?」

「ふん」


 一歩的に電話を切られるとミノルはズボンのポケットに携帯電話を滑り込ませる。代わりに胸ポケットからタバコ型の菓子を取り出し口に咥えた。


「娘に何も告げない。ノアもシオンも同じじゃないか」


 夜空には満月が明るく周囲を照らしていた。

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