第22話 『堕ちる 堕ちる』


「随分派手にやったのう。“Nightmare”……いいやメグ」

「あなたほどではないです。ただ指示通りに動いたまでの話」

「相変わらず面白い奴じゃのう。この後少しだけ時間を貰えるかの?」


 メグは黙って頷く。頷くしかなかった。場所の指定を受けた彼女はそのまま監視カメラの死角に入るとライダースーツに着替えると“Last moon”と合流した廃倉庫へとバイクを飛ばした。遠くの方でサイレンの音が聞こえてくるが、到着することにはそこには誰もいない。


 現場から離れた場所、彼女達が出会った倉庫。重低音が響くバイクのエンジンを止めライトを消してメグは闇に溶け込む。暗闇に再び目が慣れ始めた頃、コンクリートに響くハイヒールの音が彼女に近づいてくる。


「ふむ。感覚はまだ衰えていないようでなにより。さて久々に水入らずで話し合おうじゃないか」

「でしたらせめてもう少し明るい場所で話しませんかね。近くにファミレスありますし」


 メグの運転するバイクで近くの二十四時間営業のファミレスに移る。店の一番奥のボックス席を陣取るとお冷を持ってきたスタッフにオーダーを伝えた。ほんのりと温かいタオルで手を拭き、“Last moon”はそのまま顔を拭いた。その様子をため息交じりで見つめるメグの視線に気が付きバツが悪そうにテーブルに置いた。


「……すまない。悪いとわかっていても癖というものは中々抜けないのう。直そうと思っていても染み込んだコーヒーのように厄介じゃ」

「コーヒー程度でしたら応急処置の有無で大きく変わってくるかと」

「昔から冗談を真面目に返し、最低限の会話しかしない。そして何よりブラックのコーヒーを愛している。何も変わっていないようで何よりじゃ」

「冗談を」


 丁度タイミングよくコーヒーと軽食が届けられる。静かに置かれたカップを持ち上げてそのまま口に運ぶ。強がっているが、メグの手は小刻みに震えていた。その様子を“Last moon”が見逃すわけがなかった。


「その様子じゃ我から離れた後も変わっていないようじゃな。安心したような残念に感じるような」

「いえ、あたしは確かに変わりましたよ。あの時、あのままでは得られなかったものを得ているので。そんなことすら見抜けないのでしたらあなたの目も劣化し始めているのでは」

「その大切なものを今、みすみす手放そうとしているのに?」


 メグの動きが一瞬止まり、悔しさのあまり薄い桃色の唇を強く噛みしめる。勢いよく立ち上がろうとするメグを“Last moon”は片手で静止させた。そのまま座るように仰いだ。


「落ち着け。その前に今回の報酬の話じゃ。これが交通費それとこれが成功報酬。それから――」


 “Last moon”はテーブルに茶色の封筒二つと白い封筒を一つずつ並べる。しばらくじっと見つめるだけだったメグだったが、真っ先に白い封筒に手を伸ばす。丁寧に封を切り、中から数枚の紙を取り出した。一通り目を通してからメグは顔を上げて“Last moon”の顔をじっと見る。


「見つめてもそれ以上のことは何ないわい」


 コートのポケットから潰れかけのタバコの箱を取り出し“Last moon”は口に咥える。ライターで火をつけて完全に仕事後の一服を始めていた。それを見てメグは何かを思い出したかのように笑いがこみ上げてきていた。


「なんじゃ、馬鹿にしているのか。だったらこれは全て返してもらうぞ」

「いえ、あなたも昔と変わっていないですよ。それよりこれって」

「本当の“Nightmare”が閉じ込められていると思われる場所。腕に覚えがある情報屋に大金を積んで調べさせたのじゃ。間違いない」

「その辺のことは半数くらいは信用しています。問題はそこじゃないです。ここって国内でトップのシェアを誇るファールゼート社の研究所では……」

「そうじゃ、出来てから驚くべき成長率を誇っている企業じゃ。その反面黒いうわさも後を絶たない」


 メグは怒りのあまり拳を強く握りしめる。しばらく頭を掻きむしった後、封筒をカバンの中に滑り込ませると伝票を持った。しかしその腕を“Last moon”が強く引っ張り再び椅子に座らされる。


「そう慌てるでない。協力者は最低でも一人は用意しておけ。嫌な予感がする」

「あなたのいうことは高確率で当たるのですからやめてくださいよ」

「頭の片隅にでも置いておいてくれ。それと勘定は我がしておくから。それとも我に払えないほど昨今のファミレスは値段を釣り上げておるとで言いたいのか」

「あなたがはらえないのでしたら国民全員払えませんよ。別にこれは色々と忘れていたものを持ってきていたお礼――あたしからの報酬ですよ、


 細めていた目を見開くと“Last moon”は鼻で笑うと二本目のタバコに手を伸ばしていた。そんな彼女を他所に会計を済ませたメグは店を後にした。太陽が昇り始め、辺りが光に照らし出されている。清々強い表情でバイクに跨ったメグは朝の街へと消えていった。

 一方、店内で一人残された“Last moon”は顔を真っ赤にさせながら灰皿にタバコを押し付けていた。外見こそは二十代に見える彼女も今年三十三になる。


「自慢の娘が我の想像より立派に育つとはのう。それに我のもとにいた時はそんな声色で師匠と言わなかったじゃろうが。人形のようだった娘をあそこまで変える人間、”Nightmare”……これからどうなるか楽しみじゃのう。……しかし、歳をとると涙腺が弱くなってたまらない」


 テーブルの上に置いてある空になったタバコの箱を握りしめるとコートの中から新しいタバコを取り出す。口に咥えてライターで着火させようとするが、ライターが火を噴くことはなかった。小さく溜息をついた彼女はそっとタバコを箱の中に戻して代わりにコーヒーを胃袋にぶち込んだ。


***


 時を遡ること数日前。“Last moon”の情報は正しく、アオイはファールゼート社の研究所の一室にいた。

 安定した呼吸を繰り返し、その腕には無数の管が繋がれて頭にはヘッドギアが装着されている。意識があるようには見えず、状況を知らぬ人が見たら死んでいると勘違いしてもおかしくはない。




「所長。拘束および実験の準備がすべて整いました」

「あっそう」


 所長と呼ばれた白衣を着た女性は興味がなさそうに返事をすると、手にしているタブレット上で変動を繰り返している数値を睨みつけていた。タブレットをテーブルの上に置くと彼女は大型の機械の前に立つ。冬場だというのに彼女の額には大粒の汗が滲み、呼吸も浅くなる。


「今回こそ失敗は許されない。もう私たちは失敗作あれと同じ結果を突き付けない。本当の正解を導き出す」


 手元にあるスイッチを順番に押していくとディスプレイに明かりがつき、そこで彼女は大きく深呼吸をした。そして透明なカバーを外し、赤いボタンを強く押した。所内でけたましいサイレンが鳴り響く。数秒後にモニター上で様々な数値が変動していく。周りが慌ただしく動き回っている中、彼女だけは愉悦感に浸っているような快楽を感じている表情をしながら作業を続けていた。


「やりましたね」

「まだ安定しているわけじゃない。経過観察と報告だけは絶対に忘れないで。ダメそうなら最悪こちらの切り札を切らなければならないから。でもそれだけは避けたいところ」

「まさかゼロを?!」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる彼女だったが、首を左右に振って部下を安心させた。実験は次のステップに移行して意気揚々とデータ観測を続けた。

 一方強化ガラス一枚で仕切られた先でアオイは苦痛の表情を浮かべていた。意識がある様子ではないが、メグの名前と懺悔の言葉だけが静かに木霊している。しかしその後、一度だけ奇声をあげると彼女は急に寝息を立て始めた。


 日が沈み辺りは月の優しい明かりに包まれる中、アオイはゆっくりと目を開いた。彼女の目に映るのは見慣れない無機質な天井と白衣を着た女性だけだった。


「目が覚めた? 自分のことが誰だかわかる?」

「……私は名前は思い出せない。霧がかかったように何も思い出せない。でも私には大切な人がいたはず」

「そう、きっと彼女の事でしょう」


 カオリはバインダーから一枚の写真をアオイに手渡す。それを受け取った彼女の顔は母親に抱かれた子供のような安堵しきっていた。その表情をカオリが見逃すわけがなかった。間髪入れず口を開いた。


「そういえば、あなたはこの子と繋がりがあったんだっけ。残念だけどこの子は一昨日死んだの。ビルの屋上から飛び降りだって。遺書も見つかっているから警察も事件性は極めて薄いと判断しているみたい」

「そう……ですか」


 手にしていた写真を入院着のポケットに滑り込ませると彼女は、腕に突き刺さっている無数のホースを引き抜く。異常を伝える警報が鳴り響く中、彼女はカオリの隣に立っていた男の首元を掴むと床に勢いよく叩きつけた。

 男も何が起こったのか理解できていなかったがその首に巻きつくように掴まれた手に力が込められていき、嫌でも現実を理解した。男はやがて口から泡を噴きながら白目を剥きながら息絶える。


「私の事をじろじろ見ないことね。殺したくなっちゃう」

「どこに行くつもり!?」

「今日か明日、可能性的には今日。ここ襲撃されますよ。それの迎撃に行くんです」

「なんでそれを……」

「貴女が持っているそのバインダーに挟まれた紙。私の位置からちょうど内容が見えるんですよ」


 ふらふらとした足取りで部屋をあとにしようとするアオイを止めようとするカオリだったが、彼女の制止はアオイの鋭い横目で遮られる。

 鼻歌交じりに部屋を出てから感覚だけで歩き続ける彼女は、厳重に鍵がかかってている部屋の前で惹かれるように立ち止まる。床に落ちていた針金を拾い上げるとそれを器用に鍵穴へと差し込んだ。


「警備もザル。襲撃に対する対策もロクにしていない。だからこれも簡単に持ち出せる」


 まるで箱入り娘のように扱われたかのような黒く艶のある光を放つそれに手を伸ばす。隣に置いてあるホルスターを丁寧に右足に巻き付けその中にそれを滑り込ませた。大きく息を吐くとある場所を目指して駆け出した。

 フロアの案内を頼りに、通路ですれ違う関係者の間を滑りぬけるように駆け抜け重厚な扉を開けた。


「アイツなら絶対にここを通る、絶対に。色々なものを捕食してきたのでしょう。今度はこちらが捕食する番、覚悟しなさい“Alice”」

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