第21話 『備え 備え』

「久しぶり元気にしていたか。こちとら生死の間を彷徨いかけたけど」

「誰かと思ったらリンとイロハじゃないか。それにどうしたんだその傷は!?」

「その感じを見るとやっぱりア……」


 玄関のドアを勢い良く開けて二人に駆け寄る。比較的重症なリンを腕を自分の肩に回し、軽症のイロハの腕を軽く掴んで家の中に招き入れた。家の中に招き入れ、メグは応急処置に移る。二人の外傷の半数以上を占めているのは切り傷だった。水で軽く流し、消毒を済ませる。ガーゼを当てながら二人の傷を見続けたメグは、目を見開いた。


「この傷のつけ方って……」

「その様子はやっぱり知らないの? “Nightmare”がとある組織に属しているって」

「どういうことだ」

「姉さま、その先の説明は私が」


 リンの発言を遮るように軽症なイロハが口を開いた。メグは茶箪笥の中からお茶葉を取り出して急須でお茶を注ぐ。


「始めは任務が被ったのだと思いました。ですが途中から違和感に気が付いたんです」

「そしてその後、二人を襲ったってことか」

「客観的に見ればそういうことになります。それでもどこか上の空という印象を受けたのも事実です。虚ろな目をしていました」


 顎に手を当ててメグは複雑な表情をした。リビングのローテーブルに置かれていたタブレットでスケジュールを確認するがもともと仕事の予定は何も入っていない。

 三十分後、容体が安定してきた二人は静かに寝息を立てていた。その様子を見てメグは崩れ落ちるように一人用のソファーに座り込む。ワイヤレスのキーボード上で指を動かし続ける。


「話を聞く限りでは原因はアオイで間違いなさそうだな。付けられた傷の形状からも断言してもいいかもしれない。こっちから手を打つしかない。だが、“Last moon”からの依頼も同時進行で処理しないとだ」


 地下室に鍵をかけるとリビングで寝息を立てている二人の様子を確認する。キッチンに放置されているスティック状の包み紙を捨てた。その足でアオイの部屋に向かうとクローゼットの中を勝手に漁る。真っ黒なセーラー服を手にすると自分の部屋に戻った。


「サイズは大丈夫だと思うけど問題はやっぱりこっちか」


 アオイには無くメグにはある緩やかな二つのそびえたつ山。メグはため息交じりに薄っすらと埃が積もった机の引き出しから丁寧に畳まれた晒木綿を取り出す。その彼女の表情は真剣そのものだった。


「さて、お嬢様救出前の準備運動にでも行くかな。って言ってもできれば会いたくない奴に会わなくちゃいけないって考えると胃がキリキリする」


 失笑しながらリビングの冷蔵庫前で胃腸薬を飲んでいるメグの姿はシュールだった。


***


 日没後の比較的空いている高速道路を時速百キロオーバーで突き進む一台のバイクの姿があった。周囲の車も飛ばしてくるバイクに気を使っているのかそれが走っている車線だけ誰も入り込もうとはしない。頭上にある標識を見て彼女はやや強引に左車線に戻るとそのまま高速道路を降りて一般道に戻る。


「胃薬が効いているとはいえ、出来るだけ仕事関連であの人には会いたくないものだ」


 信号に足止めされている間にメグは肩の力を抜いた。黒いセーラー服を着た彼女の右手は小刻みに震えている。気持ちを落ち着ける隙を与えないようなタイミングで信号が変わり、メグは再びアクセルを吹かした。


「しかし、疑問は残ったまま……。“Last moon”は海外で活動している。“Nightmare”は国内で活動しているし、海外遠征も片手で数えられるくらいしかしていないはず。接点はどこだ……」


 周囲の景色は徐々に変わり、都会もどきから忘れ去られた都会のような場所に変わっていく。夜の静かな街並みにバイクの音だけが響く。

 指定された古ぼけた倉庫の前にバイクを停めるとバイクのライトを消した。それを合図に物音がすると所々錆びているシャッターが少しだけ開いた。

 バイクから降りたメグは、隙間に手を差し込むと一気にシャッターを持ち上げる。シャッターの向こう側には、黒い狐のお面を付けた女性が立派な太刀の手入れをしていた。視線をメグの方に向けると鞘に収め、近づく。


「うぬが“Nightmare”か。風のうわさでは聞いたことがあるが本物を見ることになるとは。一度手合わせを願いたいところじゃのう。自己紹介が遅れた我が“Last moon”だ」

「……初めまして。今回は補佐の依頼のために伺いました」

「うむ。早速で悪いが今晩片付ける必要があるものがこれじゃ。それところが事前に叩き込んでおいてほしい情報じゃ」


 “Last moon”はポケットの中から小さく折りたたまれた紙を取り出すとそれを放り投げる。そのまま再び太刀を丁寧に磨きだす。月明りを浴びて刃は鋭く輝きだす。

 紙は弧を描くように宙を舞うとメグの手にすっぽりと収まった。受け取ったメグはサッと目を通してそのまま返す。


「もう情報は頭に叩き込んだ。いつでも行動に移せます。それとこれは持っていると嫌なことが起きそうなのでお返しします」

「ほう、なかなか頭が回るやつのようじゃのう。どうやら我はうぬのことを随分過小評価していたのかもしれない。まあよい、それでは頼んだぞ」

「それでは、作戦決行の時間までお暇を頂きます」


 メグは深々と頭を下げバイクに跨った。エンジンを吹かし、タイヤを回す。最後に“Last moon”の方をちらりと見ると真っ暗な街中に消えていった。

 倉庫街と化している街中でバイクを走らせること数十分。廃れてあちらこちらで錆が出ている倉庫につくとメグはさっさと私服に着替える。その様はまるで反抗期の娘のようである。小刻みに震える手でスマホのロックを解除して溜息をつく。画面には着信なしの文字がでかでかとその存在を主張している。


「やっぱりこのアプリでもアオイの居場所は分からないか。となると本当に打つ手が無くなる」


 スマホのロックオンが小さく鳴り、メグのポケットに滑り込む。そのまま再びバイクを走らせ近くの喫茶店に入った。幸い店の看板には二十四時間営業の文字がネオンで照らされている。

 お洒落な店内でメグはマジマジとメニューを睨みつける。数分後、注文を終えた彼女の前には多数の料理が並ぶ。その料理を勢いよく胃袋にぶち込み、テーブルに突っ伏す。


「やっぱり“Last moon”は恐ろしい」


 彼女の利き手は常に小刻みに震えていた。それを否定するように顔を左右に振りつつ、目を閉じた。

 数時間後、目が覚めたメグはのっそりと起き上がるとコーヒーを頼む。すぐに出てきたコーヒーを飲み干すと手早く会計を済ませ外に出た。腕に着けられている高級そうな時計は午前三時を指している。ヘルメットを被りアクセルを回す。マフラーから奏でられる音を徐々に大きくしながらバイクはゆっくりと走り出した。


 バイクを走らせること数十分。目的地から適度な距離に位置する倉庫にバイクを隠してターゲットが潜む高層ビルに向かう。街灯のない薄気味悪い路地裏を躊躇うことのない足取りで突き進みつつ左耳に装着しているインカムのチャンネルを合わせた。


「こちら“Nightmare” 配置についた。いつでも動ける」

「うむ。時間通りじゃの。それでは作戦通りに頼む」


 短い報告を終えたメグはスッと立ち上がり勢いよく駆け出す。左足に装着しているホルスターからハンドガンを一丁取り出し、空に向けて発砲する。左腕に巻かれた腕時計のスイッチを押すとディスプレイに表示された文字のカウントが徐々に減っていく。


「……今回も陽動か。昔もこうやって補佐ばかりしていたなぁ」


 感傷に浸りながらわらわらと武装して出てきた人達は一斉に彼女の方に銃口を向ける。しかし彼女は慌てる様子もすぐに攻撃する様子もなく口角を上げた。僅かな発砲音と共に数人の人間が血を引き出しながらその場に崩れ落ちる。その様子を見て若干焦りを感じている彼らに彼女は頭を抱えて笑い出した。


「お前達があたしに銃口を向けるまで約十五秒。それだけの時間を渡してくれればこちらも粗方の片づけは始められるんだよ。舐めんな」


 気が狂ったような笑い声をあげながら彼女はトリガーを引き続ける。周囲を取り囲むように群がっていた警備員達は自身に何が起きたのか理解する前にうつ伏せに倒れていく。中には一矢報いようとハンドガンを構える者もいたが、メグがそれを引くことを許すわけがなかった。

 数十分後、メグの前にいるのは一人の若い男だけだった。涙で顔はぐちゃぐちゃに、股間は失禁で色が濃くなっている。そんな彼の眉間にハンドガンを当てつつ彼女は口を開いた。


「いいか、最後にあたしがいいことを教えてやろう。何と言われていこの役を全うしているかは知らないけど、この世界に片足突っ込んだなら遺言書はさっさと作っておくこと方がいい。来世で役立てな」


 悲鳴をのような甲高い声を上げ、四つん這いで逃げ出そうとする彼の背中を踏みつけその足に力を入れる。突きつけたハンドガンのトリガーを引くと彼を形成していた肉片が弾け飛び、メグの頬に返り血が飛び散った。

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