第6章 『復讐の火種を守る少女』

第20話 『あやうい あやうい』

 カレンの葬式から一か月の月日が流れた。あの日、あのまま力尽きたアオイの入院が伸びたのは言うまでもない。葬式だけは医師に無理を言って参加していた。家族葬というわけではなかったが、参列した人の数は少し寂しい人数となっていた。


「……そんなこともあったわね。さて、何とか退院できたけど何よこの課題の量」


 少し思い出に浸りかけていたアオイを一瞬で現実へと戻したのは、机の上に山積みになっている課題の量だった。冬休み直前で盛り上がっているクラスメイトとは対照にアオイの気持ちは落ち込んでいた。時折見せる寂しげな表情にメグの顔にも曇りが見える。


「やっぱりカレンの事か。普段通りって言っているけど結局、普段通りのアオイじゃないんだよな」

「別に……普段通りよ。カレンの事だって私と同じく復讐をしようとしたから私は止めたかった」

「復讐しようとするとする人間が復讐しようとする人間を止めるのか。与太話としては上出来だな」


 授業終了のベルと同時にクラスメイトの過半数が学食の限定メニューを求めて食堂へ向けて妨害ありのレースを始める。教室が再び静まり返ると教師は、ため息交じりに教室をすごすごと出ていった。教室に残った生徒もカバンの中から巾着袋に入った弁当箱を机の上に広げる。

 アオイ達は弁当箱に貴重品を添えて屋上へと続く階段を駆け上がっていく。隠れ人気のある屋上だというのにその日は屋上には誰もいない。誰もいない屋上で弁当を広げるとアオイは大きなため気をついた。


「……メグやばいわ。体の調子がどうもおかしいの。私一人で帰れるから早退するわ。先生には私からちゃんと説明しておくから」

「あ、ああ。病み上がりだ無茶だけはするなよ?」


 ヨーグルトについてきたスプーンを咥えながらメグは手を振る。彼女の目に映るアオイは、左右にフラフラと覚束ない足取りで屋上から徐々に姿を消していった。心配そうに立ち上がってアオイの姿を見届けたメグは、ズルズルと壁にもたれかかりながら腰を下ろす。


「やばい。あそこまでいくとあたしだけじゃ、もうどうにもできないかもしれない。自然に立ち直ってもらうしかなさそうだ」


 彼女は青空を見上げながら残ったヨーグルトを口に運んだ。


***


 階段を降りていくアオイは屋上を後にしてから何度目かのため息をつく。カレンに襲われた傷は完治とは言い難いが日常生活に支障をきたさないほどに回復している。少なくとも外見には傷はない。


「ふぅ……。メグには、ああ言ったけど別に体調が悪いわけじゃないのよね。気持ちがまだ前を向き切れていないっていうのが適切かしら」


 階段で数人のクラスメイトとすれ違いながら彼女は一階の職員室に向かった。担任の教師は自分の席で書類を作成している。アオイが入ってきたのに気づき手を止めて椅子の向きを反対にした。


「アオイさん、どうかしましたか」

「いえ、体調が優れないので早退させていただきたくて」

「うーん。分かったけどこれ以上早退すると成績に影響しちゃいますよ。まぁ、アオイさんほどの成績があれば卒業自体は難しくないとは思いますが……出席日数の方が」

「すみません」


 深々と頭を下げるとアオイはそのまま教室でカバンを手に持ち下駄箱で革靴に履き替える。正面玄関からではなく裏口から出て門を閉めると同時に彼女の口は急に布で覆われた。

 いきなりの事態に一瞬困惑するアオイだったが、すぐに口を押さえつけてきた男の脇腹を腕で殴る。それでも男の方が一枚上手だった。軽々とアオイを抱え上げバンの中に押し込んだ。乗車と共に両手両足を縛られる。


「何が目的なの?」

「……」


 男が顎を上げると車は急加速で走り出す。アオイの左右には屈強な男が逃げられないように目を光らせていた。

 始めは様々な言語で交渉をしようと模索するも、数分後には大人しく車に揺られていた。通学路から逸れると同時に彼女の目の前が暗転する。目隠しをされても抵抗することなく車が曲がった回数を数えていた。


「降りろ」

「別に急かさなくても降りるわよ。てか、自分達で手足を縛ったのに私一人で歩けとは随分と無茶な要望をするのね」


 車に揺られること数時間、道の脇で停まった車のスライドドアが開かれ冷たい外気が車内に入り込む。アオイの足を縛り付けていた紐はほどかれ車から降ろされた。視界から入る情報が遮断されている彼女は、革靴越しに感じる感覚から大まかな状況を把握する。


「早く歩け」


 少しアオイがもたもたしているだけで男の怒声が響く。男に背中を押されつつ男達の指示に従う。


「……音から考えると森の中。足に当たる草木の感じ的には人の手入れが届かない場所、私有地かしら。そして車で数時間の場所……」

「余計な捜索はするな」

「何なのよ、私が話す言語わかっているじゃないの」


 釘を刺されたアオイは下を向いて黙って歩く。しばらく歩くと立ち止まり、ドアのロックを解除する音と共に建物内に入れられた。やがて目隠しと最後まで拘束されていた両手も自由になる。


 「ここでお待ちください」


 いつの間にか現れた上品なメイド服に包まれ行きのように白い肌の女性は、アオイに向かって深々と頭を下げると奥の部屋へと姿を消した。数分の沈黙の後、先程のメイド服の女性に代わって白衣に包まれた寝ぐせで髪型が崩れている女性がタブレット片手に部屋の中に入ってくる。


「随分手荒い招待の仕方ね。品性を疑うわ」

「その件は謝罪する。我々の計画において強いモルモットは必要不可避」

「我々の計画……?」

「モルモットは知らなくていい」


 白衣をまとった女性は口角を上げて白衣のポケットの中からケースに入った注射器を取り出す。ケースを開けて先端を保護するものを外すと頷いた。

 いつの間にか現れたメイド服を着た女性に羽交い絞めされて動けなくなったアオイの腕に針を突き刺す。暴れようとするアオイだが、メイド服を着た女性の力は強く簡単には拘束から抜け出せそうにはなかった。数十秒もしないうちに彼女の目がトロンとしだし、自分一人では立っていられなくなっていた。


「これは……」

「麻酔。まっ、ただの麻酔なわけないけど。私が配合しているから効果はすぐに出るし、その時間も長い。これからの実験はかなりの時間が必要となってくるから、君には少し眠ってもらうことにした。『悪夢を喰らう』計画のために」


 彼女の言葉が最後までアオイに届いたかどうかは定かではない。アオイはそのままうつ伏せに膝から崩れ落ち、小さな寝息を立て始めた。


***


 日が傾き、橙色の世界。帰宅したメグは玄関で呆然としていた。そこにはアオイの靴どころかカバンすらない。メグは呼吸が浅くなりつつカバンを投げ捨ててリビングを駆け抜ける。すぐにアオイの部屋の前に来た彼女は何度もドアを叩く。けれども中から返ってくるのはあの日のような沈黙だった。ポケットの中からスマホを取り出して電話をかけるが、十数回のコールののちに機械質なアナウンスが繰り返される。


「……病院に行ったのか? だったら伝言の一つは残すような奴だ。それか誰かの家に行ったのか……その線も薄いな」


 メグはそのまま顎に手を当てながら地下室の自分の部屋に向かう。外の光が一切入らない地下室のパソコンの電源を入れて乱暴に椅子に腰をかけた。数秒もかからずパソコンが立ち上がる。三枚のモニターのうち右側のモニターに“Nightmare”のホームページとアクセス履歴を表示させて中央の画面には家の前に設置されている監視カメラの映像を表示させた。

 ホームページには、新しい足跡はなく最後にメグが目を通してから誰も何も書き込みをしていないことは明らかだった。目線を中央のモニターに映された家の前の監視カメラの映像に移す。アオイが学校を出たであろう時間帯から今に至るまでそれぞれを映し出す六台の監視カメラ。しかし、どのカメラの映像にもアオイの姿が紛れ込むことはなかった。


「電話にも出ない、家に着いた痕跡もない。となると学校を出てすぐ何か起きたってことか……」


 足元に設置している小型の冷蔵庫の中からメグは、エナジードリンクを取り出して一気に飲む。通学している学校の周辺マップを開き、監視カメラの配置を確認する。正門側は全体をカバーできていたが、問題は裏門の方だった。一番近い場所は死角が多過ぎ、その次に近い場所は今度遠すぎて拡大すると映像が劣化してしまう。メグの口から思わずため息がこぼれる。正門と裏門の監視カメラのデータを読み込み、アオイの顔のデータと照合させた。


 遠のいていたメグの意識は短い通知で一気に現実に引き戻される。時計を見ると日付はとうの昔に変わっている。それどころか日が傾き始めてもおかしくない時間だった。画面に表示されたのは一件の依頼だった。件名は無く依頼内容とターゲット、報酬だけが簡潔にまとめられている。だが、その内容と纏め方にメグは既視感を覚えていた。


「……まずい。“Last moon”からアオイに対しての依頼。うやむやにしたら信頼に亀裂が入る。しかも共闘を想定しているって……しょうがないあたしが変装して上手いことやりきるしかない」


 二つ返事で了承したメグは、自分の後ろのタンスの中から真っ黒なセーラー服とさらしを取り出す。さらしを巻いて豊満なその胸を整地したうえでセーラー服に袖を通した。ネットを被ったのちに黒髪のウィッグをつけると外観はアオイと瓜二つになる。肩耳にインカムを装着し、以前録音していたアオイの声を流しながらリビングに行く。

 誰もいないリビングで声出しをしているとチャイムが鳴り響く。メグの顔には緊張感が現れ、その目には鋭い光が宿る。


「どちらさま?」


 ドアを僅かに開けて外の様子を伺う。そこには同年代の二人の客人が手を振って立っていた。

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