第5章 『カレンの本心』

第17話 『進む人 止まっている人』

 休日の昼下がり、寒波が全国を包み込んでいた。片手に中身の詰まったスーパーの袋を持ちつつ反対の手でスマホを操作しながらアオイは、薄っすらと笑みを浮かべていた。

 二人の姉妹を救い出し、それ以降三人は頻繁に連絡を取り合っていた。三人の間にあった溝はもう既に影も形もない。

 緩やかな坂を上り切り、荷物を玄関の下に置いて鍵を突き刺し回す。誰もいない家に一人木霊するアオイの帰宅を知らせる声。アニメのキャラクターのキーホルダーが付いた鍵を玄関の鍵置き場にかけるとその足でリビングのソファーに腰を下ろした。


「そっか、次の日曜日までメグは海外に行っているんだっけ。すっかり忘れていたわ。でも、情報屋のメグがどうしてわざわざ海外まで行く必要があるのかしら」


 洗面所に向かい手洗いうがいを済ませ、リビングに放置されていたスマホを手に取った。溜まりに溜まったメッセージを流し読みしていると割り込むように着信画面が表示される。電話をかけてきた名前を見てそのまま応答ボタンを押して耳に当てた。


「久しぶりね。元気そうで何よりよ。そっちの生活にはもう慣れたのかしら。……そう、それならよかったわ。……メグ? しばらく家にいないわよ。……そう言えばもう終わったのね。そうね明日、土曜日だったら予定も入っていなし、せっかくのお誘いを断るのも野暮ね。ええ、行きましょう」


***


 日付が変わり土曜日。家族連れや恋人が闊歩する中、レンガが敷き詰められた歩道の中央に設置されている噴水の前でアオイは空を眺めていた。普段より身に纏っている服装が洒落ているが、誰も足を止めることはない。それはまるで先客がいることを全員が把握しているかのように。

 黒いマフラーで口元を隠しつつ、アオイは小さく溜息をついた。目の前にいる制服を着た女子高生のグループが彼女の溜息の原因だった。


「……やめましょう。ここであの時の選択について思い返すのは違うわね。この手で葬り去ってから正解か不正解か考えることにしましょう」

「アオイ!!! お待たせ! 電車が遅延しちゃって遅れちゃった」

「別に気にしないわよ。無事そうでそれだけでいいわ。さあ、行きましょう」


 アオイのマイナス思考を完全に打ち消すような声と共に子供のような無邪気に手を振りながら近寄ってきたのはカレンだった。周囲の人の視線が冷たいが当の本人はまるで気にする様子はなく、お土産をアオイに手渡していた。肩を大きく揺らしながら呼吸をしている様子が、駅から全力で走ってきた事を物語っている。


「そんなに急がなくても大丈夫よ。少なくとも私は別に多少遅れたからって怒って帰るような人間じゃないわ」

「ありがとう。でもなんかこのままじゃ悪いから何か奢るよ」

「別にいいわよ。それじゃ目的のショッピングモールに向かいましょうか」


 並んで歩きだすこと十分。二人の目の前には、真新しい大型ショッピングモールの姿があった。クリーム色を基調とした外観、建物の中央上部で主張している店舗名。周囲には先程とは比べ物にならないほどの家族連れとカップル達が集まっていた。

 コンクリートで塗り固められた地面を歩き、外と店内の境目のドアを二つ抜けた先には、温度管理が行き届いている空間が広がっている。入り口のすぐ近くに設置されている案内図を眺めながら二人は近くのエスカレーターに乗り込む。


「休日とはいえ、思っていた以上に混んでいるわね」

「完全にリニューアルでセールとかも同時に開催されているから尚更だと思うよ」

「そうなのね。だったらついでに新しい服でも買っていこうかしら」

「だったら先にそっちを済ませない? フードコート物凄く混んでいるし」

「確かにお昼時だものね。少し空腹感を感じるけどゆっくり食べたいし仕方ないわね」


 エスカレーターで上がっていく度、下のフロアの様子がよく見える。入り口から押し寄せるように絶え間なく人が流れ込んでいた。その様子は通勤ラッシュ時の駅のホームのようであった。エスカレーターで上のフロアに上がり、そのまま近くにあった店内マップを手にすぐ近くの服屋に入る。

 アオイはセール品などには目もくれず、店内でも高価な値札をぶら下げている服を手に取る。近くにあった姿鏡の前で自分に重ね近くにあったアクセサリーにも手を伸ばす。悩みに悩みそのままカゴに放り込んだ。


「カレン、何買うか決まった?」

「ごめん、まだなんだ。二択まで絞ったんだけどどっちがいいか悩んじゃって。そうだ、アオイはどっちがいいと思う?」

「どっちもよく似合っていると思うわ。せっかくだから両方買ったらどうかしら」

「うーん。お財布事情的にも厳しいから、こっちにするね」


 会計に進み先にレジに入ったアオイは、カレンが持っていたカゴも同時に出して数枚の紙幣を出して会計を済ませた。袋は丁寧に分けてもらい、笑いながら片方をカレンに渡す。カバンの中から財布を取り出そうとするカレンの手を掴み、顔を横に振って財布をしまうように促す。


「ありがとう、でも本当に大丈夫? 私がアオイの家にいた時もバイトしている様子はなかったし……」

「気にしなくてもいいわよ。多少仕送りもあるし、そこそこの貯金もあるわ。それに節約すればある程度のお金は自由に使えるのよ。だからそんなに気にする必要はないわ。さて次のお店に行くわよ」

「アオイ、ありがとう」


 アオイ達は大きな紙袋を抱えながら人の波に逆らう。アオイの後を必死についていくカレンに対してアオイは天井から下げられている案内板を視線に入れながら先陣を切るように突き進んでいた。大通りから抜け、狭い通路を通り二回曲がった先には一面のコインロッカーの姿がそこにはあった。

 一番下の大型ロッカー二つにそれぞれの荷物を詰め込み、扉を思いっきり閉める。身軽になった手を繋ぎながら再び大通りに戻り、今来た道を戻った。アオイの左手に巻かれている腕時計は午後二時を指示している。


「カレン、そろそろフードコート空いてきたんじゃない。ちょっと遅いかもしれないけれどお昼にしましょう」

「うん、そうだね」


 フードコートに戻り窓際の席を取って軽めに注文を終えて向かい合って座る。来る途中に買ったペットボトルに口をつけつつ周囲とは異なる雰囲気を漂わせながら二人は視線を反らしていた。それまでの会話が嘘のような作り物だったかのように互いに興味を見せる様子はなく、ただスマホを触っている。そんな中、テーブルの上に放置されていたブザーが大きな音共に振動し始める。二人とも一瞬目を見開いていたが、それぞれのブザーを持ってそれぞれが注文した店へと向かった。


「「……いただきます」」


 気まずい雰囲気が変わることなく二人は両手を合わせて料理に手をつける。周囲のざわざわとしたショッピングモールの雰囲気とは対照的に一言も会話をせずにお互い自分のペースで食事を続ける。


「ごちそうさま」


 先に食べ終わったアオイはさっさとトレーに乗せた食器を返却口に戻して席に戻る。そのまま店内マップを広げ次に行く場所に印をつけていた。アオイが食べ終わってから数分後、食事を終えたカレンもトレーを戻して荷物をまとめる。


「ごちそうさま」

「さあ、行きましょう。午後からだいぶ客の数が増えたわね。お互いはぐれないように気を付けましょう」

「そうだね」


 そう言った矢先に大通りに出た途端に先ほどの三割増しの人の波に飲み込まれていく。この時ばかりはアオイも溜息をつかずには、いられなかった。カレンとはぐれないように声を出してカレンを探そうとするが、人の話し声にかき消されてしまう。諦めたような表情をしながらポケットからスマホを取り出して通話アプリを起動した。途端に周りの視線が自分に向いていることに違和感を感じているようではあったが、その原因まではわからないでいた。


「もしもし、カレン? 今どこに――」


 声を出している最中に背中に痛みが走っていることに気が付いた。振り向いて自分の背中を見た時にようやくアオイは状況を理解した。黒い持ち手、銀色に輝く刃渡り数センチで先端が赤く染まっている包丁が自分の背中に突き刺さっていることに。

 包丁の先端の周囲は服を赤く染め、血はアオイの白い素肌を撫でるように垂れて床に血痕が出来上がっていた。その状況を見てようやくアオイの表情に血の気がなくなっていく。それと同時に刺された場所から痛みの信号をキャッチしたように苦痛の表情を浮かべた。足元がふらつき、視線は定まっていない。そのままアオイは仰向けに倒れこんだ。すぐそばにいた女性の叫び声で周囲のヤジも騒ぎ出す。


「……落ち着――いて。混乱が広がると……あっという間に崩壊する――っわ。てか……誰でもい――いから救急……車呼んで……」


 薄れゆくアオイの最後の言葉は虚しいことに声にはならず、息として漏れるだけだった。周囲にいた初老の男性がアオイに声をかけ続けるが、アオイは静かに目を閉じた。

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