第16話 『勢いに任せ クラウチングスタートで』

 夕日が辺りを照らしカラスが鳴きながら山の方へ飛んでいく中、アオイは倉庫の外側の死角にひっそりと息をひそめていた。人が動いている姿はちらほら見えているが、その中に二人の姉妹の姿は無い。焦る気持ちからか汗が額から流れ落ちる。

 ホルスターの中を確認して彼女は小さく舌打ちをする。ハンドガン四丁にコンバットナイフが二本という襲撃するにしては心もとないほどの装備の少なさだった。それでもある程度の銃弾がストックされていたのを見て胸を胸を撫でおろす。


「護身用の装備しか私の部屋に置いていないし、そのまま飛び出してきたのはやっぱり失敗だったわね。先を読んでアドバンテージを取らなくちゃいけないっていうのに……。集団戦か長期戦にでもなれば……真面目に死を覚悟しないといけないかしれないわ」


 何も握っていない左手が微かに震える。彼女の心のどこかで失敗に対する恐怖心があったのかもしれない。それでも彼女は立ち上がり、一番奥の倉庫に目標を定めて突き進む。僅かに空いているシャッターの隙間に体を滑り込ませて正面にハンドガンを構えていつでも発砲できるようにする。


「もぉおお遅いじゃない!! 仲間のピンチなのにどうしてこうも、ちんたらちんたら行動ができるのかしら、もう!! そんなチームワークじゃすぐに死んじゃうよぉ。この世界はそんなに甘くないの!!」

「――随分口うるさいオカマね」

「オカマじゃないわよぉ!! わたしにはバッドリームナースっていう活動している名前があるのよ」

「あっそう」


 声を発すると同時にアオイは、引き金にかけられた指に力を込めた。銃声は倉庫内に反響し余韻が残り、銃口を下げることなく次弾を放つ。

 銃声が聞こえるよりも先に白衣のポケットに仕組んだ球体を地面に強く叩きつける。すぐに煙が狼煙のように上がり、周囲に広がりその場にいた人を飲み込む。右足を下げてアオイが銃口を僅かに下ろしたのを合図に彼は、下げた右足に力を入れる。爆発的な原動力で瞬く間にアオイとの距離を詰め背後に回り込んだ。そのまま首筋にナイフを突き当てるとにやり笑う。


「うーん、才能と努力は凄いわぁ。よく仕組まれているのねぇ、きっといい師匠にしどうしてもらったのかしらぁ。でも粗削りな部分が多すぎるのは、どうかと思うのぉ。まぁその辺りは経験の差っていうのもあるかもしれないのよねぇ」

「うるさい変態ね。どちらかと言えば嫌いなタイプよ。しかも経験の差ですって。当たり前でしょう、私と貴方とでは歳が優に倍以上は離れているのよ?」


 話しつつもアオイは、左手で裏拳を狙ってみるが首に当てられていた手がいつの間にか左手首を強固に握りしめられてしまう。無理矢理引きはがそうとするが、もがけばもがくほど左手首が締め付けられていく。舌打ちと共に後頭部で鼻を狙って勢いに任せて頭突きをした。拘束が緩む瞬間、引き剥がしそのまま股下に足を滑り込ませて蹴り上げる。

 その場に崩れ落ちるが、気絶したり全く動けなくなるわけではなかった。股間を押さえながら見上げるようにアオイを睨みつける。薄っすらと涙を浮かべつつ対抗心だけは消えていない。


「見かけによらず随分と残酷なことをするのねぇ、久々にこの手で殺したくなってきたぜ」

「その汚い手で私に触らないでほしいわね。仕えるものは全て使う、当たり前の事。それに結局は最後に立っていた人が勝者で真実になるのよ」

「そうか、そうか。それで自分が何をしたのかわかっているのか、小娘」

「貴方の、男性の急所を思いっきり蹴り飛ばしたわ」


 不敵に笑うアオイに対して彼は、すっと立ち上がると床に唾を吐き捨てる。今までのなよなよとした動作は一切なく完全に静止していた。右腕を軽く引き、両足に力を込める。

 数秒の沈黙の後、両者が前のめりに突っ込む。彼が繰り出す渾身の拳を左手で流しつつ彼の顔面に右手をねじ込む。手ごたえを感じたようでアオイは口角を少し上げる。けれど瞬きする間に見えない拳が彼女の腹部に割り込んできた。予想外の事態に思考が一瞬止まり、口から唾液が溢れる。そのまま弾丸のように放たれる拳に両腕で守りつつすり抜ける拳には腹部に力を入れて抵抗するしかない。

 思うように両足に力が入らなくなってきた頃に右ストレートをもろに食らい、後方に吹き飛ばされる。仕組んだ小物が床にばら撒かれた。


「……相手の観察が足りなかったな。お前は同世代には強いかもしれないが、経験の差を埋められるほどではない。そのことを理解して来世に生かすんだな」

「……」


 仰向けで寝転がり、呼吸するので精いっぱいだったがアオイの真横にはいつも仕事中に着けている小型インカムが転がっていた。苦痛な表情を浮かべながらそれを掴むと耳に当てて、スイッチを入れる。


「機嫌はよくなっても戦況はよくないみたいだな、お嬢さん」

「わざとらしいわね。状況は――」

「状況は最悪、体中打撲だらけに意識もだいぶ来ている。すぐに届く場所に武器は無し。しかも相手は本気状態ときた。不運スキルパッシブかい」

「余計なこと言っていないで。どう動く?」

「……悪いことは言わない。撤退しろ。その白衣の奴は今のお前じゃ倒せない」

「最悪の選択肢ね。撤退なんて反吐が出るわ」

「……初めは意識が混濁して幻が見えているのかと思ったがどうやら違うみたいだな。それに顔は見えないが、どうやら“Nightmare”の頭脳担当は俺のこともしっかり知っているようだ」


 アオイの通話に気が付いた彼の興味はアオイから通話相手のメグの方に向き始める。顎に手を当てて満更でもない表情を浮かべていた。ゆっくりとした足取りでアオイとの距離を詰め始める。

 呼吸の波も落ち着きよろめくような足取りでアオイは、足元に転がっているガンケースからハンドガンを取り出し、目にも止まらぬ速さでリロード済ませる。緊張感が張りつめられる中、持つハンドガンが火を噴く。初動で放たれた銃弾の軌道は反れ、背後にあった木箱に着弾した。


「アオイお姉様は私達を逃がすために」

「かもしれない。さて、かわいい妹が作ってくれたチャンスを逃すわけにはいかない。だけどこの状況から脱出でいたとしても逃走手段はつぶされているから――」

「そんな、お二人に朗報だ。援護は遂行している。とりあえず倉庫の裏にある出入り口からの脱出することをお勧めしておく。それじゃ通信は切らせてもらうぞ。こう見えてあたしも色々忙しいんだ」

「お姉さま、チャンネル再接続できません」

「……ここは指示に従ったほうが得かな」


 二人は武器を構えつつ、物陰から物陰へ移り始める。途中途中、表情を曇らせる場面が何度かあったがそれでも出入り口のドアをゆっくりと開け外の世界へと逃げ出した。橙色に染まる空、夕日に照らされるコンクリート、そして目の前には白いバンが止められていた。彼女達が呆然としていると後方のスライドドアが開き、手招きされる。二人は吸い込まれるようにバンの中に入っていった。

 二人が外に出ていく様子を彼は横目で見つつにやにやと笑っていた。けれどもただ笑うだけでそれを妨害しようとはしていない。戦いながらもアオイに向かって話し続ける。


「どうやらお前の思った通りに事が進み始めているみたいだ」

「……何の事かしら」

「まああ、狙っていようがいまいが今の俺にとってはどうでもいいことなんだがな」

「どういうこと……?」

「……」


 口を真一文字に閉じ彼はハンドガンを握りしめていた手を緩めた。手から離れたそれは数回宙で回った後、地面に落ちる。落ちると同時に彼の殺気も消え失せた。状況を呑み込めていないアオイに対して声を出さずに口だけ動かす。

 その言葉を理解したアオイの目に動揺の色が出るが、引き金を最後まで引き抜いた。

 銃弾は白衣と筋肉をいとも簡単に貫き、体の中を縦断する。白衣はじわじわと鮮血で赤く染められていく。霞んでいく目で彼が最後に見たのは――。

 やがて彼が仰向けで完全に動かなくなったのを確認すると、アオイは糸が切れた操り人形のようにその場に膝をついた。遠くでサイレンの音が聞こえてくる。瞼が重くなり、そのまま自然に身を任せた。


 目を覚ましたアオイは自分が先程いた場所とは全く違う場所に混乱していた。空調の聞いた温かい空気、陽気な音楽、目の前には座席の後方部、それに前方から彼女にとって聞き覚えがある声が聞こえていた。ゆっくりと起き上がり、目を擦る。


「やっと起きたか眠り姫」

「うるさいわね」

「アオイお姉様、救援助かりました。お陰で私達二人とも無事です」

「お疲れ様って言っても救援に来たのに情けない姿を見せたわね。それと……勝手に武器を使ったことは謝るわ。後で口座の方に同じ金額を入れておくわ」

「はっ、きにしなくていいさ。あのまま、あたしとリンだけだったらケースの中にあったやつ全ロスして終わったんだし」


 死にかけたというのにリンは途中のコンビニで買ったアイスを頬張りながらケタケタと笑っていた。

 アオイはそのまま重力に体を預け、再び車の後部座席で横になる。少し寝たこともあってか、なかなか寝付けないでいた。それでも目だけを閉じて思っていた言葉を口にした。


「……メグ、何から何までありがとう。私にとって貴女は欠かせない存在よ」

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