第15話 『落ちた先の追い打ち』

 電車からホームに降りて改札を抜けたアオイは、とぼとぼと曇天の空を眺めながら歩いていた。誰ともすれ違わない帰り道、家が近づくにつれ彼女の足は徐々に速くなっていく。家の敷地内に入るころには息が切れるほどになっていた。

 いきなり帰ってきたアオイに驚くメグだったが、その脇を風のようにアオイは駆け抜けていく。リビングに一人取り残されたメグは食べかけのクッキーを放り込んだ。


「アオイ、私が出かける時より元気がなかったですね」

「ああ、しかもドレスやセットした髪もぐちゃぐちゃになっていたし。これは追い打ちをかけられるような出来事があったんだろう。参ったな、明日にはもうカレンはこの家を出ていくっていうのに」

「しょうがないよ。アオイは美人だからきっと思い出したくない昔の彼氏にでも街中で偶然会っちゃったんだよ」


 心配そうな表情をするメグに対してカレンは精一杯の冗談で励まそうとするが、その空気が変わることはない。メグはそのまま夕食のタンドリーチキンに再度火を通した。

 部屋に戻ったアオイはベッドの足に寄りかかり、床に座り込んでいた。その虚ろな眼差しで壁紙の模様を眺めている。いつもの覇気はそこにはなく燃え尽きたように見える。ゆっくりと立ち上がると服がこすれる音と共にバサリと床に服を脱ぎ捨てる。今の彼女に服を畳む意力はなくそのまま部屋着に着替えて布団に包まった。その瞳は薄っすらと輝いていた。


「結局、最後にアオイの顔を見ることは出来なかったことはちょっとだけ残念かな」

「すまない」

「別に謝らなくていいよ。別に誰かが悪いってわけじゃないんだからさ」


 翌日、カレンが出発する時間になってもアオイが部屋から出てくるそぶりは一切見せなかった。寂しそうに手を振るとカレンはメグに見送られてこの家を去っていった。やがてドアが勝手に閉まり、短く金属音がすると同時に部屋には重い空気が流れだす。

 誰もいない廊下、メグ一人が呆然と立っているリビング。急に我に返ったメグは、心配そうな表情でアオイの部屋の目の前まで来ていた。固唾を飲むとドアノブに手をかけ回そうとするが、途中で手ごたえを感じる。内側から施錠されてしまえばこの場でメグができることはなかった。


「……別に開錠できないわけじゃないけど、それは意味ないし。アオイ、いい加減出て来てくれないか? 話だけでもしてくれないと学校に連絡もできないんだよ」

「……」


 心配そうに声をかけるメグの声だけが一方的に投げつけられるだけでアオイからは何も帰ってこない。それどころかその部屋にはアオイはいないと言わんばかりに存在感を消していた。しばらくその場で立ち反応が返ってこないか待つが、やがてメグはその場を去っていった。

 地下室は数日、主がいないだけで埃が薄っすらと積もっている。機材にかけられたカバーを外しながらメグはわざとらしく溜息をついた。パソコンの電源をつけて送られてきたメッセージに目を通していく。


「どれもこれも“Nightmare”関連の依頼だな。いつまで逃げているつもりなんだ。現実は非常だって一番お前が分かっているはずだろう」


 独り言が寂しく部屋の中に木霊し、たくさんあったメールも気が付けば残り二つとなっていた。差出人はミノルからの情報交換の誘いとリンからの救援を求めるメールだった。すぐにメグは別にウィンドウを立ち上げ、リンとイロハが行っている場所と内容を調べだす。

 画面に表示される場所を見たメグは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。大型倉庫が連なる海辺に面した場所、逃走経路が確保しやすいため、追跡が難しくなる。


「本人があれじゃ、まずいが……あたしが解決しても何にもならない。メッセージは送ったし後は本人次第ってところか」


 メールの本文をコピーしそのままアオイのアドレスに送信する。部屋のドアを開けて耳を澄ませるが、人が動いたような気配は全くない。メグは首にかけたヘッドホンをテーブルの上に置き階段を駆け上がった。アオイの部屋の前に立ち何度もドアを叩く。その力は徐々に強くなっていった。けれどもアオイが出てくることはおろか、物音一つしなかった。


「アオイ、いい加減にしろよ。あたしが気を使ったのも悪いがいつまで甘えているつもりだ、ガキか! あのメッセージ見ただろう、それがどれだけ緊急度が高いかも!! あの場で何を見て感じたか知らないけど、こんなところでグズグズ言っているような人間じゃないだろう。ノアから何を学んだんだよ!!」

「……」


 息を切らしながら巻きで話すが、それでも固く閉ざされたドアが開くことはなかった。後ろに下がり壁にぶつかると共にその場にずるずると崩れ落ちる。手に持ったノートパソコンで顔を隠し、静かに頬に涙が滴り落ちた。

 メグが崩れ落ちている廊下を壁一枚で隔てたアオイの部屋。そこには人の気配はなく、ただ白いカーテンが外からの冷たい風にあおられて舞っている。几帳面に綺麗にされているテーブルの上には、パステルカラーの便箋に走り書きでアオイの気持ちが書き留められていた。


「私も、前に」


***


 夕暮れの人気がない大型倉庫の片隅で、リンとイロハは揃って大きく息を乱していた。リンは包帯が巻かれた左腕を必死に押さえているが白の包帯は徐々に赤く染められていく。リンはコートのポケットから小型のスマホを取り出す。その画面には送信されましたの文字だけが表示されいていた。安心したように一つ大きく息を吐きだす。


「“Carta”だけでも逃げて。少しくらいは時間を稼げるから」

「でも、そしたらお姉さまは――」


 言葉を遮るように、リンが背中を預けているシャッターが爆発音と共に内側に弾け飛ぶ。横に転がるように避けるが、夕日に照らされた人物はにやにやと笑いながら二人に近づいていく。

この場に不釣り合いな高いヒールに真っ白な白衣、首からはネックレスのようにメモリースティックが夕日を反射して輝いている。退屈そうに両手をポケットに入れ、わざとらしく大きなあくびをして見せた。首から下げているメモリーステックを摘まみ、左右に振って見せる。


「そんなに逃げてばっかじゃ、これはいつまでも奪えないわよぉ。せっかく情報を流して不意打ちもできる状況を作ってやってお膳立てしてやったのにぃ。もうぅ何なのよ、この有様はぁ」


「随分見え見えの挑発だこと。そんなのに乗るほど“Shadow”は甘くない」


 出血が収まった腕から手を放し、彼の打撃でボロボロなった体を必死に起こして自分の足で立つ。足元のアタッシュケースを足で開いてアサルトライフルを取り出し、彼に向けて銃口を向けてそのままセーフティーを解く。感覚がマヒしつつある人差し指で引き金を引いた。静かな倉庫内に銃声と薬莢が地面に落ちる音だけが響く。


 夕日が海に沈んでいく様子を左手に黒いセーラー服に身を包んだ少女はアクセルを吹かす。帰宅時間帯の自然渋滞中の車を縫うようにバイクを左右に揺らして少しでも早く、前を目指す。首筋を伝う汗が彼女の心を急かしていた。その目にはもう迷いはない。背伸びで前方の状況を伺うが、渋滞は解消しそうになかった。


「クソッ! こういう時に限って……四の五の言っていられないわね」


 脇道に逸れ、大通りから進路を切り替え、先程の半分ほどの道を速度を落とすことなく進む。地図上では繋がっていない道だったが、彼女の頭の中では目的地までの道は途切れていなかった。彼女の思惑通り路地を抜けると元の大通りにぶつかる。自然渋滞の起こっている地点にはなっていなく、車通りは順調だった。道路の標識に倉庫の名前が見えてきてハンドルを握る手に力が入る。

 左に重心を変えギアをさらに上げる。倉庫の方に向かう車は一切ないことに違和感を覚えながら視線だけはまっすぐ向いていた。途中の駐輪場にバイクを停め、倉庫の方に向かって走り出す。レッグホルスターに入っているハンドガンをそっと撫でた。


「へいへい、お嬢ちゃん。この先は関係者以外立ち入り禁止ダヨ。よい子はおうちに帰ってママのミルクでも飲んでんダナ」

「だったら私も関係者ね。それと子供だからって舐めていると痛い目に合うわよ。」


 倉庫へ続く入り口の前に仁王立ちしている屈強な男性に対して彼女は、左手の中指を立てると右足で股間を蹴りつける。一瞬動きが止まった隙にハンドガンを引き抜き、眉間にそれぞれ一発ずつ撃ち込んだ。そのまま右足を一歩下げ勢いをつけて顔面を蹴り飛ばす。白目を剥いてその場に倒れている男の顔を踏みつけて見下す。


「私は“Nightmare”復讐を果たす者。覚えておくことね」


 入り口の反対側に立っていた男も遅れながらアサルトライフルを構えるが実戦経験の差をひっくり返すことは出来なかった。振り向き構えたアオイが引き金を引くまでに瞬き一回分の時間があれば余裕だった。スローモーションのように銃弾は直進していき、彼の肺に突き刺さる。

 胸を押さえて膝から崩れ落ちそうになる彼だったが、額に脂汗を浮かべながら構えると雄叫びと共に引き金を引いた。アオイからの反撃を受けても彼はもう満足に体を動かすことができなかった。九発の銃弾を食らった時に彼の視界は霞み、自分の足では立っていられなくなりうつ伏せに倒れこんだ。


「貴方、銃はおろか人を殺したことがないでしょう」

「へへっ、家が貧しすぎていい給料に目が眩んだ結果がこれだ」

「別の選択肢があったかもしれないのに勿体ないわね」

「同情するくらいなら潔く殺してくれ」

「別に言われなくてもそうするつもりよ。それと最後に家族のことは心配しなくてもいいわよ。一時的とはいえ私が何とかしてあげるわ」


 その言葉を最後まで聞いた彼は満足したような表情で目を閉じた。それを合図に彼女は最後に詰められてた銃弾を彼の胸部に向けて放つ。二人揃って動かないただの肉片に姿を変え、彼女は顔に付着した返り血を軽く拭き取りながらフェンスを片手で開ける。鷹のような鋭い視線で倉庫の方を睨みつけると高まる気持ちを抑えつつ、ホルスターにハンドガンを戻した。数回深呼吸を繰り返して特注のローファーに力を込めて走り出す。


「私が彼女たちを必ず助け出すわ。この信念にかけて」

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