第4章 『交わる姉妹』
第13話 『変わる日常 心ここにあらず』
翌日の朝刊は“Nightmare”の逃走を大きく取り上げられていた。今まで警察側を嘲笑うように遂行する任務をすべて成功させてきた人物が初めて敵前逃亡した。それをメディアが見逃すわけがない。新聞をはじめ朝のニュース、ネット記事どれを見てもどこかしら今回の件が書かれている。
カレンのいる前では気丈に振舞っているアオイだったが、ふとカレンが目を離した瞬間に表情が暗くなる。その様子をコーヒーをすすりながらチラチラと見るメグの姿はまるで保護者のようだった。
「アオイ、今日は学校休んだらどうだ? 期末考査が近くて徹夜で勉強しているのはわかるが、そう顔色に現れたら流石に心配になる」
「別にこれくらい平気よ……と言いたいところだけど今日だけは、メグの言うとおりにするわ」
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
心配そうな表情で声をかけるカレンに優しく微笑みかけるとアオイは、リビングの電話の子機を持って自室へとふらふらした足取りで消えていった。部屋に入る直前のアオイの横顔を見たカレンは心の底から不安になっていた。
「ねえ、メグさん。本当にアオイは大丈夫なの?」
「本人が大丈夫だって言っているんだから
「うん、って言っても寮の申請が通るかどうかわかるのが今日だけど。多分受理されるんじゃないかな」
「うちに来た時は一体どうなるかと思ったけど何とかなってよかっ――」
カレンに優しく微笑みかけようとしたメグだったが、自室から子機を持ったアオイの表情にその笑顔が凍り付く。生気を失ったような眼はどこを見ているのかわからない。一言も話すことなくアオイは子機を定位置に戻しそのまま再び部屋に消えていった。リビングに残された沈黙が二人の箸を重くさせる。
そのままカレンが学校に行く時間になってもアオイが部屋から出てくる様子はなかった。心配そうな表情で家の奥を覗き込むカレンだったが、スマホで時計を確認すると足早に革靴に履き替える。
「今日も帰りは少し遅くなるから、ご飯は先に食べていて。それじゃ、行ってきます」
「わかった。行ってらっしゃい」
メグは小さく手を振り、ドアがゆっくりと閉まっていく。かちゃりと完全に閉じるとダランと腕を下ろした。ポケットの中からガムを二つ取り出し、口に放り込み、どかどかとアオイの部屋の目の前に来る。
家の中を沈黙が支配し、柱時計が時を刻む音がやけに誇張されているように聞こえる。重たい空気を切り裂くようにドアを押し開けるとベッドの隅で膝を抱えているアオイに対してわざとらしく溜息をついた。
「引きずるな、とまでは言わないがいくら何でも表の顔までそれが出てきたいくらカレンでも感づくぞ」
「わかっているわ、だからしばらく仕事も休ませて気持ちを切り替えるためにも」
「……わかった。幸い今残っている仕事は
電源を入れたままのテレビが追い打ちをかけるように、“Nightmare”の襲撃を防いだとしてミドリがインタビューに答えている映像が放映される。少し興奮気味なアナウンサーが食い気味にミドリに少しでも情報を引き出そうと質問を投げかけていた。
「見事な活躍ですね、ミドリさん」
「私は当然のことをしただけです。犯罪を未然に防ぐ、その役目が偶然私だったそれだけです。もちろん突入の際に何名かの尊い命を失くことになってしまったのは私の責任です」
「しかも今回の被害者は別の事件の犯人であった可能性が浮上、現在事情聴取中とのこと。この件も証拠が揃えば二つの事件を同時に解決できそうですね」
「そうですね、“Nightmare”が被害者を襲撃した理由の中にこの件が関与していると私は考えています。ですが人の命を奪った――」
ベッドの隅で膝を抱えていたアオイは前かがみに駆け出し、メグの隣を駆け抜けリビングのテレビをコンセントごと引き抜く。あとから追いかけるようにリビングに戻ったメグはテレビのコンセントを持ち、肩で呼吸するアオイに優しく抱き着く。
抱き着かれた瞬間、アオイの目に溜まっていた大粒の涙が溢れだした。小刻みに震える体をメグの温かい手が背中を撫でる。必死に溢れ出る涙を唇をかんで堪えようとするが、ダムが決壊したように透明な血液は流れ続けた。
「アオイ……」
「わかってる! わかっているってば! 世間からこう見られることも、こういうことをやっているんだから仕方ないって! それにこんなところで立ち止まっている場合じゃないってことも。でも、でも!!」
「落ち着けって、別に責めたりしない。感情を表に出すことを悪いことだとは言わないさ。でも涙を流すのは今じゃないだろう」
「……ごめん」
「とりあえず、
アオイは黙って頷きコンセントを再び差し込み三人分の食器を洗ってから、まるで叱られた子供のようにコーヒーを片手に自室に戻った。内側から丁寧に鍵を閉めると再び沈黙が包み込む。
その様子をただ見ながらメグは床に落ちたカバンを拾い上げると玄関で革靴に履き替える。つま先で踵までしっかり入れると振り返りリビングの奥をじっと見た。そして溜息交じりにドアを開けると家の外に出た。
「また、一人で抱えこむつもりか。結局人間は誰も変われないんだな」
部屋に戻ったアオイは後ろ手で施錠するとフラフラした足取りでベッドにうつ伏せで倒れこむ。肉体的な疲労感というより精神的な疲労感の割合の方が高かった。自分自身で気づいたころには瞼は重くなっていき、再び夢の世界へ迷い込んだでいく。
日が傾き、カラスが鳴く中、覚醒したアオイはもそもそと起き上がる。目線の先にあるパソコンのランプがチカチカと点滅していた。のそのそと起き上がりパソコンを起動する。半分意識が遠のいている中、起動するまでの間何度目かのあくびをする。
「メールね、しかも仕事用のメアドで来るなんて。しかもご丁寧に“Nightmare”の名前で。けれど何か裏がありそうね警戒するに越したことはないわね」
不審に思いつつも何度目のウイルススキャンをした際にウイルスが検出され、画面に警告を促すメッセージが表示される。にやりと笑いながら椅子に腰を下ろし、外面に向き合う。机の端に追いやられていたキーボードを引っ張り出し、コマンドプロンプトを起動させた。数十分の格闘の末、ウイルスを完全に削除し、勝利の余韻に浸りながらメッセージを開いた。
「ふーん。差出人は“Shadow”と“Carta”ね。今時珍しい二人組でしかも両方前戦をこなせるなんてね。そんな人たちから招待状……裏しかないでしょ」
招待状とタイトルがつけられたメールの最後に書かれた日時は今週末の日曜日。アオイはカバンの中からスケージュール帳を開いて大きな溜息をついた。机に置かれたスケジュール帳のページには何も書かれていない。わざとらしくスケジュール帳と閉じる。すぐに返信用の季語を添えたメールに出席と一言書き、送信した。
もそもそとベッドに入り再び、布団に包まった。その表情は心なしか落ち着きを取り戻したかのように見えた。
***
「バッチリだ、さすが
「……私、パーティーの誘いがあったこともそれに参加することも言っていないはずよ」
「普段と明らかに異なる行動をすればわかるさ。観察力は舐めないほうがいいぞ」
「ふぅ……つくづくメグには隠し事はできないわね」
一流のヘアリスト顔負けの腕前でメグは、ドレッサーの前に座るアオイの髪型を整える。自分が行くわけではないのにアオイ以上にそわそわしていた。その様子に溜息をつきながらも、じっと完成を待っているアオイも心のどこかで楽しみにしていたのかもしれない。
髪を盛り、薄く化粧を済ませて、豪華なドレスに身を包む。一人で補佐を完璧にこなすメグにアオイは全て委ねていた。アオイは椅子に座り、レースグローブをつけながら最後の仕上げに取り掛かっているメグに鏡越しに視線を送る。
「どうした? どこかきついところがあった?」
「ううん、随分手馴れているなぁって思っただけよ。化粧だってもっと時間がかかると思っていたし」
「自分が自分であるために化粧はするんだけど、アオイは芯があるからな。既に自分が自分であるみたいなものさ。ま、素材がいいし下手に手を加えないほうがいい場合だってあるわけだ」
「ふーん。そういえば、今日もカレンはいないの?」
「明日から寮で生活するからその準備とか書類の作成とかで今日は帰ってこないらしい。明日には荷物を持っていくんじゃないか?」
褒められて満足したかのように目線をメグから逸らす。それから数分後、セレブに引けを取らない美少女がそこにいた。デザインをしたメグ本人も腹を抱えて笑うレベルだった。なぜ笑うのかわからない様子でリビングに移動する。
ドレスで待機するにしてはアオイの部屋は少々狭い。リビングで紅茶を飲みながら時間を潰していると家の呼び鈴が鳴った。アオイはすぐに通話ボタンを押す。
「どちら様ですか」
「これは失礼しました。私、大道寺家に仕えております九条と申します。アオイ様はおられますか?」
「アオイは私ですが」
「お迎えに参りました」
アオイはテーブルの上に置かれた青色のクラッチバックを掴み、玄関で黒のリボンパンプスを履きその場で軽く足踏みをする。忘れ物に気づき取りに戻ろうとするが呆れた表情でアオイの忘れ物をつきつけた。それを受取ろうとするアオイだが、手を伸ばすたびにわざとらしくメグは腕を上にあげる。
「自分じゃ着けられないだろう。それに
「そうね。メグ、もしも出かけるなら鍵だけはしっかりかけてよね」
コサージュをつけ終わると同時に立ち上がり、玄関のドアを開ける。その目の前には微動だにしない燕尾服の男性が直立していた。アオイが来るのを察すると門扉を音を立てずに開き、車の中までエスコートした。普段とは異なり慣れない対応に一瞬戸惑っていたが、車に乗り込むなり大きな溜息をついた。
「それじゃ行ってくるわ」
「いってらっしゃい。分かっていると思うが、メンツ回復とか考えるんじゃないぞ。純粋に楽しんで来い。あ、それとこれも持っていけ」
メグに見送られてアオイが乗り込んだ車はゆっくりと動き出す。メグの姿が見えている間は絶えず笑顔で手を振っていたアオイだったが、曲がり角を曲がった瞬間、それまでの態度から一転し、不機嫌そうに頬杖をついた。隣に乗っていたのはタキシード姿に着替えたミノルだった。
「どうして貴方がここにいるの」
「愚問だな。俺は大道寺家の人間だぞ。この車はうちの所有物だし、俺がいても何も問題ないだろう」
「もっとしっかり情報を掴んでおくべきだったわ。それにしても意外といい顔しているのね。素材がいいんだから普段から愛想よく振舞えばいいのに。この前、ミドリと会ったときみたいに」
「あれは外用の面だ。どっかの誰かさんと違って鉄仮面っていうわけではないんでね」
「余計なお世話よ」
冷静さを取り戻したアオイの口は流暢に動き、クラッチバックに入れていた手をそっと離す。
笑いながらミノルは足元の小型冷蔵庫から赤い液体が入った透明なボトルを取り出し空のグラスに注ぐ。コルクの香りと共に車内に葡萄の香りが漂う。冷蔵庫からもう一つ冷えたグラスを取り出し、それをアオイに持たせると反対の手でボトルを傾けた。
一瞬グラスを落としそうになったが、自分が乗っている車が高級車であったことを思い出し慌てて液体を溢さず受け止めた。蛇のようにミノルを睨みつけるが、本人は気にする様子もなく、グラスに注ぎきる。
「私たちは未成年なのよ。それなのに――」
「ただの葡萄ジュースだ。アルコールは一切入っていない。もし入っていたら俺も飲酒になってしまう」
「よくそんなお気楽でいられるわね」
「今回は依頼でも任務でも調査でもない。お前こそ力み過ぎなんだよ」
ミノルはグラスに入っていた残りを一気に飲み干し、グラスを自分の隣のスペースに置いた。背もたれに寄りかかると胸ポケットから電子手帳を取り出し、デジタルペンを走らせる。時折窓の奥で流れる風景に意識を向けるていた。
それとは対照的にアオイは外の風景を眺めるのも飽きたようで、二人の間にあるちょっとしたテーブルの上に置かれていたフルーツの盛り合わせに刺さっていたナイフを取った。そしてしばらくそれを眺めるとペン回しのように回していた。実に退屈そうにけだるげに。
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