第12話 『折れる刃 悪夢敗北』

 街灯が前方から後方へ光がラインのように流れる。後部座席に陣取ったメグは、膝の上に置かれたノートパソコンのキーボード上を休むことなく動かし続けていた。渋々助手席に座ったアオイはドア側に寄りかかり、茫然と流れる風景を眺めていた。


「……最後に会ったのは四年前だったけ。あの日は確か、土砂降りの雨だったなぁ。アオイがどう思っているかは知らないけど結構寂しかったんだよ?」

「別に何も思っていないし。ただ四年前にうんざりしただけよ。のあこがれのノアはもういないんだって」

「まあ、あなたも子供が出来れば嫌でもわかるはず。それだけ双方に影響し合っているんだよ」


 ノアは、子供のように不貞腐れた様子でそっぽを向くアオイのことを横目でにやける。後部座席のメグも二人の様子を見てクスリと笑いタイピングの手を止めた。

 ノアがアオイを施設から引き取ったのが十年前、メグとアオイが出会ったのが八年前。


「ここまででもだいぶ色々なことをしてきたな」

「それってどういうことよ」

「何でもない、ただの独り言だ」


 声に出ていたことに気づかなかったメグは強引に話を切り上げた。ポニーテールをほどいて顔を左右に振り、長い茶髪が波打つ。再びキーボード上で滑らせる。数十分後、ノートパソコンを静かに閉じると座席に寄りかかった。


「……アオイはいいと言ったけどあたしはそんなの認めない。ノア、今回のこれであの依頼の報酬はチャラでいい」

「はいはい、人使いが荒いね。世界中で探しても“No name”を雑用のように扱えるのは三人だけだろうさ。今度はちゃんとした依頼を持ってきてくれよー」

「考えておく。あくまでも最優先はアオイに回すから。当たり前だろうあたしはアオイの相棒なんだから」

「……不思議の国の住人も変わったな」

「そりゃ時が流れれば変わるさ」


 車は高速道路へと進路を切り替え、夜のネオンが煌めく街に別れを告げる。夜間の高速道路は日中に比べれば少ないものの、数多くのトラックがすれ違う。法定速度を軽く越しながらアオイ達を乗せた車は、他の車両を追い抜いていく。

 アオイは助手席の窓を開け、夜風を顔に浴びると同時に冷たい空気を車内に入れた。運転席でハンドルを握るノアの体が一瞬震えたが、そんなことを気にする様子もなく全開に開いた窓から入ってくる風に目を細めている。


「で、最近の調子はどうよ。上手くいっているの」

「まあまあってところね」

「じゃ、がっぽり稼いでいるわけだ」

「何言っているのよ、貴女の足元にも及ばないわ」

「そこは歴の問題とか知名度にも関係しているから何とも言えないところだけど」


 やがて左側に車線を切り替え、徐々に速度を落としつつ大きくカーブを描きながら料金場を通り抜けた。


 自宅につき、かなり遅めの夕食を軽く済ませた。その後アオイはカレンの部屋に行き、ドアを少し開け中の様子を確認した。中からは小さな寝息の音が聞こえ、山になった掛け布団が一定のリズムで上下を繰り返していた。そっとドアを閉めると背後に立っていたメグの存在に思わず声を出しそうになる。


「カレンはどうだった?」

「普通に寝ていたわ。まあ、枕元まで行って確認したわけじゃないから」

「そうか、改めて面倒ごとが一つだったのが二つになったからな。管理する方の気持ちにもなってほしいところだ」

「落ち着いたらカレンは自分の家に帰ってもらうつもりよ。流石にずっと一緒っていうもの行動に制限がかかってしまうもの」

「賢明な判断ができるようで安心したよ」


 ワイングラスに注がれたぶどうジュースをメグから受け取り静かにグラスを重ねると一気に飲み干した。


***


「で、二人揃ってなんで眠そうなんですか」

「別に大した理由じゃないわ。気にしないで」


 翌朝、目の下にクマを作りそれを強引に化粧で誤魔化し学校の門を潜る。正門を抜けた先で待ち構えるように立っているミドリに捕まり、心底うんざりした様子でミドリの方を見るが、すぐに教室へと駆け込む。カバンを枕代わりに机と椅子をベッドに変え一瞬にして眠りについた。

 後から追いかけるように教室に入ってきたミドリは教室の様子を見るなり大きなため息をつく。教室前方の黒板には期末考査までのカウントダウンが既に始まっている。それにも関わらず、教室に張りつめられたような緊張感は微塵もない。


「成績優秀なお二人がそれじゃクラスに締まりがないのも仕方ないことかもしれませんね。って、起きてください、そろそろホームルーム始まりますよ」

「ミドリ、何度も言わせないで。無茶よ、私達は遅くまで試験の勉強をしているのよ。隙間時間は有効的に使いたいの」


 納得がいかない表情をするミドリだったが、そんなことはお構いなしにアオイは再び小さな寝息を立て始めた。救いを求めるようにメグの方を見るが、アオイ以上に熟睡している様子に流石のミドリも諦めざる負えなかった。

 ホームルーム開始を告げるチャイムと同時に担任の教師が入ってきたため、ミドリも自分の席に座る。時々アオイ達の方を見るが、ホームルームお構いなく寝続ける精神力の高さだけは評価せざる負えなかった。


 そのまま長針と短針は回転を続けて頂点で重なったとき、アオイとメグは晴天の下の屋上に寝そべっていた。昼休みが始まると同時に駆け出した彼女達は、家から持参したサンドウィッチを噛みしめながら時折大きなあくびをする。

 もちろん彼女達の通う高校には食堂がしっかりと用意されている。しかし、食堂という存在や学食に憧れを抱いた生徒が少なからずいるのもまた事実。他の生徒と一定の距離をとれる屋上が彼女たちは好きだった。


「何とか、昼休みまで消化したな」

「そうね。いつも以上に手間取ったからオールに近い感じになっちゃったからね。登校するギリギリまで仮眠はとったけど睡魔は完全に取れなかったわ」

「二人ともこんなところにいたんですか、随分探しましたよ」


 背後から声をかけられ振り向くとそこには学食の焼きそばパンを抱えたミドリが不服そうな表情で見下ろしていた。アオイはメグの方に詰めて場所を開けると手招きで自分の隣に座らせる。座ってラップを外しているミドリに笑いながら嫌味を言う。


「有名人の方が、私達に何のようなのかしら。もしかして食堂の席が取れなかったとか? 貴女ともなれば、その辺の生徒に声をかければ一発で席を譲ってもらえるでしょう」

「そうやって壁を作る人間が過半数です。遠巻きから観察して囁き合ってお終い。まあ、そういうあなた達もほかの生徒と自分達の間に壁を作っているようにしか見えませんけど」

「そう見えているだけでしょう」


 アオイを嫌味を綺麗に皮肉で返したメグは焼きそばパンを頬張る。その横では悔しそうに拳を握りしめるアオイ、その肩に手を置きなだめるメグ。その様子は本当にただの女子高生にしか見えない。

 探偵のようなものを生業とする女子高生、復讐に燃え己の手を汚し続ける殺し屋とその相棒。社会の光と闇が入り混じった不思議な昼食会も予冷と共にお開きとなった。


***


 ビルの屋上で夜風を浴びながら黒いセーラー服をまとったアオイは、地上八メートルから街並みを見下ろす。タクシーをはじめとする無数の車が迷路のように張り巡らされたコンクリートの道を忙しそうに走り回っていた。街並みの輝かしいネオンの光も彼女のことを照らすことは決してなかった。


「なんなのかしら、この胸騒ぎは……」

「どうかしたのか? 作戦に支障が出るんだったら日を改めるぞ」

「ごめんなさい、何も問題ないわ。さあ、始めましょう」


 気合を入れなおすようにバンダナマスクを少し上げ、表通りに面した所から裏通りに面する側に移動してロープをしっかりと固定して垂らす。安全装置なしの体一つ、ロープ一本で屋上から姿を消した。

 垂れ下がったロープを頼りに一つ一つ階層を確認しながら下っていく。その姿は消防士の訓練のようにも見える。暗視ゴーグルを頭から目元に下げ、建物内にある階層を示す数字を確認し、口角を緩めた。胸元のホルスターから道具を取り出すと、器用に窓に円状に穴を開ける。


「今のところ通報は入っていない。システムをジャックしているが、存在に気が付いてもサーバーをいくつも噛ませてあるから追跡はほぼ無理だろう」

「……」


 切断した窓ガラスをレールに立てかけ、穴に手を入れて内側から開錠すると建物内に侵入した。すぐに隅に隠れ、聴覚と視覚に神経を尖らせる。聞こえる音は、遠くの街のガヤだけで警報が鳴っている様子はなかった。しかし、左耳に着けている小型インカムからは砂嵐とメグの言葉が途切れる。


「……ちょっと大丈夫なの、ここからが大事だというのに」

「いや、こちらの機材は何もトラブルの警告は出ていないぞ?」

「そう、ならいいわ。私の勘違いでしょう」


 ゆっくりと立ち上がりレッグホルスターから連射力を重視したハンドガンを取り出し、事前にメグと打ち合わせしたときに頭に叩き込んだマップを頼りに突き進んでいく。室内は異常な程に静かで廊下から聞こえてくるのはアオイが歩く時に発する僅かな足音だけだった。

 エレベーターの隣にある階段を下り、一つ、二つ下の階に移り、足を止まる。そのフロアに入った瞬間、全身に雷のような衝撃が走った。周囲を見回すがカメラはメグによって全く違うところを監視している。


「どうした、やっぱり何か違和感を感じるのか」

「続ける」


 廊下に出てしばらく歩くと廊下に何かが転がっているのが目に入った。周囲を更に警戒しながら接近しうつ伏せになったものを仰向けにする。見覚えのある制服、そしてネームプレートだがメグに渡された資料には無い顔なのは間違いなかった。メグにすぐにデータを送信してその場で周囲を警戒する。


「ターゲットのダブルブッキングの可能性は?」

「いや、それはない。今回の仕事は他の連中に手を出されないように事前に手は回してある」

「と、いうことは……はぐれ物か強要目的のどちらかでしょうね。ま、どっちにしろ“Nightmare”の獲物に手を付けた罪は重いわ」

「そいつの始末は任せるが、警戒して進めよ。常に最悪の事を想定しながら立ち回れ。なんなら目撃者全て殺してしまっても構わない」

「了解」


 再び構えなおし、突き当りの社長室に駆け寄る。壁に張り付き内部の様子を伺うが、不気味な程に物音一つなく静寂が包んでいた。小さく小刻みに呼吸を繰り返し、勢いよくドアを蹴り飛ばす。

 部屋は廊下と打って変わって眩しい光で包まれている。暗視ゴーグルを頭に押し上げ、アオイの方に背を向けている椅子の背もたれに向かって三発縦に撃ち込む。高級そうな椅子がボロボロにされるが、何事もなかったかのように座っていた主と対面した。

 その瞬間、アオイの呼吸は短い時間止まった。見覚えがある人間がそこには堂々と座っていたからだ。


「初めまして、“Nightmare”さん。話は聞いたことがあったのですが、こうして直接会うのは初めてですね」

「……」

「情報にあったよりも寡黙なんですね。それに本当に女性だったとは」

「……ふん」


 アオイの呼吸音がインカムを通じてメグに全て伝えられる。メグは事前に用意したプランを変更するために監視カメラの位置を変更するが、それでもアオイが誰と対峙しているとはわからない。インカム越しにアオイに応答を求めるが反応はなかった。息を大きく吸い込みマイクのボリュームを最大につまみを回す。


「目の前にいるのはミドリ……」

「分かった、よーく聞け! 現実逃避するんあじゃねぇ! その場から脱出することを最優先に動け。命あっての――」

「誰だか存じ上げませんが、そんなことさせませんよ」


 指を鳴らすと入り口のドアや窓から大量の武装集団が突入し、あっという間にアオイの周りを取り囲む。一斉に銃口を構えいつでも発砲できるようになっていた。周囲を取り囲む程の人材を割ける組織力の前にアオイの額にも額にも冷や汗が流れる。

 アオイのイヤホン越しにメグの不機嫌そうな舌打ちと共にガサガサと何かが擦れる音、そして風のような音が聞こくる。その音が尚更アオイの不安を駆り立てる。必死に抜け道を探そうとするが、その考えを打ち破るように人員が配置されていた。


「ミドリさん、大変です。“Alice”が現れました!」

「その情報は本当なの? “Alice”は五年前に死んだはずでしょう」

「目撃した者によると水色の服に白いエプロンをまとっていたらしいです。古い血痕が付着していたとのことなので間違いないかと」

「なるほど、そこは一致しているようですね。ですが“Nightmare”と“Alice”に接点はないはず」

Who called me誰か私を呼んだI’ll kill you殺しちゃうぞ?」


 その場にいた人全員が声の主を探そうと周囲を見回す。けれどもその場には誰もいないが、英語交じりの笑い声は耳に残り続けている。

 そして隣の倉庫から爆音と煙共に薄っすらと人影が写る。本場のような流暢な英語の鼻歌が室内に響く。煙が徐々に晴れていき、ぼんやりとしたシルエットははっきりと見えてくる。スリットの入った水色のドレスに赤黒く変色した血痕のついた白いエプロン、右手には高威力を誇るハンドガンが握られていた。顔に髑髏どくろのフェイスマスクを着けて素顔を隠している。


「お嬢サン、こういうのはネ。迷わず撃ち返すのヨ。like thisこうやってね


 その場にいた者が“Alice”に注目している間に注目している隙に次々と眉間に鉛玉をねじ込んでいく。取り囲んでいた警備の者は次々仰向けに倒れる。そして“Alice”が天井に向けて発砲すると照明が砕けてガラスの破片が降り注ぎ、一瞬にして暗闇が部屋を支配した。そしてその暗闇に合わせて窓ガラスを粉砕して指さす。


「ここから脱出するといいヨ。Good luck幸運を cute grim reaperかわいい死神さん

「逃がしませんよ! 動ける者は確保を」


 ミドリの合図に合わせて数人の人間が取り押さえようとするが、アオイはひらりと躱し目のまえで腕を交差し体を縮こませて重力に体を預ける。空中でクルリクルリと回り仰向けで落ちていく。そんな彼女を受け止めたのは古い布団が積み上げられた軽トラックだった。ボスッと音と共に一緒に落ちてきたガラスが月明りを浴びて輝いていた。

 数秒後、軽トラはゆっくりと走り始め、まだ夜が明けぬ街並みへと消えていった。その荷台でアオイは目元を腕で隠すがその頬に一筋の輝く光の筋があった。


「私は、無力ね」

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