第11話 『休日に添えられた悪夢』

 遡ることメグがアオイからメールを受け取る数十分前。二つ隣の駅で服を両手にたんまりと買ったアオイは配送業者に配達を依頼し郵便局から出てきた。満足げな顔をしているアオイに対して財布の中身は徐々に薄くなっていく。


「そろそろ戻れば、メグとの集合時間にはぴったり間に合いそうね。よかったわ」


 駅の改札前は大勢の人間で溢れていた。アオイはベルトコンベアに流されるように改札を抜け階段を下り、ホームで電車が来るのを待つ。人々に押され合い人の熱気に気分が少し悪くなる。

 夏場とは違い日が沈むのが早く、ホームには既に照明が付けられていた。数十秒後、電車がホームに沿って止まりドアが開く。ダムのように流れ込み、アオイもそれに便乗する。


「……」


 入り口付近、吊革に掴まり電車が走り始める。しかし、彼女の勘は警戒心を強めることをやめなかった。彼女は顔を動かさずに周囲を見回す。取り囲むように四十代を超えた複数人の男性が静かにアオイの周りに集まりだす。最初は気にしないようにしていたが、そのうちの誰かの右手がアオイの尻を何度も舐めまわすようにスカートの上から撫でまわす。


「……っ」


 左手で口元を押さえ溢れそうになる声を抑えながら横目で睨みつける。しかしその行為は、かえって男を興奮させる結果になってしまった。

 だから彼女はもう諦めた。右手で男の左手首を掴み、握力を強める。ぎょっとした様子でアオイの表情をうかがっている。


「……黙っているからいけるとでも思ったの?」

「なっ……!」

「実に滑稽ね。こんなことで人生を棒に振るとか、愚の骨頂よ。すみません、この人痴漢です!!」


 周囲が一瞬にしてざわつきだす。ひそひそと話し合う声、興味本位の視線がアオイ達に注がれていた。事の重大さに気が付いた男はその場から逃げ出そうとするが、それをアオイが許すわけがなかった。しっかりと手首を握られた手を簡単に振り払うことはできない。彼女は不敵に微笑みかけると男はその場に崩れ落ちた。


「君大丈夫? 次の駅で降りるよ」

「え、あ、はい」


 誰かに声を掛けられ、振り向いたアオイの前によく知る人物が人混みをかき分けて近づいてくる。見間違えを望んだ彼女だったが、その徐の目の前に現れたのはミドリだった。

 彼女は被害にあった人物が誰だか把握するために覗き込んだ彼女は、目を見開いた。アオイはただ、苦笑いをするしかなかった。

 次第に車内はある空間を除いて鎮静化していったが、その空間だけは圧が違った。被害者であるはずのアオイよりもミドリが男に対して睨みつけていた。


 駅のホームが徐々に近づき、電車は緩やかにブレーキをかけて完全に停車する。それと同時に周囲にいた男たちが揃ってミドリにわざとぶつかってから降りていった。男を拘束する手が緩んだ瞬間、奇声を上げながら男は全力で駆け出す。ワンテンポ遅れてミドリも走り出すが、その距離はみるみる離されていく。


「待ちなさい! この犯罪者が」


 階段を駆け上がり、他の利用者を突き飛ばして改札に向かって走る。改札が彼の視界に入ったとき、口角が上がると同時に足がもつれ派手に転倒した。周囲の人々は何が起きたのか分からず興味本位の視線を彼に向けている。起き上がろうとする彼、しかし再び地面に思いっきりぶつけられる。何者かが、彼の頭を足で強引に押し付けているようだった。


「おじさん、いくら性欲が溜まっているからって実際に手を出しちゃあかんよ。同じ男として情けない限りだ」

「なんだこの小僧」

「失礼な奴だ。俺はこれでも来年高校を卒業するんだぞ」


 ダッフルコートに身を包んだ青年は頭を持ち上げ、再び床に叩きつける。息を切らしながら到着したミドリは状況が分からず、呆けていた。彼女に気が付いたダッフルコートの青年は男を立たせ、ミドリに引き渡す。

 ミドリから更に遅れること数分、人混みに流されるようにしてアオイも追いつく。追いつくなり嫌そうな顔をして溜息をつきながらダッフルコートの青年に話しけた。


「なぜ、ここに貴方がいるのかしら」

「その辺は後で話そう。状況は大体察している。こいつを事務所に連れて行って洗いざらい吐いてもらおう」

「待ちたまえ君達! まずは弁護――」

「うるさいな、この期に及んでまだ言い訳をするつもりか」


 汗と疲労で髪はみだれ、頭部の砂漠に植林された苗は不思議なことに集団で移動している。抵抗を続ける彼の姿はまさに惨めだった。

 騒ぎに気が付いた駅員にミドリが細かく状況を説明している間も抵抗をやめるそぶりは見せなかった。だが、これ以上騒ぎが大きくなることを危険視した駅員はアオイ達を別室へと案内した。


「状況を説明すればいいんですね」

「少々お待ちください。警察の方がもうお見えになられているので」


 数分後、勢いよくドアが開かれ部屋の中にいた人々がドアのほうに集中する。そこには髪を乱し、肩を激しく上下させながら呼吸をするメグが立っていた。メグの顔を見たアオイは安堵する。しかし、メグのほうはサバンナの野生動物のように言い逃れを繰り返している男を睨みつけていた。

部屋から追い出そうとする駅員の手を振り払い、アオイの近くにしゃがむ。


「大丈夫?」

「別にこれくらい平気よ」

「……」


 メグは再び男を横目で見る。対応に追われている駅員にしがみつき、無実を主張し続けている姿に彼女の堪忍袋の緒が切れる。アオイに対して少しだけ微笑みかけると、静かに男のもとに近づき、声をかけた。


「おい、いい歳こいたおっさんが女子高生に触れたんだってな」

「何もやっていないと言っているだろう。大体あの女の勘違いなんじゃないか!!」

「……このままでは埒が明かない。ようは証拠がないを武器にしているわけだな。なるほど、わかった。そこの駅員、警察の関係者はいつ来る?」

「もうじき来るかと」

「では、この子のスカート、および下着を検査して。彼が無実であれば、付着物は何もついていないわけだ」


 ドアがゆっくりと開き、数人の警察官がアタッシュケースのようなものを片手に入ってきた。警察官の放つ鋭い雰囲気に周囲に緊張感が走る。駅員は警察官に情報を引き継ぎ、検査が始まった。

 付着物のサンプルの採取は数分で終わり結果が出るまで二部屋に分かれ、待機となる。アオイの待機する部屋にはソファーにアオイとメグ、ミドリとダッフルコートの青年が向い合せで腰を下ろす。


「お隣に座ってからで申し訳ないが、自己紹介がまだでしたね。俺はミノルと申します」

「ミドリです」

「存じ上げています。有名ですからね」

「いつまでその猫を被っているんだ、キモイ」

「よくそんなこと言えるな。メグお前の友達を傷つけた奴を拘束してやったんだぞ。無能なお前とは違って、お前と違って」


 わざとらしく大きな舌打ちをしてメグはそっぽを向く。沈黙が部屋を包み込み、それ以上の会話は生まれることはなかった。

 数十分後、強調された秒針を睨みつけながらメグは腕を組み、足を組んで落ち着きなく指を動かしている。その隣でアオイはスマホを眺めながら何度目かの溜息をついた。この数十分の間に時折、物をぶつける音や男の奇声が二つ隣のアオイ達の部屋にも聞こえてきていた。

 短い数回のノックの後、五十代くらいの男性がバインダー片手に入ってきた。アオイ達は全員立ち上がると軽く頭を下げる。


「皆様、お待たせしました。検査の結果が出ましたの改めてご報告させていただきます」

「お願いします」

「先ほどアオイさんの衣類から採取したDNAと被疑者の物が一致しました。簡易的な検査ですが間違いはないでしょう。近々、改めて連絡させていただきます」

「別にいいです。訴えるつもりはないので。ただ、そのまま逃げられるのは癪に障りますので、今後このようなことが二度と起こらないようにしてください。この国の警察は非常に優秀なのですから」


 アオイはカバンを持ち、部屋に残った人々に深々と頭を下げると部屋を出てロータリーの方へ向かって歩いていく。改札に銀色のICカードをかざして日が沈んだ夜の街へと繰り出す。見上げる夜空には微かに星が輝いているが、それはビルや繁華街の明かりによって打ち消されつつあった。駅のロータリーに真っ白な高級車がアオイ達の目の前で止まる。背後から追いかけていたメグに声をかけられ、振り向くことなくそのまま話し出した。


「アオイ」

「なにかしら、メグ。まさか私があんな程度の男に負けるとでも思っているのかしら」

「そんな馬鹿な話があるわけがない。さっきあんなことがあったんだ、流石にこのまま電車で帰るのはあたしも気分が悪い。迎えを呼んだんだ。多分もうすぐ来るはずさ」

「ええ、来たわ。……今日は厄日か仏滅かしら」

「いや、先勝だぞ」

「久しぶりだね、アオイ」

「……久しぶり、ノアお母さん

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