第10話 『休日に添えられたスパイス』

 県内でもそこそこの大きさを誇る駅。その最寄りのパーキングにメグのスポーツカーの姿がそこにはあった。時刻は電車の発車五分前。

 運転席から降りてきたメグはキーを抜き、大きく背伸びをする。高級車といっても二人乗りということもあり車内はゆとりがあるわけではない。それでもメグはドライブができて満足そうな表情をしていた。


「まったく……ほどほどにっていう言葉がこの人間には理解できなかったわけね」

「失礼な。ちょっと無茶のある追い抜きをしたくらいで」

「それが危ないっていうのよ」


 助手席から降りてきたアオイは足元がおぼつかない。一時間弱もメグのドライブに付き合わされたアオイの体力消費は想像以上だった。それでもドアを支えに車内からカバンを取り出して仕返しにドアを強めに閉める。それでも目的地に固執しているようでふらふらと駅の中に吸い込まれていく。車の施錠を済ませたメグはアオイの後を追う。普段より多い人の数に若干イライラしつつもアオイとはあっさり合流するのだった。改札を抜けて迷わずホームで電車が入ってくるのを待った。

 数分後、予定より若干遅れて電車が、ホームに沿うように徐々に速度を落として完全に停車する。ダムが決壊するように電車内に押し込められていた人々が我先にとホームを踏む。やがて入れ替わるように再び大量の人が押し寿司のように詰め込まれていく。


「なんとか座る席は確保できたわね」

「休日なのはあたし達の学校だけど会社とかは普通にあるからな。だが、こういう人混みは極力避けたい」

「仕方ないわよ」


 文句を少し漏らしつつアオイ達を乗せた電車は再び走り始めた。メグの運転とは対照的にゆっくりと徐々に加速していき、一定の速度に到達次第その速度が保たれる。一定のリズムで車内は、ゆりかごのように揺れる。外の気候とは異なり、人々が放つ熱気、窓から注ぎ込まれる日光、そして独特のリズム。アオイが寝つくまでに時間はかからなかった。


「アオイ、いい加減起きろ。次の駅が目的の駅だぞ」

「んっ……」


 眠そうに眼を擦り、声にならない喉を鳴らすように返事をするアオイ。軽く伸びをすると席を立った。ドアの上にある車内案内表示器には、二人の目的地の名前がゆっくりと右から左に流れていく。

 駅のホームにアオイ達を乗せた電車が入り、規定された場所にぴったりと停車する。ドアが開くと同時に寒暖差の激しい冬の風が車内に入り込んでくる。


「まさか寒いではなく涼しいと感じるとは」

「冗談でしょ。十分寒いわ」

「そうか? 氷点下の地域よりは数十倍マシさ」


 冗談交じりに駅のホームに降り、人の波に背中を押されるように階段を下って改札を抜ける。駅の建物を抜けると太陽の輝きに思わずアオイは目を瞑った。


「いつ来てもこの街は雰囲気が変わらない。私は好きよ」

「そうだな。さて買いたいものはお互い別だから、一度ここで解散としよう。集合場所は改札前のここで」

「わかったわ」


 小さく手を振ってアオイとメグはそれぞれ真逆に歩き始めた。人の波をかき分けるようにアオイが真っ先に行くことにしたのは駅を出て真っすぐ進んだところにあるラーメン屋だった。時刻はお昼時、アオイが空腹感を感じてもおかしくない。

 自動ドアが開き店内から漂うラーメンの香りに深呼吸する。近くのカウンター席に案内され、お冷が出される。そのまま店員にオーダーを済ませ、完成を今か今かと待つ。


「お待たせしました! そいや亭一押しの豚骨醤油の大盛りでございます」

「いただきます」


 アオイの目の前に置かれた大盛りのラーメンの前で両手をしっかり合わせて軽く頭を下げた。無数の割り箸の中から一本を選び出し、真ん中で割り麺を掴み取る。周囲のことなど気にもせず豪快にすする姿は圧巻だった。額に浮かぶ汗をタオルでふき取り、どんぶりを持ち上げ、汁一滴残さず飲み干した。

 伝票を片手に財布を取り出して会計を済ませ、空腹感が満たされつつ店を出た。スマホを取り出すと地図アプリを起動して次なる目的地に向かって歩きだした。そこから一分程度で二つ目の目的地にたどり着く。

 店の前まで商品が領土を広げている。店の中を少し覗けば地震が起きた際は二次災害が起きそうなほどの量のアニメグッズがそこにはあった。吸い込まれるように店内に入っていき、次々とグッズをかごの中に放り込んでいく。


「このアニメのグッズはどれも品薄ね。旬だからしたかないわ。メグのドライブに付き合わされなければ、もう少し残っていたかしら」


 独り言で文句を言いつつも慣れた手つきで見極め、かごはどんどん山盛りになっていった。レジに持っていくと周りの人は異物を見るかのように何度かアオイの顔を見ている。


「お客様のお会計が税込み……七万五千二百四十円になります」

「現金で」

「ありがとうございましたー」


 両手に紙袋を持ってすたすたと来た道を戻り、駅のコインロッカーに荷物を詰め込む。一仕事終えたように駅から少し歩いたところにあるパソコンショップに向かって歩きだす。


「相変わらずこの地図アプリは無茶なこと言ってくれるわね。そこ、どう見ても渡れないけど」


 アオイが向かっている店舗は確かに目の前にある。しかし、その前には車通りがそこそこある大きな道が遮っている。地図アプリはそこを横断するようにルート選択されているが、交通量をみれば無理なのは火を見るより明らかだった。タスクキルをしてそこからは道に従う。


「さて、SDカード買わないと。それから最新のグラボが今日発売だったはず」


 ここでも同様に次々と商品をカートの中に放り込んでいく。その様はまるで隣の大国が爆買いしていく姿にも見えなくない。そのまま会計に進み、ディスプレイにはどんどん金額が加算されていった。


「十三万七千九百四十円になります」

「現金で」

「ありがとうございました」

「やっぱりグラボ、高いわね」


 不服そうに頬を膨らませると何度目かの駅に向かって歩き出す。左手首に巻かれている時計は午後の三時を指している。先ほどのコインロッカーを開けて荷物を取り出し近くにある郵便局に行く。

 大きめの段ボールを購入して、自宅の住所を記入して荷物を預ける。


「はい、以上で手続きはすべて終了です。荷物は明後日までには届くと思います」

「お願いします」


 スタッフに微笑みかけると郵便局を後にした。郵便局の中がどれほど快適だったか把握したアオイは、腕時計で今の時間を確認して溜め息をつく。時刻は午後四時。


「メグとの集合時間は午後六時。参ったわね、二時間も時間を潰すのは困難だわ。そうねー」


 しばらく考えた後、彼女の足は何度目かの駅へと向かっていた。改札を通り抜け、不意に思いついた目的地に向かう電車を待つ。


***


 メグはアオイと別れて街の中に消えていく背中を見つめ、完全にその姿かたちが人の波と同化したのを確認する。改札に戻り、再び改札を抜けてホームに待機している電車に乗り込んだ。


「……会いたいような会いたくないような」


 混雑のピークを超えた電車内はポツポツと人が乗っている程度でむしろ空席の方が目立っている。車両の端の席に座ったメグは壁に寄りかかり深刻そうな表情で溜め息をついた。死んだような目で見続けているスマホには数分前に最後のメッセージが更新されて以降、画面の変化はない。 残酷なことに車内のアナウンスは目的地の名前を機械的な音声が繰り返される。死刑台に上がる直前のようなふらふらした足取りで電車を降りその場に立ち尽くす。電車が発車して、その風に服や髪が乱れる。駅の中にある巨大な時計は予定の時刻より一時間早い時刻を指していた。


「……確か、この街にはよく楽器を買いに来ていたなぁ。結局全部売っちゃったけど。ちょっと寄っていくか。あの店主まだやっているのか」


 当時の記憶と重ね合わせながら裏道を通り抜け、裏通りに入ってウキウキだった彼女の足は静かに止まる。そこには、ドアは張り紙で閉店の文字と彼女も知らない名前がそこにはあった。ドアにそっと触れて目を細める。


「そりゃ、そうだよね。知ってたさ。あたしは情報屋にも引けを取らない情報網を持っているんだ……」


 来る時とは打って変わって重い足取りにまた逆戻りしたメグは、指定されたカフェに向かう。

 静かな雰囲気、店内に香るコーヒーの匂い、おしゃれな音楽、そのすべてがメグにとっては心地良いものだった。まるで好きなものを全て把握されているような感覚を味わいながら店の一番奥の席に腰を下ろした。メニューを開き適当に何品か注文し、お冷を口にする。呆然と窓から見える街並みを頬杖をつきながら見ていると、その目の前を一人の通り抜けた。その瞬間、彼女の全身に電撃が走ったような感覚と共に鳥肌が止まらない。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか」

「いや、連れが既にお邪魔しているようじゃ」


 席を立ち、来店した女性に対してメグは深々と頭を下げる。それに気が付いた女性はメグの目の前に座り、背負っている荷物を雑に自分の隣に置いた。メニューを開き、メグと同じように注文をしてさっさとメニューを下げた。それからは重い沈黙が店全体を包み込む。


「久しぶりじゃな、我のものと去ってからの活動は随分と消極的になってしまったのう」

「お久しぶりです。相変わらずのようで。どうせあたしと会う予定の前に一仕事入れてきたのでしょう」

「そんな固い言葉を使うでない。ふむ、その通り。じゃが、昔みたいに心躍る戦場はなかなかないが」

「では、そりゃそうだ。どこの国に行ってもシオン、貴女の名前は恐れられているんだからな」

「そんな馬鹿な。我より“No name”の方が恐ろしい。なんじゃあの武具の練度は」


 わなわなと手を震わせながらお手拭きを握りしめる。二人のテーブルの上には注文した料理が着々と届けられていく。軽食をメインに頼んでいるメグとは対照にシオンはパフェやパンケーキといったデザートばかり注文していた。パフェスプーンで器用にパフェを食べながら、まるで最近何しているといわんばかりに話す。それをすべて適当に返すメグ。


「喉も温まったころじゃろう。なんせ極寒の地での依頼は流石にしんどい。さて、本題に移ろう。お前、今何しているだ。我のもとを去っていったということは、それなりのことということじゃろう」

「……師匠。それは言えませんよ。依頼の情報をそう簡単に流すわけがないでしょう。まあ、今となれば当の本人は忘れていそうですが」

「それだけで大体察しがつく。それで、アイツはいないのか」

「ええ、今頃買い物でもしているんじゃないか。そこに関してはあたしには関係ない」


 注文したものを頬張りながら呆れたような声で話すメグを見てシオンは空になったパフェグラスにパフェスプーンを放り込む。スプーンから発せられる金属音が静かな店内に響く。お手拭きで口元を拭き、獲物を見る野生の動物のような視線を送った。


「気をつけな。我同様、お前も顔面的なポテンシャルがいいからな。勿論、アオイも」

「何が言いたい」

「夜道以外にも背後に気をつけろってことじゃ。男という生き物に気をつけな」


 にやにやとまるで何かを知っているかのように笑うシオン。

 イライラした表情でメグは冷めたコーヒーを胃に流し込む。しかし、その顔にはシオンが放った言葉が離れない様子でちらちらと外を眺めている。その時、彼女のポケットに入れてある私用のスマホに一通のメールが届いた。送り主はアオイ。本文は無く、その意味がメグにはすぐに分かった。勢いよく立ち上がると伝票を握りしめる。


「師匠の警告には感謝します。では急用が入ったからこの辺で失礼」

「そうかい、長くあちら側の世界にいた意味があったみたいじゃの」


 速やかに支払いを済ませ、メグは全力で駅に向かって駆け出す。本文がないメール、それは緊急度が最大に高いときに送る救難を求めるメッセージだった。何度か電話をかけるが、一向にアオイが出る様子はない。彼女の額に冷や汗が溢れる。


「大事の事件に巻き込まれていなければいいが……」


 遅刻ギリギリのサラリーマンのように改札を走り抜けて既に止まっている電車に飛び乗った。夕方の電車に乗っている人はそこまで多くはなかったが、メグは出入り口付近に立つ。焦る彼女とは逆に電車はゆっくりと走り始める。

 メッセージボックスを何度も何度も更新するが、彼女の期待を裏切るように新着メールはありませんの文が消えることはなかった。スマホをポケットに放り込み、車内案内表示器に映し出される文字をひたすら追う。彼女の表情はますます厳しくなっていくのだった。

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