第9話 『通り抜ける風 疾風の如く』

 午前中の授業が終わるのはあっという間だった。

 昼休み。仲の良い生徒同士が男女問わず集まって食堂に向かって駆け出していく。四限目の授業を持っていた教師は、溜め息をつきながら最近薄くなっていく頭を押さえながら教室から去っていった。


「アオイさん、もしよければ一緒に食事をしても構いませんか?」

「メグも一緒でよければ問題ないわ。そうね、ついでに食べ終わったら学校の案内も済ませてしまいましょう」

「ありがとうございます。転校したばかりということもあってか、ほかの生徒からなかなか声をかけてもらえないので」

「それは仕方ないわよ。だって貴女、目が怖いもの」


 アオイはすっぱり言い切り、アオイの隣でご飯をかきこんでいたメグは思いっきりむせてしまう。カバンの中から取り出したウエットティッシュをメグに渡し、何事もなかったかのように両手を合わせてから食べ始める。


「彩まで計算された綺麗な弁当ですね。市販品とは比較できないレベル。これはアオイさんの手作りですか?」

「今日のはメグね。朝早くから起きて作ってくれているのよ」

「とか言っているけど、アオイは前日の夜から仕込みを始めているくせに」


 一瞬、アオイの発言に怪訝な表情を浮かべるミドリは、おにぎりを頬張りながらアオイの顔をまじまじと見つめた。


「何か私の顔についているかしら」

「今日のはということは、お二人は一緒に暮らしているのですか。親戚とか……」

「違うわ。ただの友達。ルームシェアみたいなものよ」

「そうだったのですね。複雑な家庭内環境に土足で踏み込んでしまったことを謝罪します」

「別に気にしていないわ。それよりも食べ終わったのなら学校を案内するわ。ちなみに同じ説明を何度もするのはごめんよ」


 最後の一個の唐揚げを頬張りながら視線をミドリからそらす。弁当箱を丁寧に包むとカバンにしまい、両手を合わせる。席を立ち一階の昇降口に向かった。


 一階から主要な教室の説明を終えた彼女達は屋上に来ていた。屋上は放課後まで自由に解放されている。既に数名の生徒が屋上で休息をとっていたが、恰好から一限目からサボっているような生徒の姿もちらほらいた。床に寝そべり雑誌をアイマスク代わりにしている生徒たちは光合成でもするかのように眠っていた。


「とりあえず、動いたから喉乾いたでしょう。そこに自販機があるから好きなのを言いなさい。今回は私の奢り」

あたしはイチゴオレ」

「私は水でお願いします」


 アオイは制服の胸ポケットから手作りの小銭入れを取り出して自販機で飲み物を買い、駆け足で戻ってくる。その場に座り、流れる雲を眺めつつ飲み物を飲もうとするが、チャイムに続いて職員室へ出頭命令が敷地内に響く。ゆっくりと立ち上がり、スカートを軽く叩いて溜め息交じりに屋上から姿を消した。


「いつまで無言でいるつもりなのですか?」

「話す必要が無いと思うが?」

「どうせ貴女とアオイさんは“Nightmare”と関係があるのでしょう」

「根拠も証拠もないのによく言えたな」

「今日私と一緒に転校してきた確か、カレンさんでしたっけ。どこかで見たことがあると思えば、少し前に起きた学園襲撃事件の被害者ですよね」


 メグは目線だけで周囲の生徒の様子を伺う。幸いにも他の生徒達もぱらぱらと屋上を後にしていた。一つ大きく深呼吸をすると質問に対して頷いた。


「そうだ。カレンはあの事件の被害者だ。被害者のフォローをするのは当たり前の話。それが何か問題でもあるとでもいうのか」

「質問が悪かったみたいですね。貴女は“Nightmare”の関係者もしくは本人でしょう。どういう接点なのでしょうかね?」


 ふわりと冬の風が二人の間を通り抜ける。舞い上がった茶色の髪が落ち着いた時、我慢していた笑いがこみあげてきた。心底呆れたような、どこから説明しようか悩んでいるような、ようやく言葉を見つけた彼女は言葉を放ち始める。


「初対面でこういうのは失礼だと分かっているが、そちらもそこそこ失礼なことを言ったからこれでおあいこだな」

「どういうことですか」

「馬鹿か。どういう憶測でその結論に至ったのか、ぜひとも頭をかち割って覗き込みたいな。第一あたしがその“Nightmare”っていう奴だったら、あんたをこの場で殺しているぞ?」


 メグは薄っすらと笑った後、鋭い眼光を向ける。一歩下がり、拳に力を込めた。深呼吸した後、前のめりに突っ込んだ。周りの視線を気にすることなくミドリの顔面すれすれまで拳を近づける。

 ミドリの前髪が空圧で舞う。しかし、瞬きをすることなくメグのことだけを真っすぐ見ていた。不敵に微笑み、その拳を静かに下ろさせる。メグを見ていたと思われていた彼女だったが、視線はメグではなく屋上の入り口の方に向けられていた。


「メグ、学校で暴れないでほしいわ。次の授業は移動教室なんだから行くわよ。二人の教科書持ってきたわよ」

「そんな気分じゃないんだけどパスしていいかな?」

「次の授業、情報科学だけど?」

「さあ、早く教科書を」


 アオイに放り投げられページが舞い、不規則な動きで落下していくのをメグは容易くキャッチしてアオイの隣に並ぶ。

 二人が並んで歩いている姿をただ黙ってみているミドリの視線は一段と厳しくなっていた。ポケットから取り出した手帳に何やら大量に暗号のような文字を羅列する。その表情は険しい。


「ミドリ、何しているの? 遅れるわよ」

「すみません。今行きます」

 手帳をわざとらしく閉じ、制服のポケットに忍ばせた。


「で、今回の件についてどう思う」

「どうって何が?」

「ミドリの転校についてよ。あれは明らかに前回の任務が尾を引いていると思うの」

「ありえない話ではないが、根拠が少し弱い気がする」


 一日の授業がすべて終わり、傾き始めた太陽が照らす帰り道。帰宅部の二人は帰りのホームルームが終わるとほぼ同時に席を立ち、誰にも声をかけられないうちにバスに乗り込んでいた。一人二人と降りていき、二人が下りる頃には空席の方が目立つ。

 アオイはバスから下車しながらぼやく。道の端に置かれている自販機でホットココアを買い、豪快に飲み干した。缶を左右に軽く振り、中身がないことを確認すると自販機の隣に設置されているゴミ箱の穴に向けて一直線に投げつける。

 缶は弧を描くことなく真っすぐ突き進み、穴に吸い込まれていった。


「流石に仕事を休み続けるのにも些か問題が発生する。既に体がなまり始めてもおかしくない」

「そうね。でも今週はゆっくり買い物でも行きましょう。私も自室のパソコンのスペック上げたいし。カレンにも明日出かけることは伝えておいたわ」

「はいはい。決断が早いことで」

「……でも残念ね。カレン、明日は既に友人と会う予定があったみたい」

「そうなのか。それはしょうがない。寒くなってきたし早く帰ろう」


 ポケットに手を突っ込んで適当に返事をしてメグは、先に歩き出す。彼女の表情は浮かない。彼女の頭の中には“Nightmare”の仕事や依頼関連、そして颯爽と現れたミドリという存在にどう対応するか脳内会議が継続的に行われていた。納得いく答えが見いだせないようでイライラした様子で頭を掻きむしるだけだった。


***


 翌日、平凡な火曜日。しかし、彼女達が通う学校は休校となっていた。本日から一週間ほど改修工事に入ることになっていた。

 日が昇りきっていっていない朝のうちからアオイとメグはリビングで朝食を食べていた。二人の横にはサランラップが被せられた同じメニューが並んでいる。メグの字で書かれたメモが付箋でサランラップに張り付けられている。


「「……」」


 僅かな明かりを頼りに食事のペースを合わせ、ほぼ同時に食べ終わる。軽めに皿を洗ってから水切りかごに入れて素早く各部屋に戻った。リュックサックに財布と最低限必要なものをまとめ玄関で再集合する。

 彼女たちが起床してから支度が終わるまでの時間は僅か三十分程度の時間の話だった。

 音をたてないように玄関のドアを開けたアオイは外の空気の冷たさに思わず身震いする。ドアを開けっぱなしにしてメグが出たのを確認してからしっかり施錠した。


「行きましょう」

「今日はどっちの運転で行くんだ?」

「メグにお願いしてもいいかしら」

「はいはい」


 門扉を抜けて一度、敷地の外に出てから隣接している白いガレージに向かう。シャッターを上げると黒いスポーツカーが朝日に反射して輝き出した。

 運転席に乗り込んだメグは、キーを回してエンジンをかけた。高い音と共に車が僅かに振動する。助手席にアオイが乗りこみ、シートベルト装着した。カチッと音がすると同時にメグはクラッチを踏みつつ、ブレーキに乗せていた足をアクセルに踏み変えた。クラッチから徐々に足を離すとゆっくり走り出す。


「ちょっと遠回りになるけど寄り道してもいいか?」

「そんなに遅くならなければ別にいいけど……」

「久々に走りたい道があるんだ」


 途中までは普段高速道路を使用する際に通る道と同じだったが、交通情報ではインターチェンジは直進となっているところを右折する。右折した先に見える風景は無数の山々。信号の数もどんどん減ってきていた。

 アオイの中で一つの予感に似たようなものが生まれた瞬間だった。隣からは鼻歌が聞こえる。横目でアオイはメグの顔を見た。見た瞬間、顔面蒼白していった。


「ソシャゲでは高レア当たらないくせにこういうのは当たるのよね」

「寒いの? 暖房強める?」

「お気遣いどうも、もういいわ。どうせ暖房を入れられると私が嘔吐する可能性が跳ね上がるだけだから」

「察したみたいだな。確かにこの車、二千万以上するし」

「私なりに健闘することにす――」


 ジェットコースターの上々のように、または絞首台に上る囚人のように坂を上っていくる車の中でアオイは、少しだけ昔のことを思い出していた。

 メグが免許を取ってから数日後、高級なスポーツカーが家の前に停車していた。中から出てきたのはメグと知らない女性だった。メグのように鋭い視線に何を考えているのか読み取れない表情。そんな女性から車のキーを受け取り、アオイが初めてメグにドライブに誘われた。


 そしてそれが、今アオイ達が再び訪れていたS字のカーブが幾度も繰り返される山下りのコースだった。頂点で車を停めてメグは顎を上げ挑発的に見下す。にやりとアオイに微笑みかけ口を開いた。


「アオイ知っているか? このコースあたしが初めて免許取った時、ここに来たよな」

「そうね。忘れもしないわよ。色々な戦場を潜り抜けてきたつもりだけど、あれほど命の危機を感じたことはないわ」

「ふむ。そんなことないはずなんだよな。あの時ですら技術は師匠のお墨付きだったはずなんだけど」

「そういう話ではないの」

「なら問題ないな」


 ギアをローに、クラッチを左足で踏み込みアクセルを右足で思いっきり踏み込む。エンジンが高鳴り、マフラーが高い音を響かせ続ける。メグは小声でカウントダウンを開始した。ゼロになると同時にクラッチを緩め、車がかなりの速度で走り出す。数メートル走った段階で次々とギアを上げていく。

 下り道をメグが操るスポーツカーの速度計は間もなく三桁の大台に乗ろうとしている。道の隅に建てられている標識が右に曲がることを警告しているが、彼女の目に映っていたのは、物の数秒での出来事だった。曲がる前にトップギアに入っていたギアを徐々に落とし、一つ目のカーブを曲がっていく。直線ラインに入った途端にギアを上げ再び上げ、後方に体がのけ反る。

 次のカーブの位置は標識任せではなく流れゆく僅かな景色をちらりと見て速度計に目線を落とす。再び前方に視線を移し、ブレーキとクラッチを踏み減速してブレーキのみ足を浮かせ惰力で曲がり切った。


「やっと、終わったのね……」

「悪い悪い。最近このコース走れていなかったからテンション上がって」

「……もういいよ。本来の目的も忘れてしまったわ」

「今度何か好きなものを買ってやるから……あたしのお財布を考慮したうえで」

「こんな高級車買っている時点でほぼ上限がないと言っているようなものよ。色々すごいわね」

「…………ただ株で儲けただけさ」


 峠を下りきってすぐの道の駅に車を停めてメグは、炭酸飲料を飲みながら笑っている。しかしそれとは対照にアオイは助手席でぐったりとしていた。

 目を軽く閉じて、メグに買ってこさせたスポーツ飲料をちびちびと喉を通す。車の窓を開けてわざとらしく深呼吸して見せた。座席に体を預けて天井を見つめていたアオイは、急に起き上がると左手に巻かれた腕時計を確認し顔が真っ青になった。


「メグ、座席指定した電車の時間もうすぐよ」

「すっかり忘れていた! 急がなくては」

「公道では安全運転でお願いしたいわ」

「……善処する」


 アオイが苦虫を噛み潰したような顔をしている間にスポーツカーはエンジンを吹かし、公道に合流していた。アオイの叫びはメグ以外に届くことはなかった。

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