第3章 『新たなショウガイ』
第8話 『新緑の風 吹き抜ける』
「ミドリさんは、この事件についてどうお考えですか」
「少なくとも個人の恨みに対するものではないと考えています。また通帳などが残っている点からみても、金目のものが目当てという線も薄いと思います」
だが、彼女はそのマイクを向けられるその瞬間が嫌いだった。国民の知る権利を知能指数を低下させた人間が、馬鹿の一つ覚えのように振り回す。そしてあることないことをさも真実のように書き上げる。
「だから私は犯罪者が嫌いですし、憎いです。許しません。必ずこの世から滅ぼします」
冷たい視線と共に力強い信念をカメラのレンズの先で見ている国民たちに、はっきりと伝えたミドリ。一礼してその場を去ろうとするが、マスコミはハイエナの如く追いかけてくる。ムスッとした様子で母親の運転する車に飛び乗った。その様はまるでゾンビの大群に追いかけられている生存差のようだ。
ミドリは後部座席からミラーを運転している母親の姿を見る。ビシッとしたスーツに身を包み、その腕には高級な時計巻かれていた。目の下のクマが過労の何よりもの証拠になっていた。
「ミドリ、転校の支度は終えた?」
「はい」
「それなら明後日学校に挨拶に行くからリスケしておいて」
「わかりました」
カバンの中からスマホを取り出して父親にメールを送り、スマホを隣に席に投げ横になる。窓の向こうで流れる景色を見つめながら彼女は小さな溜め息をついた。
***
時間はゆっくりと流れ、一週間。あの後、メグのドライブテクニックでその場は逃げ切れた。
「一週間程度は、おとなしくしよう」
「そうね、明後日からはリアルの方も忙しくなるわけだし」
「そうだな、どっかの誰かさんのせいで」
土曜日。アオイの家でも他の日よりもゆっくりとした時間が流れている。朝食後のコーヒーを飲みながらタブレットでニュースを閲覧し、時々含み笑いを必死に堪えていた。一方メグは左手でコップを持ちながら空いた片手で海外から送られてきた手紙に顔をしかめている。穏やかそうに見えるのもあくまで平日に比べればの話であった。
頭を掻きむしりながらアオイは、テレビの電源を入れ、ニュース番組にチャンネルを合わせる。各地の天気予報、気温、芸能人のスキャンダル。どれも退屈そうにメグの膝を枕代わりにしてぬれ煎餅を咀嚼する。
「次のニュースです。先週起きた男女殺害事件の犯人は現在も逃走中とのことです。近隣の方は十分に警戒をして――」
つまらなそうにテレビを消したアオイは、リモコンをテーブルの上に投げ捨てるように置く。その時、チャイムが何度か押された。面倒くさそうに立ち上がり、よろよろと玄関に向かう。
「どちら様ですかー」
「アオイさん、今日からお世話になります。これ、一緒に食べませんか?」
本格的な冬場のわりにラフな格好をしたカレンがコンビニのビニール袋をぶら下げ、キャリーケースを持ってたっていた。ビニール袋からはほんのりと湯気が上がっている。冬の寒さも相まってか、アオイの表情も心なしか緩んだように見える。
「大丈夫ですか? なんだがアオイさん元気がないような気がするのですが」
「そんなことないわよ。さ、いつまでも外にいたら寒いでしょう。上がって上がって」
「お、お邪魔します」
「そんな他人行儀じゃなくてもいいわよ。しばらくの間この家が貴女が暮らす家になるんだから」
リビングに二人が戻ると、メグがポテチを咥えながら眠そうな目でテレビを眺めていた。カレンの存在には気づいているようだが、彼女から話しかけるようなことはなかった。
テレビには、アオイ達と同じくらいの年齢の女性が記者達にマイクを突き付けられ、インタビューに答えている様子が映し出されていた。自身に満ち溢れたその顔、ハキハキとした声で答える姿はどこか大人びた印象を与えている。
「あ、この子最近やたらテレビに出ていますよね。確か、“Nightmare”さんの件で捜査しているとか。先日夫婦が殺された事件も起きていましたよね」
「彼女の名前はミドリ。父親が警察のお偉いさん。その名前が後押ししているかどうかは定かではないが、彼女自身も捜査に参加したり探偵のようなこともやっているらしい」
不服そうな顔でメグが話す。その話を食い気味に聞いているカレンとは異なり、アオイはテレビに映るミドリを静かに睨みつけていた。その拳に力が込められているのを気づく者は誰もいない。
月曜日の早朝。珍しく一人で起きたアオイはベッドの上で上半身だけを起こして呆けていた。ミドリと直接対立したあの時を思い出しては両手が震える。
「アイツに対して心のどこかで油断していた私がいたのは間違いない。情けなさ過ぎて涙が出るわ。ノアのもとに手合わせしに行かないといけないかもしれない」
布団の中に戻り、再び夢の世界へと誘われていく。だが数時間後、いつものようにメグにたたき起こされるアオイの姿がそこにはあのであった。
ベッドとお別れを済ませて早速、女子力を吹き飛ばしたような大きなくしゃみをして鼻水を垂らす。割烹着を着たメグが呆れた様子でじっとりした視線をアオイに送る。
「……誰かが私の噂をしているのかもしれないわ」
「噂をされる程なことをやっている自覚はあるみたいで安心した」
リビングに着くとメグの他にカレンの姿もそこにはあった。リビングのテーブルを机代わりに教科書とノートを広げて勉強している。割烹着を着たメグが所々教えているところを見るとまるで本当の家族のようにも見える。
「きっと噂をしていたのは、どうせあの教師達でしょう。来週に再び面談入れられているし」
「アオイさんは、そのような問題を起こすような生徒なんですか」
「なわけあるか。こいつはこう見えて頭がいい方なんだよ。教師からしたら有名な大学に進学してほしいわけさ」
「学校の知名度に繋がるわけだからしょうがない。まったく興味がないけど」
興味がなさそうに朝食のトーストを頬張りながらアオイは答える。トーストと目玉焼きの洋食のアオイ、バランス重視一汁三菜のメグ、中華粥のカレンと各々が食べたいものを食べる結果になった。
朝食を終えて壁掛け時計を見ると時刻は準備をする時間になっていた。アオイの目が鋭く輝き、食べ終えた皿を重ねて流しに走りこもうとする。それを冷静に進路を妨害して仁王立ちしているのはメグだった。その表情はまさに鬼の形相だった。
「カレンがいるのにそれをやるとは、罰として今日の洗い物はアオイがやれ」
「わかったわよ」
「そういうルールがあったんですか」
「一応、この家は
「でもこれで正式に朝食の後片付けは免除ですよね?」
中華粥の残りを飲み干したカレンは、何事もなかったかのように流しに運び二人に微笑みかける。痛いところを突かれたとメグは髪を掻きむしるった。
「さて、学校に行く準備をしましょう。カレンの教科書は……ちょっと違うわね。確か今年も去年と同じものを使われていたはず。私のお古でよければ使って」
「いいんですか」
「まあ、色々なところに落書きがあるかもしれないけれど、それを気にしないで貰えるのだったらいいわ」
部屋に戻り、高校二年生の教科書一式手渡す。パラパラと軽く教科書をめくる。所々アオイの字体の一言が書かれていた。教科書をめくるたびにカレンの目が輝いていた。
「カレン。集中してくれるのはありがたいけど、遅刻するわよ。しかも今日は朝会があるから急ぐわよ」
玄関で再集合すると三人並んで登校する。いつも通りの何も変わらない日常の通学路、バス、そして最寄りのバス停からの道のはずだった。学校の正門前で人だかりができていた。人の隙間から中心人物が誰なのか確認しようとしたアオイの表情が一瞬で曇る。遠巻きから見ていた二人の腕を掴み、裏門から敷地内に入る。門を抜けたタイミングでメグは、アオイの手を強引に引き剥がした。
「おいおい、いい加減説明してくれよ」
「……厄介な奴が私の学校に来たみたいよ」
「よくわからないけどカレンを職員室に送った後、ホームルームに行くぞ」
校舎の四階、階段を登りきると同じクラスの生徒が反対に階段を下りている姿が度々見られた。メグに気が付いた生徒が朝会があることを伝えて手を振って去っていく。カバンを机に投げてから階段を駆け下りていく。
アオイ達が体育館に入った時は、朝会が始まっていた。壇上に上がり長々と話している校長の話に耳を傾けている人はいない。保健室に運ばれた生徒の数が三名を超えたところで校長の話に幕が降ろされた。
「転校生を二人紹介します。まずはカレンさんから」
「はい、カレンです。色々な出来事があって転校してくることになりました。高校二年生です。皆さんよろしくお願いします」
カレンの性格、声、見た目を受け入れない男子生徒がいないはずがなかった。体育館の中には男子生徒の歓声が割れんばかりにこだまする。それを遮るように演台を激しく叩く。体育館中に一気に静まり返る。沈黙の中、もう一人の転校生が口を開いた。
「静かにしていただき誠にありがとうございます。初めまして、いえ皆さんからすれば初めてではないですね。私はミドリ、本日よりこの学校で皆さんと勉学をすることになりました。仕事の影響で登校できない時もありますが、よろしくお願いします」
一礼するとさっさと壇上を下りてパイプ椅子に座る。ざわつく生徒のことなど気に留めることなくミドリは、真っすぐ見つめていた。
「カレンさんは二年B組に、ミドリさんは三年A組に所属していただきます。短い期間ですが皆さん仲良くして下さいね」
アオイとメグはそれ以降何を伝えられたのか分からないほど呆然としていた。流れ解散となり各々が喋りながら教室に戻る中、アオイとメグはその集団から途中で抜けだした。そのままトイレに駆け込み、アオイは頭を抱えメグは頭を掻きむしりながら溜め息をついた。
「マズイわね」
「マズイ、ものすごくマズイ。学力面で優秀なこと、座席の関係から考えてもアオイが抜擢されるだろう」
「ええ。でもこれ以上教師に目をつけられるわけには……いかないし。何とかするわね」
「だが、彼女のことだから間違いなく候補に挙がる。警戒心は忘れてはならない」
頷き合い、時間をずらして教室に戻る。後ろのドアを開けると、クラスメイトの視線が痛いほどアオイと少し遅れてきたメグに向けられた。黒板にはミドリの名前が書かれていて教卓の隣に立たされているミドリが一番鋭い視線を送っていた。ミドリの隣に立っている教師が咳ばらいをしてからアオイの顔を見て頷く。
「二人揃ってトイレか。まあ、丁度いい。席はアオイの後ろでいいか、休み時間に学校に学校を案内してやってくれ」
「よろしくお願いします」
「……はい」
指名された瞬間、アオイよりメグの体に緊張が走る。すぐに真顔に戻り、小さく手を上げ自らも手伝う意思を示した。
しかし、ミドリの視線は猫を被ったアオイのほうだった。
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