第7話 『伝わらないもの』
手短に準備すれば早く実行に移すことができる。だが、それだけ杜撰なものとなりかねない。だから彼女は、だから彼女達は一週間という時間を準備にあてた。
早朝四時。メグの部屋のカレンダーには実行日とだけ書かれている。パソコンの前でメグは眼の下にクマを作りながら死に物狂いでキーボードを叩き続けていた。
「あと一つ。あと少しだけ。詰めが甘いんだよなぁ」
「メグ? もう朝よ。実行は今日なのはわかるけど、今日は学校――」
「休む」
机に突っ伏して寝ようとするメグ。アオイはため息を吐き、すごすごと地下室から出てリビングに戻り朝食を作る。リビングのカレンダーには明日の昼にカレンが来ることになっていた。テーブルの上に置かれている朝刊を眺めながら一人、コーヒーを啜る。と、その時飲んでいたコーヒーを噴出した。
「あ、ああ」
新聞には先日のアオイが殲滅したカフェがすぐ近くのヤクザの襲撃ということになっており、数人が逮捕されたと報道されていた。続きの文章には犯人は犯行を否定していると綴られていた。
「そりゃそうよね。本当にやっていないのだから。やっていない犯行を認めろという方が難しい話よ」
アオイは顔も知らない数人の男性に黙祷を捧げる。朝食を済ませて制服に着替えて玄関に立つ。聞こえないはずのメグに向けて行ってきますと告げると静かにドアを開けた。
いつもとは異なりメグのいない通学路、メグのいないバス、そしてメグのいない高校。アオイはいつも以上に静かに過ごしていた。集団でいることが多くない彼女の周りには誰もいない。だが、それでも彼女は満足そうに笑った。
***
「……本当に大丈夫なの?」
夜の町、日は完全に沈み暗闇が支配する町。抵抗するように一点を照らす街灯が異質に見える。黒いセーラー服に身を包んだアオイは心配そうな声を出していた。
彼女の周りには、畑かビニールハウスのみで人どころか野生の動物が出てきそうな雰囲気を漂わせている。実際にここまでくる間に数匹の野良猫と遭遇していた。家らしきものが点々と存在するが、どの家も明かりはついていない。
「おや、
「……もしもそれを本気で言っているのだったら明日のお日様拝めないわよ」
「さて、冗談はここら辺にしておいて話を戻す。シュミレーターで何度も計算したが、問題ない」
「それならいいのだけど」
夜の畑道をセーラー服姿に暗視ゴーグルといった怪しさが隠しきれていない格好で突き進む。比較的大通りを通り抜け、何度か右左折を繰り返した。しばらく進むと碁盤の目のような道にぶつかる。そして追い打ちをかけるように街灯の数はここに来るまでに徐々に数を減らしていっていた。アオイも目印になるようなものを探すが、如何せん周りの風景は大して変化していない。
「アオイ、今の交差点を右ではなく左だぞ」
「あらごめんなさい。ほんとややこしいわね」
ぶつぶつと文句を言いながらも歩き続け、ようやく目的地にたどり着いた。外観は所々塗装が剥がれ落ち、古びた洋館のようにも見える。
防犯対策に家の前に敷き詰められている砂利を音をたてないように歩き、裏口に回り込む。その間も周りの家は沈黙を貫き、肝心の家の中も物音ひとつしない状態だった。
勝手口のドアノブを掴んで回すと簡単にドアは開いた。そして開くと同時にアオイの鼻をねじ切るような悪臭が漂う。キッチンの周りは生ゴミで溢れ返り、ハエが多数集っている。場所をリビングに移したアオイは、ホルスターからナイフを抜き取り構えた。
「……ねぇ、風呂場に誰かいるみたい」
「よく観察してくれ。それが依頼人だったらスルー、対象だったら殺せ」
「……了解」
「健闘を祈る」
抜き足、忍び足で階段を登り真っ暗な二階に上がる。アオイは依頼人から教わった家の構造を思い出しつつ、先に父親のもとへと向かった。その表情は真剣そのものだった。
ドアノブをゆっくり下げてドアを押し、部屋の中に侵入する。八畳ほどの広さの部屋で男性が大きないびきを立てて幸せそうに寝ていた。アオイは暗視ゴーグルを目の前に下げて顔をまじまじと見る。依頼された対象と間違いない、そう判断したアオイはナイフを構え直して対象の頬にナイフを充てた。
「うっ……んん」
寝ぼけた様子で目を擦る彼の顔すれすれにナイフを突き立てる。驚いた様子で大声を出そうとする彼の鳩尾にアオイはこぶしをねじ込んだ。
唾液と胃液の混じった液体を吐き出しながらむせている。思わずアオイの降格は徐々に上がり笑い声が漏れていく。
「自分が何でこういうことになっているのか、わかっていない様子ね。実に滑稽だわ」
「お、俺が殺されるようなことをしたとでもいうのか」
「さあね。詳しい話は聞いていないし、興味はないわ」
「た、頼む命だけは。殺さないでくれ。娘がいるんだ。せめて成人になるまでは」
アオイの我慢は限界だった。腹を抱えて笑い出す。ナイフを片付け、ハンドガンを取り出した。安全装置を外して銃口を彼に突き付けた。
「特別にいいことを教えてあげる。本来は秘密義務があるのけれども教えるわ。今回の依頼人は貴方の娘よ」
「どういうこ――」
「さようなら、来世に期待することね」
言葉を遮るようにアオイは突き付けたハンドガンの引き金を躊躇うことなく引く。
彼の顔に銀色の弾丸がぶつかり、一瞬のうちに頭蓋骨を粉砕しながら突き進んで脳を貫いた。数秒のうちはうめき声をあげていたが、白目を剥いて息絶える。その目からは一筋の涙が線を描いていた。
顔に飛んだ返り血を拭きながら近くに落ちている薬莢を拾い上げ、月明かりに当ててみる。興味を失ったようにポケットに忍ばせた。
「……次は母親ね」
かなり派手に発砲音をたてたから隠れることなく、ドアを蹴り破る。木造のドアを蝶番ごと蹴り飛ばす。登ってきた階段を滑るように駆け降りた。玄関の広間に四十代過ぎの女性がスマホ片手に腰を抜かしていた。
アオイの中に眠るドSの顔が表面に現れていた。わざとらしく天井に向けて発砲する。銃口からまだ煙が立ち込めているハンドガンを今度は、もう一人の対象に向ける。そして、にやりと口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。すぐ近くにある電気のスイッチを入れ、家全体が明るい光に包まれた。
「貴女もつくづく私と同じで運がない女ね。色々と調べさせてもらったけど、貴女随分と才能を腐らせてしまったわ。あんな男に掴まらなければ、いい母親になったでしょう」
「殺さないで殺さないで」
「……」
それまで無言を貫いていた通信越しのメグの鋭い言葉がアオイの動きを止める。しかし次の動きに移れるように銃を下ろすことはない。ただ、じっと次の言葉を待つだけだった。
「もう心の方は参っている。これ以上は彼女にとってもアオイにとっても酷なんじゃないか」
「そうね、言うとおりよ。でもそれを依頼人は求めていない」
明るくなり、視界がはっきりとした中でアオイが外すわけがなかった。
抑えられた発砲音と共に放たれた銀色の弾丸は母親の肋骨を二、三本粉砕して肺胞を軽々しく潰していく。弾丸は体内に残り、彼女は口から吐血する。けれども彼女の手からスマホが離されることはなかった。
無理矢理引き剥がしてスマホを奪い取る。そして画面をスワイプして――彼女の手からスマホが零れ落ち、床と接触して画面が砕けた。
「どうした、アオイ」
「……最悪なことになったわ。まるで悪夢ね」
「悪夢ならアオイに毎日のように見せられているが。寒いから風呂に早く入りたいのに長風呂されたり――」
「そんなこと言える状況じゃない」
「ふうむ、一応内容だけは聞いて対応するけど」
「最近、名前が売れてきた警察官の娘……ミドリのホームページにこの女はメッセージを書き込んでいるわ。しかも割と詳細に」
呆然とする二人を現実に呼び戻したのは、徐々に近づいてくるサイレンの音とガラス越しから見える赤く照らされたランプだった。
アオイは舌打ちをして全力でキッチンの方に走り出す。溜まった巨大なゴミ袋を抱え、玄関の入り口前に積み上げてた。玄関にゴミ袋のバリケードを築いた彼女が振り返った時、動きが止まった。
「あ、あなたは……」
「マズイ、依頼人に遭遇した。どうする」
「
ナイフを取り出そうとしたアオイだったが、その手を依頼人がそっと握りしめた。困惑している彼女に対して依頼人は、その目に涙を貯めながら口を開く。
「ありがとうございます……これでもう苦しまなくて済みます。ありがとうございます。あなたの名前は“Nightmare”ですが、私にとっては蛇の夢です」
「……」
アオイは握りしめられた手をそっと握り返す。その手に確かな温もりを感じながら入ってきた時と同じ裏口から出た。
それでも、入ってきた時とは異なり周囲は警察車両で取り囲まれている。狭い土地に敷き詰めるように建設されている。勝手口から抜け出し、背を低くして両隣の庭の状況を確認した。
「左右両方、砂利が敷き詰められているわね。サイレンの音があるとはいえ、感づかれる危険性が高い。さてどうしましょうか」
「参考までに、そこから百メートルほど西に走れば竹藪がある。そこで息をひそめつつ待機、状況に応じて立ち回ってくれ」
「……時間を稼いでどうするつもり?」
「
黙って頷くアオイ。二メートルほどの塀を乗り越え、そのまま直線状にアスリートのようなフォームで歩幅を大きく取って駆け抜けた。彼女にとっては何ともない距離のはずだったが、緊張からか竹藪に入ってすぐに呼吸が乱れる。暗闇の中、竹に手を当てて呼吸を整えるアオイの顔に突如懐中電灯の光が当てられた。
「やはり警察が囲んだ時点で、現場にはもういなかったんですね。それも仕方ありません。私が対応するのが遅かったのが原因ですが」
「やけに喋るのね。この間に逃げることだって可能なの、ミドリさん」
「それは出来ませんよ。それは一番あなたがわかっているはずですよ」
まぶしさに片目を閉じながらアオイは声のトーンを落としてインカムの電源を入れる。じりじりと距離を取ろうとするが、相手もまたじりじりと距離を詰めてくる。お互い相手の手の内を探るように次の行動を待った。
先に動いたのはアオイの方だった。レッグホルスターから威力重視のハンドガンを取り出し、懐中電灯の光の方に射撃する。手ごたえを感じなかったのか続けて二発三発と撃ち込むが、先ほどまで懐中電灯の光に照らされていた彼女の目は暗闇に馴染んではいない。刹那、何かが光った気がしたアオイは体を捻って線上から逸れる。直前まで彼女の心臓があった場所には月明かりに照らされて光る刃渡り数センチのナイフの刃があった。
「今のを避けられるのですね。まあ、あなたが本当に“Nightmare”なら当然ですが」
「私が一般人に後れを取るとでも?」
「一般人呼ばわりですか。少なくともその一般人はこんな物騒なものを持ち歩いたりはしないかと」
ミドリはコートの内ポケットからハンドガンを取り出してアオイに向けて発砲する。控え目な銃声と共に放たれた弾丸はアオイの脇腹をかすり、遠くの地面にめり込んだ。銃声を聞きつけた警察官たちが流れ込んでくるのが、アオイの目にも映っている。諦めたように膝をついた。
勝ち誇った様子のミドリが手錠を回しながらアオイに近づいてくる。アオイの腕を掴もうとした時、彼女の体が一瞬ガクンと揺れた。首筋を押さえ、理解できていない様子だった。改めてアオイに手錠をつけようとするが、今度はうつ伏せで顔から倒れこんだ。
「まったく相変わらず無茶してくれるよ」
「来るのが遅い。死にかけたわ」
「早く乗れ! 任務は成功したんだ。早く帰るぞ」
竹藪を突っ切り、道路と間に流れる用水路を軽々しく飛び越えてアオイは道端に停車している車に飛び乗った。運転席にはアオイとお揃いのインカムを付けたメグが真剣な表情でアクセルを踏み込んでいる。エンジンは三千回転を優に超えていた。時速は八十キロを超え、百キロの大台も目前となっている。
スライドドアを開け後部座席に乗り込んだアオイの隣にはスナイパーライフルが足元には麻酔薬が転がっていた。暗視ゴーグルをつけて背後の様子を見届ける。数台のパトカーがサイレンを鳴らして追跡している。
「……私にも何かできないかしら。メグは運転に集中してもらわないとだし。何か使えそうなものは――っと」
彼女の周りにあるのは、スナイパーライフルと麻酔薬のセット、真っ黒なアタッシュケース、半分くらい残ってる緑茶、セミオートマチックの狙撃銃、そして――。
「一点集中!!」
運転に集中しているメグは、アオイが何かしているが気に留めておく余裕はなさそうだった。彼女が手にしていた
「メグ! アクセル踏み込んで」
「はぁ!?」
「いいから!! 一般人に膝をつかされてむしゃくしゃしているの!」
「はいはい……」
アオイの手に握られていたのは対物ライフルだった。バイポットを床のストッパーに固定して壁にあるボタンを叩き、バックドアのロックが解除される。両手でこじ開けると外からの風が頬を撫でる。寝そべりながらボルトハンドルを回してロックを解除した。スコープを覗きレティクルの中央にパトカーを合わせる。深呼吸してからアオイは引き金にかけた指に力を込める。
爆発的な音、衝撃と共に撃たれた弾丸は、ボンネットを易々と貫きエンジンに穴を開けた。スピンしながら他の車体を巻き込んでいるところに装填を終えた二発目が放たれる。
「この銃声が堪らないのよね」
「はいはい、分かったからさっさと残党を狩りつくしてくれ。そろそろ大通りに出たいんだ」
「わかっているわよ最後の一発も決めてやるわ」
再び寝そべり、標準を定める。慣れた手つきでボルトハンドルを回して最後の弾をセットした。獲物を狩る鷹のような眼でスコープを覗く。
「これでチャックメイトよ」
***
「ミドリさん、大丈夫ですか。ミドリさん」
警察官に頬を叩かれ、ミドリは眠そうに眼を擦り起き上がった。膝元にかけられているブランケットを畳みながら肩についた笹の葉を摘まむ。頭を掻きむしりながらブランケットを警察官に突きつけた。
「あなたは何でここにいるのですか、事前の打ち合わせで作戦は全部お伝えしましたよね?」
「それが……“Nightmare”の逃亡を許してしまいまして。被害者の家族は無傷でした」
「そんなことどうでもいいです。大事なのは“Nightmare”を取り逃がした事実。私達の敗北よ。ちなみに被害は? 二人が殺害されて?」
「えっと、伝達された情報によると、パトカー三台ほど」
「はぁ? パトカーを破壊するほどの武器を所持していたとは思えない」
顎に手を当てながら考えるミドリに警察官は証拠品袋に入れられた薬莢を手渡す。それを見た彼女は眼を見開いた。
「この薬莢、どこで?」
「“Nightmare”と思われる人物が逃走する際に車から狙撃してきたもので間違いないかと」
「それは鑑識に回して。にしてもこれは、アサルトライフルにしては大きいわね。そうなると……そんなものまで持ち歩いているとは」
悔しそうに唇を噛みしめ、月明かりに照らされながら彼女の頬に一筋の光が流れた。
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