第2話 『始まりの記憶 思い出す成り立ち』

「続いてのニュースをお送りします。昨晩未明、大手企業の屋上で殺人事件が発生しました」

 

 朝。雀が囀さえずる中、アオイは垂れ流されるテレビを聴きながらコーヒーをすすっていた。いつもはゆっくり食べる朝食も今日は喉の通りが良い。

 メグは眠そうに目を擦りながら大きなあくびをしている。手のあちこちに痛々しく絆創膏が貼られていた。ぼさぼさの髪をかきながらトースターに食パンを差し込む。

 

「アオイ、頼むから生ゴミダイブだけは勘弁してくれ。悪臭が酷いし中々取れない」

「善処するわ。それで次の依頼はもう決まっているの?」

「ああ、情報は揃いつつあるから、決行は今週の日曜日にしようかと」

「わかったわ。それまでに調整しておく」

 

 昨日と変わらない支度風景、昨日と変わらない登校。

 アオイはつまらなさそうに机に頬杖をついて窓から見える空を眺めていた。スマホに新着メールが届いていることに気がつき、メールを開く。

 

「ノア、私を復讐きっかけをくれた人……」

 

***

 

 十年前。

 あちこちで火の手が上がりまるで本当に地獄のような光景になっている。とある都心のビルに飛行機が突き刺さっていた。ビルは飛行機が刺さっていた地点を中心に真っ二つに折れてしまった。数多くの人々の声が飛び交っている。

 

 

 

「お父さんとお母さん遅い!!」

「ざんぎょーってやつじゃない?」

 

 家で三人の少女が並んで宿題に取り組んでいた。左に座っていた少女は先ほどからちらちらと時計を見ている。どこかソワソワした様子で心ココにあらずといった様子だった。その時、家のチャイムが鳴る。少女は勢いよく書きかけのノートを閉じ玄関へと駆けていく。ノートの表紙には大きな字でアオイと書かれていた。

 アオイが玄関の引き戸を開けるとそこには茶色のコートを着た年配の男性と下ろしたてのスーツ姿の若い男性だった。アオイは不思議そうに首を傾げた。

 

「お嬢さんはここの家の子かな?」

「うん」

「おうちの人はいるかな?」

「お父さんとお母さんならまだ帰ってきてない」

「他に誰かいるかな? おばあちゃんとかおじいちゃんとか」

「あとはお姉ちゃんと妹しかいない」

 

 アオイの一言に若い男性は顔をそらした。代わりに年配の男性がアオイと同じ目線に合わせてアオイの頭を軽く撫でる。その表情はどこか申し訳なく、言葉を探しているようにも見える。

 

「もう君達のお父さんとお母さんは帰ってこないんだ」

「ずっと?」

「そうなんだ、これからずっと」

 

 不思議そうな表情を浮かべるアオイだったが、涙は一筋も流れていない。今のアオイ曰く。その時、感情をどこかに置いてきたらしい。

 いつの間にか玄関に出てきていた二人の姉妹は号泣していて手がつけられない状態。その騒動は親戚が来たことにより一旦収束する。

 

「で、どうするんだ。あの子達は」

「うちはもう無理よ」

 

 後日、日を改め集まった親戚達が今後に関して相談するためにアオイ達の家に集まっていた。部屋の机で宿題片付けている二人の姉妹に対してアオイは部屋の隅で上の空だった。

 

「大体、何を考えているか分からない子なんて」

「別にどこの家に拾って貰わなくていいから。だからお姉ちゃんと妹だけは」

 

 

 

 

 

「ここが私の新しい家」

 

 彼女の前には年季が入った施設が建っていた。施設に足を踏み込んだ時、目の前から一人の女性が駆け寄って来る。

 

「初めまして! 君がアオイちゃんだね」

「……ここで生活すればいいんでしょ?」

「うん! 新しい家族ができるまで私がアオイちゃんのお母さんだと思って甘えてね!」

「……」

「あ、自己紹介がまだだったね。私はアイ、よろしくね」

 

 アイはアオイの手を引いて所長室へと向かう。

 連れて行かれるアオイが最後に見た親戚の表情は、安堵したような面倒ごとから解放されたような表情をしていたのを幼き頃のアオイの冷たい視線は見ていた。

 

 その日からどれだけアオイが突き放そうが、アイは本当の母親のように接していた。数週間後にはアオイも満更でもない様子で日に日に笑顔が戻りつつあった。

 

「今日の給食が美味しかった」

「そうなんだね、ちゃんと食べてしっかり勉強するんだよ」

「……うん」

 

 学校には施設から登校を続け、あと数ヶ月で進級といった冬のある日。施設の前に一台の黒いオープンカーが停まる。停車した車から出ていたのは高いヒールを履いた足が見えた。

 施設内に入ると真っ直ぐに受付に向かう。渡された紙に必要事項を記入して、金色の髪をかき上げてバインダーを渡した。

 受付の女性は恐る恐る顔をあげて訪問者の顔を見る。視線がぶつかった時、視線を思わずそらしてしまった。綺麗な赤い瞳が受付の女性を見つめるが飽きたように視線をそらして施設内を徘徊する。

 

「あ、そういえば今日は訪問者が来るけど普段通りにしてて大丈夫だからね」

「分かった」

 

 ――コンコン

 

 部屋をノックする音が室内に響き、一瞬部屋が静まり返る。

 アイが立ち上がり、ドアを少しだけ開けて対応した。

 

「お初にお目にかかります。私、ノアと申します。現在子供を引き取りたくてお話しさせていただいているのですが」

「は、はあ」

「そこにいる子とお話ししたいのですが席外してもらうことは可能ですか?」

「えっと……」

「でしたら入り口で待っていただいて構いません。どうせ数分で終わりますから」

「は、はい」

 

 早足で部屋を出るアイと入れ違いでノアが部屋に入る。後ろ手でしっかりとドアを閉じ、完璧な密室に二人。アオイは入ってきた時に一瞬だけノアを見ただけで、それ以外はまるで興味を失ったかのように宿題に戻る。

 すらすらと動かし続けるアオイの手をマジマジと見つめその口を開いた。

 

「……どうして自分が今の状況に立たされているのか興味はないかい?」

「ちょっとだけ。でも分かったところで何にもできないもの」

「じゃあ、思い付きを。君のお父さんとお母さんを殺した人に復讐したくないか?」

「復習?」

「だったら、言葉を変えようかな。やり返しちゃおっか、君のお父さんとお母さんを殺した人に」

 

 それまで快速に進んでいたアオイの鉛筆が静止する。鉛筆を激しく机に叩きつけた。小刻みに震える手と、今にも溢れそうになる涙を堪えるために唇を強く噛み締める。

 それでも溢れ出る涙をそっとシルクのハンカチで拭き取り、ノアは聖母のような微笑みを浮かべた。そしてアオイの頭を優しく撫でながらなだめる。

 

「大丈夫、君には素質と資格がある。私も最低限のことは手伝うから、ね? 復讐の旗を掲げな。いい思いして、いい夢を見ている奴らに悪夢を見せてあげるんだ。自分達が想定していたことを上回る悪夢を」

 

 アオイは涙と鼻水が混ざったものを服の袖で拭き、しゃがんで目を合わせているノアの事を鋭い眼差しで見つめた。一歩ずつノアに近づくと右手を前に出す。

 ハンカチをカバンの中にしまい、ノアはゆっくりと立ち上がった。うなづきながら部屋を出た彼女は真っ直ぐに受付に行き、一通の封筒を受け取る。そのまま部屋に戻り、廊下で待機しているアイに声をかけた。

 

「もう二人だけで話たいことは済んだので大丈夫です。これから書類作成を済ませますので」

「は、はい」

 

 二人で部屋に入ると、アオイは既に荷物を小さなリュックに詰め込んでいた。どう見ても入らなそうな荷物をこれでもかと強引に入れよううとしているがリュックが悲鳴を上げている。

 

「気が早い子だな、君は。書類の受理にはちょっとだけ時間がかかるから、来週には迎えに来るから」

「お父さんとお母さんみたいに置いて行かない?」

「大丈夫さ、こう見えて私結構強いんだから」

 

 アオイを安心させるために右腕を捲り、少しだけ力んで見せる。

 その様子を見て心なしかアオイに笑顔が戻ったように見えた。しばらくの間、ノアはアオイの頭を撫でていた。

 

***

 

「――オイ、アオイ? 一日中どこか上の空だったが」

「!?」

 

 思い出の中からいきなり現実世界に戻されたアオイは驚き、背中に力が入る。彼女が辺りを見回すと、誰もいない教室、夕日で赤く染まった空間、それから目の前にいるのは椅子を反対向きに座り不機嫌そうな表情をしているメグだけだった。

 

「いつの間に放課後……」

「一日中、何か考えている様子だったからな。相変わらず授業態度は完璧だったけど。何か次の依頼で心配な箇所でもあるのか?」

「別に。ただあの人と出会ったことを思い出しただけよ」

「……あの親バカか。まあ、いい。早く帰ろう」

 

 ゆっくりと立ち上がり、机の横に掛かっているカバンを取って廊下へと出る。学校の前を並んで歩く彼女達を夕日が優しく包み込んだ。

 彼女達がバスに乗り込み、バスが徐々に加速し始める様子を怪しげに見つめる男がいた。男は苦虫を噛み潰すような表情をすると人混みの中へと消えていく。

 

***

 

「チッ!! どうしてこうなりやがった」

 

 あの日から数日後、薄暗い一室でスーツに身を包んだ男は近くにあった灰皿を掴んで壁に叩きつける。高値のオーダーメイドの机の上には数枚の書類が乱雑に広げられていた。それを眺める度に彼の表情に怒りの感情が露わになる。

 そんな時に、少し離れたローテーブルに置かれた彼の仕事用のスマホが鳴り出す。一瞬彼の表情が強張るが、咳払い一つして受話器のマークに触れた。

 

「わ、私だ」

「所長さん、これは一体どういうことですかねー。理解できるように説明してもらえませんかねぇ?」

「で、ですから先程送らせて頂いた書類に――」

「んなこと聞いてんじゃねーよ。馬鹿か。何、人に引き取られているんだて聞いてんだよ。しかも追跡出来ないってどういうことだ」

 

 スマホを持つ彼の手が震える。震えは段々と全身へと流れ、よろよろとソファーに座り込んだ。軽くパニックになっている彼は通話相手が話しているのにも関わらず、切断した。スマホの電源を切り、壁に勢いよく叩きつける。乱れる呼吸と共に這いつくばるようにテーブルの下に潜り込む。

 震える彼に便乗するかのように胸ポケットに入っている私物のスマホが鳴り出す。緊張が頂点に達しようとした時、画面に表示されたのは部下の名前。安堵した彼は電話に出た。

 

「もしもし」

「おう、お疲れ。どうかしたのか」

 

 電話越しの声に彼の表情にも幾らか余裕が見える。テーブルの下から、のこのこと出てきた彼。しかし彼に突きつけられたのは、最悪の現実と漆黒の鉄の塊だった。

 

「どうだ、お前の部下の声真似はそっくりだろう」

「ははは……」

 

 彼の目の前にはリクルートスーツ姿の女性が見下すようにハンドガンを突きつけていた。

 雲に隠れていた月がじわりじわりと顔を出して月明かりがシルエットを照らす。照らされた人物に彼は息を飲む。

 

「どうして君が……アイくん」

「フゥ……おいおい可愛い女の子からの電話だぞ。しかも二回も切るなんて。どうやってこの埋め合わせをしてもらいましょうかねー」

 

 アイは銃口を完全に彼の眉間に突きつけ、全て見据えるように微笑む。一つ一つの工程を楽しむように発砲の準備を整えていく。

 その隙に彼はアイを突き飛ばして入り口に駆け寄った。そしてドアノブを掴み、激しく回す。けれども施錠するよりもドアノブは硬くびくともしない。

 焦りながらもドアに体をぶつけて強引な手段で開けようとする彼を嘲笑いながら足元に向けて一発放つ。

 

「クッ。まるで悪魔のようだな。お前という女は」

「最高の褒め言葉をありがとう。さようなら」

 

 正面を向いている彼の眉間に狙いを定めてトリガーを引く。放たれた弾丸が瞬く間に彼の眉間に突き刺さり、細胞を引き裂いた。眉間から水道を閉め忘れた時のように血が滴る。

 

「埋め合わせるはずが逆に穴空いちゃったね。使えないゴミを捨てようが、捨ててしまえばその後どうなろうと関係ないし。ったく本当に無能な人間の下に配属されてしまったよ」

 

 しばらくその様子を観察し、アイは安全装置を付けてレッグホルスターに滑り込ませる。代わりにポケットの中からスマホを取り出して電話をかけながら施設を後にした。

 その場に残った虚しく散っていった中年男性の亡骸が発見されたのは、数日後の出来事だった。

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