オネエと少年と冷えたピザ1

 一夜の過ちについて、人はどれほど真剣になれるのだろうか?


 エルフリードは両手で顔を覆っていた。彼の隣には、見慣れない頭がある。さらふわの金髪だ。布団に埋もれるそれは、すこやかな寝息を立てていた。


 ええ、これって一体どういうことよ……?


 エルフリードがそっと室内を見回す。

 カーテンレールに吊られた自分の上着と、片側へ雑に寄せられたカーテン。惰性な生活感を漂わせる窓から、更にゆっくりと視線を巡らせる。

 足許に散らばるビールの空き缶、テーブルに置かれたくたびれた雑誌。ハンガーから滑り落ちたまま放置された服に、ソファの背凭れにかけられたジーンズ。

 ……紛うことない、ここはエルフリードの自宅だった。


 そっと彼が、自身の着衣を確認する。……よかった。ズボンは履いている。

 盛大につかれた安堵の息とともに、彼の肩が上下した。


 同時に頭部を襲った、ぐらんとした激しい痛み。自覚した瞬間ズキズキと訴え、エルフリードは頭を抱えて顔をしかめた。

 これは完全に二日酔いね……。

 頭痛に耐えながら、エルフリードが布団を掴む。いよいよ隣の現実と対面する決意を果たした彼は、顔を背けて固く瞼を閉じていた。

 えいっ! 捲った布団が衣擦れの音を立てる。むーっ、幼い呻き声が上がった。


「……は?」


 思わず地声を出して隣を見下ろした彼が、そこに丸まる人物を改める。

 枕に顔を埋めながら、すよすよと寝息を立てていたのは、15、6歳ほどの子どもだった。

 閉じられた睫毛が光に透け、柔らかな金髪と合わせてきらきら光を弾く。心地良さそうな寝姿は、天使像か絵画を彷彿させた。

 目を閉じていてもわかる整った造形に、エルフリードが硬直する。思ってもみなかったものが隣で寝ていた。


 あら? あたしったら、そんな趣味だったかしら?


 混乱する彼が、脳内で会議を始める。

 即座に、いいえ、あたしはロリにもショタにも興味がないわ! 彼が自信に満ちた顔で頷いた。


「いや、もう、誰なのよ、この子……」


 再び両手で顔を覆った彼が、掠れた声で嘆いた。

 こんな二日酔いの日は、心行くまで惰眠を貪って慈愛に努めるというのに、エルフリードの中に『ベッドで寝る』という選択肢は消えていた。

 のろのろとベッドから這い出し、よたよたと洗面台へ向かう。痛む頭は相変わらず、昨晩について思い返す行為を妨げていた。




 昼である。子どもが誰かもわからないまま、時計の針はぐるぐる回り、ついに午後二時を迎えていた。

 無表情で立ち上がったエルフリードがベッドの前に立ち、寝相を変えてすよすよ眠る子どもを見下ろす。

 居た堪れない気持ちから被せた布団を乱雑に剥ぎ取り、深く息を吸った彼が大声を上げた。


「あんた! いつまで寝てんのよ!?」

「ひゃぐッ!?」


 やきもきが爆発した瞬間だった。

 飛び起きた子どもが、大きな目を何度も瞬かせる。長い睫毛は音を立てそうで、覗いた瞳は紫がかっていた。

 ぽかんとエルフリードを見上げた子どもが、不可思議そうな顔で首を倒す。そのままぽてんとベッドに転がり、もそもそと布団を被り始めた。


「何でこの状況で! 寝直そうと思えるのよ!?」

「起きたらエネルギーつかう……やだ……」

「寝てても消費するわ!!」


 布団取り合戦を圧勝したエルフリードに、子どもが不貞腐れた顔をする。

 のそのそと起き上がる謎の人物エックスは、どうやらふてぶてしい性格をしているらしい。「おはよう」澄んだ声音ながらも、ぶっきら棒な声が、遅い挨拶をした。


「おはようって、もう昼よ? それより、あんた誰なのよ!?」

「昨日名乗ったはずだけど?」

「ぐっ」


 それを言われてしまえば、エルフリードに立つ瀬はない。口ごもる様子から推察したのか、子どもが立てた膝で頬杖をついた。


「まあ、昨日べろんべろんだったしね? お酒弱いなら控えた方がいいよ? 大人なんだし」

「余計なお世話よ!!」

「ぼくのこと、欠片も覚えてないの? 結構喋ったんだけど」

「うぐっ」


 淡々と抉られる失態に、エルフリードが苦渋に満ちた顔をする。

 一層ため息をついた子どもが、膝を抱えて蹲った。上目に見詰めるそれは、保護欲を刺激する。


「昨日ね、迷子になって途方に暮れてるぼくに、エルが『家においで』って言ってくれたんだ」

「あ、あたしが!?」

「うん。ぼくもいいの? って聞いたんだけど、へべれけのエルがぼくの肩を組んで、家に連れてって、そのまま寝たんだよ。本当に覚えてないの?」


 うるうると訴えかける瞳から目を逸らし、両手で顔を覆ったエルフリードが、天井を見上げた。

 あたしったら、なんてことを仕出かしたのかしら……! いくらアルコールで気が大きくなっていたのだとして、身元不明の子を一泊させるだなんて……!!

 彼の胸中は大荒れだった。


 一方、エルフリードの様子から不穏なものを察知したのだろう、子どもが俯いた。細い指が頼りなくシーツを握り、金の頭が下げられる。


「……エル、昨日はいいよって、言ってくれたのに……」

「そ、それは、酔っ払いの戯言って言ってね……、大人の世界では、よくあることなの」

「……いってくれたのに……、ぼく、すっごく安心したのに……」

「くうっ」


 か弱く揺れる澄んだ声に、良心がぐさぐさと痛めつけられる。自身のくずっぷりをじくじくと感じながら、エルフリードは冷や汗を掻いた。

 子どもの肩が震えている。見るからに細いそれと、目許へ伸ばされた華奢な手首。目許を擦る手の甲の動きに、彼の心はとどめを刺された。


「い、いいわよ! すきにいればいいじゃない!!」

「……ほんとう?」

「ほんとよ。もう、こんなウソついてどうすんのよ!」

「言質取ったよ? 嘘偽りないよね。やった、すきにいさせてもらうね?」


 けろっと顔を上げた子どもが、元の平坦な声音でしれっと呟く。唖然とするエルフリードの横を通り過ぎ、澄んだ声が彼へ注文を投げかけた。


「ねえ、エル。ぼくおなかすいた。なにかない?」

「こんのッ、くそがき! 騙したわね!?」

「人聞きがわるいよ。いい勉強になったと思ったら? 大体、記憶をなくすまで飲んだくれるきみが悪いんだから」

「くうぅッ、このくそがき……!!」


 淡々とした半眼に見詰められては、事実に対してエルフリードは言葉に窮する。しかしこのままやられっぱなしというわけにもいかない。

 興味深そうに部屋を見回す子どもの背後に立ち、彼が腰に手を当てた。


「そうね。同居するに当たって、まずはきちんと自己紹介しましょう」

「え。昨日したよ?」

「昨日は昨日! 今日は今日よ!」

「……めんどくさいなあ」

「じゃあ、あんたから!」


 エルフリードに示され、子どもが嫌そうに彼を見上げる。そもそもエルフリードには、この子どもの性別からして不明だった。


「ぼくはノイ。本名はもっと長いけど、面倒だからそう呼んで」

「……性別から教えてくれないかしら?」

「それ、昨日も聞いてたよ? 男。16歳。家族はいるけど、ここにはいない。……このくらい?」


 ノイと名乗った少年が、じと目でエルフリードを見上げる。ひくり、青年の口許が引き攣った。

 ふてぶてしいロリじゃなくて、ふてぶてしいショタだった……!! ロリなら多少許せたのに!! 彼の胸中は大嵐を迎えていた。

 けほん、嵐を飲み込んだ彼が咳払いする。


「あたし、エル。いい? エルよ。エル」

「うん。知ってる」

「ぴちぴちの22歳で、おとめよ。おとめ。わかる?」

「よくわかんないけど、お兄さんお姉さんってことでしょう?」

「ちょっと違うわね!? お、と、め! 美を愛する清らかな心の中身が女子なの!!」

「美を愛する……きよらかな……」


 ノイの視線が、エルフリードの部屋を一望する。

 乱雑に重ねられた弁当の箱に、力尽きたように落とされている靴下。マグカップには無造作にカトラリーが突っ込まれ、ぬくもりを失って久しいピザの箱がへたりと置かれていた。

 美、とは? 胡乱の目をする少年の頭を、エルフリードががしりと掴む。無理矢理壁の方へ首が向けられた。


「いたい……」

「やかましいわ! これは……仕事で立て込んでいただけよ! 普段はもっときれいにしてるわ!」

「まあ、別にいいけど……」


 心に乙女を住まわせた青年が豪語する。痛そうに首筋を擦ったノイが、じと目のままため息をついた。


「……自己紹介終わったし、掃除しよ?」

「わ、わかってるわよ! ほら、あんたも手伝いなさい!」

「……おなかすいたなあ」


 ぼそりと呟いた少年へ、突き出されたピザの箱。冷え切ったチーズを乗せたそれを、少年が不思議そうに見詰める。

「それでも食べてなさい!」袖を捲るエルフリードの言葉に従い、ノイがはむはむとそれをかじった。

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